壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

水仙

2008年12月16日 21時48分36秒 | Weblog
 「水仙まつり」が、下田市爪木崎で、今月20日から1月31日まで開かれる。
 もう間もなく、300万本の水仙が見頃を迎えるとのこと。
 20日午前10時の開会式典では、ペンギンパレードや地元名物鍋「いけんだ煮みそ」を、先着200人が楽しめる。鍋サービスは、1月3日午前10時半からもふるまわれる。
 下田温泉などの宿泊客には、連日午前8時半から午後2時まで、甘酒サービスもある。詳しくは、下田市観光協会(℡ 0558-22-1531)へ。

        水仙や古鏡の如く花をかゝぐ     たかし

 作者の松本たかしは、明治三十九年、宝生流能の名人松本長(ながし)の長男として、神田猿楽町に生まれた。父祖代々宝生流座附の能役者の名門であり、当然たかしも幼年から能を仕込まれ、家業を継ぐべき運命にあった。だが病弱のため断念し、療養生活にはいり、大正十年ごろから虚子について俳句を始めた。

 たかしは、茅舎と同じく、句に「ごとし」を愛用している。
 「ごとし」を極力使わぬようにしている変人ではあるが、書の雅号が「古鏡」ということもあり、水仙の句では、この句が最も好きである。
 水仙の中に、水仙を通して、古鏡の澄み切った冷たい面が、間違いなく、一つのはっきりした「形」として、一瞬の閃光のように浮かび上がる。
 たかしは俳句に、素朴淳厚な「万葉集」の精神を生かすことを念願としていたのではないか。芭蕉から世阿弥を越えて、もっと根源的な強い生命力に、郷愁めいた憧れを抱いているように思われる。
 水仙は、寂しく品のある花であり、その花の形容としての「古鏡」は、たかしの精神的貴族としての風格を象徴している。

        水仙の夜は荒星のつぶて打ち      眸
        次の間といふうすやみの水仙花     七菜子

 水仙は、菊より末の弟とか、雪の中の四つの友などと呼ばれて、東洋の文人画には、なくてはならぬ画題「四君子」の一つである。
 切り花にして活けても、どの器にもよく調和する、飾り気のない素直な花だ。
 ありあわせのコップに活けてよし、ちょっと洒落て赤絵の徳利に挿しかえてもよし。正月には、金大容さんの「粉青窯変一輪挿し」に、水仙を挿そうかと思っている。

 ところで、水仙の一種に、口紅水仙というのがある。やはり、白い花びらに、黄色の副花冠を載せたものだが、その副花冠の縁が口紅で染めたように、愛らしい縁取りを施されている。
 この水仙をラテン語では、ナルキッスス・ポエティクス(詩のような水仙)と呼ぶそうだ。ナルキッススというのは、ナルシストの語源となった、ギリシャ神話に出てくる美しい少年で、水に映った自分の容貌にあこがれて、水に溺れて水仙の花になったという伝説がある。 
  

      水仙の岬おもへば心澄み     季 己