2005.02.04
横浜市の土木事務所の職員さんに案内してもらって、学生と一緒に栄区を流れる「いたち川」を見学する。一般に、河川の土木デザインの拙さを批判するのは容易い。しかし、このいたち川で考えたことは、むしろ自然公物としての河川の可能性であり、人工公物としての都市公園のダメさである。写真は、左側に本川が流れていて、手前のオープンスペースはいわゆる河川法に基づく河川緑地(シバがはってあるすり鉢状の一帯)と都市公園(中央部奥の民家前の平場部分)が隣接、一体的に整備されている状況である。前者の河川緑地部分は、いわゆる高水敷で一定の間隔で自然石を打ってあるラインがHWL(ハイウォーターレベル)。基本的にはシバがはってあるだけで、増水して水に浸かってもそのまま、流れ着いた樹木がそのまま根付いたり、アシが水流でなぎ倒されたままになっていたりする。自然(ナチュラル)ですごくいい感じだ。非限定空間。まさに自然公物としての河川の面目躍如と言ったところか。
ところが、このような整備(管理状態)は都市公園(法)では全く許容されない。全域を都市公園区域として占用できなかった理由は、度々増水して水に浸かったりするようなところを都市公園になぞ含めるわけにはいかない、ということだそうである。都市公園のどこかよそよそしい自然の風情、限定的な様相というのは実はこういうことも手伝っているわけである。したがって、当たり前といえば当たり前だけれど、自然公物としての河川は、都市公園ではなかなか体験できない自然のダイナミズムを当たり前のように体験できるのだ。問題は、それをデザインとしてどう解くかということである。