こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
看護師さんも募集中!!

看護師ブログのランキングです。ポチッってしてもらえると励みになります。(^^)/

にほんブログ村 病気ブログ 看護・ナースへ
にほんブログ村

連休前に限って・・。

2011-04-30 22:39:10 | 訪問看護、緩和ケア
昔から、「お休みの時に限って・」・っていう事、よくありますよね。

子供が小さいころは、熱を出したり具合が悪くなるのも、お休みの時に限って・・でした。

今では、連休の前に限って「毎日点滴」の指示が出たり、急遽「連休前日の夕方退院」なんてことが多くあります。
できるだけ、緊急訪問や休日訪問は避けたいものですが、こればかりはどうしようもありません。

連休明けに退院調整をしていた患者さん。
ご家族の強いご希望で、一刻も早く家に連れて帰りたいとのこと。

「もう何も手立てがないのなら、誰も見に来てくれなくても、一刻も早く家に連れて帰ってあげたい。自分たちで何とかする。」

そこまでの覚悟があれば逆に安心です。

「わかりました。どうぞ退院してください。」と、地域連携室の方にお伝えしました。

こんな時には、強い味方のO先生。
その日のうちに面談をして、午後にはベットを入れて退院をして、昨日のうちに、無理やり往診を入れていただきました。

「何かあれば、私が出ます。」とお伝えしましたが、昨日O先生から電話があり、「月曜日まで大丈夫そうですよ。週末は、ご家族で看れると思います。」とのご連絡。
ほっとしました。
月曜日に、初回訪問をいれれば、その後は緊急対応で乗り切ります。

毎日点滴の方は、昨日のうちに誤飲性肺炎の経過が思わしくなく入院となりました。
早く治療をすれば、きっとまたおうちで暮らせるようになります。
それまで、ちょっとだけ我慢です。

そのほかに緊急出動が1件、予定の休日訪問が1件あったようですが、その後は落ち着いているようです。

子供たちにはうれしいゴールデンウィークも、私たちの仕事では心配の種だったりします。

まだ、飛び石ながら来週中もお休みが続きます。
みんな、落ち着いているといいのですが・・。
週明けからは、私が緊急当番です。

穏やかなゴールデンウィークでありますように。


やっと春爛漫!

2011-04-29 16:34:00 | 草、花、収穫
暖かな陽ざしに、新緑の柔らかい葉が、きらきらと輝いています。

草花は一斉に芽を出したり、蕾をふくらませたり・・・
久しぶりに庭に出ると、それはもう「わっさわっさ」という感じで、一緒くたに草花が背伸びをしていました。


   

                       

ナスタチウムの花の後に出来る種は、ワサビそっくりの味で、葉っぱも花も食べられます。
梨木香歩さんお「西の魔女が死んだ」という小説に、おばあちゃんがこの葉っぱをサンドウィッチに入れて食べるシーンがありますね。
(ハーブの使い方ととか、おばあちゃんの知恵袋に感嘆しました。)


去年、もうだめかと思ったオダマキ。
      
     駐車場のわきに生えてきた花菱草。
ポピーみたいに風に揺れています。

これから、短い間に次々と草花が咲き乱れ、命のエネルギーで充満します。

このエネルギーで、少しでも被災された方々の苦しみが癒され、明日への希望の光を見ることが出来ればいいのにと思ってしまいます。

同じ地球と言う星の、大自然のエネルギーの爆発によって破壊されたのならば、やはり地球の発する命のエネルギーで癒やすこともできるはずと・・。

庭に立って、日差しを浴びて、土の匂いを嗅いで、草花の中で深呼吸をします。

さて、やらなければならない事、いっぱいあるけれど、何からやろうかな?
明日は、とりあえず衣装替えです。

新しい季節に向けて、始めましょう。


同行訪問の組み合わせ

2011-04-27 22:56:50 | 訪問看護、緩和ケア
5月の連休明けから、看護師が二人一気に増えます。
一人は常勤希望、もう一人は非常勤です。
でも、やはり同行訪問はしっかりとしてもらい、訪問看護のスキルやスピリットをキャッチしてもらわなければなりません。
さらに、中旬から2週間Y看護専門学校から二人の学生が来ます。
そのうちの一日は、今年初めて受けるE看護看護専門学校からも二人来ます。
つまり毎日4人の同行訪問と、一日は6人の同行訪問を組む事になります。
(その翌週から、今度はY看護大学の学生も来ます。)

どうしよう・・

新しいスタッフには、プロとしての在宅をしっかり覚えてほしいし、同行訪問でスタッフ間の距離も縮めてほしい・・。
細かい連携のノウハウや、地域の情報、家族への支援も身に着けてほしい。

学生さんには、基本的なマナーや、在宅の大まかな役割を見て、家にあるもので工夫をしながら、住み慣れた我が家で豊かな時間を過ごせると言う事を体感してほしい。
そのうえで、地域連携やスピリチュアルな援助・家族援助を、担当看護師がどのように関わっているかを見てほしい。
さらに、看護展開したいケースがあれば、希望を聞いてあげたい・・。

リハビリ、認知症、独居、老々、小児、神経難病、緩和ケア、褥創、医療機器・・何を知りたい?何を見たい?

そこに、新人スタッフの同行も、うまく入れなきゃならないし・・。

フ~。
毎日思うように振り分けるのは、かなりきついです。

勤務表と学生の予定表と、うちの新しいスタッフの名簿をを眺めて唸ることしばし・・。

難解なパズルをやるように、やっとこさっとこ振り分けが出来ました。

そして、実際同行してくれるのは、私よりもほとんどがスタッフです。

毎回、学生の同行訪問を嫌な顔もせず、しっかりとポイントを押さえて連れて行ってくれます。
後進の育成って一口に言うけれど・・。
将来、病院勤務になっても、在宅の役割をしっかりと理解して、看々連携の橋渡しになってもらいたいし、いずれは在宅を志願してくれるように、今からしっかりハートをつかみたい。

それでも、いちいち患者さんやご家族に同行のご了解を頂くのも大変です。
学生さんにも、いい体験をしてもらえるよう、気も使います。

でも・・有り難いことに、みんな本当に学生さんをかわいがってくれます。

病院実習とかで、きつい看護師さんとかに怯えていたりして、うちに来るとみんなお母さんやお姉さんみたいで、すごく居心地が良いみたいです。
まあ、ほかで絞られてくるのだから、在宅はきりきりせずに、温かな看護を身をもって体験してくれればいいと思っているので、よほどのことがなければ、怒られることもないと思います。

