壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

年暮るる

2008年12月21日 20時17分29秒 | Weblog
 あと十一寝ると、お正月。さて、お正月はどうしようか。おっと、その前に大の苦手の大掃除をしなければ……。

        年暮れぬ笠きて草鞋はきながら     芭 蕉

 この句について、「年」を「笠きて」以下の主語とする説がある。一読、面白いと思ったが、それは正しいとはいえない。
 『野晒紀行』には、「ここに草鞋(わらじ)をとき、かしこに杖を捨てて、旅寝ながらに年の暮れければ」と前書きされているので、やはり、「笠きて草鞋は」くのは、芭蕉とみるべきであろう。

 芭蕉は、貞享元年十二月二十五日に伊賀に移り、そこで年を越した。これは、その時の吟である。
 「旅寝ながら」、「はきながら」は、対照的な状態が、一つの身の上に起こっている場合に使われる接続助詞である。
 自分の旅は、笠きて、草鞋はいたままでまだ終らないのに、一年の旅は、終って暮れてしまった。
 『おくのほそ道』の冒頭を持ち出すまでもなく、芭蕉にとって、月日もまた旅人なのであった。
 あちこち寄り道して、ぐずぐずしているうちに、年はさっさと暮れてゆく。このちぐはぐさが、この句の眼目であろう。

 ところで、良寛が、越後三島村の木村家に移ってからの詩作に「草庵雪夜」がある。
 「首(こうべ)を回(めぐ)らせば七十有余年 人間の是非看破に飽きたり 往来跡は幽かなり深夜の雪 一しゅの線香古窓の下(もと)」
 良寛は七十三歳で亡くなったから、この詩は遺作に近い。「人間性の善し悪しも見極めた。夜も更けたので往来の人も絶えた。一本の線香をつけて古窓の下で坐禅をしよう」と。
 この詩と、良寛が二十年前の五十余歳のときの一篇と並べると、さらに一段の風格を感じる。
 「首を回せば五十余年 人間の是非一夢の中 山房五月黄梅の雨 半夜しゃうしゃうとして虚窓にそそぐ」
 良寛の人生回顧が、ひしひしと感じられる。自己の人間性を、夢から、看破し尽す現実へ、さらに、梅雨と深雪に、その生き方を表象する。

 「往来跡は幽かなり」は、道路や通りだけでなく、「人生」をもふまえていよう。七十年間歩み続けた、わが人生行路を振り返る。是非善悪の足跡も、今は深夜の雪に、音もなくかき消されて、見渡す限り白一色である。人間の一生は、はかない夢ではない。歴史的実跡をそのままに、平等の雪が覆うだけである。

 良寛は、幸いにも、和歌の愛弟子の貞心尼の、温かい看護を受けつつ臨終を迎える。
 良寛には、遺言も辞世もなかったという。貞心尼が、さりげなく一首の歌を見せると、良寛は、「うらを見せ おもてを見せて ちるもみぢ」と応える。
 この句は、良寛の句ではないが、貞心尼にはうれしかった。人間一生の表裏を隠すことなく見せてくれたのだ。それは、「往来跡は幽かなり深夜の雪」に通じよう。貞心尼にとって、この句にまさる辞世は、なかったと思う。


      年惜しむイルミネーション富士まぢか     季 己