こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
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台湾1日目

2011-03-31 23:48:59 | 旅行・グルメ
さっそく、いろいろなアクシデントに右往左往する私ですが、ここは台湾旅行のお話しを少しずつ書いていこうかと思います。

今回は「フルーツ食べたい!」娘の意見と、「香港で食した牛肉餅をもう一度食べたい!」という私の独断で、台湾旅行を決行しました。
今回は夫も来るというので、家族4人そろっての「おバカ一家珍道中」となりました。

24日、午前3時に起床。
3時50分に荷物を積んで、車で出発しました。

まだ深夜と呼べる時間なので、大型トラックの間をゆっくり羽田に向かって走りました。

うちの車のナビは、羽田が国際空港に変身する前のものなので、ナビには国際空港駐車場が表示されずちょっと迷いましたが、時間までには車を止めてJTBのカウンターにたどり着くことが出来ました。

 早朝の空港はガラガラです。

格安ツアーなので、飛行機はチャイナエアラインのエコノミー。

機内食はしょっぱいチキン料理。

7時半に搭乗して、午前中には松山空港に到着しました。

     

どこかのんびりしたローカル空港という感じ。

そこからバスで、一路台北市内に向かいます。

ホテルは、MRT西門から徒歩15分。小南門駅からは徒歩5分の台北ガーデンホテル(台北花園酒家)。


  
        

ホテルのフロントは、とても感じがいいです。
日の丸のバッチを付けている人は日本語ができるので、何の不自由もなくチェックイン。

私と娘、夫と息子で二部屋を取りましたが、フロントのお姉さんがにっこり笑っていいました。
「今日は??節なので、一つのお部屋はアップグレードしました。」とのこと。
ラッキー!

もちろんグレードアップのお部屋は私のもの。
 広いし、きれい。

ソファーがゴージャス。

お風呂が妙なことに、バスタブとシャワーがガラスで仕切られている。
しかも、バスタブは正方形。

たぶん、日本人を意識したんでしょうが、ちょっと勘違いみたい。
でも清潔で気持ちのよいお部屋でした。

今回もJTBで、ツアーなしのコースを探しました。
食事つきツアーは、残念な感じが多いので、好きなところでぶらぶらする予定です。

でも、ツアーが嫌な人には、MRT用のプリペイドカードが渡されました。

悠々カード。

デポジット料100台湾ドルに、100台湾ドルがチャージされたもの。
台湾の地下鉄ですが、ほとんど20ドルとか25ドルで行けちゃうので、100ドルでも結構乗れちゃいます。
帰りにデポジット料も返してもらえます。

でも、今日だけはオプションでツアーを頼みました。

どうしても行きたかったのが「九份」。
でも、九份はやはり夜の風情を楽しみたいもの。
夜に電車とバスを乗り継ぐのはしんどいので、これだけはツアーにしました。
お迎えが15時15分なので、それまで4時間ほど時間が出来ました。

今回のもう一つのお楽しみにさっそく直行。
パイナップルケーキの食べ比べをしたくて、下調べで一番おいしいと言われている「佳徳糕餅」に行くことにしました。
でも、ここはMRTの駅からも結構離れており、時間の関係でまずはタクシーで行ってみました。

パイナップルケーキは台湾の名物ですが、店によって全然違います。
そのなかでも、一度食べたら必ずリピーターになるというお店で、台湾人のご贈答にも人気の名店です。
まずはここからお楽しみです。

次回は、いくつか回ったパイナップルケーキのご紹介をしますね。

地震影響はまだまだあります。

2011-03-30 23:40:15 | 訪問看護、緩和ケア
この辺では、やっとガソリンスタンドの渋滞も消えて、スーパーも商品が戻りつつあります。
昼ぐらいに行けば牛乳も卵も買えるし、日常生活は問題なくなりました。

でも、意外なところで不足するものが・・・。

患者さんのなかで、かなりの患者さんが飲んだことのある、または飲んでいる栄養ドリンク「エンシュアリキッド」が、どうも不足しているらしいとのこと。
実は、エンシュアの缶の工場は仙台にあり、今回の地震で製造できなくなったと言う事でした。

とりあえず、5月末には復旧する予定らしく、今までのご利用者分くらいの備蓄はあるという話ですが、それも保証はありません。
エンシュアでなんとか栄養状態を維持している方や、経管栄養に使用されている方もいるので、患者さんのご家族の中には、不安を訴える方もいらっしゃいます。

特に経管栄養でご利用の方は、種類が変わっただけで下痢をしたり便秘をしたりすることもあるので、ご家族によってはナーバスになっている場合もあります。

昨日も「エンシュアが少ないと聴いたので、ゼリー飲料を混ぜて注入しました。昨夜熱が出たのはそのせいでしょうか?」と聞かれたスタッフもいました。
もちろん、ちゃんとご説明はしましたが、それでも微妙なバランスで在宅を続けている方にとっては、心配のタネには違いありません。

エンシュア不足を受けて、ラコールも在庫が少なくなっているとか・・。

この2つは、保険適応で出してもらえるので、多くのかたが利用されています。

薬ではチラージンも作れないのだそうで、いろいろ大変ですね。

とりあえず、I先生から相談お電話があって、エンシュアで胃瘻注入している患者さんに関しては、既製品の半固形化剤に切り替えるる事としました。

ところで、義捐金の送り先は、いつも迷っていしまいます。
街頭でやっている募金活動は、詐欺が横行している今ちょっと考えてしまいますし、公的な機関への寄付金が一番確実に被災者に届くかとおもったりしています。
でも、聴いた話によると、ユニセフは集まった寄付金の60%はユニセフ職員の給料になってしまい、みな高給取りですごくいい暮らしをしているとか・・。

本当かどうかはわかりませんが、ほかの大きな団体も同じようなものと聞き、また迷ってしまいますね。
たしかに、維持費はかかるし人件費も致し方ないとは思いますが、あくまでも寄付金に関しては、ちゃんと被災者に届けてほしいなと思います。

