所在地 大野城 福井県大野市城町
「越前おおの結ステーション」に到着です。高さ約10mの木造建築で、金森長近公が晩年治めた、
岐阜県美濃市にある長良川の上有知湊(こうずちみなと)の川湊灯台(かわみなととうだい)をモデルに建造されて
おります、これが目印です。駐車場は無料ですよ
大野城に行くには、「柳廼社」の境内を通り登っていきます。
江戸時代、福井県大野市は大野藩土井家が治めており、7代藩主土井利忠は財政難の藩を立て直すべく、
藩政の改革を行い、多くの功績を残した。その遺徳を讃えて、利忠を祀る「柳廼社」が明治15年に創建された。
鳥居の横にある大野市郷土歴史館。
この建物は、明治22年創建された大野区裁判所で、昭和43年にこちらに移築されました。
大野城は、奥の「柳廼社」の左側から登ります。
裏手に城への登り口があり、ここに搦手門が復元されています。
城跡一帯は亀山公園として整備され、遊歩道が整備されています。
入口から頂上までは
野面詰みの石垣を横目に見ながら歩いておよそ15~20分はかかります。
途中には、「百間坂」があり、大野城の侍たちがお城へ行くには、藩庁の庭から百間坂を登ったようで、
江戸時代には百間坂以外に道はなかったのである。右の小道を行けば百間坂に出るようです。
大野市街地から標高249メートル、の小山に映える天守閣まで行くには、
通常歩く遊歩道と途中から元気な方は階段を登ることが出来ます。時間の短縮で階段を行きました。
銅像の土井氏七代目の利忠は幕末の名君で、善政を行い、洋学館・病院を建て蘭学を奨励、
藩校明倫館を建て庶民の入学も許したといいます。
大野城の亀山を登る途中から穀物の実る田園が広がりいい景色です。
さらに、近道の階段を登っていきます。
大野城城門に到着です。
門をくぐると、大野城の天守閣が 1575(天正3)年、越前一向一揆を平定した織田信長は家臣の
金森長近に大野郡の大半を与えました。長近がこの地の亀山に築いた平山城形式の城郭が、この(越前)大野城です。
長近はさらに亀山の東麓に「越前の小京都」と呼ばれる城下町を整備し、彼が飛騨一国に転封された後は一代限りの
城主がしばらく続きましたが、江戸幕府が開かれた後は福井藩の直轄領を経て新たに立藩された大野藩の中心地となり、
譜代大名・土井氏の居城として明治維新を迎えました
近長は茶器の収集家としても知られる文化人で千利休に師事していたそうです。城内には金森長近の
正室であり濃姫の付き人でもあったお福の名前がついた、山頂に自然と湧き出た不思議な「お福池」があります。
天守台への登り口は急な「武者登り」の石段があります。
大野城は2層3階建の大天守、2層2階の小天守、二の丸、三の丸があり、外堀・内堀をめぐらし城を
守っていました。その石垣は、石を立てず、横に寝かせ、大きい石を奥に押し込んで積む、野面積みという工法で、
貴重な史跡といわれています。
こちらは、「駕籠道」と呼ばれる緩やかな石段が設けられている。
城下を見下ろすと町並みが、その向こうには、北陸の山々がそびえています。
天守閣の建物の横には、「権現宮跡」があります。
ここから天守閣に入場します。 入場料 ¥200 です。
この時代に使用した「駕籠」のようですね。
武具など展示品が
復元された二層の天守の中は資料館と なっている。
天守閣からは、越前の小京都と呼ばれた市街地を一望できます、また
小京都越前大野は、越前の太守朝倉義景の終焉の地であったようです。
次回をお楽しみに では またね
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