壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

鴨の羽がひに霜降りて

2008年12月10日 21時43分23秒 | Weblog
                  志貴皇子
        葦辺ゆく 鴨の羽がひに 霜降りて
          寒き夕べは 大和し思ほゆ  (『萬葉集』巻一)

 文武天皇が慶雲三年、難波の宮に行幸したもうた時、それに従って行った志貴皇子の詠まれた御歌である。
 志貴皇子は、天智天皇の第七皇子で、のちに、皇子の御子が帝位に即いて、光仁天皇となられた。そして、光仁の即位によって、皇統は再び天智天皇の系統に返ったことになる。志貴皇子は、ちょうどその橋渡しの位置を、系図の上で占めていることになる。

 難波の地に旅して、そこの芦の生えている岸を飛びわたる鴨の羽根の合せ目のところに霜が降(ふ)り置いて、そうした冷たく寒い夜は、大和の家郷のことがしきりに思われてならない、鴨でさえも共寝をするのに……、というのである。

 慶雲三年(706)のこのときの行幸は、九月二十五日から十月十二日まで、すなわち、晩秋初冬の霜の降りはじめるころである。
 難波の宮のあったところは明らかでないが、孝徳天皇の長柄豊崎宮(ながらのとよさきのみや)であろう、との説がある。そうだとすれば、淀川に臨んだ、芦の多い川辺の宮である。藤原京から見れば、淋しいところだったに違いない。

 志貴皇子の御歌は、歌調明快でありながら、感動が常識的粗雑におちいるということがない。この歌は、おそらく夜の鎮魂歌であろう。旅中の夜の歌には、昼間の情景をまざまざと眼に浮かべながら作っているものが多い。
 鴨の羽交(はがい)に霜が置くというのは、現実の細かい写実というよりは一つの「感」で運んでいるが、その「感」は空漠たるものでなしに、人間の観察が本となっている点に強みがある。そこで、「霜降りて」と断定した表現が利くのである。
 つまり、夜目に見えるはずもないが、昼間の景色を思い浮かべながら、かくもあろうかと想像しているのだ。深々と夜が更け、きびしく冷え込んでくるにつけて、芦辺の鴨のことを気にしているのだ。
 「葦辺ゆく」という句にしても、ややぼんやりしたところがあるように思えるが、これはもちろん、昼間の観察からの想像である。

 鴨は魂の運搬者だから、鴨のことを思うことは、すぐに故郷の妻子たちを思うことにつながってくる。あるいは逆に、大和の家族たちのことを思うからこそ、鴨のことが気にかかってくる。
 鴨に思いを凝らすことと、家をしきりに思うことと、一体なのである。思いを凝らせばこそ、「鴨の羽がひに霜降りて」などという凝視の利いた詩句が生まれてくるのだ。いかにもまざまざと見ているように、具象的に眼に浮かべているのだが、そのイメージの鮮明さが、この歌の強く張ったリズム感と、相伴って生かされているのである。

 志貴皇子の御歌から、「俳句は凝視」「俳句は断定」「俳句は具象」「俳句はリズム」を、学ばせていただいた。
 俳句は、「絵を描くように、うたうように」の感を、ますます強めた次第。


      弁天堂うしろの水が鴨を待つ     季 己