申請中の介護サービス

2011-03-29 20:56:51 | 訪問看護、緩和ケア
介護保険を新規申請してから、調査を経て1次審査を終え、審査会で最終決定されて申請者の手元に戻るまで、早くて1か月、下手をすると2か月くらいかかります。
瀬谷区では、だいたい1か月半くらいかかりますので、その間はおそるおそるサービスを使う事となります。

うっかり、いろいろサービスを入れて使っていたら、結果が想定より低くて、実費負担が出てしまう、なんてことがないように低めを想定して使うからです。

ただ・・特に問題がなければそれでもいいのですが、残された時間が短い時には、そんなことは言っていられません。
特に終末期であれば、急速に病状が悪化するので、調査日出来ていたことが、数日後には全くできなくなっていることがままあります。

退院を目前にあわてて新規申請をして、退院準備のためベットをはじめとする福祉用具を設置して、残り少ない時間を快適に過ごせるよう環境を整えなければいけません。

そして、入浴サービスやヘルパーの導入などなど。
訪問看護は、末期癌では医療保険になるので、単位は気にせず入ることができるのでいいのですが・・。

でも、そういう時だからこそ、必要なものは使うべきだと思いますし、必要性や万が一介護度が低い時には実費負担が発生する可能性があると言う事は、ちゃんと了解してもらわないといけません。

ただ、包括支援センターからのご紹介の場合、すでにベットなどは導入されていることがあって、実際に訪問すると、ちょっと問題・・と言う事が時々あります。

申請中を理由に、自費ベットが入っているのはいいとして、フラフラで立ち上がりが大変なのに、ベット柵がちゃんとついていなかったり、やたら低くて介護負担が大きなものだったり・・。

今日も、終末期で褥瘡もある患者さんに訪問しましたが、包括の担当者が「ベットとエアマットは入れておきました。」と言ったのに、入っていたのは褥瘡対応ではあるけれどウレタンマット。
ご家族は、これがエアマットだと思っていました。

すぐに引き継いだうちのケアマネが、レンタル業者に電話しました。
「エアマットが入っているって聞いたのですが、違いますよね。なんでですか?」

業者「申請中だから、普通のマットにしました。エアマットは単位が高いので。」
「!?」

いったい誰のための、何のための福祉用具なのか?
どういう判断基準で、依頼と違うものをいれたのか?
ご家族にはちゃんと説明したのか?
当初の担当者には報告したのか?

「困ります。褥瘡もあるし、エアマットに変えてください!」
「明日になりますが・・」
「だめです。待てません。今日入れてください。」

そんなやり取りの末、夕方にエアマットが導入になりました。

褥瘡がすでに出来ていて、しかも病状もあまり思わしくありません。
褥瘡は、あっという間にできますが、治すのはとても時間がかかります。

勝手に判断して、きちんと耐圧分散が出来ずに、一晩でさらに悪化してしまったら、どうするつもりでしょうか?
(特に、40度ほどギャッチアップしているので、もろに仙骨に負荷がかかっています。)

サービスの利用は、単位が足りるか足りないかだけで判断するものではありません。
たとえば、いくらかの実費負担が出たとしても、患者さんの苦痛の軽減や、悪化してしまった時のコストを考えれば、必要なものは必要と説得出来ることも福祉用具指導員の役目だと思うのです。
いつもお願いしている、いくつかの福祉用具の事業者さんは、経済的なことも考慮して、そのうえで一番最善のものを探し当ててきてくれます。(もちろん、何度も相談の上です。)

福祉用具にかかわらず、同じ仕事をしていても、どこに意識を持っていくかによって、内容は大きく変わっていきます。

単位にとらわれがちな介護保険。

自分たちも、どこかで大きな思い違いをしていないか、いつも確認していかないといけないですね。

ただいま~!!

2011-03-28 22:48:56 | 訪問看護、緩和ケア
昨夜12時近くに、やっと帰宅しました。

もう眠いのなんのって、お風呂も入らずバタンキュ~でした。

行きの飛行機は、朝7時の早い便という事もあり、結構空きがありましたが、帰りに空席はありませんでした。(エコノミーの話ですが・・)

こんな時期ですが、中国や台湾の人たちも、結構入国してくるようです。

時期と言えば、台湾への入国時はテレビで言っていたように、ガイガーカウンターのゲートを潜り抜けるようになっていました。
でも、あんな簡単なゲートで、本当に放射能汚染がわかるのでしょうか???

ただ、台湾でもこの地震と原発事故は連日報道されていて、とても心配してくれています。
台湾と日本は、観光にしても経済にしてもお互い深い関係にあるので、日本の被災は台湾にとっても少なからず影響があるようでした。

日本人の利用が多いこともあるのでしょうが、マッサージ屋さんの店先のに貼ってる文字は、とてもうれしかったです。
         

これは、セブンイレヴンに貼ってあったポスター。

父子の背中がたまりませんね・・。

「鼎泰豐」という小龍包の老舗があります。
日本にもいくつか支店があって、この辺では高島屋の7階?にもあります。
本店はいつも長蛇の列で、お客さんは日本人がすごく多いのだそうですが、今回の地震をうけて、ここの社長は普段のお返しをしたいと言って、7000万円ポケットマネーで寄付してくれたそうです。
もちろん李登輝さんはじめ、たくさんの台湾人のかたが、義捐金を送ってくれています。

日本統治に関しては、一時はかなりの弾圧をしたと思うのですが、それよりも日本が統治したことで、近代化が図れ幅広く教育がなされたことの方を好意的に受け止めてくれているようです。
そのせいか、地名は日本統治時代の名残と思われる「板橋」「西門」「中山」など、とても覚えやすくて助かりました。

いろいろな歴史はあったと思いますが、もとはと言えば同じルーツ。
肌の色も顔だちも体つきも、ほとんど変わりありませんし、街を歩いていても、全く違和感はありませんでした。

