こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
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3月も終わる。

2013-03-31 12:02:32 | 草、花、収穫
昨日は、噂に聞いていた隣町大和市の千本桜を見に行ってきました。

高座渋谷のジャスコに車を止めて、うららとトコトコ引地川を目指します。
駅周辺には「千本桜・花の寺浄泉寺はこちら」みたいな看板がいたるところに立っているので、それを見ながら歩きます。
やがて、住宅街にはいると、まず花の寺「常泉寺」に行き当たります。

そこから引地川へ向かってしばらくあるくと、千本さくらの始まりに行き当たります。

散り際の桜が、川面もみちみ桜色に染めて、今年最後の桜の競演を見せてくれました。

        
 
                

川べりは遊歩道になっていて、そのあちこちに花見を楽しむグループがいて、バーベキューをしたり、歌を歌ったりと楽しんでいました。



引地川の水は思いのほか澄んでいて、鯉はもちろん小魚もいるのでしょう、真っ白なサギが川の真ん中で餌をとっていました。

桜とサギはとても美しくて、散歩する人たちは立ち止まって、思い思いにシャッターを切っていました。

            

桜ヶ丘の近くまで来たところで、折り返してジャスコまで戻りました。

途中、高座渋谷の線路沿いを歩いていると、なにやら線路の中にツンツンとたくさんの声出みたいなものが突き出ているので、近くに寄ってみたら、なんとそれはつくしでした。

線路脇から線路の仲間で、ものすごくたくさんのつくしが、それは元気に空に向かって背を伸ばしていて、ちょっとびっくりしました。
こんなの見るのは初めてです。


あすから4月。
年度も変わり、今年もみんな無事で過ごせますように。

ピンチヒッター

2013-03-30 22:06:33 | 訪問看護、緩和ケア
うちのステーションは、原則受け持ち制なので、担当と患者さんの関係性がいいほど、ピンチヒッターで行った時に、思わぬ反応が来ることがあります。

夜間と呼吸が苦しい時に、マスク式の人工呼吸器を装着している患者さんに、先日ピンチヒッターで伺いました。
とても我慢強くて、かなり頑固な反面、周囲への気遣いをされる方なので、数人のスタッフがチームで対応している患者さんです。

私は、カンファレンスや相談など、ケア以外で関わることが多かったので、呼吸器に関してはノータッチでした。

人工呼吸器といっても、鼻と口を覆い密閉させるマスクを装着するものなので、使わないあいだは移動も問題なく、食事も取れるしおしゃべりも問題ありません。
操作も簡単で、空気がもれないようにマスクをつければいいだけなのです。

ここで私が失敗したのは、声かけです。

訪問中マスクを付けようということになったとき、「○○さん、私ピンチヒッターだから、一応マニュアル見ながらつけさせてね。」と言ってしまったのです。

すると、「あ、じゃいいよ。大丈夫。つけなくても苦しくないから。いいからいいから。」と言われてしまいました。

「いや、肩で息してるしつけましょうよ。簡単に付けれるし、一応久しぶりだから確認しながらと思っただけで、大丈夫だら。」「いや、本当に大丈夫。別に付けないで過ごすことはしょっちゅうだし。娘が夕方には帰ってくるから。本当にいいよ。それより首が辛いからそっちをやって。」

どうやら、マニュアル見ながらじゃないとつけられないなんて、危なっかしい!と思われたようです。

うーん。余計なことを言ってしまった・・。

だまって、確認しながらやればよかったんです。
こういうちょっとした言葉で、患者さんの不安を煽ってしまうんだなと、改めて反省しました。
彼の性格をわかっていながら、ダメだなぁ〜私。とちょっと凹んでしまいました。

まあ、バイタルも安定していたし、SPO2も問題なかったので、呼吸筋のストレッチやROM、軽いマッサージをしてリラックスしてもらいました。呼吸も安定していてほっとしました。

患者さんの前では、不安げな言動をしたり、あやふやな態度をとったりしないよう、スタッフにはいつも言ってるのに・・。

その言葉をどう受け取るかは、人によって大きく違いますよね。
人によっては、「マニュアルを見ながら、指差し点検をしているなんて、慎重で安心できる。」と思う人もいると思いますから。
患者さんの性格や、いつもの対話のなかなから、私たちは声かけをしないといけません。

反省です。

で、昨日はといえば我がステーションの歓送迎会があり、2次会はカラオケへ繰り出しました。

私は、緊急当番のナースSAのピンチヒッターで、昨日の夜から一晩当番を交代することになっていました。

カラオケに行き、最初の曲をこれから選ぼうという時に、緊急電話が鳴りました。

相手は、発熱で入院されていて、今日帰ってきたばかりの患者さんの奥様でした。

IVHの液を交換してまもなく、カフティポンプの空液アラームが鳴りだしたとのこと。

チューブの中は空気がたくさん入っていますか?と聞くと入っていて自分ではどうにもならないとのこと。
もともと介護されている奥様はご高齢でもあり、液の交換はなんとかできるものの、それ以外のトラブルに対する指導は難しく、何かあれば緊急電話ということになっていました。

そんなわけで、緊急当番ピンチヒッターの私は、カラオケボックスから一人タクシーを走らせ、ルートを交換し、そこから約20分ほどの道のりを、一人とぼとぼと歩いて帰りました。

「終わったら、折り返し帰ってきて〜!」という見送りの言葉には、とてもお答えできない私でした。

ピンチヒッターは、いろんなことがありますわ。(^_^;)

療養中の旅行をどうする?

2013-03-28 22:11:56 | 訪問看護、緩和ケア
病院から、緩和ケアを目的に在宅に戻られた患者さんの中には、旅行を目標に頑張ろうという方が少なからずいます。

先日は、「タイの息子の家に行きたい!」という方や「沖縄の娘の家に行きたい!」という方がいて、「みんなで応援しますよ。是非行きましょう!」と言ったばかりです。

今までも、箱根や伊東、熱海ぐらいなら「いってらっしゃーい(^^♪」「いってきまーすo(^▽^)o」ぐらいで行ってもらっていたのですが、今回ははたと考えました。

もしかしたら、お一人は酸素をはじめるかもしれない状態だったので「飛行機に乗るのに、酸素ってどうするの?」と思いました。
飛行機はクリアできたとして、現地での調達どうするの?
国内は問題ないけど、海外、特に東南アジアなどの奥地とかは大丈夫??

