Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

Interview

2005-02-19 | Japan
2005.02.19
・今日も渋谷。造園学会の某委員会で理事のT先生ともめる(まあ、むこうは蚊に刺されたとも思ってないだろうけど)。もめた原因の50%は僕(が幹事を務める学術委員会)にあると認める。だけど、残りの50%はどう冷静に見積もっても我々の非ではないし、T先生の言ってることは納得できない。いいけど。

・学会で宮城先生(奈良女子大)から、安東孝一『インタビュー』青幻社、2005を頂く。この本は、安東孝一というアートプロデューサーが18人のアーティスト達にインタビューした結果をまとめたもの。宮城さんは、ランドスケープデザイナーとして、インタビューを受けたアーティストの1人である。その他に、青木淳氏や隈研吾さん、妹島和代さん、坂茂さん、岡崎乾二郎さん、といったビッグネームが並ぶ。その中で宮城さんが、自分を含めて、誰かが、ある景観や環境の状態や状況を感じとること、それ自体もランドスケープデザインである、と言っている。だから、「自分が直接に手を下さなくてもデザインできる部分がかなりある」という。これは、例えばランドスケープのデザインが、なにか空間を物理的に操作するだけでなく、それをある風景として切り取るその切り取り方(風景観やまなざし)を提案することもデザインの範疇に含まれるというようなことか。それから、自分が仕事を始めた80年代後半を回顧して、「当時は全般に視覚的に訴える部分が非常に強くて、つくるものが視覚的に消費されていると感じていました。ビジュアルを追求するだけでデザインが成立しているみたいでした」と人ごとのように言ってるのはちょっと笑える。で、やっぱり造園とランドスケープは違うって、あいかわらず強調してる。「もちろん、造園というものをもっと広げて捉えた方がいいのかもしれない。でも広がった部分を造園とは言いにくいから、ランドスケープデザインと呼んでいるだけのことかもしれませんけど」と但し書つきで。

・学会の帰り道、大盛堂で吉川勝秀『人・川・大地と環境』技報堂を購入。官僚出身で、状況と課題をいま最もわかりやすく伝えられる希有な方の著書。

Water Care

2005-02-19 | Japan
2005.02.18.Fri
・修士論文の発表会。全員パワーポイントを駆使して軽やかにプレゼン。僕が学生の頃の発表会と比べると隔世の感がある。都市空間を有効に活用するソフトとしてのストリートパフォーマンスとそれが発生する場の空間言語化をねらった調査研究があった。僕はストリートパフォーマンスというのは大嫌いである。パフォーマー諸氏には申しわけないが、それでなくてもしまりのない街並みがよけい汚らしくみえてしまうし、日本の狭い路上や駅前でやられるとはっきり言ってじゃまである。東京都は「ヘブンアーティスト制度」と称して、ストリートパフォーマー達にライセンスを与え、場所を限定して(ほとんどが公園などの公有地)ストリートパフォーマンスを認めているらしいが、制度の運用実態はあまりよくないという。ストリートパフォーマンスの本質的な部分ってのは、制度化されたり、決められた場所でやるということではないはずだから、うまくいかないにきまってる。公園での大道芸を僕はストリートパフォーマンスとは呼べないと思う。

・論文発表会終了後、自宅に戻り夕食を済ませてから、平成17年度日本造園学会全国大会で発表予定の投稿論文の最終稿を渋谷の学会事務局まで届ける(今日が提出締切)。行き帰りの電車で、保屋野初子『川とヨーロッパ』築地書館、を読む。その中で紹介されていた、オーストリア政府の“Water Care”というコンセプトは注目してよい。Water Careという概念は、いわゆる「治水目的」と生態学的な機能を保護活性化する「水保全目的」とを統合的に考えるものだが、その中の4つの原理の1つにこうある。「・・・洪水が溢れる土地にはいかなる建物も建造物も許されない。「1990年改正水利権法」制定後につくられた宅地や産業地に対する治水事業は連邦水力学財源からの財政支援を受けられない」とある。要するに、洪水の危険のあるところにそれを承知で住んでるヤツを政府は税金使って助けてやらない、という考え方である。こういうのいいな。いま、ヨーロッパでは基本的にはこんな考え方で、堤防ぶっ壊して沿川の農地を氾濫原に戻している(河川再自然化)。ここではもはや洪水は「災害」ではなく、生態学的に有益な「攪乱」ととらえられていて、その自然のダイナミズムを景観としていかにみせるかが河川環境整備の主たる関心事ということになる。