所在地 大野城 福井県大野市城町



岐阜県美濃市にある長良川の上有知湊(こうずちみなと)の川湊灯台(かわみなととうだい)をモデルに建造されて
おります、これが目印です。駐車場は無料ですよ



江戸時代、福井県大野市は大野藩土井家が治めており、7代藩主土井利忠は財政難の藩を立て直すべく、
藩政の改革を行い、多くの功績を残した。その遺徳を讃えて、利忠を祀る「柳廼社」が明治15年に創建された。


この建物は、明治22年創建された大野区裁判所で、昭和43年にこちらに移築されました。
大野城は、奥の「柳廼社」の左側から登ります。




入口から頂上までは
野面詰みの石垣を横目に見ながら歩いておよそ15~20分はかかります。


江戸時代には百間坂以外に道はなかったのである。右の小道を行けば百間坂に出るようです。


通常歩く遊歩道と途中から元気な方は階段を登ることが出来ます。時間の短縮で階段を行きました。



藩校明倫館を建て庶民の入学も許したといいます。








金森長近に大野郡の大半を与えました。長近がこの地の亀山に築いた平山城形式の城郭が、この(越前)大野城です。
長近はさらに亀山の東麓に「越前の小京都」と呼ばれる城下町を整備し、彼が飛騨一国に転封された後は一代限りの
城主がしばらく続きましたが、江戸幕府が開かれた後は福井藩の直轄領を経て新たに立藩された大野藩の中心地となり、
譜代大名・土井氏の居城として明治維新を迎えました


正室であり濃姫の付き人でもあったお福の名前がついた、山頂に自然と湧き出た不思議な「お福池」があります。




守っていました。その石垣は、石を立てず、横に寝かせ、大きい石を奥に押し込んで積む、野面積みという工法で、
貴重な史跡といわれています。
















小京都越前大野は、越前の太守朝倉義景の終焉の地であったようです。


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