Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

二年ぶりの韓国(完成版)

2010-02-27 | East Asia
年をまたいでしまいましたが、昨年9月の韓国旅行の写真を flickr にアップしました。
ブログ上への写真掲載は写真を画像フォルダに一度アップしなければならず面倒なので、
今後写真の掲載は flickr を中心にしたいと思います。

追加した写真は → こちら

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インチョン国際空港のバスターミナル。
打ち放しのコンクリートへの間接照明が長居を苦にさせない空間をつくり出していて希有。ソウル市内泊(2009/9/17 木曜日)


インサドンにて韓定食の朝食。(2009/9/18 金曜日)

地下鉄で「三松」、タクシーで義妹の墓参、イルサンのお寺へ。今回の旅の目的。
ロッテデパートでお茶を飲んでから再び地下鉄でソウル市街に戻る。
ツマは仕事で別行動。


昌徳宮を見学。庭園が見事。

日帝の“毀損”について、(日本語ツアーの)ガイドさんはごく控えめに、いや、ほとんどふれず。案内資料には比較的詳しく説明あり。

それにしても、これだけのものを壊してしまう「政治」のなんと悲痛なことか。
そして、そのような政治を強いる「経済」のなんたる嘆かわしさ。。。

とはいえ、「...ここはチャングムが走ってきたところです」と説明するガイドさんに日本人観光客が大挙してうなずく光景のほほえましさといったらない。

僕が初めて韓国を訪れたのはたかだか15年ほど前のことだけれども、
それでも、当時といまの両国(の関係)を比べてみると、まったく隔世の感がある。

東アジア・ランドスケープ研究会に寄せて

2010-02-05 | East Asia
早速ですが、なぜいま東アジアなのかを考えてみました。それは、「国」という単位ではなく、「東アジア」という空間的スケールで括ってみると、新たにみえてくるものがたくさんあるから。にもかかわらず、それらはあまり研究されていないからだと思いました。例えば、東アジア域内では異なっているようにみえる各国の伝統庭園も、グローバルにみれば、東アジア的な特徴を兼ね備えているはずです。また、現代の土地利用やランドスケープにもアジア的な共通性が認められます。気候帯を同じくする地域では植物相や動物相が類似していることはいうまでもありません。欧州では、域内のミクロな違いをふまえつつも、欧州として括れる特徴を必死に見いだそうとする姿勢が顕著です。東アジアにもグローバルに主張しうる個性があると確信しますし、またそれを主張しないと世界の他ブロックとの競争に打ち勝てません。グローバルには「違い」を、東アジアにおいては「共通性」や「関係性」を見いだす研究が重要と考えます。

一方、東アジアぐらいのスケールで考えないと、対処が難しい現実的な問題もあります。ランドスケープ関連の分野に限ってみても、環境保全や公害の問題、海洋資源・生物資源の保全、生態系や生物相の保護、観光振興の問題しかりです。文化遺産保護の領域では、国境を超える世界遺産やカルチュラルルートと称して進んでいる取り組み、例えばシルクロードの保全再生などがその典型です。私見ではこの他にも、仏教伝播や文化交流に伴う関連遺産の保全、中国を起点に日韓にも広まったいわゆる「八景」の保全再生等も魅力的なテーマだと思います。

こうした東アジアのランドスケープの特質や生態系サービスの実態を十分に認識したうえで、それらを基調として各地域の開発や土地利用管理が行われることが期待されます。それには、東アジアで比較・共有可能な空間情報の「データベース化」とそれを支える評価の視点、いわば共通の「モノサシ」を用意することが急務です。この研究会が果たすべきミッションはそのあたりにあると考えています。

東アジア・ランドスケープ研究会ニュースレター Landscape East Asia, Vol.2 2010年2月発行に掲載された拙文です)

中国杭州~原型への旅

2008-10-24 | East Asia
Tuesday, 14 Oct. 2008 ランドスケープ国際学生コンペの審査委員会
2度目の杭州である。前回(9年前)も、同じシンポで蘇州を訪れた際に個人的に足を伸ばしたのだった。今回は学会のツアーにて参加なので気楽。空港から送迎バスでホテルにチェックイン後、一休みしてから、国際学生コンペ(スポンサーは杭州の民間造園会社)の審査委員会に出席。今年の応募数は地元中国から9作品、日本から1作品の計10作品(韓国はノーエントリー)で、金賞1作品、銀賞2作品、銅賞6作品を選定した(選外は1作品だけ(笑))。ジュリーメンバーは各国の代表2~3名で構成され、各人が全10作品を審査、順位をつけ、その結果を作品毎に加算して合計値が最も少ない作品を金賞にする、という審査が行われた。日本からの1作品は銅賞だった。

僕はデザインの質もさることながら、敷地解析から設計に至る流れやプログラムがしっかりしている作品に高得点を与えた(残念ながらそれらの作品は金賞に選ばれなかった)。金賞受賞作は、確かに創造的なデザインではあったが、その根拠(の説明)が弱かったので、僕の評価はそれほど高いものではなかった。しかし、他の審査員が推すのだからまあしかたがない。


コンペのジュリーメンバー

委員会終了後、ホテルで夕食をとってから、西湖で開催されている「印象西湖」(北京五輪の開会式をプロデュースした張芸謀らによる)を観劇。湖上で繰り広げられる一大叙事詩。見事ではあったが、ロケーションとランドスケープを生かし切れていないという印象を受けた。ただ、公園や水景の活用プログラムとしては大いに学ぶべき点があった。


「印象西湖」のワンシーン

Wednesday, 15 Oct. 2008 学術シンポジウム
学術シンポジウム。専門的な(研究の)アプローチが全体の中で何ができるか、あるいは各国の研究が中日韓3ヶ国のレベルからみてどんな意味をもっているかという視点が不足していること。自国の歴史文化への強い確信について。。。東アジア、とりわけ韓国と日本には、今回の開催地、西湖のランドスケープのコピー(というと怒られるが)が古来たくさん存在する。それらは、グローバル化の現代でこそ、東アジア固有のランドスケープとして評価されるものの、コピーされた当時においては、中国を起点とするプチグローバリズムの結果にほかならないこと。

