Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

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2006-10-23 | Japan
月曜日。「地域環境管理論」の講義(2週目)。アーバニズム論の起源とランドスケープの位置づけについて解説。午後は、「環境デザイン実習I」(2週目)。晴れ上がったキャンパスに出て、快適な「すわる」場所のサンプリングとデザインサーベイ。環境情報科学センターの環境研究発表論文の最終修正依頼通知文をCEISに送付。

水曜日。午前中、来年度の科研申請に向けた打合せ。午後,「環境デザイン実習V」の3回目。先週の現地見学をふまえ、各自興味あるテーマについて情報収集し発表してもらった。8人全員に発表してもらったが、内4人が新川耕地に生息する動植物とその保護活動に関する情報収集をしてきた。なんかもうちょっとあそこの風景とか自然システムとがっぷり四つに組むようなアプローチを期待していたのだが、いきものねぇ。べつにいいんだけれど、それで(地権者が)いかに食っていけるか、ハッピーになれるか、リッチになれるかがミソ。人様の土地なんだから、そこを考えないとぜんぜん片手落ちなんだよなぁ。

木曜日。大学院生の学会論文をチェック。IP電話の調子が悪い。ファックスを数枚送ると途中でオフライン状態になってしまい。電話もネットも接続できなくなってしまう。電源を入れ直すと正常な状態に復帰するのだが、非常に面倒だ。また、電話を受けるとき、こちらでは呼び鈴が数回しか鳴っていないのに、かけた方はずいぶんと待たされているようだ。どうもIP電話というのは不安定だ。

土曜日。第10回中山道すがもまつり「巣鴨フォーラム2006 おかげまいりの街づくり」に参加するため巣鴨へ。JR大塚駅で下車、駅前と天祖神社のグリーンアート作品を見てから、都電で庚申塚へ。地蔵通り商店街を歩いてJR巣鴨駅前の会場へ。途中、巣鴨会場のグリーンアート作品も全部拝見した。今年も力作揃いだ。都市計画道路拡幅用地の占拠(暫定利用)も早2年目を迎えたことになる。これは実はすごいことだ。フォーラムも非常に面白い内容だった。神様仏様を担ぎ出すまちづくり、宗教と都市計画の関係等について、真剣に考えさせられた数時間であった。詳しくは別途。写真はこちら

日曜日。子供たちを連れておきまりの散歩へ。野菊野団地からゼファーヒルズ松戸フィオリーナにゆったりとしたカーヴを描いて上る坂道はなかなかに良い。坂道を登り切ったところにそびえ立っているのがフィオリーナ。既存のケヤキの大木を数本エントランス部分に残しており趣がある。外観もなかなかにクール。左手には生産緑地にも指定されている広々とした畑。キャベツ、ダイコン、ネギ、ショウガ、サツマイモ等々が整然と植わっている。前々から気になっていた旧御成道のテニスコート脇の歩道にある石碑を確認した。思ったより古いもので日清戦争にまつわるもの。漢文体で内容はよくわかりかねた。

このテニスコートとフィーリーナ、フィオリの丘に挟まれた部分の旧御成道はケヤキの大木が落ち着いた雰囲気をつくり出している。街路樹はそんなに古いものではないが、特に国道464号線と旧御成道との交差点(ここが本来の「陣ケ前」)角地の広大な屋敷地にある数本のケヤキはそれは見事な大木だ。もしかして御成道の並木の名残なのではないかと邪推したくなる。ともあれ、この区間だけは(もちろん当時のままというわけではないが)かつての御成道の並木の雰囲気を偲ぶことができる貴重なところである。

てなことを考えながら和名ヶ谷クリーンセンターへ。カフェで昼食をとり、息子を公園でひとしきり遊ばせてから、畑の中に残る通源寺貝塚ではるか縄文海進の時代に思いを馳せながら庚申塔前に出、帰宅。ちなみに自宅前には下水遺跡というこれも縄文時代の集落の遺跡(現在は畑、小字名は吉兵衛屋舗)があり、この辺は遺跡が多い。みんな、和名ヶ谷のこと田舎とか、秘境とかってバカにすっけどな、こちとら縄文時代からの住宅地なんだよ。近世に一度畑になったけどな。。。

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2006-10-15 | Japan
火曜日。研究生のミゾグイさんと今後の研究打合せ。夕方の環境情報科学センター論文集委員会は欠席。