そう考えると、IVHの人は滞在日数分輸液を持っていくのかな?
針や液状の薬剤を持って、出入国面倒じゃないかな?

透析も海外でできるのかな?

まあ、考えたらキリがないので、とりあえず酸素をどうするのか調べてみました。

各航空会社に事前に連絡をいれ、診断書を出す必要があります。
持ち込める酸素はボンベですが(液体酸素は不可)数本で、航空会社でのレンタルも可能です。(ボンベ1本1万円くらいする!)
滞在先での酸素も、事前に酸素の会社に連絡をしておきます。
海外に関しては、用意してもらえるところとそうでないところがあるかもしれないので、よく確認が必要ですね。

また、慢性の呼吸器疾患の人は、かかりつけの先生によく相談するほうがいいですよね。
ただでさえ低気圧がくると苦しくなるのだから、その片は要注意です。

先進国なら問題ないことでも、僻地となるとよほど根回ししないと、大変かもしれません。


というところで、話は変わります。

今日、仕事の合間に瀬谷の名所、海軍道路の桜のトンネルをくぐってきました。

全長3kmの直線道路に、約600本の桜が植えられています。
元軍事施設なので、周囲も高い建物もなく、原っぱとのどかな田園風景です。
一時は、世界中の情報を盗聴するためのアメリカ海軍の通信基地でした。
今は返還されることが決まり、その使い道を検討しているとのことですが、とにかくこのままにして欲しいという区民は多いです。

それでは。


                  
                
                      

遠目に見える桜並木は、薄桃色の霞のようです。

春が来ましたよ。

あれこれ考えて試してみる。

2013-03-27 22:35:37 | 訪問看護、緩和ケア
看護師は、昔からあるもので工夫したり、作ってみたりするのが好きな職種なんじゃないかと思っていました。
でも、それは私くらいの年代だけなのか、もしくはその人の趣味的な話なのかもしれないと、最近思います。

昔は、病棟でも寝巻きを改造してみたり、看護物品を作ったり試したりして、それを看護研究として発表したりしていました。

でも、最近は私たちが考えるまでもなく、いろんな便利物品が商品化されていて、私たちは選べばいいだけになっているような気がします。
でも・・本当は、患者さん一人ひとりにとって、「これがあったら便利なのに。」っていうものがたくさんあります。
たとえ、商品化されていても、それを購入できる余裕がなければ、それに代わるものを必要とするわけです。

私は物を作るのが、どちらかというと好きです。

ステーションにミシンを持ち込んで、随分といろんなものを作りました。

その患者さんのためだけの介護用品などです。
このブログでも随分と紹介しましたが、物を作るだけでなくても、処置の仕方や代用品の捜索なんかもやっています。

今、スタッフの相談を受けながら、一緒に考えているものがあります。

肺膿瘍の患者さんは、年に二人くらいお引き受けしますが、その殆どの方に背中や腋窩に、術後の開放創があります。

ぽっかりと肺のあった部分に穴が空いているのです。

そして、その穴の奥からは呼吸とともにシューシューと空気が漏れますし、咳をするとそこから痰が飛び散ります。
つまり、気管支の断端が露出しているのです。

そこに、バラガーゼを何枚も入れて、さらにガーゼやシートで覆っていきます。
人によっては、吸引しながら中を洗浄することもあって、下手をすると口から液が出てくるともあります。
なので、この肺膿瘍の術後の瘻孔の処置は、とても気を使います。

B雄さんは、この瘻孔がかなり大きくて、気管支のだんたんがぽっかり口を空いていて、周囲の欠損した皮膚も糜爛し、ガーゼを10枚くらい詰め込んでいる状態で退院しました。
背中の一部に大きな穴があいているのです。

奥さんの手技確認をしながら、退院後は週に二回看護師が訪問してケアをしていました。
そして、日を追うごとに肉芽が上がり、B雄さんもみるみる元気になり、奥さんの代わりに家事までこなすようになりました。

でも、気管の断端は口を開けたまま、どうしてもそこだけはふさがらず、やがてそこからエアが漏れることで、声が出にくくなりました。
ほかにも、いろんな症状でせっかくのB雄さんの生活範囲はどうしても制限されてしまいます。

ADLが上がったぶん、活動的になることで、詰めたガーゼが動いてしまい、空気が漏れてしまうのです。

いろんな方法を試し、固定法も変え、固定用の絆創膏を変え、フィルム材も高価なものを使ったりもしました。
でもうまくいかないのです。
皮膚がかぶれたり、空気が漏れたりと、うまくいきません。
主治医にも何度もお話しましたが、これといって解決策がないまま過ぎていきました。
中でずれなければいいかと、煮沸したスポンジ用のものを、ガーゼにくるんで入れてみたりもしたようです。
でもうまくいかない・・。

例えば、組織欠損を補うようなシリコン性の型などを入れる方法はないのか、このままではせっかくQOLの質が向上してきたのに、再びもとに戻ってしまいます。

病院連携室に、そのことをお伝えすると、連携室ナースも一緒に考えてくれることになりました。
今、いくつか案があります。

これからそれを、試しながら解決していきたいと思います。
しょうがないじゃなくて、諦めず考えること。

B雄さんの生活が、より楽しく、充実する日まで、みんなでいろいろ考えていきたいと思っています。

家族の想い、看護師の想い。

2013-03-26 23:10:56 | 訪問看護、緩和ケア
在宅で緩和ケアをしていて、いつも辛いさせてしまうのが、癌性腹膜炎による腸閉塞状態で起こる激しい吐き気と嘔吐です。

