江ノ島や城ヶ島のような島ともなれば、磯の一つ一つの出っ張りにすべて名前がついている。いずれ古くから呼び習わされてきたと思われる。幼少の砌、魚釣りに行っていた頃にはそんなことにてんで興味はなかったが、良く行った城ヶ島の「水垂」という磯は今でもよく覚えている。江ノ島も、いつも行く磯は決まっていたが、名は聞いた覚えがない。しかし、いま釣り場地図などで調べるに井ガ崎から松ヶ崎と呼ばれる辺りの磯だったと思われる。
父と魚釣りに行っていた城ヶ島の磯も、江ノ島の磯も共通する点がある。それはいずれも島の北側の波静かな釣り場であるということ。島の南側の外海に面した磯はもっと良い釣り場だったようだが、父は鼻垂れ小僧の余を決して南の磯には連れて行かなかった。これは、父の配慮だったと思われる。それはともかく、名を聞いた覚えのない江ノ島の磯をなぜ特定できたかといえば、グーグルマップの井ガ崎の磯の突端に忘れもしない生け簀のような工作物を発見したからである。
江ノ島の磯では生け簀として使われていたと思われる枡の如き工作物を至るところで見かける。いつ頃つくられたのかはわからぬが、ずいぶんと古色を帯び、磯に馴染んでいる。岩をくり抜いてつくられたとみえるこれらの生け簀は、水面下で海と繋がっているのか、打ち寄せる波とともに水位が変わる。生け簀のある井ガ崎の突端には、ベテランと思しき釣り師がいつも陣取っていて大きな黒鯛を釣り上げていた。獲物は魚籠に入れられ生け簀に投げ込まれていた。余はそれを横目に小物をちまちまと釣っていた。
さて当時我々はこの磯場にどうやって行っていたか。江ノ島の高台を巡る散策路から急な山道を降り、危なっかしい崖下の波打ち際を父の手を借りながら釣り場に向かった覚えがある。満潮時、足を滑らせ海に落ちそうになったこともある。しかるに、最近のネットの記事を見ると、松ヶ崎について「以前は山から下りる道もあったが今は稚児が淵から回るしかない」とある。余の記憶が正しかったことが何故か嬉しい。が、その山道が今は使われなくなっていることに時間の流れを感ず。余にとりてはこんな些細なことも極めて感慨深い。
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