水曜日。環境デザイン実習Vの2回目(現地見学)。夏の面影の残る利根運河と新川耕地を3年生の学生さんと久しぶりに訪れた。東武野田線運河駅では利根運河の無料リーフレットが配布されていた。利根運河観光地づくり検討委員会の編集により、流山市観光協会の発行とある。なかなか良くできたリーフレットで、旅情を誘う。近代土木遺産として保存するだけでなく、ぜひ運河の再生にこぎ着けて欲しいものだ。新川耕地では、早稲の収穫が終わった後の株から再び芽吹いていて、季節はずれの面白い風景が展開していた。自然活用型土地利用ゾーンは休耕田が増えたとは言え、やはりまだまだ「田んぼ」という印象が強い。ここを自然活用、有効活用とは言えわざわざ開発すること自体が何かナンセンスのような思いを改めて強くした。それにしてもものすごい数のコサギである。ふと足下に目をやるとザリガニがそこかしこに潜んでいてサギの多さに納得した。流山北高校のところで台地上に上がる坂の途中、愛宕神社の鳥居の手前に、それは見事なケヤキの大木がある。周辺には庚申塔やら祠やらがやたらと目に付く。僕はこういうところを historic corner(歴史的辻)と呼んでいる。豪壮な農家の高生け垣を眺めながら江戸川台駅まで歩いた。

木曜日。午前中、病院。午後一で、中国内モンゴル自治区からの留学生と顔合わせ。学内を一通り案内する。JABEE中間審査実地審査の日程が概ね決まる。終了後、科学研究費補助金説明会に出席。

金曜日。修論、卒論の連続ゼミ。むろん教えるほうの責任ではあるのだが、最近の学生さんを見ていると、利用者を見て公園を見ていない、制度を見て現実を見ていない、樹を見て風景を見ていない、なんだかそんな傾向が感じられる。また、卒論修論のテーマは自分の「興味」で選ぶという。結構なことだが、その「興味」とやらは、えてして社会的な関心事の埒外にあることが多い。テーマ=問題とは、探すまでもなくそこに転がっているものなのだが。

土曜日。柴又再訪。街並み景観重点地区の調査。何よりも柴又の魅力は空が広いことと帝釈天という歴史的資源の存在。加えて、映画といういわば架空の事跡がその場の価値を高めているという点。他にも草だんごや、江戸川および矢切の渡し、野菊の墓(千葉県松戸市)と連携した観光資源のネットワーク等々。

日曜日。地元和名ヶ谷の旧「御成道」の歴史的痕跡の現地踏査。下須台、吉兵衛屋舗、平次郎屋敷と歩いてみるが、目に付く痕跡のようなものは全く確認できなかった。せいぜい、吉宗(8代将軍)とお供の大行列が今から約280年を遡る大昔に「この道」を通ったのだという歴史的事実に思いを馳せるしかない。

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2006-10-10 | Japan
月曜日。後期の授業開始。月曜日は午前が「地域環境管理論」、午後が「環境デザイン実習I」で、朝から夕方6時までぶっ通しで授業。実習は60名強の受講者数ながら今年は「デザイン」に関心のある学生さんがかなり少なめ。この人数をいかに上げるかが頑張り所となる。特に、システム系、植物系への分属を志望している学生諸君で「オレ、デザインなんて関係ないね!」「単位のため!」なんて思いこんでる連中の観念を根底からひっくり返す(ことができればいいな←弱気)。いったん帰宅し、夕食を済ませた後、再び大学に引き返し、学生さんと深夜までグリーンアートフェスタの打合せ。

水曜日は主担当の「環境デザイン実習V」。今年は一昨年と同じ対象地に戻し、流山新川耕地を扱うことにした。それが良かったのか、今年は8名も受講してくれることになって気合いが入る。ちなみに、昨年は、「グリーンアートフェスタ'05 in すがも・おおつか」への参加を課題としたが、受講者数は過去最低だった(なぜなんだろうか、よくわからない)。今年はフェスタの時季が早まり実習に間に合わなかったので、流山を扱うことにしたのだが、結果的にそれがよかったのか???。

木曜日。午前中、研究室の卒論ゼミ。午後一でM2のヤマネ君と公園緑地の外部経済効果に関する修論の打合せ。終了後、「技術士会講演会」。社団法人日本技術士会から講師の先生をお招きし、「技術者と技術士制度」に関するレクチャー。夕方から環境造園学プログラム会議。実習のエッセンスについて集中的に討議。

日曜日。矢切の渡し経由で柴又帝釈天に行くつもりが、週末の豪雨の影響で江戸川が増水、高水敷まで水浸し。土手でススキとノギクを少々頂戴してから(ちょっと遅れた中秋のお供えのため)、やむなく葛飾橋に迂回し(これがえらい遠回り)土手沿いを柴又へ。庭園や木彫等を拝観し、参道にある亀屋さんにて草だんごとそばの昼食(←うまかった)。ほかに佃煮(←これがまた激ウマ)なんぞを買い込んで帰宅。風は強かったが清々しい秋の一日であった。