その他、IFLAの代表団が今回のシンポジウムに招待されていたこと。次回の大会は2年後に日本で開催されること(日本が毎年開催に強硬に反対したのに対して、韓国は毎年開催を強く主張)。JILAのIFLAへの復帰が強く期待されていること。中国風景園林学会の機関誌「風景園林」がインターナショナルジャーナル(英名 Landscape Architecture)として世界頒布されること。さらに、中国風景園林学会と北京林業大が販売元となって、英国 Landscape Research Group の機関誌「Landscape Research」が中国国内で頒布されること等々、今後の日本の立ち位置について大いに考えさせられるできごとがたくさんあった。


杭州之江飯店「千人会堂」にて

Thursday, 16 Oct, 2008 テクニカルツアー(1日目)
西湖とその周辺のテクニカルツアー。西湖十景(のうち、断橋残雪、平湖秋月、蘇提春暁、三譚印月、花港観魚)、霊隠寺、虎ほう泉、(「山外山」レストランで昼食)、六和塔をチャーターバスで視察。8年前と比べて、西湖の湖畔や霊隠寺、虎ほう泉などがとてもきれいに環境整備されていたのが印象的だった。


三譚印月(西湖十景)

Friday, 17 Oct. 2008 テクニカルツアー(2日目)
午前中、テクニカルツアー2日目。弧山・西冷印社、胡雪岩旧居など。(子供たちの)遠足による大渋滞のため、予定の視察先をいくつかカット(残念)。ホテルで昼食後、閉会式までの僅かな時間を利用して、河坊街を散策。指定された時間に閉会式の会場に赴くも式は終了していた。聞けば、「早く終わっちゃった!」とのこと(←そりゃないよ)。同行した妻が体調を崩し、「楼外楼」でのフェアウェルパーティを欠席。農大のH先生から薬をいただく。謝謝。


「胡雪岩旧居」の主庭園(芝園)

Saturday, 18 Oct. 2008
午前10時の集合時間まで、ツマとホテル近辺をぶらつく。集合住宅(マンション)の敷地の中をそぞろ歩いてスーパーマーケットへ。子供たちの土産を買う。


空港に向かうバスの中から

Wk 43 韓国出張など

2007-11-01 | East Asia
Monday, Oct 22, 2007
妻の仕事に付き合い、韓国建設交通部行政中心複合都市建設庁を訪問。「行政中心複合都市」とは、いわゆる首都機能移転先の新都市(大田市郊外の錦南面というところ)のことで、現在はまだ田畑・里山がひろがる田園地帯である。現場の役人の説明を受け、資料をどっさりいただく。いやはやこういうビッグプロジェクトがまだ命脈を保っていられるというのは、ある意味で幸せなことかもしれないが、色々と考えさせられるところあり。詳細はまた後日。大田(テジョン)から、妻の実家のある大邱(デグ)に移動。
関連情報:
http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/korea/korea_info.html
http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/onlinelecture/lec110.html
http://www.chosunonline.com/article/20070721000026

Tuesday, Oct 23, 2007
出張の合間のフリーデイ。義父母らと大邱市内で買い物&親戚訪問。メイル確認など。

Wednesday, Oct 24, 2007
第10回韓中日国際ランドスケープ専門家会議の開催場所である水原(スウォン)市へクルマで移動。昼過ぎに大邱を出発して高速を乗り継いで現地に着いたのは夕方。兵庫県大の一ノ瀬さんと夕食(スウォン・カルビ)。

Thursday, Oct 25, 2007
第10回韓中日国際ランドスケープ専門家会議「シンポジウム」に出席。共同研究者として数件「A Study of the Roles of the European Spatial Development Perspective (ESDP) and its Application Potential in East Asia / Kyung-rock YE, Nozomu KIUCHI, Takeshi KINOSHITA」,「Comparison of Nature Restoration Projects in Urban Areas of Japan, China and Korea / Tomohiro ICHINOSE, Yue SHEN, Kyung-rock YE, Takeshi KINOSHITA」 の論文発表と共に、第3セッション「Significance of landscape architecture as a life culture」のコメンテーターとして討議に参加。ウェルカムバンケット。イギリス留学に際してお世話になった大邱大学の李先生と久しぶりにお会いしたほか、ソウル大の安先生から、IFLAアジア太平洋地域大会、世界大会のお知らせなどをいただいた。

シンポジウム会場で、「北京オリンピック森林公園」デザインチームの一員であるWu Yuxia女史から「The Landscape Plannning and Design of Tieling New City / Urban Planning & Design Institute of Tsinghua University (2007.9)」「Urban Planning & Design Institute, Tsinghua Univ. Landscape Design Branch のポートフォリオ」「A Collection of Papers on Beijing Olympic Forest Park for: 2007 China Landscape Architecture Summit: A New Highlight in Landscape」等の貴重な資料をいただく。

また、韓国造景学会から、今回の国際会議と平行して開催された造景学会全国大会とエギジビションの作品集「4th National Exhibition of Korean Landscape Architecture / 2007 Annual」をいただいた。中国、韓国の資料とも非常に質が高く、なおかつお金がかかっている。資料の内容よりもむしろスポンサードに関心がいってしまう。

Friday, Oct 26, 2007
第10回韓中日国際ランドスケープ専門家会議「テクニカルツアー」に同伴!?。龍珠寺、ワールドヘリテージサイト水原城趾(華城)、華城行宮(韓国SBS放送の歴史ドラマ「王と私」のロケハン現場に遭遇)などを視察。旧市街を取り囲む城郭の完全復元と広場や各種観光施設の整備など、観光地としての歴史的市街地の特徴を強化するための市の7大拠点整備事業が進行中。そのスケールの大きさと市民の合意形成、何よりもそのための政治的決定力と実行力にただただ感心するばかり。ツアー後の「フェアウェルパーティ」には参加!?。

Saturday, Oct 27, 2007
嵐の日本に帰国。

Sunday, Oct 28, 2007
学部の授業「環境デザイン実習V」および修士課程の「広域緑地計画論」の授業の一環として、市川緑の市民フォーラム主催の第2回見学会「真間川・歴史ルート」に学生を連れて参加。ミーティング終了後、見学会参加者で、市川市北東部地域の大柏川流域にて、同じく「水と緑の回廊構想」の市民政策提言を準備中の市民の方から、同構想の提案書と基本計画案をいただき、意見を求められる。

