こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
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どこを支えるかという話で・・

2012-05-31 23:15:45 | 訪問看護、緩和ケア
今日、学生さんとの中間カンファレンスで、ちょっと話したことですが・・。

Aさんは料理自慢で、忙しい娘や孫のために、家事全般をきりもりしてきたスーパーおばあちゃんです。

ですが、病気が進み徐々に家事が出来なくなっていきました。

「家にいたい。そして、家族のために、友人のために、美味しい料理をいつでも出してあげたい。素材を厳選して、美味しくて体に良いものを、常時作り置きしていたい。」

その思いはとても強くて、座っているのさえやっとの状態でも、Aさんは這うように台所に立ちました。
そして、何度も倒れたのです。

仕事を持つ娘さんはほとほと困り、ヘルパーさんを依頼したいと思いましたが、本人はなかなか了承しませんでした。
唯一、担当の訪問看護師だけは受け入れていていましたが、だからと言ってストマの貼り換えも、身体をふくこともなかなか了承してくれませんでした。
そのかわり、最初の頃はAさんの作った煮物を山ほど食べることと、その作り方を聞くことが仕事となりました。(私は、これもありだと思っています。)

そうしているうちに、Aさんは担当のナースに少しずつ体を委ねてくれるようになりました。

やがて、トイレにもいくことが難しくなり、Aさんは入院しました。
以前にも書きましたが、入院先から「冷凍してあるわかめを煮て、食べてほしい。あの若芽が気になって、落ち着いていられない。」という電話をしてきたりもしました。

そのAさんが、小康状態でまた帰ってきているのです。

そして、今はヘルパーさんに料理指南をしているのです。

本当は、オムツ交換や保清目的のヘルパーさんです。

でも、彼女はそれを許しません。
そのかわり、たくさんの料理を作るように指示するのです。
味付けも、一つ一つ丁寧に、自分の味を伝授します。
そして、どう考えてもそれは彼女が食べるというより、家族が食べるものだと思うのです。


学生さんは、これをどうとらえたのでしょうか。

介護保険では、家族の分の食事を作ることは、認められていません。
それに、プランにないサービスも行ってはいけないことになっています。

でも、そんなことが通じるAさんではなく、思いは一つ。
「美味しいものを食べさせたい。」

看護上の問題をどうとらえるのか、学生さんと考えてみました。

ここで、Aさんの苦しみは何なんだろうかとかんがます。

いままで、家族を支えていた自分が、逆に世話にならなくてはいけない。
自慢の料理の腕が振るえない。
家族の喜ぶ顔が見られない。

では、支えは何でしょうか。

もちろん家族や、担当の医師や看護師があります。
でも、今のAさにとって、Aさんが自分の味で、自分が作ったっと同じ料理を、家族に振舞えること。が大きな支えと考えます。
Aさんは、自分ですべてを準備して、調理することは出来なくなりました。
自立と言う意味では、自立はそこねられました。
でも、自分が信頼したヘルパーさんの横で、自分のやり方で作ってもらうこと。
自分の台所を委ねられる。という意味では、自律が達せられたと言う事になります。

ここを踏まえて、次回看護展開を頑張ってね。とお話をしました。

在宅緩和ケアでは、こういう話はよくある話ですが、ただ・・。
介護保険っていう枠組みの中で、どこまでそれを受け入れるかっていう問題は別物なんですね。
いくら自律を支えるって言っても、指摘されかねないぎりぎりの線を行くことだって、時には必要なのですが・・。

プランの内容は変えてもらうとして、調理の補助として位置ずけるしかないのでしょうね。

在宅では、それなりにファジーに考えないと成り立たないことはたくさんあります。
だからと言って、何でもアリはやはりダメです。
これもケアマネさんやサ責しだいで、だいぶ解釈が違いますし、いつも悩むところではありますね。
在宅緩和ケアとか看取りを叫ぶ社会で、どう解釈するべきか・・・