毎回、実習の最後のカンファでは、学生さんの感激の涙を見ることが出来ます。
どこの学生さんも、よい学びをしてくれます。

とはいえ狭いステーション、一気に6人も増えて、朝のカンファは混雑状態になるような・・。

他のステーションは、何人ぐらい一度に受けているのかなぁ・・。

ちなみに、今年初めて受けるE看護学校は、一日だけの「在宅緩和ケア」の実習なのだとか・・。
訪問看護ステーションの実習は、ほかでしてからくるのだとか・・なんで??
実習日にターミナルの方の訪問があるとも限らないし、ただでさえナーバスな療養生活を送っているのに、学生の同行に同意してくれるとは限りませんよね。
看護学校の先生にも、こういう実習はおかしいといったのですが、今年はもうそれで組んでいるそうで、なんとなく雰囲気がわかって、そういう事例の話を聞くだけでもいいです。と言う事だったので、今年はその方法でお受けしました。

でも、看護学校も実習先の確保が大変みたいです。
大きな病院の連携室や、実習受け入れの出来るステーションは、看護大学にほとんどとられてしまい、看護学校は残りを探す状況とか・・・さらに第2看護科となると、もっと少ないのだそうです。

みんな、後輩の育成なんだから、もっと積極的に受け入れてあげればいのにな、と思います。
結局、学生受け入れをしてくれるステーションはいつもきまっているんですよね。
学生さんと同行して、説明したり学生さんと話し合ったりすることで、自分のやっていることを再認識する機会にもなりなす。
患者さんも、若い学生さんを見て、大喜びしたり張り切ったりで、結構いい刺激なったりもします。
顔を赤くして、にへら~としているおじいさんの顔を見るのも、なんだか楽しいものです。

スタッフにはいつも大変な思いをさせてしまいますが、やはりそこは受けていくのが、このステーションの役割だと思います。
ちょっと大変でも、きっとそれは自分たちに、違う形で返ってきます。
大らかな気持ちで、後輩育てましょうね。


褥創について(エアマットのお話も少し)

2011-04-26 22:03:23 | 訪問看護、緩和ケア
以前は、とんでもなく大きい褥創をよく見ましたが、最近は本当に少なくなりました。
出来ても小さかったり、浅かったりで皮下膿瘍を形成するほどの褥創はめったに見なくなりました。

介護保険のおかげで、エアマットが誰にでも利用できるようになり、そのエアマットも日々進化しています。
今や、高機能タイプのエアマットは、いかに高機能で安価で使いやすいかというところで、各社しのぎを削っています。

そういえば、今回の計画停電騒ぎでエアマットの問題もいろいろ出てきました。
一番恐れていた<エアが抜けてしまう>という恐怖は、ほとんど解消されました。

地震後、各社から一斉にエアマットの対応方法がFAXで送られてきましたが、昨日の横浜市訪問看護連絡協議会の臨時集会で、メーカーさんからの説明があり、再確認しました。

モルテンのエアマット:アドバン、グランデ、ステージア、プライムに関しては、そのままでも3時間ぐらいならほとんどエアは抜けません。
心配なら、エアマットの送気用のホースを折りたたんんで、マスキングテープなどでしっかり固定します。
停電終了後にテープを取れば、自動的に設定してあるモードに自然に戻ります。

ちなみに、グランデは停電と共に自動的にバリヤーされ、そのままの状態でキープされます。
停電が終われば、そのまま通常に戻るすぐれものです。
注意したいのは、エアマットの底ずきが心配で、エアマットの下に布団を敷いたりすると、ただでさえぶ厚いエアマットがさらに高くなり、サイドレール(ベット柵)の位置が低くなりすぎて、転落の危険性が出てしまいます。

またケープのエアマットも、すぐに抜けることはありませんが、停電後再作動するときに、設定が初期設定に戻ってしまいます。
再度、体重やモードの設定をし直す必要があります。



そういえば、病院では褥創作ると減算されるようになり、ケチケチしてエアマットを使ってくれなかった病院も、エアマットを常備するようになったのも良かったですね。
なにしろ、在宅でピカピカのお尻だった人でも、入院で褥創作ったり悪化させたりするケースが後を絶たなかったですから。

・・と言う事もありますが、とにかくエアマットのおかげで飛躍的に褥創は減りました。

脱線ばかりしていますが本題にもどると、今回は久しぶりにかなりの褥創。

今回の震災で被災され、娘さんが連れてきて介護することとなりました。
連れてきて見てびっくり!
すごい床ずれが出来ていたため、すぐに往診医が決まり、その日の午後うちに訪問看護の依頼があり、写真を見て即皮膚科医に連絡し、その日の夕方にはデブリをしたという、スピード介入となりました。
随分長いこと我慢していたのでしょう。
円背のため、仙骨よりもっと上の部分ですが、すでに黒色壊死組織で蓋をされ、さらにその下もブヨブヨと怪しい感じが・・。
左大転子もかなり炎症の強い黄色組織がべっとり・・。
まず、第一回目のデブリ。
でもあまり痛がらず、血も出ない。これは広範囲にそしてかなり深く壊死しているからです。

栄養のアセスメント、オムツ交換の方法、回数、清潔の指導、環境の調整、本人の苦痛の緩和、ご家族の介護負担の軽減なども、あっというまに整っていきました。
なんというか、このおばあちゃんがあまりに可愛くて、関係者一同もうメロメロの骨抜き状態で、みんなの熱の入り具合はすごいものがありました。
そして、なにより娘さんの愛情たっぷりの介護でご飯もたくさん食べてくれます。

エアマットでの除圧、適切な医療処置、毎日の洗浄、現在はユーパスタとモイスキンパット、テープはかぶれにくく柔らかいスキナゲート、清潔なオムツ、入浴などなど・・
なんだか、気持ちよく環境も整いましたが、数日後に発熱、炎症の増強があり、皮膚科医に連絡し、すぐに訪問となりました。
在宅の主治医もかけつけ、皮膚科のM先生がデブリをすると、皮下膿瘍から排膿が。
「これだ!!」今度は痛がります。
臀部と大転子からの排膿、そして今度はかなり痛みが強い様子。
「頑張って、あと少し!」
そして、きれいに不良肉芽は掃除されました。
抗生剤と鎮痛剤も処方され、今は大分改善中です。
創周囲の炎症もとれ、ピンクの肉芽もみえてきて、よかった~。

これからの目標は、外でお花見です。
きっとこれはすぐにかないそうです。

故郷から遠く離れた場所ですが、おばあちゃんがもう一度元気に故郷を見ることが出来ますように、みんなで応援したいと思います。

今夜も遅い帰宅です。

2011-04-25 22:54:33 | 日々のあれこれ
このところ、地域の勉強会やら研究会やら、学童保育の運営委員会やらで、ずっと夜を留守にしています。
昨日一日は自宅に居られましたが、今日は横浜市訪問看護連絡協議会の臨時定例会と、そのあとの役員会で帰宅したのは23時近くでした。