消化管の癌や転移などで、腹膜播種があったり腫瘍による通過障害が起こると、まず食べられなくなるし、そのあとには吐き気と嘔吐で眠ることさえできなくなります。

この頃から、経口での服薬も厳しくなるし、体力的にも厳しくなってくるので、ご家族の不安や心配もピークになってくるのです。
もちろん一番辛いのはご本人なわけで、吐いて、吐いて、吐いて、何も出るものがなくて黄色い胆汁だけがこみ上げてきたりします。

眠りたいのに、吐き気が続くので、みるみる痩せてきますし、動くのも辛くなります。

A子さんも、そんな状態が週末から続いていて、ナウゼリン座薬をいれてもあまり効果がありません。
一度マーゲンチューブを挿入して減圧を図りましたが、チューブの違和感はとても耐え難く抜去しました。
点滴にプリンペランを入れて落としている時だけ、少し楽になるようです。

そんなA子さんの訪問から帰ってきた担当ナースから相談がありました。
「週末、とても苦しんでしまって、どうやっても吐き気が止まらないんです。ご家族が『在宅療養で緩和ができるって聞いていてのに、ちっとも楽にならないじゃないですか!?なんにもしないでただ苦しんでいるのを見ているだけなんて、耐えられない。なんとかならないのなら、入院させてください!!』といって、泣いて訴えられたんです。私はどう答えていいかわからなくて、何もしてあげられないし、すみませんって言って、帰って相談しますって言って帰ってきたんです。もう、私もどうしてあげればいいのか・・。何もしてあげられなくて・・」
目に涙をためて話す担当ナースは、まだ訪問看護師になって半年ほどのスタッフです。
いつも一生懸命で、訪問看護をやりたくて入植したスタッフなので、同年代のこの患者さんに対しての思いもかなり強いものがあります。

<そばにいても、何もしてあげられない。訪問看護師だなんて言っても、全然楽にしてあげれれないじゃない。>

看護師なら誰もが思うことだし、特に訪問看護師は在宅という環境の中で、1対1で向き合う時に自分の無力感を思い知らされる瞬間でもあるのです。

けれど、「あなたに、そういう辛さをぶつけてくれたのだからよかったじゃない。この週末は、それほど本人も、ご家族も辛かったのね。うん、話してくれてよかった。」
言われてしまったことにうまく答えられず、落ち込んでいた彼女ですが、きっと辛さをぶつけられる人として受け入れてもらえたのだと思います。

ただ、「すみません。」は違うよ。あなたが悪いわけではないし、すみませんは何も出来ませんと同じになっていまうから。そんな話をしました。

そばにいるのって辛いね。向き合うって辛いね。

今出来そうなことを整理して、もう一度そのことをご家族に伝えてみることにしました。

「本人は、どこにいたいのか。」は再度確認すること。

スタッフのそばで、ご家族に電話をしてみました。

がん性腹膜炎の吐き気はとてもコントロールが難しいけれど、先生にどうしてもらいたいかを、ちゃんと伝える必要があるということ。
病院では、一般的にはイレウス管という太くて長いチューブを十二指腸の先まで入れて、減圧をすること。
けれど、これはとても辛い処置だということ。中には、慣れて自分でピストンで内容物を吸引する人もいること。
がん性イレウスに対して持続的に使う薬があるけれど、その適応になるかどうかは医師が判断するので、点滴による緩和治療を主治医に希望してみること。
また、ここ数日で経口摂取ができなくなったけれど、今後ポートなどを造設して栄養と水分の管理もしながら、少しでも長く生きる道を選ぶのか、そういうことはしたくないのかを、本人と話し合って主治医に伝えること。

などをゆっくりと伝えました。
ご家族は、イレウス管の経験者で「あれは絶対だめ!辛すぎる!」とのこと。
内容はもう一度本人と話し合って、ちゃんと伝えるということになりました。

事前に、往診医にも流れを伝えてあり、夕方には行ってもらえるようになっていたので、そこで主治医とも話し合いが持てることになりました。

結局、ポートを造設するために、数日後に1日入院をすることとなり、それまでにサンドスタチンの皮下中が開始になりました。

翌日、持続的だった吐き気が止まり、まとまった時間ぐっすり眠ることができました。
さらに、シャワーにも入ることができて、久々に彼女に笑顔が戻りました。

担当な看護師も、ほかのスタッフもみんな「よかったー!!」と喜び合いました。

これも、長くは続かないことは分かっているけれど、まだ諦めてしまうには若すぎて、残す思いが強すぎて、なにより生きていたい思いが強い患者さんに、「なにもしない。」選択はないと思うのです。

残された時間は僅かです。
だからこそ、少しでも穏やかに、そして今しかできないことをやり遂げて欲しいと思っています。

「今回、私たちに辛い思いを話ししてくれてありがとう。何もしてあげられないかもしれないけれど、先生への橋渡しぐらいはできるし、そばにいることはできるから、また苦しかったいつでも話してくださいね。」というと、ご家族が言ってくれました。

「ありがとう。先生にはやっぱりうまく話せないのよね。忙しそうだし、身構えちゃう。でも看護師さんなら言えるの。本当に大変な仕事よね。私ならできない。とても向き合えない。これからもよろしくお願いします。」と。


今回のことで、担当ナースも随分と悩んだし、凹んだし、泣いたし・・
でもきっと、ここを乗り越えて、逃げずに向き合うことを学んでくれたと思います。

とっても頼りになるスタッフがちゃんと育っているなぁ・・。(#^.^#)

春爛漫を感じる!

