壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

きよしこの夜

2008年12月23日 20時26分11秒 | Weblog
 「ソーラソミー ソーラソミー レーレシー ドードソー ラーラドーシラ…」と吹いてみるが、なかなか難しい。

 先日、鎌倉・小町通りで、白井進さんから8ホールのオカリナを購入した。今、それを使って「きよしこの夜」の練習をしている。5ホールのものは、10年ほど前から持っているが、ボケ防止のために、8ホールに挑戦したのだが、思った以上に大変である。

 ところで「きよしこの夜」の誕生には、いくつかの説があるようだ。インターネットでざっと調べてみたが、だいたい同じようなこと(説)が多かった。そこで若干違う説を、違う目線で書いてみる。なお、引用の『聖書』は、国際ギデオン協会から無料配布された『新約聖書』によることを、お断りしておく。

 「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
 ヨゼフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」(ルカの福音書:イエスの誕生)

 1818年12月24日の夜、オーストリアの、アルプスの山中にあるオーベルンドルフという村で、ヨゼフ・モールという神父が、ひとり静かに聖書を読んでいた。その真夜中に行なわれる、クリスマスのミサの話の準備をしていたのである。

 「さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
 御使いは彼らに言った。
 『恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです』」(ルカの福音書:羊飼いの礼拝)

 ちょうどそこまで読んできた時、戸口を叩く音がした。一人の百姓女が、その日の朝早く山奥の炭焼小屋で生まれた、赤ん坊の洗礼を頼みに来たのである。
 やがて、薄暗い炭焼小屋に赤ん坊を抱いて横になっている若い母親を見た時、モール神父は、さっき読んだばかりの聖書の言葉を、まざまざと思い出した。
 そして、洗礼をすませて山を下りて行く神父は、今夜のミサにお参りするために谷間を上って来る人々の、松明の光と折から鳴り出した鐘の音に、すっかり神秘的な暗示に包まれていた。

 真夜中の礼拝が終って、書斎に腰を下ろしたモール神父は、その日、自分に起こった出来事を、何気なく紙に書き留めておいた。そうして夜が明けたとき、それは、立派な一篇の詩になっていた。
 25日、クリスマスの当日。モール神父は、その詩に、村の学校の音楽教師であったフランツ・グルーバーに頼んで、曲をつけてもらった。

   清しこの夜、星は光り、救いの御子は、御母の胸に 眠り給う、夢安く。
   清しこの夜、御告げ受けし、羊飼等は、御子の御前に、額づきぬ、畏みて。

 世界中に知られた、クリスマス・イブのこの歌は、こうした美しく清らかなインスピレーションから生まれてきたものだ、ということである。


      耳打ちの少女の頬も聖夜の灯     季 己