月曜日(体育の日)は、所用でつくばへ。国総研松見公園に遊ぶ。連休中のさぼりがたたって、翌朝方まで仕事。環境情報科学センターの環境研究発表会論文の最終審査結果報告を午前4時頃までかかって仕上げ、メイルにて返答。目が覚めたら、妻は既に仕事に出た後だった。ボォ~っとしながら朝食を済ませ、次男を母に預け、長男を保育所に送り届け、その足で大学へ。

和名ヶ谷庚申塔付近の「円弧」について

2006-10-08 | Japan
我が家のすぐ近くになんのことはない5差路の交差点がある(空中写真のほぼ中央部参照)。この写真をよく見ていただくと、南(画面下部中ほど)からきれいな円弧を描いて交差点に至る細い道路がある。ここで、さらによく見ていただきたいのだが、この道路自体は交差点にて東西に走るバス通りに合流して終わっているけれど、道路の描く「円弧」については交差点を通り過ぎて北西方向へと続いているのにお気づきいただけるであろうか。大きな畑とその南側、長方形の白屋根の建物の宅地との境界部分にきれいな「円弧」を確認できよう。わかりやすいように、同じ空中写真に「円弧」をプロットしてみるとこのようになる。赤色の実線が道路で波線が円弧の延長線である。道路の描く円弧が途中から敷地境界線が形づくる円弧となって明らかに連続しているように見えるわけだが、これはたんなる偶然なのか。。。

試みに60年前の空中写真(1948)を見てみたところ、「円弧」の謎はあっさり解けてしまった。60年前のこのあたりは一面の畑。だが、円弧を描く道路は60年前に既にあった。おそらくもっと前から存在したものであろう。その西側のほぼまっすぐな道路も既に確認できる。現在、交差点を東西に走っている二車線の道路は、今でこそデカイ顔をしているが、60年前には存在しなかったことがわかる(ごく細い道は確認できる)。「円弧」の謎解きがまだであった。この円弧、写真を見ておわかりのとおり、やはり一本の連続した道路であり、60年前は交差点を過ぎてさらに北西方向へと続いていたのだ。この円弧の道路と現在のバス通り(東西方向の広い道)に挟まれた土地(現在、白屋根の建物ほかのある宅地)は60年前はすべて畑だった。後にこの畑は宅地化されたが、その敷地境界線として「円弧」は残存した、というわけだ。

地上ではこの「敷地境界線の描く円弧」は全くうかがい知ることはできない。1万分の1地形図を見てもやはりわからない。敷地境界線(いわゆる筆界)は通常、地形図には表示されないので、地積図(公図)に頼ることになるがこれはなかなかに入手が面倒である。よって、よほどの(こんなローカルな場所の空中写真を好きこのんで見るような)物好き(←オレ)でもなければこうした事実は知り得ない(←こんなこと知ってどうする?)。でも、「過去の形態」がその機能や意味を変えて現在にも存続しているというのはとても面白い、というか貴重なことだと思う(中谷氏はこれを「先行形態」と呼んだ)。「過去」は実ははっきりと目に見える形でこのように人知れずひっそりと身を潜めていることがある。こうした「かたち」を発掘、発見することは現代に生きる我々の空間体験を実に豊かにしてくれると思うのだが、どうも「歴史」というと文化財級のものに世間は目が行きがちで常々納得できないものを感じている。

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2006-10-02 | Japan
月曜日、大学院生とJR山手線大塚駅前のグリーンアート設置箇所の実測。水曜日、新川耕地有効活用計画に関わる流山市との打合せ。木曜日、来年の日本造園学会全国大会研究発表論文の投稿締め切り。徹夜明けの目を擦りつつ締め切り間際の17時10分前に渋谷の事務局へ。松戸にとんぼ返りで研究室の飲み会。金曜日は終日ゼミ(午前中4年生、午後は修士2年生)。日本造園学会関東支部大会の会場設営など。

土曜日、日本造園学会関東支部大会にて研究発表。タイトルは「イングリッシュ・ヘリテッジによる歴史的公園の保存とその基準」(平成18年度日本造園学会関東支部大会事例・研究報告集 Vol.24, p.15-16)。研究発表4件の座長を仰せつかる。会場で農大のスズキ先生から、昨年10月に農大にて開催されたシンポジウム「モダン・ランドスケープデザイン国際会議2005」の報告書をいただく(嬉)。ポスターセッション会場に立ち寄り、ランドスケープ現代史研究会の発表「ランドスケープ現代史-1950~60-」を拝見、主催者のアワノ君、コバヤシ君らと雑談。よくできていました。午後のイベント、ランドスケープコンバージョンのデザインワークショップと、シンポジウム「造園資産とは何か-その在庫目録を考える-」に出たかったが,巣鴨へ。「第2回グリーンアートフェスタ'06 in すがも・おおつか」の打合せ。ツジノさん、ナカヤマさん、ツルシマ君、学生諸君らと夕食をすませ帰宅。