太平洋戦争。。。。本来の名称は「大東亜戦争」だった。
随分前から保守層を中心に太平洋戦争ではなく大東亜戦争だ、と言われていました。
実際は「大東亜戦争」の名称は1942年12月12日に閣議決定していますが、
GHQ政策で太平洋戦争とするよう指令があったようです。
現在一般的には太平洋戦争なのでしょうか。
政治家たちは「先の戦争」と言葉を濁していますが、大東亜戦争と言うには抵抗があるのでしょう。
学校教育では大雑把な「第二次世界大戦」と教えられたような記憶がありますが、現在はどうなのでしょう。
その太平洋戦争の終戦はいつなのか。。。
1945年8月15日なのか。
ポツダム宣言受諾の1945年9月2日なのか。
普通私たちは8月15日が終戦だと思っています。
玉音放送が8月15日の正午にあり、毎年この日に終戦の日の式典があります。
で終戦の日がどうも曖昧なのですが、その曖昧な期間に起こったのが占守島の戦いです。
1945年8月18日から21日まで最果ての島、千島列島最北の島で起こりました。
8月15日に戦争が終わったのですから現地では撤収作業も始まっていました。
その時に奇襲攻撃を仕掛けたのがソ連軍です。
ソ連からロシアに国名が変更されても、やる事が卑怯です。
終戦の日が曖昧だとしても、日本とソ連の間には不可侵条約がありました。正式名は日ソ中立条約 - Wikipedia
第3条に条約の効力は5年間であり、期間満了1年前までに廃棄通告しなかった場合は5年間自動延長
とあります。
1941年4月13日に締結し、発効が4月25日。そして5年後の1946年4月25日まで有効です。
ところがソ連は1945年4月5日に条約破棄を日本に通告してきて、8月18日の占守島への奇襲攻撃だったのです。
日本の戦況が悪いと判断した途端の攻撃ですから卑怯にも程があります。
占守島の戦いの最中、8月20日にソ連軍は樺太の真岡にも上陸し真岡郵便局事件が起こりました。
その時の様子は映画「氷雪の門」に描かれています。
拙ブログでも何度も紹介しています。⇩
「氷雪の門」
また13年前には石原慎太郎都知事が真岡郵便電信局事件の事を話されています。
質問は侵略者に敬語を使う東京新聞記者。
さすが東京新聞ですし、仙谷氏が中国に対して遜っている様を批判しているのも印象的です。
日本では太平洋戦争の終戦は8月15日との認識が大多数ですが、
それでもソ連軍が占守島に、そして樺太に攻めてきた事を忘れないでいたいです。
更には戦後「引き上げ」と言って外地から日本へ帰国も困難を極め、
特にソ連や韓国に酷い目にあわされた事も記憶に留めておきたいです。
慰安婦を性奴隷として日本をずっと攻撃し続けている韓国ですが、
一般人の女性を標的にどんな酷いことをしたのかを忘れないでいたいです。
慰安婦は職業婦人ですが、一般女性が卑劣で残虐なソ連や朝鮮人の餌食になった事を比べて欲しいです。
特に慰安婦が可哀そうだから謝罪をすべきだと執拗に日本を攻撃する韓国。
見方を変えると、終戦直後に一般の日本女性への卑劣な行為を隠す為、スライドしていると思えてなりません。
日本人なら自虐史観から抜け出し、歴史的事実をもっと知って欲しいです。
因みに、大東亜戦争についてはあまり学校教育では触れません。
私たちの時代は第二次世界大戦は教えられても日本の参戦についての経緯等は教えられませんでした。
つまり「時間切れ」だと言って。
教師は年間教育計画を立てている筈なのに、「時間切れ」なんてあり得ません。
という事は日教組教師は敢えて当時の歴史的事実を教えたくなかったから、あえて避けたのではと。
学校教育に家庭教育、そして社会教育。
やはり系統立てて、計画的に教える学校教育は大事です。
その中で日本は素晴らしい国だと日本を誇りに思い、そして日本を愛する心を育てて欲しいです。
誇りに思わないから、愛国心も培われません。
愛国心が乏しいから、侵略されても逃げるが勝ちだと思う人も。
ロシアによるウクライナ戦争で国を守る事はどういう事か考えます。
そして中国の台湾侵攻、そして尖閣上陸はあるのか、あるとしたらいつなのか。
そしてその時日本はどうするのか。。。。
政府はこれらの事をどう考え、どうシミュレーションしているのでしょうか。