蒸し風呂と飽食の年末年始@韓国

2007-01-09 | East Asia

Wednesday, Dec.27, 2006
■ ほとんど徹夜で韓国行きの準備。今年生まれた次男を連れて一家4人で大邱(デグ)の妻の実家へ。昨年暮れの観光地プロジェクト以来ほぼ一年ぶり、かつ全くのプライベートでの韓国訪問。市川松戸道路の大渋滞を抜け、高速で成田空港へ。渋滞で時間をロスし、やむなくメルセデスだらけの空港駐車場に駐車。
■ 釜山(プサン)で義父母が出迎え。釜山から大邱への移動は、民間資本による建設の新高速道路(釜山~大邱)で時間短縮。ああ、インフラ建設のなんたる早さよ、韓国。清道(チョンド)のPAで休憩。公設の高速道路に比べPAの質が高い。
■ 2時間強で大邱到着。一年ぶりの大邱は高層マンションが益々増え、ちょっと様変わりしていた。ソウル資本による投機的性格の強い不動産開発で、地元市民の手に渡る頃には不当な高値につり上がっている。明らかな過剰供給でバブルの崩壊が懸念される。それより何より、これでは空の広い盆地都市大邱の景観が台無しだ。

Thursday, Dec.28, 2006 寒波到来
■ 叔父夫婦と昼食後、三星(サムソン)と英 TESCO(テスコ)の合弁による複合ショッピングセンター Home plus を訪れる。日本では苦戦・撤退を強いられている欧米系メガスーパーマーケットが、韓国ではすんなりと受け入れられているよう。クルマでやってきてどでかいカートにガバガバ食料品・日用品を買い込むアメリカ型消費スタイル。それでいて町中の伝統的な市場(シジャン)や小売店もちゃんと生き残っている。どうも消費者は使い分けをしているようだ。義父と合流し大邱観光協会へ。日本語の「大邱観光案内」をもらう。こいつが後日大いに役立つことに。
■ 一旦帰宅し、念願の home SPA world (公衆浴場兼蒸し風呂兼スポーツジム兼プール)再訪。チムチルバンでたっぷりと一年分の汗と疲れを流す。夕食。この施設、何種類もの蒸し風呂の中でゆっくり寝転がれるのが特徴。おまけに24時間営業で、深夜12時を回るとブランケットが配られオンドルの広間でみんなでゴロ寝。ロッカーに収まるほどの荷物なら、宿泊施設としても使える。レストランやパソコンルーム(インターネット)、DVDルームも完備されており、至れり尽くせり。ちなみに蒸し風呂は男女共用で、汗をかいても型くずれしない分厚いコットンの専用着を男女とも身にまとう。韓国人というのは意外とオープンで、若いカップルや夫婦が蒸し風呂でチチクリあっている。家族連れや子供達も多いが互いにべつだん気にとめる様子もない。ああ、儒教の教えは何処へ。いいけど。
■ 長男と一緒にレゴ Knights' Kingdomシリーズの ‘Lion Castle’ を完成。

Friday, Dec.29, 2006 零下8度
■ 妻と一緒に2回目の home SPA world。ゆっくりと3時間汗を流す。大の男達が3時間も4時間も湯につかり、蒸し風呂で汗を流し、垢を落とす。書物を数冊持ち込んでゆっくりと読みふける者。ゆっくりとTVやDVD鑑賞にひたる者。子供とプレイルームで遊びに興じる者。パートナーと二人だけの時間にひたる者。スタイルはいろいろだが、これがコリアンスタイルである。たいていの日本男子なら温泉でも30分程度がいいところだろう。しかも、湯から上がると女性顔負けの念入りな肌のお手入れ。ヘアスタイルや整髪料はもちろん、スキンクリーム等を全身に塗りたくる。いや、そうでもしないと外に出れば凍える外気で肌はガサガサになってしまう。今度来るときは本を持ってきてゆっくり読むことにしよう。
■ 東亜百貨店寿城支店のARDEN HILLS(人気のバイキングスタイルのレストラン)にて叔母と義妹と夕食。西洋料理や中華が中心だが、お味は???。韓国に限らないことだが、料理はご当地のものがやはり一番うまい。しかし、そのことは意外にも地元の方々にはわからないらしく、30分以上の順番待ち。

Saturday, Dec.30, 2006 快晴
■ 先日、観光協会でいただいた観光案内から情報を得て、大邱市内屯山洞の漆渓村(オッゴル・マウル)を訪れる。慶州崔氏一族が住む集落で、朝鮮時代の特徴を良く残す両班(ヤンバン)の家屋が残る。とくに宗家の屋敷は大邱地域で最も古い建築物(約400年前)で、なおかつ現役の住宅でもある。マダン(中庭)から座敷に上がらせてもらい温かいコーヒーをごちそうになった。家屋保存や維持管理のための行政からの資金援助はとくになく、あるのは全国に散らばる一族・子孫からの支援のみ。それでも見事に維持管理(一部復元も)されている。日本ではあり得ない話だ。
達城側柏樹林見学。側柏(そくはく)とはコノテガシワのことで、当地は自生地としては南限とのこと。市街地にほど近く、天然記念物第一号であるにもかかわらず、あまり宣伝がかんばしくなく、せっかくの資源がもったいない。断崖にへばりつくようにして鬱蒼と茂っている。樹林を眺めるのにちょうど良い位置に公園と駐車場が整備されている。韓国の公園には古風な四阿がつくられているのをよく目にするが、好感が持てる。
不老洞古墳群見学。3~5世紀頃のこの地域の支配階級の墳丘群で、現在では古墳公園として整備されているにもかかわらず、敷地の境界線にフェンスや壁などの物々しい構造物等もなく、周辺の市街地や農地と自然に融合している。先の集落もそうだが、韓国の歴史的遺産というのは、観光資源や観光地として現代の生活から切り離されて存在しているのではなく、生活と一体化している印象を受けるものが多い。妙にこぎれいに整備されていないところが逆にリアルである。

