壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

除夜の鐘

2008年12月31日 12時54分00秒 | Weblog
 冬の季語の一つに「狐火」がある。燐火が空気中で燃える現象とも、狐が口から吐く燐火であるともいわれ、青白く、墓場などに多い。
 狐火という青白い火の出現は方々にあり、冬の、なまあたたかい雨がしょぼしょぼ降る夜道で、変人も実際に見たことがある。
 狐が、燐火を噴く人骨をくわえて駆けるのだといい、

        狐火や髑髏に雨のたまる夜に     蕪 村

 の名吟もあるが、そこまで凄みを出すこともあるまい。現代ではやはり、“幻想”的なムード句が詠まれているようだ。
 こういう季語は、経験によらぬ机上の作が、案外成功するかもしれない。     
        狐火を信じ男を信ぜざる      風 生
        星あをく恋の狐火走りけり     星 眠

        狐火や王子に古き榎原     蓼 井

 狐火といえば、東京北区・王子の王子稲荷神社を思い起こす。ここにはかつて、「王子の狐火」というのがあった。広重の版画「大晦日の狐火」で、ご存知の方も多いと思う。
 大晦日の夜、王子稲荷の装束榎のもとに、関八州の狐が集まって、官位を定めるという民間伝承があった。無数の狐火が集まって、百万の燈火を点ずるような奇観を呈したので、付近の農民は、狐火が山道を伝い、川辺を伝うさまを見て、明くる年の吉凶を占ったと言う。
 この王子の狐火は、明治十四、五年まで実際に見えたそうである。
 なお、のどかな新年行事の「狐の行列」は、装束稲荷を午前零時に出発し、王子稲荷に零時四十五分到着の予定である。これを見て、厳かに初詣というのも一興かとも。

        追々に狐あつまる除夜の鐘

 人間の宿命とされる迷い――百八の煩悩を消滅しようという願いを込めて鳴らす梵鐘。増上寺・知恩院・三井寺などの名鐘は、テレビ・ラジオで各家庭のリビングにも響いてくるが、やはり、寺へ赴いて自身で撞くのが一番。
 個人的には、低音の知恩院の鐘と、高音の青蓮院の鐘との二重奏?が、最も好きである。

        百方に餓鬼うづくまる除夜の鐘

 五十歳前は京都、五十歳以後は奈良で、年末年始を迎えるのが常であった。と言うといかにも豪勢であるが、すべてユースホステルでお世話になるので、宿泊費は旅館の一泊分にも満たない。
 大晦日の夜、過ぎ行く年を送って、午前零時から撞き鳴らす除夜の鐘。
 軒並みに寺院が甍を連ねている京都の寺町を、旧年と新年とにまたがって、すずろ歩くならば、それはそれは素晴らしい梵鐘の交響楽を楽しむことが出来るのである。

        除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり     澄 雄

 ところで、大晦日の夜を除夜というのは、十二月を除月(じょげつ)、大晦日を除日(じょじつ)というのと同じく、過ぎてきた古い年を除き去る意味といわれる。過去を清算して、希望に満ちた新しい年を迎えるわけである。
 除夜には、一家中が集まって、服装を調え、先祖を祀り、夜を徹して酒宴を催すというのが、古い中国の習慣であったそうだ。

        おろかなる犬吠えてをり除夜の鐘     青 邨

 数限りない人間の悩みを、百八つの煩悩に象徴して、百八の鐘を撞く除夜の鐘。
鐘の音一つごとに、一つの煩悩を消滅する功徳があるというので、百八回、鐘を撞くのである。
 もとは、毎日、朝な夕なに百八の鐘を撞いたものだといわれるが、今では、一年に一回、大晦日の除夜の鐘ですませているのであろう。


      来し方の起伏それぞれ除夜の鐘     季 己