壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

初霜

2008年12月15日 21時19分49秒 | Weblog
 ひたひたと歩く畳が、素足に冷たい。雨戸を繰る朝の息が白く、軒端に消えてゆく。「ああ、寒い朝だな」と見やる玄関までの敷石が、霜に覆われて真白である。初霜だ。そういえば、昨夜は風がなく、雲もなかった。

        初霜やひとりの咳はおのれ聴く     草 城

 やがて、きらきらとバラ色に輝いて太陽が、屋根と屋根との間から顔を出す。しばし、虹色に染まっていた軒や柿の木の霜が、急速に溶け始める。

        初霜の柿や天地を貫けり     孝 作

 昨日、銀座の画廊宮坂で観た、美斎津匠一さんの絵を思い出す。単純化された画面から、作者の心が感じられた。いい意味の、作者のこだわりも感じられた。

 南北に長い日本列島は、四季の訪れも、土地によって遅い早いがある。初霜の降りる地域差も大きいが、陰暦十月が初霜月といわれるように、一般的には初冬の季語として定着している。
 立冬前に降りる霜は、秋霜・露霜・水霜といわれる。

        手にとらば消えん泪ぞ熱き秋の霜     芭 蕉

 「亡き母のかぼそい白髪を見ると、自分の涙はたぎり落ちてとめどもない。この白髪は手に取ったなら、この熱い涙で、秋の霜のように消え失せてしまうであろう」という意。

 『野ざらし紀行』に、「長月の初め、故郷に帰りて、北堂の萱草も霜枯れ果てて、今は跡だになし。何事も昔に替りてはらからの鬢白く、眉皺寄りて、ただ命有りてとのみ云ひて言葉はなきに、兄の守袋をほどきて、母の白髪拝めよ、浦島の子が玉手箱、汝が眉もやや老いたりと、暫く泣きて」とあって、この句が出ている。
 「秋の霜」が季語で、比喩的に使われている。句は「秋の霜」のもろさを悲しんでいるが、心は、秋の霜にも似た母の白髪をいっているのである。

 「手にとらば消えん」と字余りにしたところには、激動する心が察せられるが、「泪ぞ熱き秋の霜」というように比喩で出したところには、句面に悲しむ姿があらわに出すぎてしまった感じがある。芭蕉の慟哭の姿だけは見られるが、悲しみの心は深くは胸に沁みとおってこない憾みがある。
 芭蕉が四十一歳にあたる時の作である。母は、前年の天和三年六月二十日に亡くなっている。


      初霜や腰椎ベルト締め直す     季 己