あまり毎日遅いので、このところは家族にもあきらめられています。

この頃は高校2年生の娘が、夕飯の手伝いをちょこちょととしてくれるようになったので、だいぶ助かりますが、それでも夕飯の下ごしらえや食材の調達をしたり、おじいちゃんやおばあちゃんの食事に悩んだりと、けっこう気を使います。
しかも家の中は、ひっくり返っています。やばい・・。
今年からは、私の大学も始まるし、他にもいろんなことをしているので、ちょっと自信がなくなってきました。

今日は声もかすれていて、また声帯が浮腫んでいるようで、喉の違和感が強くて調子も悪くてちょっと気力もダウン気味。

とはいえ、今日の臨時定例会は先日の震災を受けて、各医療機器メーカーからの非常時の対応や緊急対応の機種の説明などがあり、さらに災害支援看護師として実際に福島で活動をした協議会副会長の報告もあり、なかなか有意義なものでした。

実は、訪問看護ステーションからの報告として、私も発表したのですが、連日の忙しさでPPも作れず、あまりまとまったお話はできませんでした。反省・・。
あとの2ステーションは、震災時や停電時の実際の動きや問題点をとても分かりやすくまとめてあり、今後の課題も浮き彫りにするなかなかの発表となりました。

この内容は、後日お伝えしたいと思います。

そんなこんなで、今日はもう寝ます。

今週いっぱい乗り切れば、ゴールデンウィークです。(緊急当番もありますが・・)

やりかけの仕事も山のようですが、眠ればまた元気になれます。
頑張らないとね。

気合だー!

第5回追想の集い

2011-04-23 22:40:19 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、連携先である『めぐみ在宅クリニック・追想の集い』がありました。

今までは年一回でしたが、年々めぐみ在宅で亡くなられる方が増え、去年は午前・午後で行いましたが、今年は、半年ごとで行うことになりました。

うちのステーションからは、私とSナース、ほかに3つのステーションとケアマネが二人、そして訪問薬剤担当のH君も参加しています。

今回は、昨年7月から半年の間に亡くなられた患者さんのご家族をお呼びし、その中で私たちが関わらせていただいた患者さんのご家族は6家族でした。
ただ悲しみのなかで、こういう会自体がまだまだ辛くて、参加されない方や、ご都合ののつかない方も多く、グリーフケアとしてはお会いできない方々に対するケアも今後の課題のように思えます。

実は、今日参加されると聞いていて、とてもお会いできるのを楽しみにしていた患者さんのご家族がいらっしゃいました。

たくさんのご家族をお迎えしながら、長い間お母様を献身的に介護されていたMさんの姿を探していましたが、なかなか来られないなぁと思っていました。
Sナースがめぐみのスタッフに確認したところ、「奥様が突然急死され、来れなくなったと連絡がありました。」とのこと。

ショックでした。

お母さんを献身的に介護していたのは息子さんですが、その息子さんの妻として、いい距離感を保ちながら後方支援に回っていた奥さんです。
いつも担当の看護師がケアを終わって1階に降りてくると、嬉しそうに待ち構えていて、覚えたての手品を見せてくれたそうです。
ご主人に「看護師さんは忙しいんだから迷惑だよ。いい加減にしなさい。」と叱られても、「ちょっとだけ」と言って、種明かしをしてその手品を教えてくれたそうです。
担当の看護師も、忙しいとはいえそれで結構癒されてたようで、笑いながらよく手品の話をしてくれました。

あの奥さんが突然亡くなられたとは・・
今日はお二人に会えると信じて疑いませんでしたから・・。

長い介護生活が終わり、これからやっと二人で楽しんでほしいと思っていました。
あの生真面目で、心穏やかな息子さんが一人残されてしまったなんて、本当に残念でなりません。
担当だったスタッフにさっき電話で伝えたところ、やはりとてもショックを受けていました。
「落ち着いた頃、電話してみます。一人になっちゃったんですねぇ・・。」と寂しそうにつぶやいていました。

それでも、ほかのご家族とは久しぶりに対面できて、本当に嬉しかったです。

支えたい思い」「納得のいくまで」でも書いたOさんの奥さん。
あちらの方から、とても賑やかなオーラを発しつつ、私たちを見つけると満面の笑顔で手を振ってやってきました。
「一人だから、地震が怖くて~。」
「だからね、あの時みたいに、またテーブルの下で布団を敷いて寝ているのよ。」とのこと。
「私ね、主人が亡くなってから、もうどうでもいいや、死んじゃってもいいやって思ったりしたのよ。でも、あの地震の時真っ先にテーブルの下に入っちゃたの。あはは、それでね、死にたくないんだってわかったの。生きたいのよね!」
「今はね、まだ主人のこと思いださないようにしているの。主人のものを見ても、なるべく考えないようにしているの。考えると、まだ駄目だから。でも、ちゃんと働いてるのよ。大丈夫!」
そうして、ずっと笑顔でお話をしてくれました。
奥様を亡くされたHさんのご主人は、やはり笑顔で「大丈夫だよ。ご飯も作るし掃除もするよ。猫の面倒もちゃんと見ているよ。息子も時々顔見せるし。」と言ってくれました。
私をはさんで、OさんとHさん、しばし歓談していました。

そして、ご主人を亡くされたAさんと、その娘さんも・・。
奥さんは、腰が悪く歩くのもやっとです。
それでも、頑張ってきてくれました。
ただ、最初から最後まで、涙がポロポロ止まりません。
何を言っても泣いてしまいいます。
娘さんも「もう、優しい言葉をかけてくれるとだめなのよ。あ、大嶽さんまた泣かした~。」などと言いながら、やはり泣いています。
まだまだ深い悲しみの中にいるようでした。
それでも孫と暮らしていること、孫が帰ってくると淋しさが忘れられることなどをお話ししてくれました。
頑固で絶対的存在だったお父さんは、今でもこのご家族の心の中では絶対なのだと思います。
帰りは笑顔も出て、ゆっくりと帰っていきました。

懐かしい顔をみて、懐かしい話をして、「あんなこともあったね。こんなこともあったね。」そんな話をしながら、時間は過ぎていきます。
ハンカチで目頭を押さえながら、隣り合ったご家族とお話しするかたや、先生に抱き着かんばかりにお話しするご家族、一人瞑想をするように過ごされるご家族。
この短い時間のなかで、すこしでも悲しみが癒え、同じ苦しみを抱えた人たちが、気持ちを通わせることが出来ればいいなと、心から願わずにはいられませんでした。

お二人のご家族のご挨拶があり、そのあと飛び入りでお話をしてくださった方がいます。

訪問看護ステーションは入るに至らず、退院を目前に奥様を亡くされた方です。

病状の進んだある日、奥様が「きれいな空と海が見たい。」と言ったため、車椅子で沖縄に連れて行ったのだそうです。
奥様はとても喜んで帰りの空港で「またここに来たい。」と言い「うん、また来ようね。」とご主人は答えたそうです。
お二人には、それがかなわいことはわかっていましたが、そう約束したのだそうです。