それにしても、日本以外の国で「頑張れ、日本!」と言われるのは本当にうれしくて、きっと日本は立ち上がれると確信しました。

まだ写真の整理中なので、これからぼちぼち私流台湾ツアーのご紹介をしたいと思います。


ところで、今日は午前中お休みをいただき、午後から認定審査会に出てから仕事に行きました。

ステーションは、あいかわらず節電モードで、みんな寒さを我慢しながら頑張ってくれていました。

私の不在中に、お一人静かに旅立たれたそうです。
「ここで、穏やかに静かに逝きたい。」とポロリと涙を流してお話ししてくれたかたです。
本当に、ご家族に囲まれてその日の朝まで大好きなダイニングに座って過ごされ、横になってからは、わずか数時間の間に旅立たつことになったようです。
黄疸こそ強くなったけれど、ひどい痛みや苦しみを訴えることもなく、本当に眠るように亡くなられたとのこと。
願いがかなってよかったなと思います。

明日から、また何時もの日常が始まります。

気持ちを切り替えて、また働かないとね。
来年もまた、ふざけた一家4人での珍道中ができますように・・・。

認知症&独居&病気の限界

2011-03-23 20:28:45 | 訪問看護、緩和ケア
どんな患者さんにも、出来るだけご本人の思いを尊重し、希望をかなえてあげたいと思っています。

いままでも、独居で身寄りのない方をご自宅でお看取りをしました。
ただ今までの方は認知はなく、ご本人に「何があっても、自宅で死にたい。」という強い信念がありました。
ですから、最低限でもサービスのご利用には納得されていましたし、自分の置かれている状況もよくわかっており、なるべく「人の迷惑になりたくない。」という思いの中で最後まで過ごされていました。

ですが、在宅の中で認知症が加速度的に進んでしまい、判断能力が怪しくなってきたとき、どう考えればいいのでしょうか。

サービスとしてヘルパーを時間で貼り付け、合間を看護師や医師やケアマネや訪問入浴がのぞいたとしても、一人の時間はかなりあります。
その間に何をしているのか、危険はないのか、苦痛はないのかわかりません。
病状の進行に伴い、緩和ケアではどうしても麻薬製剤を使うしかなく、服薬もかなり怪しくなってきます。
やがて、一人の時に転倒や転落を繰りかえし、生傷が増えるようになり、当初強い希望で始まった在宅での旅立ちは、難しくなってきました。

ただ、麻薬製剤を使用しているので施設は難しく、まして看取りを受け入れてくれる施設はまだまだ少ないのが現状です。

特に問題なのは「自宅で死にたい」最大の理由が「タバコが吸いたい」と言う事であればなおさら難しくなってきます。

ホスピスは本人の了解がはっきりとれず、面接待ち。


でも、アクシデントは突然起こります。

訪問したヘルパーが見たものは・・。

真冬の逆戻りかと思える寒さの中、シャワーチェアに座ったまま、冷水のシャワーを浴びてる姿でした。

すぐに私もケアマネも駆けつけ、応急処置をし、入院の手筈をとりました。

びっくりしたのは、さらにベランダのサッシが割れていたことです。
ここで一度転倒をしていたようです。
ただ、かすり傷はありましたが、大きなけがはありません。

ケアマネが付き添っての救急搬送となり、彼は一命を取り留めました。
入院時の彼の体温は29度。
低体温症。

もう少し発見が遅ければ、命はなかったかもしれません。

それにしても、さすがうちのヘルパー、冷静で的確な判断でした。

そして、意識の戻った彼はその出来事を全く覚えていませんでした。

こうなると、もう独居は危険でしかありませんので、今後はどこか転院先を探すしかありません。

ただ、いったいいつの時点で「独居は困難」と判断するのか。

彼は、はっきりしているときはいろんな話をしてくれますし、自分の意思表示もはっきりしています。
そんな彼に、「あなたは認知症で、もう一人では危なくて置いておけないから、入院してください。」
というのは、やっぱり違うと思うのです。

でも、結果的にこんなかたちで命が脅かされるのは、もっと悲しいことだと思います。
きっと彼は、温かいお湯が出るものと思ったに違いないのです。

でも、力が足りなかったのか、ガスは点火しなかった。

一つ間違えばそれはガス漏れや、火事の原因にもなります。

ここで限界です。

もっと早い判断が必要だったかもしれません。
が、それは一つ間違えれば彼を否定することにもなる。
難しいですね。

これから、ますます独居&認知&重病のケースは増えてくると思います。

相手の気持ちを尊重しつつ、危険を回避し、穏やかに、好きなことが出来る・・。

他人の人生の最後を、誰がどんなふうに決めるのか。

なかなか答えが出せません。

今日は皮膚科の往診日

2011-03-22 22:39:20 | 訪問看護、緩和ケア
3連休が明けました。
連休中に、あの私の手をずっと握りしめていた患者さんが亡くなりました。

四肢のチアノーゼが出ている状態でしたが、「海を見に行く。」という強い意志と、それを支えるご家族の力で、なんと横須賀の馬堀海岸まで行ってきたそうです。
その前日には訪問入浴で久しぶりの入浴も楽しみ、今日もう一度入る予約をしていました。
残念ながら2度目の入浴はかなわなかったけれど、思い出の海にご家族とともに行かれ、どんな想いで海を見たのでしょうか・・?

海と言うのは、こんなにも優しく私たちを包む存在であるというのに・・

何が、海を魔物に変えるのでしょうか?
黒くうねりながら、死の波で何もかも奪い去ってしまう事もある・・。

未だ混乱する被災地や、制御しきれない原発に怯えながらも、少しずつ前へと進み、東北の人々が再び穏やかな青い海に、癒されることが出来きるよう祈っています。


そして、今日もバタバタと一日を過ごし、夕方からは皮膚科の往診となりました。

介護保険上、訪問看護に診療介助は認められていないので、ご希望の患者さんや、必要と思われる患者さんに対して、うちステーションでは保険外サービスで皮膚科の先生の往診介助をしています。

