所在地 宝林寺 兵庫県丹波市青垣町粟住野1104―1
県道7号線を走っていると、西芦田の田園風景の拡がる辺り、左側に「首塚・祖父祖父堂」跡の標識を見ます。標識に従い進むと幅広い石段と参道があり、上って行きます。
石段を上がり山門をくぐると本堂が
宝林寺には、祖父祖父堂 【ソフソフドウ】(天正七年の明智光秀の丹波攻めで殺害された土豪の供養堂)があります。名前の由来は犠牲者の孫達が祖父達を祀ったとも言われ、この地区には犠牲者の首を埋葬したといわれる『首塚』もあります。
赤鬼の威名を持つ赤井直正(当時25~6歳!?)が此の戦闘に負傷し、背負われて峠を越え黒井本城に引揚げた伝承が残されています。その後・慶長6年(1601)傍らに一堂を建て祖父祖父堂と呼ばれてきました。安政5年(1858)僧 ・卓龍がお堂を再建したと云い、毎年大施餓鬼・法要を営み続けてきました。「祖父祖父堂」は集会場建設の為、昭和61年(1986)秋 ・里の人々の浄財により改修され、奇秀山寳林寺(曹洞宗)に移設されました
本堂の右側にはお堂がありましたので、ちょっと覗いてみました。
中には仏さんが、何だろうね~
お堂の前には、古い石仏が沢山あります。
山門に戻りここからの眺めはいいものです。この宝林寺がある栗住野には東芦田城(小室城) と共に滅んだ栗住野城(二重の堀に囲まれた丹波では珍しい平城)があり 城主栗住野治朝(はるとも)も芦田一族で、東芦田城の井上三郎家光から5代目の芦田持氏が栗住野に移り久留栖野を名のります。共に本家・分家の関係をハッキリしていて、いざという時には一体となって事にあたっていたでしょう。
次回をお楽しみに では またね
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