Sunday, Dec.31, 2006 大晦日 晴れ
■ 大学院時代の友人Pさん一家とショッピング&食事。COSTCO で子供向けのEdu.系本、洋書等をまとめ買い。安い。買い物後、一緒に昼食。それにしても韓国の料理はどの店もボリュームが半端じゃない。日本の習慣で「残さず」食べようとすると、とてもじゃないが胃腸が持たない、というか不可能。韓国滞在中、胃袋は常に飽和状態で、出しては食う(←失礼)、という表現がぴったり。韓国初心者の頃はその辛さも手伝って胃腸をよく壊したものだ。
■ 帰宅し、午睡をむさぼる。夕方起き出して、大邱プラザにて洋服を新調。ここ数年、衣類はほとんど韓国で購入というパターンが定着している。同じ品質のものが日本より安く手に入るというのがその理由。デザインのバリエーションが豊富で、気に入るものを確実に見つけられるのも嬉しい。さらに驚きだったのは、ボクが買いたいカラーとサイズの品物を(その店には在庫がなかったので)市内の本店からあっという間に取り寄せてくれたこと。「30分で用意するからそのへんを見ててくれ」と言うのだ。日本であれば、「お取り寄せに1週間程かかります」の一言で片づけられていたはず。韓国は融通の利く国である。
■ 韓国は旧暦の正月を祝うので、西暦の年末年始はそれ程盛り上がらないと思いきや、実際には日本以上の盛り上がり方でびっくり。韓国人というのはお祭りごとへの熱の入れ方やその演出の仕方が実に派手である。TVでは、再生された清渓川(ソウル市)と野外ライブ会場、スタジオの三元生中継で新年のカウントダウンを盛り上げる市民の熱狂を伝えていた。日本の「行く年来る年」の、ボクの大好きなあの風情は、韓国のどこのTVプログラムを探しても見つけることはできない。(まあ、日本でもあの番組が「いい」という人は少数派だということぐらい知ってるがな)

Monday, Jan.1, 2007 元旦 晴れ
■ ゆっくり起き出して遅い朝食をとり、3回目の home SPA world。時間が余りなかったのでチムジルバンのブルガマ5連発で新年初汗。したたる汗。最高。。。今回、場化っ力(←誤変換ではなく「ばかっちから」と読む。空間を使いこなす、つまり場所化する能力を表すボクの造語)は、民族によって差があることを実感した。中国人の場化っ力にも相当びっくりさせられたけれど、韓国人もなかなかどうして。屋内だろうが屋外だろうが、どんなところでも、2~3人も寄り集まれば、飲み物や軽食を囲んで座り込みの話し合いが始まる。日本人と空間の関係というのはもうちょっとなんというかよそよそしい。中国人、韓国人と比べたら、ほとんど「無力」と言ってよい。
■ 叔父一家と刺身の夕食。韓国では家族や親類と顔を合わせる機会が本当に多い。「家族」は人生の基本要件である。TV等を見ていても、日本では、「家族」それ自体がドラマのテーマになったりするが、韓国ではそういうことはない。歴史物だろうが、恋愛物だろうが、ギャング物だろうが、どんなTVドラマにおいても「家族」は基本プロットとして刷り込まれており、それ自体がテーマになったりすることは決してない。「家族」がちゃんと生きている証拠であろう。

Tuesday, Jan.2, 2007 晴れ
■ 帰国。釜山への高速道中、義父から興味深い昔話を聞くことができた。トラの話である。義父の祖母が幼少の頃、山菜採りに入った山でトラの子に遭遇しその愛くるしい姿に見とれていたところ、近くに親トラと思われる成獣の鳴き声を聞き、あまりの恐ろしさに荷物を放りだして逃げ帰った。翌日、起きて家の前を見ると、山にうち捨ててきたはずの荷物が整然と置かれていたという。韓国では、トラに関するこの手の民間説話には事欠かない。日本の植民地時代に乱獲され絶滅するまでは、トラはごく普通に見られた身近な獣であったらしい。それはともかく、義父の話については、その真偽よりも、トラが霊験あらたかな聡明な獣として人々に認知されていたことを物語っている点を重視すべきだろう。韓国では、非常に稀な数奇な運命のことを称して「トラに食われるような運命」と形容することがあるという。つまり、トラがヒトを食らうのはごくごく稀なことであったということだ。恐怖する存在というよりは崇めるに値する獣として認識されていたということになるが、義父の話には続きがある。義父の祖父は上背のある体格豊かな大男で、なんとトラの背中に乗ったことがあるというのだ。で、ボクはわけがわからなくなるのである。

White Seoul

2005-12-04 | East Asia
Thursday, Dec. 1, 2005
*韓国S郡観光地プロジェクト最終報告のため韓国へ
・元請けD社(韓国ソウル)へのみやげを買い、未来風景舎のツルシマくんと合流、チェックイン。出国審査を終わると、韓国の入国審査ブースが用意されていた。韓国での入国審査を短縮できるとのことで、早速手続き。これは便利だ。フライトまで時間があったのでカフェでおしゃべり。
・19:40インチョン空港(ソウル)着。入国審査の長蛇の列を横目に、乗務員用の審査窓口へ。一瞬で審査終了。こりゃいい。今後も使わせてもらおう。ぜひ。
・両替してから、リムジンバスでソウルの都心空港ターミナルへ。ターミナルでツマと合流(21:00すぎ)。ツマは今日一日息子を大邱(デグ)の両親に預けてD社で明日のプレゼンの最終調整をしてからの合流。ホテルにチェックイン後、3人で夕食(テジカルビ)。いや、ハンパじゃない寒さ。

Friday, Dec. 2, 2005
*S郡庁舎にてS郡D諸島観光地計画の最終報告
・ソウルのターミナル駅の一つ龍山駅で朝食(ソルロンタン)。D社3名と合流し8:25発KTXで木浦(モッポ)へ。車内でプレゼ打合せ。
・11:50木浦駅着。昼食(コリタン)後、13:00すぎ、庁舎に赴き最終報告の事前打ち合わせ。15:00より最終報告会。副郡長はじめ韓国観光公社職員、大学教授ら総勢40名の大会議。かなり緊張しました。とりあえず大きな問題はなかったようでほっとした。
・会議終了後、駅前でD社メンバーらと夕食(プルコギ)を済ませ、またKTXでソウルにトンボ帰り(ソウル着は11時過ぎ)。タクシーでホテルへ。つかれた。
*KTXについて
フランスのTGVの技術による韓国新幹線で、じつに快適です。車内のクオリティは日本の新幹線のグリーン車並みで、左右2座席づつの高級感のある車両です。すばらしいのは立ち客がいないこと。自由席は1両だけ(しかも自由席も立ち客なし)で、その他は全席指定。座席数しかチケットを販売しないので立ち客ゼロとのこと。うらやましい。最高速度は300km/h。はやいっす。