在宅では、皮膚トラブルは常について回るので、専門医がいるといないとでは大違いです。

いずみ野皮膚科の増田先生は、在宅の患者さんもたくさん診ていて、いつも的確な診断ですぐによくなるので、私たちの強い味方です。

往診の先生をお願いしても、全く連携を取る気のない先生がたとは、一緒にお仕事はできないので、うちのステーションは、本当に恵まれているな、と思っています。

今日の往診は3名です。

いずみ野にある先生のクリニックまでお迎えに行き、事前にお伝えした情報に加え、車の中でだいたいの状況をお話しします。
皮膚トラブルの原因は、家族背景や環境によるところも多く、またいろんな合併症を持っていることが多いため、往復のこの時間はとても大切です。

結局何やかやと診察中にもアクシデントがあり、どんどん時間はたっていき、お薬をもらってステーションに戻ったのが7時近くなってしまいました。

今日の往診のなかで、全身性の発疹が見られる帯状疱疹の患者さんがいました。
半身のみでなく、両上肢や脇腹、陰部臀部大腿部まで広範囲に発疹と水泡があり、汎発性帯状疱疹と診断されました。
99歳のご高齢であり、かなり免疫力が落ちているとのこと。
往診中に尿閉を起こしている事もわかり、途中バルン挿入の間も待っていてくれました。

往診の介助は、単に医師のお手伝いではなく、看護師としての情報提供や今後の治療方針の相談、家族への説明、病変の裏にある問題点なども発見できる大事なチャンスにもなります。

介護保険は在宅療養のためのものなのに、そのへんもわかってもらえないのは残念ですね。

とはいえ、先生とのスケジュールあわせで、早めに診ていただけたので一安心です。

4月は耳鼻科の往診があります。

いろんな専門医に診てもらえるのは勉強になるし、実はすごく楽しい時間でもあります。

もっといろんな科の先生が来てくれるといいのにナ・・。


日常を取り戻そう!

2011-03-21 11:57:26 | 東北地方太平洋沖地震関連
テレビを見ていたら、避難所の少女たちが明るい笑顔で働いていた。
「今何が欲しい?」の質問に「水」答えた少女。
小さな女の子が「家」と言ったら、お姉ちゃんが「生きてるだけでありがたい!」と笑顔。

被災地のおばあちゃんが「命あっただけで有り難い。大丈夫、東北人は強いから!」と満面の笑顔。

何もかも失って、大切な家族も失って・・。

でも、みんな立ち上がろうとしている。

原発でも、今なお命がけで働いてくれている人がいる。

だからこそ、私たちも日常を取り戻さなくてはいけないと思う。

もう、家に閉じこもっていないで、いつものように出かけようよ。

私たちの日常が取り戻せなければ、日本は動かなくなる。

活気に満ちた街がなければ、日本は元気を取り戻せない。

自粛はお終いにして、今までよりももっと元気な日本を作ろう。

元気になれば、もっと助け合える。

元気じゃないと救えない。

頑張ろう日本。頑張ろう! 

             

春だよ。

2011-03-20 23:46:00 | 草、花、収穫
毎年、我が家の庭に春を告げてくれる「貝母(ばいも)」が、わずかに蕾を開きました。
        貝母ユリ、あみがさユリとか、フリティラリアとも呼ばれますが、調べてみると薬草なのだそうです。

なんと薬用植物一覧にもありました。

茶花であることは、聴いていましたが、有効成分はアルカロイド・フリチリン、フリチラリン、ベルチチンなどで、掘り出して鱗茎を利用して生薬となるそうです。
薬効は気管支炎の咳や痰で生薬としての名称が「貝母」と言う事でした。

写真はまだ、開きかけの蕾ですが、きれいに開くとうつむき加減に緑色の葉脈がすけて、とても可憐な花です。
派手ではありませんが、楚々として立ち姿の美しい花で、私は大好きです。
ネットで見ても、けっこう愛好家はいるようです。

毎年、この花が咲くと、強い風が吹いてかなり倒れてしまいます。
今夜も強い風が吹いていますのでちょっと心配です。

そして、野原や土手や庭の片隅に咲く花にら。

   
薄紫の星型のかわいい花が、緑の間に群れて咲きます。
本当に星をちりばめたような、これもまた春を感じさせてくれる花ですね。
花にらが、暖かな陽だまりに群れているのを見ると、本当に幸せな気持ちになります。

今日は温かかったので
ミニ水仙も
ストックも 嬉しそうでした。

甘い香りは沈丁花 

これはミツマタ。

楮、ミツマタは、紙の原料として珍重されました。

春の青空には、梅の花がよく似合います。

そんな庭の草花に水をやっていると、ワンちゃんがちょこちょこと寄ってきました。
近所のおじいさんの、散歩のお伴ですね。
暖かな日差しを受けて、仲良く歩いていきました。

震災の被災者のかたは、まだまだ厳しい状況にあります。
原発も未だ予断のならない状況でもあります。

でも、春はきっとやってきます。
負けないで、あきらめないで、絶対に立ち上がろう!

原発で、命を懸けて戦っている方に感謝。
不眠不休で支援をしている方々に感謝。
黙々と泥にまみれて復旧作業と救助作業をしてくださっている、自衛隊や消防や各国の救助隊の方に感謝、感謝です。

春はきっと来ます。
みんなが無事で、少しでも早くみんなの笑顔が戻ることを信じて、日本がんばろう!

手・・

2011-03-19 23:29:52 | 訪問看護、緩和ケア
病床の患者さんと向き合うとき、私は手を握ります。
家族を支えようとするとき、思わず肩を抱いてしまいます。

手は、不思議です。

私が新人看護師の時、当時の呼吸器内科の医師が、亡くなろうとしている患者さんを前に、教えてくれたこと。
「人の手はすごい力を持っているんだよ。」
両手を擦り合わせて、ほとんどフラットになった心電図を見ながら、その手のひらを胸に当てると、少しの間また鼓動が始まりました。

「ね。これを手当っていうんだよ。」
「たとえばおばあちゃんの患者さんが、膝が痛いって言ったら、そっと手を当ててごらん。きっと痛みが楽になるよ。それが、手当だ。」

もちろん、心電図の関しては電気的な刺激なのだとは思いますが、それは新人の私には、未だに忘れないほど衝撃的な場面でした。

「人の手はすごいんだよ。人を治す力があるんだよ。」ぽってりした身体に眼鏡をかけたいつもひょうきんなドクターでしたが、、救急病棟だった私は(当時は救命センターなんてなかった。)そんな言葉を新人ナースにかけてくれるそのドクターが大好きになりました。