2013-03-24 22:34:51 | 草、花、収穫
先週行った、矢指の森から追分の森のルート。
まだ桜は早く、菜の花も7分咲きくらいだったので、今日もう一度行ってきました。

いつもは、近くまで車で行って、聖マリアンナ横浜西部病院の裏から歩き始めるのだけれど、今日は東野まで車で送っていもらい、そこから瀬谷市民の森に入り、瀬谷高校のあたりに出て、さらにいつもの森に入っていくルートを取りました。

瀬谷市民の森も、気持ちよく整備されていて、木立がとても綺麗だったし、ほとんど貸切状態の森を、ストレスなくうららとあるいてました。

    
                         

森の中は、ところどころお日様が陽だまりを作っていて、鳥の声が空高くから降ってくるようで、とても神聖な気持ちになります。

近くに住んでいても、森の中を歩く機会は少なくて、瀬谷市民の森の中も、こんなにあちこち探検しながら歩いたのは初めてです。

瀬谷市民の森を出て少しすると、野境道路に出ます。

西部病院前の野境道路は、既に満開の桜トンネルになっていました。

そして、矢指市民の森を抜けて追分市民の森に出ると、そこはもう春爛漫の山里の風景です。

以前より菜の花畑は少なくなっているような気がしますが、季節ごとの花を植えているので、順番があるのかもしれません。
いずれにせよ、とても気持ちの良い、美しいのどかな風景がそこにありました。

            

菜の花もすでに満開で、黄色い色はさらに輝いて、菜の花の絨毯が広がっています。

ソメイヨシノも満開で、山桜や緋寒桜や桃の花がピンクのグラデーションになっています。

そのピンクのグラデーションの後ろには、黄色の絨毯が見え隠れしているのです。
                    



少し農家の方のに歩いていくと、もうひつつ小さな菜の花畑があって、そこからは逆に菜の花越しに緋寒桜や桃の花が見えます。

               


さらに真っ白な雪柳も植えられていて、そこに腰をおろしてしばらく風景を見ていました。

うららは何を見ているのか、何を感じているのか、気持ちよさそうに遠くを見ていました。



ふとしたに目をやると、つくしもたくさんで得いました。
やっぱり春ですね。

桜は、たくさん咲いているのもきれいだけれど、畑の端っこや、山の中腹や、丘の上にぽつんと一本だけ咲き誇っているのも大好きです。
          
何というか、凛として美しい立ち姿でありながら、どこか遠いところに来たような郷愁を誘います。

ちなみに、これは緋寒桜だと思って見ています。(奥はソメイヨシノだと思います。)
        

で、これは桃でしょうか?

そのへんの違いが今ひとつよくわかりません。

帰りは、再び矢指の森を抜けましたが、そのあとは瀬谷市民の森を道路沿いに出たり入ったりしながら、東野に抜ける道を歩きました。

     
この道は、車で走っていても気持ちのいい道です。

結局帰りは家まで歩いて帰り、約7500歩のお散歩となりました。

これから、新緑の季節もまた綺麗ですよね。

嫌なこと、気に病むこと、イライラすること、どうにもならないこと、そんなことがってもこんなふうに木々のあいだを歩いたり、花をみたり、遠くの山を眺めたりしていると、自然に心が穏やかになってきます。

森の中にいると、そういう悪い気みたいなものが、浄化されようような気がするのです。

ナウシカのように、強い命の鼓動を大樹の幹から感じられたらと、いつも思ってしまいます。

春は、命の始まりです。
これからまた、新たな困難にも立ち向かう、勇気とパワーをもらえた気がします。




終わりもあれば、始まりもあるね。

2013-03-21 23:21:19 | 日々のあれこれ
長いことお付き合いいただいた患者さんと、いろんな形でおわかれになって、また新しい患者さんに出会う。

出会いから別れまでの時間は、何年にも及ぶ人もいれば、1日だったり数日だったりの人もいる。

たとえ短くても、その時間の中で向き合って得たものは、ものすごく重かったり、ものすごく心に響いたりして、何年経っても忘れえぬ患者さんはたくさんいる。

サクラの季節が近づくと、10年近く前に出会った、ある患者さんの笑顔を思い出す。
最初から、私は彼女と話をすると、たわいもない話なのに涙が止まらなくなってしまった。
今の私より10歳くらい上だったか、彼女は早くに親をなくし、妹を親代わりで育て、学校を出し、その妹の子供も大学を卒業させた直後に病気になった。
公営住宅にひとりで暮らす彼女の部屋は、いつも綺麗に整頓されて、気持ちの良い部屋だったし、そこで笑顔を絶やさず、凛として死をまつ潔さが、ほんとに美しくて、そこにいるだけでわけもなく涙が出てしまう不思議な人だった。
これは私だけでなく、そこに訪問した看護師は皆同じことを言っていたので、それが彼女のカリスマ性だったのか、にじみ出る人柄だったのかはわからない。
けれど彼女がこの世を去ったあとも、ずっとこの季節になると思い出す。

会って、分かれての繰り返しなのかな、人生は。
そしてそれが積み重なっていくことで、私たちは成長していくのかもしれない。

出会いではないにしろ、思いもよらぬアクシデントや、とても苦しい出来事に遭遇して、ぐちゃぐちゃになって、でもその苦しみやアクシデントも、やがて行き過ぎて平穏が訪れる・・とおもうとまた、次の問題が降りかかってくる。

そしてこれも前に進むしかなく、嫌でも成長するしかないわけで、人生は山あり谷ありなんて言葉が、そのまま当てはまってしまう。

ただ、すごく辛くて苦しいときに、絶対にこの苦しみは終わるし、未来の幸せのために今の苦しみがあるのだと思えるのは、やはり幸せなのかもしれない。

そうそう、今はドラマもみんな最終回になってしまって、4月からは新しいドラマが始まる。
昨日「相棒」の最終回がなんとビデオに撮れてなくてショックだったのので、今日の「最高の離婚」は、カウントダウンして待っていたので、なんだか、シアワセな感じの最終回が見れて、少し気持ちが穏やかになった。

なんだかとりとめのない話で、お付き合い下さった方はごめんなさい。
テーマと全然合ってないし(^^;

春先のちょっと肌寒い夜に、ぼんやりそんなことを考えていたので・・。

菜の花を見に行く

2013-03-20 23:21:01 | 草、花、収穫
今日は、娘の高校の卒業式。
金髪の子や紫の髪の子もいてびっくり。
卒業式といったら、私たちの頃は、指の先まで指導されて、みんなカキコキロボットみたいに動いていたきがするけれど、なんだかゆるーい感じで卒業証書授与が行われていました。(^_^;)