その奥様が、退院をまたずに亡くなられ、ご主人はどれほどの深い悲しみのなかにあったのか・・。

奥様との約束を果たすように、西表島の海に散骨をされ、その時に詠んだ短歌を披露してくれました。

全部は覚えていませんが「妻の骨・・」から始まるその歌は、その時の悲しみの深さを物語っていました。
真っ白な妻の骨が、青い青い海の底にゆっくりと吸い込まれていく情景が、映像として見えた気がしました。
そのゆらゆらと沈んでいく、最愛の妻の骨を見つめるご主人の目線で、私もそれを見たような錯覚に襲われました。
もうだめです。涙腺は決壊しました。
静かに、とつとつと語るその方の語り口に完敗でした。

その後、その方にご挨拶に行きました。
ウルウルしてしまって言葉にならない私に、奥様の写真も見せてくださいました。
「いつもね、あの短歌と妻の写真は持っているんですよ。いつも妻と一緒なんです。今日も一緒にここにいるんですよ。」背広の肩をポンポンと叩いて、穏やかに微笑んでいました。
「実はね、さっき言わなかったんですが、後日談があってね・・」
「妻はね、真紅のバラの花が大好きだったんですよ。だから棺の中、真紅のバラで囲んであげたんですよ。そうしたらね、焼いて出てきた骨の一部がね、ピンク色に染まっていたんですよ。
真っ白な骨の中に、ピンクの骨がいくつかあってね、僕はこれは砕けなかった・・。
だから、散骨するのとは別に、ピンクの骨を別に分けて、僕が持っているんです。」

もう、70歳位はとうに過ぎていられるのでしょうが、かくしゃくとしてダンディなその方は、実はご自分も癌宣告をされており、めぐみ在宅にも通院されているそうでした。
「まためぐみ在宅に行けばお会いできるのかな?」そう言っていただきましたが、めぐみの職員ではないことをお伝えしました。
でも、きっとこの出会いはどこかでつながるのだと思います。

人はみんなどこかでつながっていますから。

追想の集いは、グリーフケアでありながら、実は関わる私たちにとっての心のケアでもあると思います。

この仕事をしていて、本当によかったと心から思える場所でもあるのですから。

KM-CART(腹水ろ過濃縮再静注法)勉強会

2011-04-21 21:23:22 | 医療機器・介護用品
昨年10月から、連携先である『めぐみ在宅クリニック』で取り入れられたCART。
以前にも記事(CART腹水ろ過の実際)にしましたが、今回はその後の取り組みのまとめともいえる勉強会です。

そこで、CARTの担当として、腹水採取中のケアや管理、さらに採取した腹水のろ過までをまかされ、そのために一生懸命勉強をしてきたクリニックナースIさんが、今までの経験と学習の集大成として、勉強会を主催しました。
            

もちろん、院長はじめCARTをめぐみ在宅に持ち込んだK先生のお話もあり、メーカーさんでプライミングの技術指導をしてくれた旭化成クラレメディカルの担当さんの説明ありで、すごくいい勉強会となりました。

このところ、この勉強会の準備で心身ともにへろへろだったと思えるIさん、80名近い参加者の前、よく頑張りました。めっちゃよかったです!

CARTの在宅管理の実際、効果、問題点、残された課題はもちろんのこと、在宅緩和ケアで腹水に苦しむ人が、一時でも腹水の苦痛から解放され、心からの笑顔を取り戻すことが出来た事例を熱く語ってくれました。

そのうえで、CARTがいいことばかりではなく、適応には慎重な診断が必要な事、また重篤な副作用を起こす危険性があることも踏まえ、そのうえで地域の訪問看護ステーションとどう連携していったらよいのかという課題も残し、今後は地域でのCARTチームを作っていこうという話となりました。

その点では、K先生も「比較的新しい治療法であり、まだエビデンスも確立していない治療法です。患者さん自身が自分から調べて、ぜひやってほしいと来る場合とは違い、こちらからこういう方法がありますと選択肢として提供する場合とでは、実際行った時の受け取り方が違ってくることもあります。
これがいいというからやったのに・・・ということにならないよう、十分な説明と適応の判断をしていかないといけません。
これはすごくいい!という話だけでなく、バランスのとれた緩和医療の一つとして、慎重に行っていかなければいけないと思います。」という話もあり、ただ新しい治療法に飛びつくだけであってはいけないと改めて感じました。

ただ、苦しむ人を前に、どうすればこの苦しみを少しでも楽にすることが出来るのかを、常に前向きに考え、そこに一つの光明があれば、それをなんとか取り入れようとするめぐみ在宅の姿勢は、やはりすごいなと思います。
いろいろ残された課題はあるものの、まずは一歩進まなければ、何も変わっていは行きませんからね。

今回、エコーも導入されたということなので、ルートの確保ももっと容易になっていくと思われ、末梢の血管確保に冷や汗をかかなくてよくなれば、私たちにとってもすごくうれしいことです。

また、残念なことにこのCARTを瀬谷区に紹介し、めぐみ在宅の非常勤医師として、とても暖かな眼差しで訪問診療をしてくれていたK先生が、めぐみ在宅を退職されることとなりました。
K先生が持ち込んだもう一つのもの、サイボウズLiveは、すっかり私たちのなかでは定着しました。
K先生の患者さんを中心としたサイボウズLiveは、ケアマネ、医師、クリニックスタッフ、訪問看護師、訪問入浴、薬剤師、栄養士、歯科医師、ヘルパー全員がタイムリーに情報を書き込み、必要なケアに繋がっています。
ネット上での頻繁な情報交換は、サービス担当者会議なんて全く不要なほどに、全員で情報を共有できる場となっています。
バトンタッチしたした次の主治医とも、ひき続き使っていきたいと思います。
K先生が、新しいフィールドでも、温かい在宅診療を続けられることを確信しています。


47回めぐみ在宅地域緩和ケア研究会

2011-04-19 23:22:29 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、めぐみ在宅クリニック在宅緩和ケア研究会が、久々に行われました。
3月は、震災により中止となり、2か月ぶりといことでしょうか。
前回は、めぐみ在宅奥の間での担当者カンファレンスで、緩和ケア研究会にはほとんど出れませんでしたので、私は3か月ぶりの出席となります。

今日は未告知で、最後まで『生きたい』と強く願った患者さんとの対話からの検討でした。
今日は、いつもより参加者も少なめで、10人ぐらい4グループに分かれてのグループワークで、私もファシリテーターを務めました。

今日の事例の患者さんは、うちで担当した方で、今日初めてうちのケアマネも参加しました。

病院入院中の段階で、なぜ告知をしなかったのかは、よくわかりません。
ただ、ご家族がそうするべきと判断したのでしょう。
訪問開始の時には「告知はしていません。開いて閉じただけの手術でしたが、手術で潰瘍を取ったと言ってあります。」とのことでした。