昨日、初めてお会いした患者さん。

訪問するとひどく痩せて骨ばった手を、胸の上で組んでうとうととされていました。

ご挨拶をすると、薄く目を開け「やあ、元気な人が来たね。僕もすごく元気が出てきたよ。」とうれしい言葉が返ってきました。

胸の上で組まれた指は蝋のように白い部分と、紫色の混ざった色をしていました。

SPO2はLOの表示も出ないほど冷たかったので、私は自分の手のひらをその手に重ねました。
氷のように冷たい手でした。

「気持ちいい!温かいね。なんてあったかい手なんだろう。」
そういって、私の手を強く握り返してきました。

私は、両手で手首から指先を包みながら「私は、お肉が人より多い分温かいんです。」と冗談交じりにさすっていました。
彼の冷たい手は少しずつ温もりが戻ってきたようで、逆にかれは私の前腕にまで手のひらを押し付けて、暖を取るように手を離しません。
「温かいなぁ、気持ちいいなぁ。」

奥様が「あなた、それじゃあ看護師さんがお仕事できないでしょう。」と言っても、かれこれ10分ほどそうしていました。
やがて、肌の色が戻ってくると「ありがとう。もういいよ。」そう言って手を放してくれました。
(SPO2が85%まで測れるようになりました。)

私のエネルギーがまるで、手のひらを通して、相手に入っていくような気がしました。
それは少しも嫌なことではなくて、なんというか、本人の気の済むまで触らせてあげたいという思いになっていたと思います。

それから彼は、今はどこも苦しくない事、海を見に行きたい事などを話してくれました。

口渇が強いようで、氷片を勧めると「これはいい。美味しいなぁ。うん気持ちいい。もう一個。」と何回もお代わりをしながら、お話をしてくださいました。

手は、人の思いを伝えるのでしょうか。

手を握りながら、その指に込められた力の強さでも、思いが伝わります。

『アナタノチカラニナリタイ』 時にそう思いながら。

『ソバニイルヨ。』『ハナシヲキクヨ』時にそう思いながら。

そして、じっと耳を澄ませば、患者さんの本当の気持ちを聞くことが出来たりするのです。

もし、新人の看護師さんや介護士さんで、どうやって患者さんと接したらよいかわからないと悩んでいる方がいたら、手を握って、なるべく近くで、じっと耳を傾けてみてください。

きっと、気持ちが通じるはずですよ。

寒くても頑張る!

2011-03-17 20:35:10 | 訪問看護、緩和ケア
被災地の人たちが、寒さと空腹と喪失感に震えている今、私たちにできることは節電や、過剰な買いだめをやめることからだと思います。

輪番停電だって、それで被災地の復旧が少しでも早くなればいくらでも協力したいと思いますし、灯油がなくてもガソリンが少なくても、神奈川県では死にはしないので、そちらに回して欲しいと思います。

でも、今日ダウンを着てひざ掛けを腰に巻いて仕事をしながら「国会とか、ぬくぬくなのかなぁ?きっと政治家とか、家でも床暖房でエアコンきかせて、電気使いまくってる気がする・・。」なんて話をしていました。
まさかとは思いますが・・・
まずは国を動かしている人たちから、自分たちの取り組みを教えてほしいなと思ったりして。

ところで、寒くて薄暗いステーションではありますが、みんな頑張って訪問は回ってくれています。

前回書いた陰部の酷い糜爛は、写真を見た皮膚科の医師から「帯状疱疹だとおもうわよ。」という返事をもらいました。
おおー!!そういえば、よく見ると陰嚢の裏側の真ん中の筋の右半分だけぐちゃぐちゃになっています。
臀部もそういえば半分に紫色の水泡がつぶれて痂疲形成したものが散在しています。
脇腹までの皮疹も片側・・。
あまりに、局部の糜爛が衝撃的だったので、冷静さを欠いてしまいました。
でも・・痛そ~
こんなところにも帯状疱疹って出来るんだ・・。
って、すぐに主治医に報告し、バルトレックスが処方されました。
そして、介護力の問題もあり、ケアマネさんにお話をして、ケアプランの検討をお願いしました。

そして、停電をめぐってもう一人、大変な思いをした患者さんが・・。

昨日、独居のAさんを訪問した担当ナースから電話が入りました。
「Aさんが、いないんです。ドアに<コメを買いに行く。>って書いてありますが、こんな風の強い日に、電動車いすでどこまで行ったのか心配です。」

夕方には、輪番停電があります。
しかもここは13階・・・。
おりしも突風のような風が吹き荒れて、畑が多いこのあたりは黄色い土が吹きあがってます。

結局ケアマネさんに連絡し、ケアマネさんがヘルパーさんと探しに出てくれました。

そして今日、彼を再訪問して話を聴いたところによると、Aさんは散々な目にあったようです。

彼は片麻痺があり独居なので、調理はヘルパーさんにお願いしていたそうです。
が、昨日ふと米櫃を見るとコメがない!と言う事に気が付いたのだそうです。

あと1カップしかコメはない。

福島出身の担当看護師曰く「Aさんは、東北生まれなんです。東北の人は米がないとダメなんです!!」とのこと。
「そ・・そうなの?」
「そうです!東北人にとってはコメは絶対なんです。」ドン!(机をたたく音)

ということで、彼は電動車椅子に乗って、土埃の巻き上がる中出かけたのですが、土が目や口に入り込んでブホブホしながら2キロほど離れた大きなスパーまで行ったそうです。
でも、午後からスーパー行ったって、ここ数日の騒ぎでコメはおろかろくなものは残っていず、カップラーメン2個だけ買って1キロほど戻ったところで、ケアマネさんたちに発見され、事業所に連れて行かれ、わけを聞かれたりして、再び戻ろうとしたところで電動車いすがバッテリー切れでストップ。
困ったケアマネさんが普通の車椅子を取りに行き、乗り換えて帰宅したと言う事でした。
結局4時間くらいかかって、へとへとになって帰ってきたようです。
停電に間に合ってよかったです。