Saturday, Dec. 3, 2005
*D社訪問
・午前中はホテルでぐっすり眠る。ツマは友人と会うとかで早々に出かけていった。昼前にツマが戻り、ツルシマ君と3人でD社を訪問。D社副社長さんら3名と我々3名で昼食(@ソウル郊外の中華料理屋さん)。マイウ。
・昼食後、D社に戻り、雑誌の記事用の写真撮影。韓国の観光プロジェクトの状況などについていろいろと情報を収集する。木浦から今日戻った社長さんと挨拶してからD社をあとにする。
*清渓川(チョンゲチョン)視察
・ツルシマ君とツマと連れだって竣工なったチョンゲチョンへ。途中、小雪がちらつく寒空の下、下流部から水源?まで歩く。東大門市場(トンデムンシジャン)でトイレ休憩を挟んだ他は歩き通し。鞄を持つ手がヒリヒリとかじかんでくる寒さ。やはり日本とは寒さの質が違う。
・「水源」でツルシマくんのアメリカ留学時代の先輩ジョン氏(現ソウル大学教員)と待ち合わせし、ツルシマ君は彼と一緒に夜のソウルの街へ。ボクとツマはソウル駅へ。ソウル駅でツマと夕食(テンジャンチゲ、ナクチポックム)、ショッピング。KTXで息子の待つ大邱へツマは帰った。ボクは地下鉄を乗り継いでホテルへ。仕事の都合でボクとツルシマ君は一足先に日本に帰らなければならない。室内にいたから気がつかなかったが、いつしか、粉雪がぷんぷんと舞い始め、積もり始めていた。
・地下鉄のソウル駅で切符を買っていると、ある韓国人の親子が地下鉄の路線を訊ねてきた。
ボク「ミアネ(ごめんなさい)」
親子「ン?」
ボク「ミアネ、ナ ヌン イルボンサラミンデヨ(ごめんなさい、日本人です)」
親子「アァ~、どうもすいませんでした(はっきりとした日本語で)」
こういう時(一所懸命外国語で応対したのに、流暢な日本語で切り返された時)ほど、当惑する時はない。
・また、地下鉄の車内で若い女の子の連れ合いの1人がボクの横に座りもう1人が立ってお喋りをしていた。駅でボクの隣の席が空いたのでボクは横にズレて立っている女の子に席を譲った。すると、その女の子は深々と頭を下げながら「カムサハムニダ」と言って腰掛けた。その一連のしぐさがあまりに自然でそれでいて実に礼儀正しかったので、ボクはちょっと感心してしまった。
・江南駅で下車、雪はいよいよ強くなっていた。タクシーを拾ってホテルへ。明日のリムジンバスの時間を調べるために、僕らのホテルの真ん前のリッツ・カールトン・ソウルに立ち寄る。20分おきに出ているけど明日は雪でコンディションがよくないだろうから空港まで普段より時間がかかるかもしれないとホテルのボーイ。明日は早めに出ることにしよう。
・ホテルに帰ると、ツルシマ君は既に戻っていた。身体が冷え切っていた。熱いシャワーを浴びて就寝。雪がひどくならなければよいが。

Sunday, Dec. 4, 2005
*帰国
・朝6時起床。6:38発のリムジンでインチョン空港へ。幸い雪は上がり路面も雪がはじかれていた。それほど遅れることもなく空港へ到着。朝マック。チェックインを済ませ、搭乗までおしゃべり。海苔チョコをおみやげに購入。ヨン様チョコレートが欲しかったのだが(残念)。
・成田は雨。やはり韓国と比べればずいぶんと暖かい。何より湿度がある。帰宅しておそるおそるメイルをチェック。海外出張から帰ったあとのメイルチェックはじつにいやなものだ。果たして、とくに緊急メイルはなかった。よかった。明日は一日授業だ。(←日記書いてるヒマがあったら準備しろ)

韓国出張報告など

2005-10-03 | East Asia
Monday, Sept.26, 2005
*園芸学部100周年記念事業打合せ

Tuesday, Sept.27, 2005
*学内評価資料提出
*細々とした渡航前の身辺整理(これが結構面倒)

Wednesday, Sept.28, 2005
*成田~釜山(プサン)大韓航空便
今回は息子を両親に預けている余裕がなく、妻子と3人で出かけることに。
*釜山~大邱(デグ):義父母が迎えで妻のふるさと大邱へ
大邱への車中にて:韓国の山々はおしなべて日本のそれと比べて低く小さい。低く小さいけれど、朝鮮半島南端の釜山近辺から半島東部を北上して、朝鮮民族の母なる山、白頭山(北朝鮮領)につながる山嶺(これを風水用語で「龍脈」と呼ぶ)がある。ああこれが大陸だよな、と車中で深い感慨に浸る。大陸の山々は見てくれの大小にだまされてはいけない。そこがまたいい。

Thursday, Sept.29, 2005
*S郡庁舎にてDプロジェクトの中間報告
妻と二人で大邱を午前中のKTXで経ち、太田(テジョン)で乗り継いで木浦(モッポ)へ。あえて、クライアントの期待に反するプレゼン(外資を期待する役所に対し、外資に頼るなという内容の発表)を行った。結果、案の定、開発か保全か、外部資本か内部資本か、ハードかソフトか、外発か内発か、他律か自律か、という二者択一論になだれ込み、外資による外発的/他律的、ハード開発論者が大勢を占めることに。。。しかし、安易な二元論に終始すべきではないことを力説した結果、最後の最後で奇跡的に、郡長が我々のプレゼンに肯定的な見解を示し、一気に形勢逆転。基本方向は納得してもらえた。それにしても、首長がプロジェクトのプレゼンにいちいち顔を出してコメントするんだから韓国はすごい。日本の役所では考えられないことである。でも、本来そうあるべきだよな。。。中間報告会終了後、料亭(韓定食)で会食。ホテルにチェックインしたのは21時過ぎ。ところが、直ぐに電話で呼び出され、ホテル前の海辺のカフェで元請けD社の面々、国の役人らとともに日付が変わるまでカラオケ。夜風の冷たさが身にしみる一夜であった。