でも、子供たちの合唱は心にこみ上げるものがあったし、卒業生退室の時クラス担任の前で、ホストみたいなチャラ男くんの「○○先生、ありがとう!」って声に、ほかの生徒も一斉に「ありがとう!」って叫んだりして、それが各クラスあってちょっとグッときました。(いきものがかりの「エール」がBGMだったので余計に。)
女の先生たちは、生徒のありがとうにぼろぼろ泣いていて、なかなかいい卒業式だったのではないでしょうか。

娘はそのまま学校にしばらく残るというので、一人で帰宅してからうららをつれて、夫と矢指の森へ散歩に行ってきました。

ここは、春爛漫にいくと桃源郷みたいになっているところですが、今日は若干早かったので桜はまだ3分咲き。
菜の花もあとちょっとって感じでした。
しかもなんとなく薄曇りだったので、スコーンという感じはないものの、やっぱり気持ちのいいのどかな風景がそこにありました。

西部病院の裏、瀬谷高校入口のあたりから森に入る道があります。


                      


森の大好きなうーちゃんは、クンクンしながらたったと歩きます。

森を抜けると菜の花畑の黄色い絨毯が見えるてきます。
                 
今年はまだ、菜の花も7分から8分咲きですが、それでも綺麗。
うーちゃんもクンクンしています。 

丘の中腹に満開に咲いているのはもも?桜?

どちらかよくわかりませんがこれは見事に枝を広げて咲き誇っていました。

そして、このあたりもまだこれからという感じ。



でも、大きな花ばかりじゃなくて、実は下草のようになっているホトケノザの花は満開で、薄紫の花が絨毯みたいに広がっていました。
                        

来週末には、きっと春爛漫の山里の風景を見せてくれると思います。

作業所の健康調査

2013-03-18 21:36:41 | 訪問看護、緩和ケア
例年、地域にある知的障害者の作業所にほうもんして、健康相談をやっています。

検診結果があるだけで、あとは一人一人と面談して、担当者やご家族の健康上の相談に乗っています。

知的障害者の作業所といっても、軽度者の方が多い施設から、重度の身体障害を伴う施設まであります。

その作業所ごとの傾向もあり、なかなか面白いなと思っています。
毎年行っているとだんだんと馴染みの顔が増えて、1年ぶりとは言っても「あら、○○さん、今年もマラソンできたの?」とか「○○さん、もう30歳になったの?!」などと勝手に声をかけています。

その中でも、重度の方が多く通う作業所では、身体障害や内部疾患も合併されている方が多いので、健康相談といっても、とても慎重になります。
お母さんやお父さんが同伴されることも多く、担当の職員さんもとても熱心なので、ついつい私も力が入ります。

ここで問題がある場合は、なるべくスムーズに医療機関につなげられるよう病院をご紹介したり、なるべく負担のない方法をご紹介したりしていますが、これがなかなか難しいのです。
親御さんが一緒に来て相談される方もいれば、ご高齢でとてもそんな余裕のない方や、あまり聞く耳を持たない介護者の方もいて、そこをどう動かすかが問題になります。


健康診断の結果を見ていると、時々ヘモグロビンA1Cが、8とか9とか10なんてことがあって、「医療機関にかかっていますか?」と聞くと「いいえ。」と返ってきたりします。
総じて、ジュースや缶コーヒーを好まれる方が多く、一日に何本も飲んでしまい、は止めが効かなかったりするようです。
ジュースやビタミンドリンク、缶コーヒーなどで砂糖が入っているものは、かなりの量が入っているので、それを毎日1.5リットルとか飲んでいれば、そりゃあ体重も血糖値もあがります。

女性には、かなり貧血の進んだ方もいて、婦人科系や内科への受診を進めることも多くあります。

先日は、胃瘻の管理で悩んでいるお母さんと、30分以上話し込んでしまい、かなり時間を押してしまいました。

去年、胃瘻からの滴下注入前後に、かなりゼロゼロしてしまうとの相談を受け、半固形化での注入を試してみたらと提案した方です。
その話を受けて、お母さんは通院先の病院にやり方を教えて欲しいと言ったら、「これでとろみをつけてピストンで注入しなさい。」と言って、とろみ剤の「つるりんこ」を渡されたそうです。

「これでやっています。」とみせられた「つるりんこ」にびっくり。(゜д゜lll)
「これでゼロゼロ落ち着きます??」と聞くと「ぜんぜん。変わらないので、最近はあまりしません。」とのこと。

そりゃあそうです。

これは、ただのとろみ剤なので、半固形化に一番大切な粘度はうまれません。
さらには、「胃瘻のチューブが動いて、こすってしまうんです。」とのことで、見せてもらうとボタン式の胃瘻が眺めに飛び出していて、薄い不織布のスリットガーゼ一枚が入っていました。

「こより法って聞いたことある?」と聞くとないとのこと。また、チューブ内があまり綺麗にならないので酢水を入れる方法を知りたいけれど、どのくらいの酢水を入れればいいかわからないとのこと。

結局話しきれずに、今回その資料を持っていき、担当のワーカーさんに説明し、お母さんに渡してもらうことにしました。

半固形化やこより法などは、病院によってはほとんど導入されていないところも多く、見た目でとろみが付けば良いと勘違いしてしまう医療関係者もまだまだいるようです。

ただ、気がかりなのはどうしても半固形化だと費用がかさむということです。

女手一つで障害を持つお子さんを育てるのは、並大抵ではありません。

処方の栄養剤に固形化剤を入れる方法、既製品の固形化製剤を使う方法を比較し、コストパフォーマンスも書いて渡しました。
ただこれでも費用が問題ならば、寒天を利用する方法もあるにはありますが・・。

健康相談では、お教えできるのはここまでです。
あとは、現在ご利用の訪問看護師さんや、再度病院の看護師さんにご相談いただくか、それでもわからなければ口頭で電話でお伝えするぐらいでしょうか。
うまくいくといいな、と思います。