そうはいっても、すでに末期状態でしたし、どんどん病状は悪化していきます。

当然、患者さんは「なぜ?どうして?」「なぜ、治療をしてくれないのか?」という思いに駆られます。
そして「本当は、もう助からないのだろうか?」と考えます。

「自分はいろんなことをやってきた。これからだってやり残したことはいっぱいあるんだ。」と。

訪問診療と訪問看護がほぼ同時に入り、患者さんの疑問は当然医療者に向けられます。
家族は、当たり障りなく会話を避けるし、思うように動かなくなる身体に困惑しながら、なお『そんなはずはない。治ったはずだ。』とおもいつつ。

緩和ケアの手法に反復という方法があります。

もし、患者さんが「私は、がんでもうだめなんじゃないかと思うのです。」と言ったら、「私はもう、癌でダメなんじゃないかとおもうのですね?」
と反復していきます。
一見おうむ返しのようですが、そこから「そうなんです。・・実は・・」と、会話が膨らんでいきます。
ここで、その場限りの否定や励ましをすることは、患者さんの疑問や不安にこたえられないばかりか、「うわべだけで、私の本当の不安を理解してくれない人。」と感じさせてしまいます。

その反復をしながら、主治医と患者さんの会話が進んでいきます。

数十分の会話は、名前を変えて事例として、回収資料のかたちで手渡されます。

今回、終始患者さんのなかには、『生きたい』という強い思いが込められ、しかし、それがどうしてもかなわないのなら、「とにかく楽に穏やかに逝かせてほしい。」というものでした。
しかし、それは最後まで「助けてほしい。助けると言ってくれ!」という思いと表裏一体のものでした。

病状告知もしていない状況でのターミナル。
毎回の訪問で、どんなに先生とはなしても、いい方の肯定はしてくれません。

本当は「大丈夫、私に任せてください。治る方法はありますよ。」と言ってほしかった。

担当した若いナースも、その答えに毎回窮して悩んでいました。

そして、誰も「大丈夫、治ります。」と言ってはくれない日々の中で、あきらめに似た「死」を受け止めざる得なくなっていきます。

彼は、かなり衰弱したある日私に言いました。

「もう、私の病気は、治らいのですね?」
「もう、治らないと思うのですか?」
「もう、治らないのなら、ここで穏やかに、静かに逝きたい・・。」そういって涙を流しました。
「ここで、穏やかに過ごせるように、お手伝いをしますよ。」

目を閉じて涙を流している患者さんの手を、しばらく握っていました。


そういう会話は、もちろん先生とも、もっと長い時間をかけてありました。

やはり、誰も「そんなことはない!大丈夫だから頑張って。」とは言ってくれない絶望感は、如何ばかりなのか。

会場の発言のなかで、あるケアマネが昔言われた言葉を話してくれました。
「ずっと昔、怒られたことがあるんです。人の命は、神にしか決められない。もう死ぬと言われた人間だって、土壇場で奇跡が起こるかもしれないんだ。だから、死ぬこと前提に話をしないでくれ!」と。

彼女は言いました。
「ですから、告知をしないで、もしかしたら生きられる可能性もあるという、希望が支えとなることもあると思います。」

確かに、事例の患者さんは、「先生との会話はとても辛かった。俺に任せろ。大丈夫と一言も言ってはいくれない。」とあとで言っています。

こういう場面はつねに避けられ、医療者も家族もごまかしてしまいがちになります。

それでは、肯定すればいいのか??

それはわかりません。
ドンと肯定してしまう事も有なのかも知れない。
でも、違うかもしれない。

それでも、振り返り、深く掘り下げ、どうしたらよかったのか、考える機会は必要です。

人の心の中は、わかりません。
どうやっても、ダメなことがあるように、どう考えても見つからない答えもあるのだと・・・。

なんだかなぁ・・病院

2011-04-18 22:00:34 | 訪問看護、緩和ケア
今日腎瘻の交換予定で、わざわざタクシーで往復1万円もかけて通院した患者さん。

そのために、訪問看護はキャンセルだったのですが、午後になってかから電話がありました。

腎瘻のチューブの入れ替えが来週になったと言う事は、ケアマネからの連絡で知っていましたが・・。

本人から「腎瘻のところが痛くて、我慢できないんだけど、みてくれる?」との電話。
すぐに訪問すると、「なんだか痛くてさぁ。病院でいっぱい歩いたからかな・・」とのこと。

腎瘻を確認すると先週私が消毒して固定したまま。
しかも固定の布絆がはがれていますし、フィルム材の下のガーゼが濡れているように見えます。

「あれ?病院行ったのに、ここ診てもらってないの??」

「痛いから見てくれって言ったんだよ。先生はじゃあ洗浄だけしようって、じゃばじゃば洗浄して、『もういいよ。大丈夫』ってそのまま帰されたんだよ。」

腎瘻周囲は妙にぶよぶよ浮腫んでいて、刺入部はもっこりしています。
ガーゼはびっしょり、膿もついていてしかも、皮膚とチューブを縫い付けてある糸が切れて、5センチほど抜けています。

「・・これ、抜けかけてるんだけれど・・。ひっぱっちゃた?」
「う~ん。結構動いたから、ひっぱたかもしれない。痛くてさ、朝からオキノーム3つものんじゃったよ。ご飯も食べたくないし・・。でも、外来ではベットで寝かせてくれたんだよ。」

なんだかなぁ・・病院。
何で洗浄までして、刺入部見ないのかな??
フィルム材の下、最近膿が出てるからガーゼしてるし、刺入部消毒もせず見もせずでいいのかな?
ベット用意してくれるんだったら、ついでに刺入部見るの何分でもないでしょうに・・。

痛いから見てって、患者さんが言ってるんだけれど、それでも洗浄だけで終わりにしちゃうんだ・・・

遠い病院から帰ってぐったりしている人に、もう一度病院に行けというのは酷です。

とりあえず、イソジンスワブで消毒をしてたら、抜けたぶんがスっと戻り、そのあ流出が悪かった尿がどっと流れだしました。
痛みもとれたようです。
とりあえず、抜けないようにばっちり固定して終了しました。

とはいえ、このままではまずいので、在宅でフォローしているクリニックに寄り報告。
ルートが出来ているとはいえ、押し込んだ形になってしまった腎瘻が心配なので、腎臓が専門の在宅主治医に連絡を取ってもらいました。
とりあえず、今日のうちに当直の医師が、1針かけてくれることとなり、あとは様子観察となりました。

当初私たちが入る前には、病院の医師から「腎瘻のガーゼ交換、週に一回くらい自分でやって。詰まったら、自分でピストンで吸って。」と言われていたそう・・。

他の病院の患者さんでも、腎瘻の処置を自分でやれって言われた患者さんもいたけれど、腰の後ろにある腎瘻、自分で消毒して固定するのって、結構大変だと思います。(この患者さんは、高齢でもあり、訪問看護の指示書を依頼したら、その主治医に「訪問看護は必要ない。自分でやれる。」と言ったので、近所のホームドクターに指示書をもらいました。)

管を気にしつつ、自分ひとりで、いい位置にあの扱いにくいフィルム材で固定するのは、口で言うほど簡単ではないと思います。

ちなみに、痛くてしょうがない時に、そんなことやってられないでしょうに・・。

大きな病院、忙しいのはわかるけれど、もう少し患者さんの訴えを聞いてくれないと、かえって二度手間になるんじゃないかとおもうのですが・・。

以前ほかの病院で、ASOの患者さんが「足が痛い!!」って毎回訴えました。
足の指が一本腐っていくのだから痛いです。
特に黒くなって干からびてきた指先より、その指の付け根の赤く腫れ上がったところは、痛くないわけないと思うのですが、その先生は「そんなに痛くないはずです。!」と言い切りました。

患者さんが痛いって言ってるのだから痛いんですよ!!
痛いのは、あなたじゃなくて患者さん!!