Friday, Sept.30, 2005
*S郡D諸島視察(2回目)
前回行きそびれた島々(無人島を含む)を行政船とマイクロバス等で視察。拠点計画対象の海岸数ヶ所と干潟、リゾート開発地等を現地の役人や事業者らの案内で見て回る。
*木浦~(太田経由)~大邱:ムクゲ号とKTXを乗り継ぐ
木浦から5時間ほどかけて大邱に戻る。それにしても乗り継ぎが悪い。

Saturday, Oct.1, 2005
フリー。ゆっくりと起き出し、義母のつくった朝食を済ませ、久しぶりに近所の蒸し風呂へ。韓国は本当にこういった健康施設が充実している。人々の健康志向は日本人と比べて並はずれてすごいものがある。リフレッシュ。半日そこで費やす。最高の休日だった。帰宅し、叔母夫婦と合流して焼き肉屋さんへ。ま・い・う。夜のニュースで、ソウルの清渓川(チョンゲチョン)竣工セレモニーが報道されていた。清渓川再生を選挙公約に掲げ、見事偉業をやってのけたソウル市長さん、こんどは半島を南北に貫くキャナル(運河)をつくることを公約に大統領選に打って出るそうである。いやはや。。。

Sunday, Oct.2, 2005
釜山まで義父母がクルマで送ってくれた。釜山金海国際空港で朝食。大韓航空便で東京へ。大韓航空のアテンダントのユニフォームが替わった。今回もじつに充実した渡航だった。

韓国出張報告

2005-09-15 | East Asia
Tuesday, Sept.6, 2005
*台風でプサン便欠航/ソウルへ
・韓国南部のG地区・P地区・S地域の観光地計画プロジェクトのため渡韓。成田で未来風景舎のC野君と合流するが、台風接近のためプサン(釜山)便が欠航。急遽予約を変更してソウルに向かう。ソウルはよい天気だった。
・今回のプロジェクト(観光地計画)の元請け、D社を訪問し、プロジェクトの概要について説明を受け、諸々の打ち合わせを行う。D社はソウルをベースに全国的に活動を展開している観光(地)計画専門という珍しいコンサルタント会社。日本同様、韓国でも観光立国は重要な政策課題になっていて、しかもかなりのお金が付いている模様。ソウル泊。

Wednesday, Sept.7, 2005
*P地区視察
・午前4時起床(←勘弁してよ)。ソウル駅で元請けのD社およびH社メンバー、K大学のK教授らと合流し、6時発のKTX(新幹線)でプサンへ。快適そのもの。やや振動が気になるけど、常時250~290km/h出ている。車中で爆睡。
・P地区の区域庁にて意見交換。終了後、対象地を見学。広大な干潟を埋め立てての港湾及び都市開発計画。とんでもなくでかい。
・見学終了後、韓国観光公社のP氏及びアメリカ人のM氏らと合流、昼食を挟んで区域庁に戻り、庁長らを交え、さらに詳細の打ち合わせ。韓国の公共事業の進め方の「感触」というものがなんとなく理解できた。加えて、日本ではほとんど見られなくなったじつに高飛車な役人(むろんいまや韓国でも少数派)にも遭遇。コンサルタントを見下す様子がありありと伺える反面、何のポリシーもない日本の役人と比べて実に行政としての、あるいはクライアントとしての立場をわきまえたプロフェッショナルのようにも見える。しかし、僕としては、ああいう態度というのはpublic servantとして早晩見直しを迫られると思う。行政として明確なポリシーを持つこととあのような高飛車な態度というのはあきらかに区別して考えるべき問題だ。マイクロバスでモッポ(木浦)に移動。到着は深夜。モッポ泊。

Thursday, Sept.8, 2005
*S地域視察1日目
・朝食後、ホテルのバンケットルームで打ち合わせ。S郡庁のP氏らからプロジェクトの概要説明を受け、意見交換を行う。この,S郡庁の役人は、昨日の役人とはうってかわって、じつに温厚かつ生真面目で、地域への愛に満ちあふれた様子で好感が持てた。こういう人とは仕事がしやすい。
・打ち合わせ終了後、韓国海洋レジャー協会職員らと合流し、ホテル前の桟橋から行政船に乗ってS地域の島々を視察。彼ら(ヨットマン)の持参した、とんでもない解像度を誇る有料版Google Earthと海図及びGPSとにらめっこしながら(ほとんど遊び)の楽しい船旅。

Friday, Sept.9, 2005
*S地域視察2日目
・午前5時起床(←だから勘弁してって)。快速船でH島へ。島全域が国立公園区域に指定されている。船内で爆睡。再び郡庁の役人の案内で集落地区2ヶ所と島周辺を船と徒歩で視察。ほとんど平場がないため、集落は谷間と斜面に張り付くように2ヶ所あるのみ。自動車もなく移動は徒歩か船のみのまさに絶海の孤島。文字通り取り付く島なし。集落全体をまるごと建て替えて修景整備を行い、景観コントロールのための数々の規制を施行するというすごいプロジェクトが進行中。それだけでもすごいことだが、驚くべきことに反対運動も全く起きないという。信じがたい話だ。
・H島からF島へ移動。ここも全域が国立公園区域。港に到着後すぐにマイクロバスに乗り換え、要所を視察しながら全島を一周。島の至る所に、白砂青松のパーフェクト・ビーチがひっそりとたたずんでいる。楽園そのもの。韓国にもこんな所があるのだ。F島泊。

Saturday, Sept.10, 2005
*本土に戻る
・朝食後、海洋図書館を見学。快速船でモッポに帰還。船内で観光開発の方向性について打ち合わせ。さすがに韓国語と英語と日本語が飛び交うミーティングにはつかれた。
・モッポのホテルで昼食をとりながら、D社のPさんと最終打ち合わせ。打ち合わせ終了後、列車でテジョン(大田)へ、テジョンでPさんと別れ、C野君と妻と僕の3人はKTXに乗り換えてデグ(大邱)へ。妻の実家に泊まる。

