平塚にあるキリスト教会 平塚バプテスト教会 

神奈川県平塚市にあるプロテスタントのキリスト教会です。牧師によるキリスト教や湘南地域情報、世相のつれづれ日記です。

神の平和宣言

2010-08-05 11:48:51 | 説教要旨

(先週の説教要旨) 2010年8月1日    杉野省治牧師

 「神の平和宣言」  ミカ書4章1-8節

 ミカ書4章3節、「主は多くの民の争いを裁き/はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない」。これは完全な平和の到来を預言したもの。預言者イザヤも同じ言葉を用いて預言している(イザヤ2:4)。その実現と到来を今も多くの人々が待ち望んでいる。何度、だれが語っても、決して語り過ぎにはならない預言である。
 
 このような預言をしたミカは、紀元前8世紀、南ユダ王国で活動した預言者。ミカは農村の出身で預言には農民の視点が反映している。戦火にさらされる中、ミカは平和への願いを込めてミカ書を記した。平和は遠く旧約の時代から今日に至るまで人類の願いである。この聖句がニューヨークの国連本部の壁面に刻まれているのは、人類が長く平和を求め続けていることの表われであろう。世界平和は人類の願いである。

 ミカは、「終わりの日」(1節)に、主の神殿の山シオンに人々が集い、主の言葉を聞く時がやって来ると告げる。「終わりの日」とは歴史の終わりを暗示するが、実はこれは終わりではなく新たな始まりを示している。その新たな始まりとは、「彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない」と預言された神の平和の世界である。ここで主は平和宣言を予告される。剣は鋤に、槍は鎌となるとは、自然と触れて生きる、農民ミカの視点がここに反映している。

 ミカは、剣や槍といった武器をもった強い国に攻められ、逃げまどう恐怖の中で、この言葉を神から受けた。ミカの生きるユダの国は、二つの大国にはさまれ、生き延びるためには、強い国の武器の力に頼っていこうとした。しかし、武器の力は長続きしないこと、目には頼もしく見える武器の力は使う人をも滅ぼしてしまうことを神はミカに教えたのである。主イエスも言われた。「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)。

 武器を持たないと安心できない力の強い人は、本当は武器を持たないと怖くてビクビクしている人。神はその人から武器を取り上げ、代わりに鋤と鎌を与えて下さる。そのようにして、人は争いではなく一緒に畑仕事をして、助け合うようになる。剣や槍は人と人が殺し合う道具だが、鋤と鍬は人と人が生きるための食べ物を作る道具で、お互いがお互いを生かし合うものである。食べ物を作る道具や知恵こそ大切であり、神が備えて下さると約束して下さっている。神は、武器を持った人に「武器を持つと人間ではなくなってしまうから、武器を捨てて安心しなさい」と呼びかけておられるのである。
 
 私たちも神にしっかり向き合い、平和を求めて祈ろう。神の赦しを願いながら、困難ではあるが和解の道へと進もう。そして愛と勇気と献身をもって、隣人と分かち合い、共に生きることに励もう。