って、知らない先生に面と向かって言えるわけもなく、この患者さんはもっとよく見てくれるほかの病院へ移っていきました。

当たりはずれと言うか、安心してお任せできる医師と、まったく聞く耳持たない医師とのギャップは大きいように思えます。
どんなに忙しくても、聴く耳があるかないかで、医師の腕も決まってくるんじゃないかと思います。

ちゃんとみないと、大事な症状見落としますよ。
本当に。
なんだかなぁ・・病院。

台湾の続き 

2011-04-16 20:56:58 | 旅行・グルメ
アジアに行くと、そのエネルギーに圧倒されます。

特に朝の出勤ラッシュは、ちょっと怖い。


幅の広ーい道路の最前列に、バイクがびっしり並んで信号が変わるのを待ちかねています。

そして変わると同時に、すごい数のバイクが一斉に走り出します。
しかも二人乗りや子供をはさんで3人乗りや、ペットと同乗なんかもたまに混じったりして・・・。

車もバイクも車間距離なんて関係なく、もうぶつかるぎりぎりで走っていきます。
運転技術に自信がないと、この道は走れませんね。

それから、街中に面白いものもありました。
これ。 信号機です。
なかなかおしゃれな感じです。

そんな台湾の3日目は、朝から雨でした。
夕方から出かけたのは、ホテルから歩いていけるエリア「龍山寺」方面。

ここに、最近できたのが「剥皮寮」

いわゆる、古き良き台湾の街並み保存地区みたいな感じでしょうか。

古いレンガ作りの商店街。

中は歴史博物館みたいになっていて、昔の建物内部の再現などもされていて、ちょっとレトロでおしゃれな感じです。

 

街並みはレンガ作りで、雨に濡れてしっとりしていました。
  アトムもいます。

昔のトイレも見られます。
 

剝皮寮を抜けしばらく歩くと、急に賑やかな街に出ます。

龍山寺です。

台湾では有名なお寺で、信仰熱心な台湾の人がひっきりなしにお参りに来ています。

 
中に入るとすごい熱気と線香の香り。
      

写真を撮るのも不謹慎な感じです。
とても神聖な場所なんですよ。私もパワーを頂きました。

そこからちょっと行くと、華西街夜市があります。
ここは、昔の赤線地帯なので、かなり怪しいムードで、蛇料理やさんとか大人のおもちゃやさんとかがあり、どことなく不穏な感じが・・。
もちろん屋台もたくさん出ますが、匂いとビジュアルに、まったく購買意欲はわかずホテルに引き返しました。

もう外で食べるのも飽きたので、ホテルのパン屋さんやカルフールで、美味しそうなパンや果物をたくさん買い込んで部屋で食べることにしました。

ちなみに、台湾のパンはめっちゃおいしいです。
ジュースも濃くてフレッシュな感じ。
匂いとオイリーな感じに飽きたら、お部屋で食べるのもお勧めです。

今回の台湾旅行、3泊4日とはいえ、行は午前中に着いたし、帰りは夕方の便だったので、まるまる4日間好きなことが出来ました。
帰りに、悠々カードのデポジット料も払い戻してもらいました。
100ドルチャージで、十分地下鉄も活用できました。

香港ほど大都会ではないけれど、どこか日本の景色に似ていて、人懐こい国でした。
マッサージとパイナップルケーキの買い付けに、いつかまた行きたいなと思います。


                     

ところで、今日もまた地震がありましたね。
今日は庭で草むしりをしていましたが、私は大きな槇の木の下で地面が揺れるのをしっかりと感じました。ゆらゆらといつまでも揺れていましたね。

夕方、娘と買い物に行った帰り、空を見ると怪しい雲がありました。



空をまっすぐに、端から端まで雲が線を引いていました。
上の写真の右端をたどるとこんな感じです。まだこちらは青空です。


ずっと線状の雲が続いています。
飛行機雲かとも思いましたが、かなり長い間消えずにそこにありました。

そして、もっと気持ち悪い雲がこれ。
屋根と屋根の間から、垂直に立ち上るような雲。

 左端の直線の雲は、あきらかに飛行機雲でした。

 アップです。
頭のほうにあるらせん状のランプシェードのような雲も気にかかります。

たまたま気流や気温の影響で出来たり、それに飛行機雲が重なったりしたのかもしれませんが、この時はやたらめったら線状の雲や放射状の雲が目立ちました。

大きな地震が来ないといいのですが・・・。

もうこれ以上、東北の人たちを苦しめないでください。
原発事故が一刻も早く収束しますように。


大学編入出来ちゃった!

2011-04-15 21:37:53 | 大学の事
以前「大学編入を試みたけれど・・」という記事を書きました。

昨今、社会人の大学編入の枠がたくさんできて、年をとっても学ぶ気持ちがあれば、大学で学ぶことが出来るようになっています。
そして、働きながら学ぶ人々にはありがたい通信教育制度もあり、私も以前から興味のあった臨床心理学を学びたくて、いろんな書類を取り寄せていました。

でも、記事に書いたように、私の卒業した看護学校が閉校になる時期が、新制度制定前だったこともあり、編入資格証明がもらえませんでした。

がっかりして半分あきらめかけていましたが、その経緯と学びたかったと言う思いを大学宛にメールしたところ、大学通信教育部の方から丁寧なお返事を頂きました。

大学側でも、私の卒業校(現在は大学)に連絡をしたり、あれこれ調べたりしたうえで、再度編入資格があるかどうかを検討会議にかけ、そのうえで再度出願を認めてくれたのです。

もうあきらめていたので、そこからあわてて必要書類を取り寄せ提出したところ、今日編入学を認める合格通知を頂くことが出来ました。

普通は受験しての合格ですが、社会人の編入は書類選考になります。
ですから、勉強が本当についていけるのかどうかは、今後の頑張り次第となるわけです。

本当を言えば、この年でこのカリキュラムを、仕事をしながらこなせるのかすごく心配です。
途中で挫折したらどうしよう・・とか、せっかくの休みにスクーリングで東京まで行くのって辛いかなぁ・・とか、緊急当番の時どうしよう、みんなに迷惑はかけたくないし・・とか、悩むところはいっぱいあります。