Sunday, Sept.11, 2005
*大邱(デグ)での休日
・未来風景舎のC野君は一足先に帰国。妻と僕は久々のデグでの休日を楽しむ。妻と義父母と水入らずで行きつけのデパートへ。僕は愛用の腕時計を修理した。日本の時計屋に持っていったら、修理に最低2ヶ月、代金は3~5万円と言われた。ところが、韓国ではたったの2時間でしかも2万円でやってくれた。その他、ジャケットと靴を新調。同じ品質のものが、あきらか日本より安く手に入る。
・1週間ぶりにウェブ・メイルをチェック。急を要する幾つかのメイルに返事を出す。

Monday, Sept.12, 2005
*G地区視察
・当初渡韓初日に行くつもりだったG地区へ。デグからはクルマで2時間程度。ジープに乗ってD社社長直々の案内により視察。
・U市で職員の説明を受け、昼食をとりながら意見交換。役所で資料収集。とりたてて観光資源に恵まれた町ではないのだが、観光客向けのフリーのパンフやマップ類が実に充実している。ホテルのフロントや高速道路のインフォメーションなどに常備されていて、内容もよくできている。あきらかに日本の上を行っているとみた。視察後、再びデグの妻の実家に戻る。これで今回の出張のすべての日程を消化したことになる。あとは明日帰国するだけだ。

Tuesday, Sept.13, 2005
*帰国
トンデグ(東大邱)駅からムグンファ(ムクゲ)*号に乗ってクポ(亀浦)駅で下車。ここからタクシーでプサンのキメ(金海)国際空港へ。クポ駅からナクトンガン(洛東江)を越えて直ぐのところに、古い日本家屋を発見した。しかもまだ現役で使われていた。旧日本帝国が建設したナクトンガンにかかる橋梁は解体工事が進んでいた。*ムクゲは韓国の国花。

園芸・景観計画シンポ@山東農業大学

2005-07-07 | East Asia

Thursday, June 30, 2005
無事成田に帰還。今日は成田で一泊して明日の早朝青島へ。夜、プレゼンの準備(←またかよ)。

Friday, July 1, 2005
ソウル経由で青島へ。青島空港で韓国のメンバーと合流して、クルマで泰安へ。400キロの距離を約5時間で走り抜けた。日本の感覚では明らかにクルマで移動する距離ではないが、彼らにしてみるとどうってことないという感じである。20時頃、シンポジウム会場の山東農業大学のゲストハウスに到着。

Saturday, July 2, 2005
朝早くから会議。会議の主題は「人間的、科学的、芸術的な造園園芸景観をつくりだすために」。園芸系の研究者、実務者と同席する貴重な機会だった。僕は「Pastoralism in Context」と題して講演。東アジア文化圏にある我々は、欧米のパストラリズムが市民社会により獲得・受容されたものであるという点を見落とし、パストラリズムの形態だけを東アジア諸国の都市空間に恣意的に導入する一方で、東アジアの伝統的な庭園様式の近代化を怠った点を指摘した。

これに対して、18世紀の風景式庭園、ピクチャレスク概念の起源は中国(庭園やそれ以前の詩人達の見立てた風景)にあるのだ、という意見を中国人の研究者からいただいていささか驚いたと共に、あらためて中国人の文化感覚というものを思い知らされたような気がした。僕は、いわゆるシノワズリが西洋文化に多大な影響を与えたことを確認しながらも、それが西洋自然主義の起源であるとする意見には賛同できなかったのであえてその点は言明を避けた。

これは、日本でも最近川勝平太のような人が英国庭園の起源は自然を尊重した日本庭園にあると言っていたりして、とうてい賛同できるものではない。どちらが先かなんてことはこの際重要じゃない。問題は「いまの風景」がいかなる「根拠」や「説得力」をもちうるか、いかに「リアリティ」を与えうるか、ということである。起源論をもち出したのは、そうなっていない(根拠がない)ということを言いたかったからだ。

Sunday, July 3, 2005
中国国家風景名勝区(いわゆる国立公園)及び世界遺産(自然遺産)指定の「泰山」(標高1532m)に登る(ただしバスとロープウェイ使用)。山岳全体がひとつの芸術作品であり文化財である。昼休み、お世話になった朴教授の研究室を訪問。午後、新学期から学生1万人が通学することになるという「山東農業大学新校区」を視察。すばらしい設備。

市街に戻り「岱廟」を見学。歴史に浸る。岱廟と泰山はワンセットの文化財で、古来中国の皇帝達がそうしたように、泰山参りは岱廟を起点に参道を歩くのが本来の姿。岱廟で写真集と孔子の名言をあしらった日めくり、及び玉製の彫り物2つほどを購入。夕食後、泰安市で一番の高級デパート「銀座商城」で陶製の人形を土産に購入。

Monday, July 4, 2005
山東省の西南に位置する曲阜市にある「孔廟」「孔府」「孔林」を見学。ずさんな管理状態。中国政府は文化財の保全・整備にお金をもっと廻すべきである。世界遺産が泣く。19:10泰安駅発の夜行列車が1時間30分遅れで出発。車内泊。

Tuesday, July 5, 2005
朝6時過ぎに青島駅着。サウナに入り朝食をとり、皆と別れてホテルを探す(僕以外の日本・韓国のメンバーはこの日帰国。僕だけ5日の便がとれなかったので1日延泊)。幸い、あたりをつけたホテルに空室があり午前中からチェックインできた。一休みして市内へ。今日は中国出張中唯一のフリーな日。

「青島海浜風景区」内(www.qdseaside.cn)にある魯迅公園、第一海水浴場等を見学。海沿いの遊歩道を歩いて租借時代の別荘地「八大関景区」へ。蒋介石の旧居宅「花石楼」等を見学。超高級住宅地で、いまではホテルやレストランになっている地所も多い。うっそうとした樹木や街路樹に覆われた敷地は最低でも200~300坪はあろうか。公園も至る所に配され、街角毎に警察官が立っているので安心して歩ける。花石楼で建築関連の写真集と絵はがきを購入。