そんな感じで今年の健康相談もやっと終わりました。
去年、やっとつなげた区役所の栄養相談ですが、今年は動いてくれるのかな??
1年だけで終わりだったりして・・心配です。

器用だなぁ。

2013-03-17 00:17:06 | 訪問看護、緩和ケア
患者さんの中には、本当に器用な人がいて、時々びっくりするような手作りの品を見せていただいたり、プレゼントしてただいたりすることがあります。

だいぶ前に、レジ袋を細かく割いてレース編みのコースターを作っていくれた患者さんがいました。
レジ袋がすぐになくなってしまうというので、ステーションのレジ袋をプレゼントしたこともありました。

その時、「これだったら水はけもいいし、プールとか銭湯用のバック作ったらいいんじゃない?」なんてことも話していました。

そうしたら、昨日担当のスタッフが「これ頂いちゃいました!」といって、持ってきたのがこれです。



シャワー介助をしているスタッフのために、シャワーエプロンを入れるバックを作ってくれたのだそうです。

白地に緑のアクセントが可愛くて、春らしいバックです。
材料は、マルエツのレジ袋だそうです。

言われてみれば、この緑はマルエツのレジ袋の文字の部分。
それを細く割いてかぎ針編みにしていくのだそうですが、なんと根気のいることか・・。

ご本人は、「暇だから、誰かもらってくれる人がいるんだったら、いくらでも作れるの。」と言っているそうですが、そんな簡単な話じゃないでしょうに。
でも、このバックもすでに何個も作ったっそうで、みんなにどんどんあげてしまうのだそうです。

それにしても、器用だなぁ・・と思います。

そういえば、ある患者さんのご主人は、キャスター付き椅子とか、なんと仏壇まで手作りしていました。

患者さんのご家族では、仏像を掘る方は比較的多くて、老後の時間を介護しながら、心静かに仏様を掘っているようです。

毎年美味しいキャラメルを送ってくれる、今は亡き患者さんの奥様も、やはりいつも素敵なポプリを一緒に作って送ってくれます。

物を作るという作業は、気持ちを集中して行えるので、精神的にもいいのだと思います。
物事の組立という一連作業は、年をとってからは、頭の体操にもなりますね。

時々テレビで取り上げられる、四国のある山里のお年寄りは、山野草をとってはそれをインターネットで販売しているそうで、90代のおばあちゃんもタブレットPCを器用に使って商売しているそうです。

日常の捨ててしまうようなもので、次々新しく何かを創りだせるって、本当に素晴らしいことだと、関心してしまいました。

必要な人を保護できない実情

2013-03-14 23:23:07 | 訪問看護、緩和ケア
日本が抱える問題。
増え続ける生活保護所帯。
国は、やっと本腰を入れるかに見えますが、実情はまだまだ野放し状態で、一旦保護を受けてしまえば、あとは好き勝手にしていて、治療をしながら暴飲暴食、隠れて車を持っていたり、お薬をやたらもらって知り合いに配って歩いたりなんてことは、当たり前に横行しています。

でも、その影でぎりぎりの生活のなかで、治療も我慢し、サービスも拒否してじっと耐えている人たちもいます。

こういう方の中には、区役所に相談に行くことすら知らない方もいて、私たちはそこから介入しなければならないことがままあります。

が、これもなかなか難しくて、所帯として所得計算するので、病気の家族を養う一番頑張っている人の、わずかの貯金から生命保険まで、まずは使い切らないといけないので、かなり勇気のいる決断を迫られることになります。

とはいえ、一部だけの援助もあるので、まずは相談しに行って自分たちの今の収入と、医療費や生活費のバランスに無理がないかを確認してもらい、アドバイスをもらうだけでも違うと思うのです。

世の中には、生保と子ども手当をもらうために、偽装離婚までする悪質な人たちもいます。

でも、実際に病院にかかるのも財布の残金と相談するような暮らしであるなら、所帯分離をするなどの法的手段もあるので、ぜひ相談窓口に行って欲しいなと思います。

時々、家族全員餓死したとか、生活苦で無理心中とかいうニュースを聞くたびに、誰か気づいてあげられなかったのか、SOSは出したのだろうか?行政は何を見ていたんだろうか?と悔しくなってしまうことがあります。

それでも、SOSの出し方すらわからない人たちや、人との接触を極端に嫌う人たちを目の当たりにすると、やはりそういう気づかれない人たちは出てきてしまうのだろうな・・と思ったりもします。

SOSを出せるのが日本なのだと思うし、助けられるのも日本だと思うのです。

ただ、SOSを出しても、あまり親身に話を聞いてくれなかった・・ということもよく耳にします。
それでもなんでも、SOSを発信して欲しい。

誰に支援が必要で、どこまでが支援の範囲なのかを、きちんと明確にして、必要なお金を必要なところに使ってほしいなと思います。

介護基礎講習「おむつ交換」だよーん。

2013-03-13 23:08:37 | 訪問看護、緩和ケア
区役所主催の介護者向け基礎講習「備えあれば憂いなし・排せつ介助編〜介護者のからだを守るケアのコツ〜」の講師も、今年で3年目となりました。

去年までは、横リハのPTさんと二人で、<移動と体位交換><おむつ交換>に分けて講習会をしましたが、今年は私一人でおむつ交換を主にしながら移動と体位交換を織り交ぜてお話をしました。

参加者16人を6グループに分け、そこに包括支援センターの看護師と、区役所保健師も入り、サポートしながらの実技指導となりました。


おむつは、業者さんが寄付してくれたので、いろんな種類を使うことができました。

参加者の中には、うちの患者さんのご家族もいて、終始和気あいあいで楽しい講習会となりました。


ほとんどの方が、現在ご家族を介護されている方のようですが、中には二人ほどヘルパーさんも混じっていたそうです。
ヘルパーさんは、プロとしての技術が必要ですから、できたたらプロの勉強会をおすすめしたいものです。