でも、このブログで宣言しちゃえば、あとはもう頑張るしかないですからね。

一度はあきらめた道ですから、ここで学ぶことになったと言う事は、きっとそうするべきなのだとも思います。
そういうめぐりあわせって、あると思うので・・。

来週早々に入学金を払い、書類を送ればもう後戻りはできません。

私にとっては、新しく未知の世界の扉が開くのです。

それを思うと、不安は一転好奇心と喜びにも変わります。

今は表裏一体の気持ちの中で、それでも踏み出さずにはいられない自分に正直に進んでいきたいと思います。

2011-04-14 23:38:16 | 訪問看護、緩和ケア
先日亡くなられた患者さんのお宅へ、お線香をあげに伺いました。

古いけれど、小さな庭のある大きな家です。

窓辺に君子欄が見事に咲いていました。
南に向いたその部屋で、その家のご主人は静かに旅立たれました。

2日前には待望の訪問入浴をとても喜んで、前日には大好きな海を見に、家族全員で行きました。

主治医も私たちも「ぜひ、行ってください。」と送り出しました。

もし、万が一途中で呼吸が止まっても、そのまま連れて帰って連絡をもらえれば、不審死扱いにならないこともお話ししました。

奥様は、本当はもう少し時間があると思っていたのだそうです。

けれど、訪問診療と訪問看護が入り、残りの時間がほとんどないことに驚いたようでした。

それでも急遽車を手配し、ご主人もちゃんと海を見て、たくさん思いで話をして、自宅に帰ってくることが出来ました。
そして、その夜から深い眠りに入り、翌日本当に眠るように旅立っていかれました。


その奥様が、ご主人の笑顔の遺影の前で、こんなこと言いました。

「ちょっと、ご相談というか・・・。」

「本当はこの家を手放して、海のそばに家を買って最後の時間を過ごそうかと思っていたんですが、それも間に合わなくなってしまって・・。私たちには小さな家がもう一軒あるんです。
私はもう一人だし、主人のこれ(遺影やお骨)をもってそちらに移ろうかと思っているんです。
今、東北の人たちは避難先がなかったりで大変でしょう?
こんな古い家でよかったら、子供さんがいる大家族の方に来てもらったらと思うんです。
2年ぐらいすれば、また東北に帰れるでしょう?それまで、売らないで使ってもらう事出来るかしら?と思って。」

とても胸が熱くなりました。
自分だって、最愛の夫を亡くして、まだまだ悲しみや寂しさは癒えないはずなのに、ご自分で何ができるかをきっとずっと考えていたのでしょうね。

今、そういう善意があってもいろんな障害が立ちはだかって、もしかしたら思うようにいかないかもしれないけれど、でもやってみないとわからないですよね。

「すごくいいと思います。きっとご主人はそれが出来たらとても喜ばれると思います。」
そんな私たちの言葉に、「区役所に相談に行ってきます。」と恥ずかしそうに笑って答えてくれました。
もしかしたら、後押しをしてほしかったのかもしれません。

この家で、小さな子供やお年寄りのいる家族が、故郷復興の日まで元気に暮らし、て生活を立て直すことが出来たらどんなに素敵でしょうか。
もし、そんなことが出来たら、たくさんお手伝いがしたいのに。
同行したケアマネと、うるうるしながら「かなったらいいね。」と言いながらもどりました。

福島差別がささやかれる一方で、ちゃんと正しい目で何とか支援しようとする人たちもたくさんいます。
ほとんどの人がそうなのだと思います。

そういえば、いつも素敵だなあと思いつつ読んでいる有賀先生のブログ「緩和ケア医の日々所感」にとても思い白いというか、なるほどなあという記事がありました。

一つは、「下痢には炭酸飲料」の話と「放射線の知識の整理」という話です。

なんだか、読んでいたら元気が出ました。
テレビで盛んに言っている放射線って、こういうことなのかと少し納得。
ヘぇ~!!って思いますので、ぜひ読んでみてくださいね。

怒り!福島差別?!

2011-04-12 21:55:06 | 日々のあれこれ
日本は、こんな災害にあっても、秩序をもって前を向いて、立ち上がろうとしている。
そして、世界中の人たちが、日本のために祈っている。
そんな風に思っていました。
みんなで頑張ろう!日本は一つだと。

でも、今問題になっていることがあります。

福島差別というそうです。

福島ナンバーの車に石や卵がぶつけられたり、福島から避難してきた子供が、福島から来たと言う事だけでいじめられたりするのだそうです。

その話を聞いて、怒りで体が震えました

何故、何のために、何を思ってそんなことをするのか?!

一部の、本当に知的レベルの低い、人間的な感情の欠如した人間がやっているのだと思いますが、そんな人間が日本人の中にいると言う事も許せません。

福島の人はもちろん、東北や茨城や千葉や、今回被災した人たちが、たまたまその土地に住んでいたというだけで、もしかしたら、関東大震災だったかもしれないし、違う土地だったかもしれません。
そして、福島はさらに関東に電力を送るために、土地を提供し働いてきてくれた場所です。
どうしたら、その人たちに拳を上げることが出来るのか??

怒りと悲しみでいっぱいになりました。


そしてもう一つ思う事。
有名人もそれぞれが、支援活動をしていますが、それに対して「偽善」だとか「売名」だとかいう人たちがいます。

杉良太郎さんは、今までも大災害の度に、名前を伏せて泊まり込みで炊き出しをしてきたそうです。
いろいろ言われるのが嫌で、取材も一切断ってきたものの、それも面倒になり今回はすでに現地入りして炊き出しを続けているそうです。
そんな彼に「これは売名ですか?」と聞く人がいて、彼は「そうですよ。売名です。」そう言って笑って返しているそうです。

有名人だって、そうでなくたって、きっと何かせずにはいられない思いは同じはず。

小錦さんが、「僕は、日本人だから、少しでも早く、何かせずにはいられない。」と言って、支援物資をもって、ちゃんこの炊き出し5000人分の用意をしてチームで現地入りしています。

彼らから、そんな低い志は感じませんし、そんな低い志の人は、自ら汗を流して現地に入ることはしないと思います。

いったい、なにが「売名」で何が「偽善」なんでしょうね。

そういう言葉を投げる人たちは、一体なにをしたんでしょう。

お金がたくさんあって、野心がある人がいて、その人がたとえ売名でも偽善でも、何もしないよりはしたほうがいいに決まってるじゃないですか。

私は素直に「ありがとう!」と言いたい。

そして私たちは、私たちができることを考え、頑張っていくしかないのです。

Play for japan

誰が気ずくの?助成制度

2011-04-11 21:34:01 | 訪問看護、緩和ケア
すでに長いこと訪問している患者さんのご家族に、訪問看護で伺うことになりました。
以前から、「お手伝いできますよ。」とお話ししていましたが、お若いこともあり、自律の強い方でご自分で頑張って通院していました。