彼は、まさかスーパーにコメが売っていないなんて、思いもよらなかったのでしょうね。
無いから買いに行っただけなのに・・。

ヘルパーさんも、お米残り少なかったら、買い足しといてくれればいいのに・・。

そうそう、13階はとんでもなく揺れたそうです。
いい方の足で、必死にテレビを押さえていたとか・・。

とはいえ、彼は少なからず動けるからまだしも、本当にコメやパンがなくて困っている人はたくさんいるのだと思います。
いつもはろくに買わないのに、こんな時ばかり買いだめする人。
きっと、そのうち腐らせますね・・。

困っている人は、ここにもいるんですよ。

不穏な日本の片隅で。

2011-03-15 22:20:15 | 訪問看護、緩和ケア
原発は異常事態で、ひっきりなしに最悪の報告を更新しています。
被災地の方々は、今なお飢えと寒さと被ばくの恐怖に苦しんでいます。
このままでは日本はやはりダメになるんじゃないかと、みんなの心に陰りがさしています。
最悪、日本は被爆国として、孤立してしまうのではないかと、本当に怯えてしまいます。

でも、負けちゃダメです。
日本はまだ頑張れます。
またしても、人のブログから教えていただいた元気の出るお話です。
泣きます。
 がんがれ日本!! 

頑張ろうと思います。

               


今日も輪番停電で、これないスタッフが一人いました。

ステーションは、今日も節電モードで暖房もなく、かなり暗い感じではありますが、待っていてくれる患者さんのために、スタッフは出来る限り自転車に乗って訪問していました。

いつもはマイカー通勤のスタッフの多くが、自転車で通勤しています。

(たった今、またかなり強い地震がありました。震度4の地震発生しました。今度は山梨!?
娘が大騒ぎしています。くらくらします・・・もうやだ。)

話は戻って、今日はとうとう輪番停電があると言う事で、18時20分からの停電に間に合うように帰宅しようと頑張っていました。

4件目の訪問に行ったスタッフから電話があり、通常訪問したところ、訪問して数分でMさんが息を引き取られたという報告がありました。
91歳の高齢で、骨折をきっかけに廃用症候群が進んでいて、このところやや体調を崩されてはいましたが・・。
朝は普通にお粥を少しとヨーグルトを少し食べ、娘さんの名前も言えていたようで、ご家族にとっても全く予測できなかったようです。

担当の看護師がいつものように訪問し、血圧が80切っていたので「あれ、ちょっと下がってきましたね」と言っているうちに呼吸がスッと止まったとのことです。
ご家族は、ずっと担当してくれた担当ナースに「あなたを待っていたんだね。」と言ってくれたそうです。
「私を待っていてくれたのね・・」

担当制は、いろいろ大変なことあるけれど、こういう言葉を聴くたびに、「やっぱりこれもありだなぁ。」と思ってしまいます。
信頼関係がしっかり出来上がっているので、こんな言葉を頂けるんですね。

でも、そこからが大変です。

エンゼルセットの持ち合わせもなく、ステーションに電話が入り、私が持って行きました。
なにしろ、輪番停電まであと2時間ちょっとなので、それまでに主治医の死亡確認と死後の処置を終えて、停電に備えないといけません。

とはいえ、Mさんお穏やかな眠るようなお顔を見ると、そんな気忙しい気持ちも吹っ飛んで、みんなでお別れの支度をしました。
献身的に介護をされてきた娘さん二人は「あっけないものねぇ・・」と涙ぐみながらも、素敵なパジャマを用意したり、あちこち連絡したりと大変でした。
ただ一匹、亡くなる直前までMさんの隣で丸くなって寝ていた猫だけが、所在なさそうにうろうろとしていました。

先生の死亡診断とお別れの挨拶が終え、Mさんをベットから布団に移すと言うので、ちょっと抱えてみたら軽いのなんのって・・。
腰が悪い私でも、難なくお姫様抱っこで移動することが出来ました。

そして、私たちもお別れをして、ステーションに帰るともう5時。

でも、肝機能障害からくる全身かゆみを訴える患者さんと、急激に悪化している臀陰部の糜爛の患者さんの相談がありました。
肝機能の方は、外用薬では取れない痒みであることが予測され、冷たいタオルもしくは熱いタオルで押さえたりしてみることをつたえ、辛いようであれば眠剤を使って様子を見ることにしました。

糜爛の方はかなりひどく、今日訪問した看護師がとってきた写真を見ると、臀陰部に小水疱や膿疱が混在し、しかも全身にも小丘疹が散在しています。
37度台の発熱も昨日から見られ、ちょっと放っていけない状況だったので、急な往診をお願いしました。
私的に、まさかとは思いますが「疥癬」の可能性も否定できず、判別をしてほしいなと思ったりして。

主治医は専門外なので、見てはくれましたが皮膚科医の診断を待ちたいとのことでした。
写真をメールで皮膚科医に添付して、あとは明日に調整と言う事にしました。

バタバタと店じまいをして、やっと家に帰ると娘がハンバーグの準備をしており、なんとさっさと焼き始めてくれました。
ラッキー!!
娘がいて、本当に良かった~。
まだ、ハンバーグとか玉子焼きくらしかできない娘ですが、これからもっとレパートリーを増やしてほしい。と願う母でした。

在宅医療がうける停電の影響

2011-03-14 22:29:33 | 訪問看護、緩和ケア
金曜日に地震があり、明けて4日目。

計画停電の報道で、相鉄線が止まり、スタッフ二人が出勤できませんでした。
(うちの夫も、結局通勤できず・・)

訪問も、電気が使えないと困る人を入れ替えたり、区役所と連絡をとりあったりと、かなりばたばたとした一日でした。
電気が来ないと困る人。

人工呼吸器のかたは、なるべく一時的に入院を勧めているようでした。
うちのステーションは、現在夜間のみNPPVを付けている方が一人だけなので、特に問題はありませんでした。

どうしてもバッテリーが必要な方は、東京電力からの貸し出しも受けられるようです。

在宅酸素は、各酸素会社が利用者に連絡を取り、予備のボンベを補給しています。

カフティポンプは、充電器の電池を交換しているので24時間は大丈夫ですが、たまにAV電源だけで使用している方がいるので、そこの確認だけ必要ですね。

吸引器は、バッテリータイプではないと吸引ができませんので、頻繁な吸引が必要な場合は、バッテリー式の吸引器をレンタルするしかないかもしれません。
この費用は、誰が負担するのでしょうか?