一旦ホテルに戻り、朴さんと連絡をとるもつながらず、タクシーを呼んでもらい、一人で「桟橋」「中山路」へ。「天主教堂」「旧総督府(ドイツ)」等を見学。ドイツの建築様式をもつ租借時代の歴史的建造物群が残念ながらしだいに巨大な高層ビルに変わっていっている。修復を行っている登録建築物や旧様式風に改築するホテルや商業ビルなどもありかろうじて雰囲気が保たれている。

Wednesday, July 6, 2005
午前中、ホテル近くの「五四広場」を見学。沿道緑地帯(メタセコイアの5本列植)が気持ちいい木陰をつくりだしている。林床ごしに忙しいクルマの往来がみえる。ウィークデイの午前中だがゆっくりと木陰でくつろぐ人々あり。手入れの行き届いた公園の緑の芝生越しにそびえ立つ摩天楼。その多くは高級高層住宅や大手企業のオフィスビル。中国でもこのような風景が状態となりつつある。朝早くから係員によって芝刈りやゴミ拾いが行われ、手入れが行き届いている。かたや世界遺産、国の重要文化財に指定されている、貴重な歴史的文化財が荒れ果て、おざなりの維持管理しかされていない。この、新旧文物に対するケアの「質」の差がまずは大きな問題。

ついで、色々な面での都市のビジュアル面での「格差」。これも著しい。当然のことながらそこに住む人々の見かけの印象も異なる。経済特区に指定された都市や発展著しい都市と内陸部の小村、小都市の環境や景観の質の差は歴然としている。この、たぐいまれな「歴史の国」が経済に呑み込まれていく姿を見るのは辛い。どん欲な資本の目がギラギラと世界中からこの国に注がれている。みよ、世界の製造業が集中する中国の大都市郊外部はいまや「世界の工場」である。自国ではサステイナブルとか言って快適な暮らしをしている連中が、中国で荒稼ぎ。。。国、がだめなら、せめて研究者が発言すべき時ではないか。韓国の仁川(インチョン)経由で成田へ。

韓国の市場にて

2005-03-02 | East Asia
2005.03.02.Wed
*もう少し韓国に滞在する妻子を残して僕だけ一足先に日本へ。妻が釜山までクルマで送ってくれた。洛東江(ナクトンガン)のたおやかな流れは相変わらずだけど、それにしても僕が最初に韓国を訪れた15年前と比べて信じがたいほど高層マンションが増えた。雄大な金海デルタもこれじゃ終わりだな。

*帰りの機内で読んだ雑誌記事(6 Tips for Picking an Educational Program, By Katherine Weddle, Special Section: Executive Education, nwa World Traveler, Feb. 2005, p.59-68):アメリカの大学の役割として、社会人の再教育が重要なウェイトを占めていること。アメリカは転職も多いから、新たなスキルを身につけようとする人も多いのだ。それに対応してフレキシブルなカリキュラムやスケジュールの設定が不可欠となる。日本の大学も大きくはこういう流れにあるんだろうな。少子化だし。

2005.03.01.Tue
3.1独立運動を記念する祝日で韓国はお休み。この日、韓国では、独立運動や竹島(韓国では独島(ドクト))問題についてTVで念入りに報道されていた。ノ・ムヒョン大統領は、国民の感情を考慮してか、(日本の)戦後補償問題が未だ解決していない旨の見解を明らかにした。こうした国民感情は、韓国の普通の市民にとって、無関係と言わないまでも、別段どうってことのないこと、と僕はみている。少なくとも、そういう報道を前に、地方都市のド下町の市場(シジャン)で僕が日本人であることを知っていても、後ろ指さされたり、身の危険を感じる(笑)ようなことは今の韓国では決してない。

2005.02.28.Mon
早起きして、高速道路でポハンヘ。竣工したばかりの高速を使って東海(トンヘ。日本海のことだが、韓国ではこう呼んでいる。妻も日本海というと怒る)へ。片側3車線の広々とした高速道路で、時折目につく中央分離帯は驚くほど広く、修景にも気を遣っている。巨大な切り通しは日本と同様であるが、土層はほとんどなく、すぐに岩盤である。緑化やコンクリの吹きつけはほとんど行われず、削った岩がそのまま露出している。斜度のあるところでは崩落防止用のネットが張ってある。ネットの色が緑色なのは愛嬌。

昼食で名産のカニ(デゲーと呼ばれていたが、日本で言うズワイガニであろう)をいただく。専門の食堂ではなく、一般の漁師宅でカニを食わせてくれる。味は確かだが、一般の民家ということで、サービス精神はゼロ。座布団は足りないし、我々の料理と一緒に、家族の料理も準備するし、アジュンマ(おばさん)が途中でどこかに行っちゃって、調理中の鍋が吹きこぼれるし、じつにアットホームだ。それにしてもこれだけの量のズワイガニをたらふく食えるなんて、日本じゃ考えられない。昼食後、東海に面した初日の出の名所、「日出公園」と一大観光地「三思海上公園」、カニタウンを見学して、帰宅の途に。

2005.02.27.Sun
たっぷり睡眠をとり、日中は妻の実家で仕事。夕食は義父と妻子、義妹とその子供達と一緒に外食。息子の言語OSが素早く韓国語にスイッチしている。息子の韓国語力はとうに僕の上を行っている。鳳徳市場(ポンドク・シジャン)にほど近い専門店で、カムジャ・タン(ジャガイモ鍋)とカルビ・チム(カルビ蒸し)をいただく。美味い。帰宅後、また仕事。

2005.02.26.Sat
イミグレーションは女性の審査官のほうが処理が早い。この傾向は概ねどの国でも同じとみた。だから、順番待ちは、女性審査官の列に並ぼう。釜山(プサン)から高速道路で妻の実家のある大邱(デグ)へ。途中のサービスエリア(韓国では休憩所(ヒュゲソ)という)で焼き芋(ジャガイモ(カムジャ)の鉄板焼き)とうどん(韓国でもウドンとそのまま発音)を食う。このカムジャがしこたま美味い。一口サイズのジャガイモを鉄板で焼いたもので、塩をまぶして食うのだが、柔らかくて香ばしくて休憩所に来ると必ず食べることにしている。韓国のうどんもうまい。日本占領時代から定着し、そのまま韓国でも「うどん」と呼び習わされている、韓国人にとっても人気のファストフードだ。