先日、初回訪問すると、人工肛門のパウチが残り少ないから注文しなきゃ・・と電話をかけていました。
「高いんだよねこれ・・」

「あれ?助成を受けていないんですか?」と聞く「え?だって、ずっと前に補助はないの?って聞いたらないって言われたんだけど。」とのこと。

あちこち調べてみたら、当初一時的なストマとして作られたため、身障の対象にならなかったのだと言う事がわかりました。

でも、それからすでに4年近くたっています。
病状の変化があり、治療も次々行っているうちに、閉鎖できる可能性はずいぶん前に無くなっていました。
もちろんこれからもです。
パウチは、自費購入するととても高価なものです。
さらに、ペーストやパウダーや保護剤など加えると、とても高くて経済的に厳しい状況では、なかなか思うように揃えることはできません。

さらに、腎瘻も造られたので、どう考えても身体障害者1級を取ることが出来ると思うのですが・・。

人工肛門に装着するパウチは、いろんな会社からいろんな種類が出ていて、最初はWOCナースとかが選定してくれていろんなアドバイスをしてくれますし、なにかトラブルがあればストマ外来などで相談できるようになってきています。
だいたい自費で購入すると、ワンピースタイプのもので6枚から10枚1箱で5000円から10000円前後と幅があります。
その人のストマに合うものを、そこから選定します。

通常は、ストマを作って半年すれば内部障害で身体障害者の申請をすることが出来ます。


5 内臓の機能障害
 4 ぼうこう又は直腸機能障害
等級表1級に該当する障害は、次のいずれかに該当し、かつ、自己の身辺の日常生活活動が極度に制限されるものをいう。
a.]腸管のストマに尿路変向(更)のストマを併せもち、かつ、いずれかのストマにおいて排便・排尿処理が著しく困難な状態(注11)があるもの
b.]腸管のストマをもち、かつ、ストマにおける排便処理が著しく困難な状態(注11)及び高度の排尿機能障害(注12)があるもの
c.]尿路変向(更)のストマに治癒困難な腸瘻(注13)を併せもち、かつ、ストマにおける排尿処理が著しく困難な状態(注11)又は腸瘻における腸内容の排泄処理が著しく困難な状態(注14)があるもの
d.]尿路変向(更)のストマをもち、かつ、ストマにおける排尿処理が著しく困難な状態(注11)及び高度の排便機能障害(注15)があるもの
e.治癒困難な腸瘻(注13)があり、かつ、腸瘻における腸内容の排泄処理が著しく困難な状態(注14)及び高度の排尿機能障害(注12)があるもの


この中に当てはまれば、医師に診断書を書いてもらい、身障が下りるまでに1か月位まち、その後各区役所に書類を提出して助成金を出してもらえるようになります。
これは所得に応じますが、非課税であれば購入に十分な助成金をもらえることが出来ます。


で、この方の場合も、今月中に申請すれば、パウチの助成も4月から受けられることになりそうです。

ただ・・。
今回、初回訪問で初めて気が付いたわけですが、今まで病院や区の担当ケースワーカーは、なんで教えてくれなかったのだろうかと不思議です。

経済的にも家族背景も、とても大変で区のケースワーカーも関わっていたのに・・・

長い間に、一時的と思ったストマが永久ストマになったことも、そのため何年も苦しい経済状況の中、自費でパウチを買っていることも、病院やケースワーカーからも、すっかり忘れ去られていたのでしょうね。

もう少し早く関わらせてもらえれば、もっといろんなことが整備できたのですが、ご家族の訪問をしつつ、いつもはらはら見ていることしかできませんでした。
ですから、いよいよ辛くなって、やっと私たちを受け入れてくれた時は、正直ほっとしました。

ただ、パウチがはがれやすく、寝ていることが多いなかで、ガス抜き穴もなくいつもガスでパンパンに膨らんでいます。

他にも皮膚トラブルがあるので、パウチの選定をし直さなければなりませんが、この数年通院先の病院でWOCナースの指導も受けた事がないとのことでした。

「お金が下りたら、もっといいパウチが買えるね。他にも必要なもの有るんだよ。」

ちょっと安心したように、そんなことを言っていました。


私たち訪問看護師は、医療的な事だけやっているわけではありません。
今向き合っている人が、もっといい環境でいられるために、抜け道、横道回り道をいつも探しています。

小さなことでも、私たちの持っているネットワークで、いい案が見つかるかもしれません。

そんなことが出来るのも、訪問看護なんだけれど、もっと早く出会えたら・・と思う事がたくさんあるんですよ。

さくら日和

2011-04-10 21:14:39 | 草、花、収穫
今日は薄曇りながらも、さくら日和となりました。
陽気はホンワリ暖かで、誰もが桜を見に行きたくなる日曜日でした。

娘と夫と3人で、まず向かったのが海軍道路。

ここは、米軍の通信隊があり(現在は使っていない?)有事の時には戦車が通れるように約3㎞の直線道路があります。
そしてその道路沿いにはソメイヨシノが桜のアーチを作っており、このあたりの桜の名所になっています。

                        
  
      

案の定花見渋滞に巻き揉まれましたが、車中からゆっくり花見です。

桜の木の根元にも、こんな花が・・

途中から左折して中屋敷を抜け、本郷にある徳善寺の桜を見に行きました。
ここは、地元の人しか知らないので、すごく穴場のパワースポットです。

山門への道は、ピンクに染まって花びらが舞い散っていました。
「わ~きれい!!」娘が声を上げます。



       
         
    



      
 

山門を入るとお地蔵様が穏やかな表情で並んでお出迎えです。

            

奥にはこんな桜もありました。



白くて姿かたちの美しい桜です。
  
                        
徳善寺は曹洞宗のお寺さんで、秋には萩の寺として地元では愛されています。
瀬谷八福神の一つにもなっています。

付近にはこんな小屋もあってタイムスリップしたみたいです。
この辺は昔話がだくさん残っていますよ。


庭の散策をしてから、ついでに矢指の森まで行ってみました。
東野から私の大好きな市民の森を抜け、聖マリ西部病院を右折して矢指の森の入口まで走ります。
畑のわきに車を置かせてもらい、そこから数分あるけば、桃源郷のような里山が姿を現します。

本当にここは横浜?と思える、のどかな里山の風景です。



        

                   

菜の花畑は、まぶしいほどに黄色く輝いていました。
         
           これはなんでしょう??
桃?緋桜?
畑のわきには土筆も顔を出していました。


横浜のチベットとか、横浜の僻地とか言われる瀬谷区ですが、こんなきれいなところです。
他にも、きれいなところはまだまだたくさんあるんですよ。
お近くにお寄りの際は、ぜひお寄り下さいね。