エアマットは、スイッチを切ってすぐに切れるわけではないのですが、あとで停電が終了しても、ケープのものはそのままで再度電源を入れなおさないといけません。

空気が漏れにくいものと、そうでないものがあるので、メーカーに確認する必要があります。

今日心配したのは、頚損の方です。
首から下は自分では全く動かせないのですが、日中は一人なのでもし変な形でエアマットが沈んで、掛物などが顔にかかっても自分ではどうにもなりません。

停電の予定時間前に訪問しました。
ボランティアのかたも来てくれたので、患者さんをリフターで釣り上げ、その間にエアマット(アドバン)を外して無圧布団と入れ替えました。
セッティングを終えてから排便ケアに入り、2時間かかって終わったころに奥さんも心配して戻ってきてくれました。

このかたは、これで計画停電が終了するまで過ごすことになります。(仙骨部の褥瘡が、やっときれいに治ったところなので心配です。)

また、胃瘻の注入をされている方は、ベットを上げて注入中に電気が止まると、今度は下げられなくなります。
朝夕に停電すると、この注入が大変になります。
車椅子に移動して、長時間過ごせる方ばかりではないのです。
半固形化注入であれば、時間調整がもう少し楽かもしれませんが、滴下で注入する場合は、注入から終了してしばらく置くので、1時間から2時間かかる場合もあります。

こういう事が起こって、初めていろんな問題がわかります。

ステーションは、朝から照明も半分以下に落として、計画停電を待ちましたが、肩透かしを食らったように何もなく終わりました。
それでも、はっきりしない報道に振り回され、夜には停電に「なるかも知れないし、ならないかもしれない。」みたいな発表に苛立ちながら、そうそうにステーションを後にしました。

電車が止まることで車の利用が増え、そのためにガソリンは売り切れ、道は渋滞で動かなくなりました。
歩いて通勤する人や、バイクや自転車に乗る人がやたら目立ちます。

電気が使えず、寒さが来ると言う事で、灯油も売り切れ・・。
(私は、たまたま昨日の昼にガソリンや灯油を買っておいたのでラッキーです。)

店はどこも電気を半分以上消して節電体制ですが、困ったのはスーパーがどこも短時間しか営業せず、しかも中身は空っぽでした。
パンや惣菜はもちろん、カップラーメンからスープから、レトルト食品から野菜まで、ものの見事になくなっています。
さらには、トイレットペーパーやティッシュも完売。(オイルショックじゃないんだから・・。)
それから電池。特に単一がありません。
ガスボンベもない。びっくり・・。

流通さえちゃんとしてくれれば、こんなに物がなくなるなんてあり得ないと思うのだけれど・・・。

こうなると、外出ができない独居の方は、何も食べるものがなくなるのじゃないかと・・・。

ベットから立ち上がっては、転倒を繰り替えしてるYさんの担当は、今日は布団を敷いてそこで寝るようにセッティングしました。
停電したら、そこから離れない事をお約束し、懐中電灯を枕元に置いて帰ってきました。

とにかく不安は尽きませんが、こういう経験も必要だと感じました。

それに、東北の人たちの苦しみに比べたら、こんなものなんでもないですよね。

今日もまた、原発がかなり危険な状況を告げています。
赤いランプがくるくる回って、警報音が響き渡っているような情景が目に浮かびます。
本当に怖いです。本当に大丈夫なのか、疑ってしまいます。

とにかく、原発に関しては世界中から専門家を収集して対処してもらいたいですね。

計画停電をどう乗り切るか?

2011-03-13 21:33:30 | 東北地方太平洋沖地震関連
明日から、とうとう計画停電が始まりますね。
3時間程度の停電で、少しでも東北の人たちに電気が送れるのなら、少しぐらいの不便は何ともないのですね。
ただ、患者さんで心配なのが酸素、ポンプ、人工呼吸器、エアマットなどです。
頚損で排便ケアのかたが、さっそく心配して「エアマットの切れる前に排便よろしく」って電話がありました。
独居の方も心配です。

明日はまず、その辺の調整から始めないといけませんね。

さっき、市の訪問看護連絡協議会の鶴見のマロンさんから電話があり、各区の停電時間を調べてくれているとのことでした。(さすが!頭が下がります。)
FAXも頂いたので、区内のステーションに回すつもりです。

うちのおじいちゃんに、懐中電灯用意しといてって言ったら「ないよ。手動のやつしか。いいよ、寝ちゃうから。」という楽観的なお答え。
おばあちゃんなんか、ノーコメント知らん顔です。(今日は朝から超不機嫌なので・・)
びっくり。
「夜十時まで真っ暗になるよ。トイレだって困るでしょう?」
「そう?」
「・・・」
とりあえず、LEDライトのスタンドを一個貸し出し、階段の上り口(一階のトイレもあるので)に懐中電灯をぶら下げ、食事はキャンプ用のランタンを使う予定です。
電池のミニランタンランタンが二つ、ナイトダイビングに使っていた強力ハロゲン懐中電灯が一つ、私が常に持ち歩いているミニハロゲンライトが一つあります。
子供たちは、アイポットタッチを懐中電灯モードで使うようです。

明日は、初めての計画停電。
心配なのは、蝋燭を使っての火災が起きるのではないかと言う事。
ダメって言っても、準備がない人は使っちゃうかもしれませんし・・。
とにかく、国中で協力しないと!
東北の人たちに電気を送らなきゃ。