ただ、この地域の訪問服薬をやっている薬局の店長さんも見学に見えていて、「自分たちが売っているものを、どういうふうに使うのかを見ておきたかったのです。実際売っていはいても、自分たちにはよくわかっていなかったので、本当に来てよかった。目からウロコです。」と言っていただきました。

おむつ交換位にしても、なんにしても、老老介護でやるというのは本当に大変なことです。

手を添える場所一つで、ポジショニング一つで、ずっと楽に動かせることを知ってもらえれば、あとは何回か実践すれば、自然とコツをつかむことができると思います。

今日は、ベットアップでずり落ちてしまった体を、上に上げる練習もしてもらいました。

それには、一人で簡単にできるように開発された「伊左衛門」というシートをご紹介しました。
これは2500円ほどかかるので、お金をかけたくない場合用に45リットルゴミ袋も使ってやってもらいました。
ですが、「伊左衛門」を使ってしまうと、「やっぱりそっちがいいわー。全然違う!!」と言いながら何度も体を上にあげたり、下に降ろしたりしながら「買う!!」という方が多かったです。

介護に関しては、「これじゃないと」ということは全然なくて、その方にあったものを探して、自分にとって負担のないやり方を見つけることも大切だし、それを見つけるお手伝いを、訪問看護師はやっていますよ。というお話もさせてもらいました。

体の大きな夫を、寝る前に立ったままおむつ交換をさせてるが、おむつの脇から尿が漏れてしまう。
という方がいました。

よく聞くと、立ったまま大きめのリハビリパンツをはかせ、中には尿とりパットをいれ、その上からテープ止めおむつをしているとか・・。

おむつは、体に合ったサイズを選ぶこと、寝る前なら臥床させてから、テープ止めおむつを使い、中に男性用尿とりパットできちんと性器をくるんで固定してみてくださいとお伝えしました。

立ったままではきちんと固定できませんし、大きめのリハビリパンツでは、そのまま寝てしまえばペニスがあちこち動き、尿漏れになるのは必然です。

尿とりパットに関しては、今回男性用でペニスを固定してくるめるギャザーのあながついているものが、サンプルとして提供されおり、その説明をすると、「こんなものあるなんて知らなかった!!どこ?どこに売っているの?なんて言えばいいの!」と興奮していました.(^_^;)

あとは、おむつ交換やでん陰部洗浄時のポジショニングを練習していたら、「うちにも看護師さん来ているけど、こういうこと教えてくれないのよ。そ〜か、こうすれば楽なんだわよねー」と感心してくれました。

ほんのちょっとでも、みんなの介護が楽になったら、それは何より嬉しいことです。

昨日は、市の協議会の定例会もあり、ステーションのことは、スタッフにお任せ状態です。
あすは、残務が山ほど待っているだと思うと、ちょっと気が重い私です。

黙祷

2013-03-11 22:40:35 | 訪問看護、緩和ケア
3月11日。
あれから3年経ちました。

うちのステーションのスタッフも、何人かの実家や知人が被災して、故郷を失ったり友人を亡くしたりしました。

テレビでは、このところずっと震災の特集が続き、やりきれない悲しみの中に、今なお苦しんでいる人々を映し出しています。

2時40分くらいから、ステーションのPCのテレビをつけて、ステーションにいたスタッフで黙祷の時を待ちました。

そして、2時46分その場にいたスタッフと黙祷をしました。

夕方、訪問を終えたスタッフがバラバラと帰ってきましたが、あるスタッフがこんなことを話してくれました。

彼女は、いわゆる認認介護状態の90前後の老夫婦のところに訪問に行っています。
ずっと重度糖尿病やら、その合併症で体調の思わしくない夫の訪問看護をしていましたが、今ではその妻も一緒に訪問しています。

普段は、あまり多くを語らない夫で、自分のことが精一杯で、その他のことは我関せず・・という患者さんです。
認知もかなり進み、健忘や失効もあり、傾眠傾向にある方です。

今日、そのご夫婦と3人で追悼番組を見ながら、一緒に1分間の黙祷をしたのだそうです。
そして、その1分が終わったと同時に、その患者さんが突然おいおいと泣き出したのだそうです。
それはもう「おーいおーい」という感じで泣くと、顔をぐしゅぐしゅにしながら「こんなことは、もう耐えられない。」と言ったそうです。

担当看護師は、言葉をなくして泣いている彼を見守るしかなかったそうです。

彼の身内に関係者がいるわけでもなく、普段は無気力、無関心でひがな横になることが多くなっていた患者さんだけに、驚いてしまいした。

けれど、この患者さんの心の奥底では、この震災での報道がずっとずっと澱のように溜まっていたのでしょうか。

たくさんの人の悲しみが、この老人の心のどこを突き動かしたのか・・。

「おーい、おーい」と号泣する老人の話を、涙ぐんで話すスタッフは、とても複雑な思いで見つめていたのだと思います。

本当の悲しみは、こんなふうに悲しみの波動として伝わるのかもしれません。

こんなふうに、それを受け取って泣く認知症の老人のいる反面、現地では打ち上げられたまま置かれている船の前で、ピースサインを出して写真を撮っている中年女性の話も聴きました。

とても切ない話です。

二ツ橋の水辺公園

2013-03-10 22:46:21 | うらら
我が家から歩いて5分ほどのところに、二ツ橋の水辺公園があります。

     
                                 
                                         
もともとは、厚木街道の下を走る川で、15年ほど前にはかなり汚くて、いろんなものが捨てられていたり、臭かったりで誰も遊べるような川ではありませんでした。

それでも、徐々に川辺の整備がされて、うちの子供たちが小学生になった頃には、草ボーボーの川原で、水遊びができるようになっていました。

それから10年。
なかなかの公園になりつつあります。

街中の河川は、水害を防ぐために護岸工事をされますが、この護岸工事を3面コンクリートにしてしまうと、無機質な死のドブ川になってしまうことはよく知られています。

この川辺を公園にしようとした人々が、できるだけ自然に近く、それでいて水害も防ぎ、市民の憩いの場にしようと企画したのだと思います。
(たぶん。)

