壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

羽子板市

2008年12月17日 21時57分42秒 | Weblog
 十二月に入って、早くもお正月の訪れを思わせるものに、羽子板市がある。とはいうものの、近年の競争社会、十一月の中頃から羽子板市も始まっている所があると聞く。
 羽子板市は、十二月十七~十九日に、東京浅草の浅草寺境内で開かれる市が、とくに名高い。
 デパートでも、とりどり豪華なものを売っているが、専門の市では伝統の雅な趣がある。ことに日暮れどきの灯に映えて並ぶ羽子板は、別世界のように豪華である。

        うつくしき羽子板市や買はで過ぐ     虚 子

 この句は、「買はで過ぐ」だから俳句になるのであって、買ったら報告になってしまう。と、いうわけでもないが、浅草寺へは行ったが、羽子板は買わずに、宝くじを買った。
 一等が当たった時のことは、もう考えてある。
 長野県原村に、ペンションを買い、空き地に50坪くらいのアトリエを増築するのだ。そうして、若い芸術家さんに自由に使ってもらう。生活が大変な方からは、作品を高く買い、絵具代の足しにしてもらう。その他、2~3考えがある。あとは、当選を待つばかりである。話を戻そう。

        よその子に買ふ羽子板を見て歩く     風 生

 宝くじには当たらず、車に当たる車社会。この交通地獄の今日、お正月といえども、優にやさしく振袖の袂を翻して、羽子板をついているようなお嬢さんを街中で見かけることは、なくなってしまった。
 羽子板市で羽子板を買ってきても、それは室内の装飾として、ちんと収まったままに違いない。

 「一目(ひとめ)、二目(ふため)、みやこし、よめご、五つやのむさし、七やの薬師、十お、十一、十二……」
 と、数え唄を歌いながら、街中の電線を除け除け、袖口をおさえて、二の腕のあらわになるのを防ぎながら、思い切って高くつき上げる追羽根などというものは、ほとんど見かけなくなった。

 それでも、押し絵の美しい羽子板を並べた羽子板市だけは、毎年、盛んに催されている。

        羽子板市切られの与三は横を向き     八 束
        似顔みな紅さし灯る羽子板市       かな女
        あをあをと羽子板市の矢来かな      夜 半

 いずれも、浅草の観音様の境内に開かれた羽子板市を、詠んだものであろう。
 「矢来」は、竹や丸太を縦横に粗く組んで作った仮の囲いのこと。「あおあお」が効いて、羽子板を引き立てている。
 この日ばかりは、羽子板市の華やかさに、すっかり気圧された「切られの与三」は横を向き、似顔はみな顔を赤らめている。

        はぐれ来て羽子板市の人となる     昌 治
        羽子板市三日の栄華つくしけり     秋櫻子

 こうして、「三日の栄華をつくし」て、羽子板市は終る。はたしてこの不況を、はね返せるのだろうか。売れ残った羽子板は、一体どうなるのであろうか。その行く末を考えると……、師走の雨に濡れながら、冷たい風に吹きさらされているような気がした。


      風邪をひきさうな人込み入りゆく     季 己