震災の被害は、ますます悲惨な状況を伝えています。

原発も被爆者まで出してしまい、これは世界的な問題になっています。

そして、いまだ行方が分からない人たちが1万人を超えている現状です。

愛するご家族と離れ離れになり、安否がわからない方や、亡くなってしまった方のことを思うと、胸がつぶれる思いです。
一人でも安否が確認され、生きて戻ってこられることを願っています。

その中で、世界の日本に対する見方が、わかってきました。

もしかしたら、日本は世界の置いてきぼりになっているのかと思いきや、実はそんなことはないのだというコメントがたくさんあるそうです。
日本人の勤勉さや、強さや、律義さ、底力を信じて応援してくれていることがわかります。
改めて、どういう評価を受けているのかがわかるブログを見つけました。「地震で改めてわかる日本人のスゴさ!」という題で海外のコメントが紹介された内容に、涙が出ました。

日本は、頑張れるのだと確信しました。

テレビでも言っていましたが、外国の人たちが一番驚いたのは、「これだけの規模の大地震に見舞われたら、ほかの国ならもっと、とてつもない被害と混乱を招いたであろう」と言う事だそうです。
もちろん、今被災されている方にとっては、とんでもない話ですが、日本人がこれほどまでに地震や津波に対して手を打っていなければ、この何十倍何百倍の被害になってただろうと言うのです。
そして、冷静で周囲をきずかい、お互いを励ましあい、我慢強く秩序を守る国民性に簡単の声が上がっているのだそうです。
たしかに、津波やハリケーンのあとに、略奪や暴動が起きたり、物資の横流しがあったりする国が多い中、日本人はお互いを支えあって頑張っています。

すごい国なんです。

きっと今度もこの苦しみや悲しみを乗り越えて、また一から立ち直る力があるのだと信じています。

少しでもできる協力をして、東北の人たちを応援したいと思います。
頑張りましょう!!

地震翌日

2011-03-12 20:31:44 | 東北地方太平洋沖地震関連
横浜市内でも、ビルの上は相当揺れたようです。
神奈川新聞社内の映像は、その激しさを物語ります。

今日になって、宮城三陸町では1万人の安否が不明だと言っています。
発見される遺体も200人とか300人の報道が時間を追って入ってきます。
あまりにも酷い。おびただしい数の人の死亡が当たり前のように伝えられています。
街がいくつも一瞬で消えてしまっています。
揺れてから、津波が来るまで数分だったようですね。
逃げる間もない・・。
地震大国で、十分地震対策は考えていたはずなのに、全く自然の驚異の前には、人はなすすべがないのでしょうか?

命からがら逃げた人が、家族の名前を叫びながら町をさまよっています。
耐えられない。

なんとか、一人でも助けてほしい。

そして今日は、福島の原発が爆発し、炉心融解の可能性があり、放射能が高濃度に周囲に検出されているといいます。
記者会見では、歯切れの悪い何か隠しているのでは?と疑わせるような対応。
千葉では、石油コンビナートが爆発炎上しています。
私にも、子供たちにも、不気味なチェーンメールが回ってきます。

「チェルノブイリ」

まさか・・。
本当に恐ろしいことも、考えざるおえません。

この辺でも電話はまだまだ通じにくい状況ですが、それでも固定電話はほとんど通じるようになりました。
ただ、携帯電話がかなり通じにくい。

昨夜は、携帯ではほとんど連絡が取れませんでした。

訪問看護ステーションも、往診医も連絡は皆携帯でやっていました。

けれどそれが機能しないんです。

実は、緊急電話や医師に何回も電話をかけていた方がいます。

昨夜から下血を繰り返し、激しい痛みを訴えている義母のために、ずっと電話をかけ続け、夜遅くにやっと緊急電話に繋がったそうです。

当番の看護師が担当者でもありましたので、医師には連絡がとうとうつかなかったものの、何とか緩和を図って乗り切りました。
今朝、家電にそのスタッフから電話が入り、私はPCメールで先生に連絡を取ろうとしました。
そのメールはクリニックの事務の目に留まり、グーグルカレンダーに転送されましたが、それでもなかなか連絡が取れずにいました。そして、午後になってやっと携帯がつながり、往診に行っってもらえました。
痛みの緩和も図られ、とりあえずはホッとしました。
その間、私と担当者とでご家族への連絡を取りながら、少しでも安心していただけるようにしていましたが、ご家族も本人も心中穏やかではなかったと思います。

医師も、電話が通じずに本当に大変だったとのことで、今日の指示をメールでくれました。


今回困ったこと。

1.電話がつながらない。緊急電話が機能しない。
  *メールも時間がかかる。
  *携帯はまったく繋がらなくなる。スタッフの安否もわからなくなる。
2.道路の渋滞がひどく、思うように安否確認ができない。
3.誰を優先に安否確認をするのか。
  *ケアマネが安否確認をするのか、訪問看護でするのか。

安否確認に関しては、基本的に近いほうが行くべきだと思うので、最初の契約時にその辺の取り決めもしたほうがいいですね。
ただし、今回はこの程度で済みましたが、宮城や岩手を考えると、自分が生きているのかさえ疑問ですね。
電話に関しては、訪問看護の緊急電話を災害時の優先ダイヤルにしてもらえるのか、団体として訴えていかないといけないですね。
ただ渋滞なんだったら、自転車でもいいでしょうが、路面の異常や余震を考えると、安否確認も危険なので、災害対策本部に独居老人や病状の悪い方などの情報提供が必要ですね。
もっともっと具体的に詰めなければならないことが、たくさんあると思います。


ちなみに、うちの近所の写真です。
   

隣が幼稚園なので、もしこの横を子供が歩いていたら・・と思うとぞっとします。

そして、今日の昼ごろの雲です。
飛行機雲ではないと思います。
  

これが地震雲かどうかはわかりませんが、午後3時ごろでしょうか、下からドンと突き上げるよな短い地震がありました。
たった今も、横揺れの小さな地震が繰り返し来ています。

とても、気持ちが悪いです。

油断をせずに、皆さんも気を付けてくださいね。