壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

兎狩り

2008年12月07日 20時49分25秒 | Weblog
 『ピカソ展』(国立新美術館・サントリー美術館)から戻り、歳時記を読んでいたら、“兎狩り”という季語に出くわした。
 “兎狩り”は冬の季語で、例句として、「裏山に出て雪ありぬ兎罠  鈴鹿野風呂」とある。念のため別の歳時記を開いたら、「裏山に出て雪ありぬ兎狩  野風呂」として載っている。はたして原句は……。

 “兎狩り”は、現在でも行なわれているのだろうか。
 伝統行事として、実際に行なっているところがあるらしいが、野兎ではなく、着ぐるみの兎で行なっていると知り、安堵した。

        衆目を蹴つて脱兎や枯野弾む     草田男

 「ホーイ、ホーイ」の声が、冬枯れの山裾を遠巻きに響く。手に手に棒っ切れを持った勢子(せこ)が、あちこちの藪を叩きながら、追い上げて行く。
 ハンターにとっては、これからは楽しい兎狩りのシーズン。十二月から狩猟解禁となるが、兎をはじめ獣たちにとっては、受難の季節となる。

 もともと、農業が基本のこの島国には、鹿や猪、狐、狸などの他には、あまり大型の野生動物も棲まず、命がけの猛獣狩りなどという勇壮な狩猟は出来ない。兎狩りというのは、ごく手軽に誰にでも楽しめる、冬のスポーツであったのだろう。

        渤海に傾ける野の兎狩り     波 郷

 前脚が短く後脚の長い兎は、傾斜地を登るのは早くても、駆け下りることは苦手なので、兎狩りの勢子の声に逃げ惑って、どんどん、山を駆け登って行く。
 ところが、そうした草山や雑木山では、人の眼を逃れるほどの隠れ場所がない。やむを得ず開けた頂上へ登り詰めていくより仕方がないのだ。

        手捕つたる山の兎の瞳はや     黙 泉
        
 すっかり戸惑って駆け上がっていく兎らは、要所要所に張り巡らせた網の目に気づくものではない。たちまち、もんどりうって、網に絡まってしまう。

        兎汁山河たちまち夜となりぬ     北 人

 そこを待ち受けた人間が、情け容赦もなく叩き伏せて縛り上げてしまう。やがて兎汁の身となって、人間様の腹の中に収まってしまう。
 それにしても、この因果な前脚の短さについては、インドにこんな仏教説話が残されている。

 ――お釈迦様の前世の姿は、なんと兎でありました。
 この兎が棲んでいる森に、インドラの神が、乞食の老人となって現れました。
 森の獣たちは、この老人にご馳走をしようと、めいめい食べ物を探しに出かけました。兎も、もちろん出かけました。けれども、運悪く、何も手に入れることが出来ませんでした。
 すごすごと帰って来た兎が、早速、火を焚き始めました。インドラの神は、食べ物を手に入れなかった代わりに、火を焚く勤めをしているのかと見ていました。
 すると突然、兎は燃え立った火の中に、自分の身体を投げ入れたのです。そして
 「お年寄り、私の肉が程よく焼けましたら、なにとぞ、ご遠慮なく召し上がってください。これが、私の今日のご馳走です」
 と、申します。
 驚いたインドラの神は、急いで兎を火の中から助け出し、その徳を褒め称えて天国へ連れて帰り、月の世界に住まわせました。
 その時の火傷のせいで、兎の前脚は短くなったのだということです。


      極月の無口 ピカソの《若い画家》     季 己