たとえば、まだ一部残っている護岸工事の途中経過ですが、こんなふうに金網のなかにゴロ石を詰めて土砂が崩れないようになっています。

     

たぶん、ここに土がたまり、そこに草が生え、さらにそこが土手になるのです。
すると、見た目にも自然の小川の土手になりますし、そこに草が生えることに、小動物の住処にもなります。

そして、感心したのが川底の護岸工事です。

川底をコンクリートにすれば、生物は住みづらく生態系は作れません。
でも、ここの川底はコンクリートからこんな人口の川底に変わっていました。

        

枯れ草の生えているこの岩のような中洲は、多分人工の石なのだと思います。
その川底は、溝があったり、凹んでいたり、出っ張っていたり、ところどころわざと深い瀬も作ってあります。


底には、砂が溜まってキラキラしていて、流れがあるので水は淀むことなく浄化されます。

護岸は、ところどころ竹で出来ていたり、草むらのしたがえぐれて穴になっていて、水生生物の絶好の隠れ家になります。

川の中を覗くと、クチボソなどの小魚が群れをなして泳いでいます。
子供たちは、川に入って貝をとっているようです。カワニナかな??

そして、ここにも鴨や白鷺がやってきます。

広場の川を下って歩くと細い水路沿いに散策ができます。

  

この上の道は、やがて川沿いに民家の庭の前を通りながら延々と続き、将来的にはどうやら東山の水辺まで遊歩道になるようです。

それは素敵な散策路となりそうです。

今日は、風が強いせいもあり、公園はほとんど人がいず、暖かい公園の広場は、うららの貸切状態となりました。
ここでは、いい感じに仕切られたスペースがあるので、人がいなければリードをはずして自由に遊ばせられます。

一度ドロに足を突っ込んでびっくりしていたうららですが、鳩を追っかけたりあちこちで川に降りたり、たっぷりと遊んでご満悦でした。

こんなふうに、人口であっても自然に近づけていけば、一度は失った自然は戻ってくるのだと思います。

DASH村やDASH海岸みたいに、こんなところからでも、自然が戻ってきたら嬉しいですね。

昨日は、おじさんが二人、川の中のゴミをすくったり、川底の石をならしたりしてくれていました。
委託されているのでしょうか、ご苦労様です。

ただ、今日には新たなゴミがまた落ちていました。
ビンや缶や、コンビニの袋やお菓子のパックなど、本当に心無い人たちがいるのも事実です。

罰金制度とか作ればいいと思いますが、すごく残念な気持ちです。

とはいえ、これからますますキラキラする季節が待ち遠しいです。

あ、そういえば、帰宅する頃に急に空が黄色く曇りだしたかと思うと、一点すごい風と共に辺りが黄色く霞んでしまいました。
怖いくらいの黄色い靄。

帰宅してからニュースで知りました。
煙霧というのだそうです。
黄砂も混じっているのでしょうが、辺りが埃っぽく、マスクも黄色くなってしまうほどで、窓を開けていたら家の中もじゃりじゃりになりました。
これもまた、自然の成せる技なんですね。

それではまた。

看護学校の同窓会

2013-03-10 21:56:32 | 日々のあれこれ
土曜の夜、看護学校時代の同級生で、主に寮生だった仲間など10人が集まりました。

鹿児島在住の友人K子が、上京するのを機会に、MONちゃんが音頭をとって、所在のわかる友人たちに連絡を取ってくれて実現しました。

青森、富山、静岡、三重、厚木、東京、鹿児島、横浜在住が私を含めて3人。

横浜市大病院の付属看護学校だった私たちですが、卒後は地元に戻ったり、結婚して転居したりと、バラバラになっていました。

卒業後30年立ちましたが、30年ぶりに会った友達もいて、本当に嬉しくて楽しくて、とても元気になりました。

びっくりしたのは、30年経っても、みんな全然変わっていないことです。

会うたびにすぐにわかって、笑顔も喋り方も、訛りも癖も、性格も仕草も、もうあの頃のままで、すぐに時間は30年前にタイムスリップしました。

思い出話は次々と溢れ出て、本人が忘れていることをみんなが覚えていたりして、悪いことも良いことも、キラキラ輝いた思い出に変わっていました。

今は某病院副部長のTORO子は、30年前の瀬谷区役所でなんとタバコを吸っているところを目撃されて、それは大目玉をくらったのに、すっかり忘れていました。
今の実習生がそんなことしたら、即退学ですね。

静岡のS病院の副部長のC子は、相変わらず面白い家族に囲まれていて、びっくりするような生活をしていますが、なんともうすぐおばあちゃんになるそうです。
三重県からやってきたEriも、今は介護福祉士の学校で講師をやっているとか、夫婦で産婦人科病院をやっている友人や、歯医者さんの奥さんで切り盛りしているとか、シングルで子供を女手一つで育てているとか、みんなそれぞれの人生を精一杯歩んでいるんだな、と感動しました。

いつも取りまとめてくれるMONちゃんも、市内病院で副部長をしているし、みんな偉くなっちゃって、それにもびっくりです。

30年ぶりにあった厚木のACCHIも、学生の頃と全く変わらず、帰りはずっと一緒の電車でしたが、私に一番近い在宅の仕事を始めたばかりだといっていて、これからもきっとどこかでつながっていくのだろうなと思いました。

そして、それぞれがそれぞれの問題を抱えていて、それでもそれをパワフルに乗り越えて、笑い飛ばしているのを知って、なんだかすごく嬉しくて、自分も頑張らなくちゃと、元気を山盛りもらうことができました。

中華街の聘珍樓で夕食後は、関内のカラオケで2時間、ずっと喋って終わりました。

「きっと、来年もまた会おうね!!」って、「またあした、仕事場で合いそうだね。」っていいながら、あっさりとバイバイをして帰ってきました。

さてさて、これからもまだまだ大きな山や谷がありそうですが、なんだか一人じゃないと思えます。

また、みんなに会える日まで、私も楽しいエピソードをたくさん作っておきたいと思います。