うーん。これぞ理想と現実のギャップです。



生保をめぐるあれこれ

2012-05-30 20:36:41 | 訪問看護、緩和ケア
最近、お笑い芸人の河本が、母親の生活保護が不正受給だとかなんとかで騒がれていますね。

生保の話になると、なんとなくタブーな感じがして、私自身いろいろ思うところはあるけれど、ちょっとネット上には書くのをはばかる感じになっていました。

でも、実際生保をめぐっては、さまざまな問題が有りますよね。

最低年金で爪に火をともすように暮され、病院にすら行くのをためらうような生活をされている方は、実はかなりの数いらっしゃいます。

かたや生保の方は、毎日ヘルパーさんが入り、往診も訪問看護も何の心配もなく、通院のタクシー代も支給され、病院も施設もほぼ無料で、安心して日々を暮されていることも事実です。

だからと言って、支給をしめつければ、本当に困ってしまう方もいて、本当に困ってしまう方をすくうためには、どこかで目をつむるしかない状況もあります。

実際、最低年金の方と比べても、余裕があるのは生保の方のように感じますが、外から見たのと実情とでは違ったりもしますから、あまり主観的なことは言わないほうがいいのでしょうね。

ただ、この生保をめぐって、巷では悪質なビジネスが横行しているのです。

横浜は、知ってのとうり日本3大ドヤ街の一つである『寿町』があります。

ドヤ街は、犯罪者、失踪者、生活困窮の果てにあちこちから流れてくる方など、ごっちゃ混ぜで、実際の人口はわからないそうです。
なかには、昔は大学教授だったり、会社の社長だったりという、高学歴の方も結構いると聞きました。
私が、ウン十年前学生だったときに、寿保健所に実習に行ったときには、結核の有病率が70%近かったように記憶しています。
これは、木賃宿と呼ばれる簡易宿泊施設(一日数百円から数千円で泊まれる宿)の寝具からの感染で、かろうじてシーツだけ変える煎餅蒲団で、次々と感染していったようですね。
今は、保健所の指導も厳しくなったと思いますから、だいぶ改善されているのでしょうが、その分木賃宿の宿泊費も上がると言う事ですね。

で、こういう流れの困窮者や、公園や橋の下で寝ている浮浪者の人に、うまいことを言ってタコ部屋のようなアパートに連れてきては、生保を申請させて、生保の受給日になると、貰った直後に家賃だの食費だのと言ってほとんど巻き上げるという人たちがいます。
横浜は結構多くて、この手の宿泊施設は各区に何カ所かあるようですね。
生保の受給日は、取り立ての人が外でいっぱい待っているそうです。

また、身寄りがなかったり、介護者に介護力がない人たちが、いよいよ寝たきりになると、こういう生保の方ばかりを集めて、入院させる病院があります。
病院と言っても名前だけで、中身は相当ひどいものだそうで、みな失意のうちに亡くなっていくような場所だと聞きました。
何故、生保かと言えば、お金のとりっぱぐれがないからで、もともと身寄りもない方が多いので、何をしても誰も文句を言わないので、医療費を散り放題出来るという、おそろしい実情があります。
もちろん、看護師なんて数えるほどしかいないし、清潔の援助なんてするはずもなく、入浴介助1回1000円なんて言われるそうです。

で、月に何百万円も国保に請求が上がっていくというわけです。

何でこんな病院が摘発されないのかと言えば、地域で行き場を無くした人たちを、受け入れてくれる場所がそこしかないからで、いわば「必要悪」とされているのでしょう。
こういう話を聞くたびに、ひどく不愉快な気分になります。

ほかにもあげればきりがなく、訪問看護だって、うまく搾り取ろうと思えば、いくらでもできちゃうわけで、これはもうそれぞれの良心に任せるしかない状況です。

でも、これって本当におかしなことですね。

大阪では、生保Gメンを発足したっていいいますが、これも反対する人たちはいて、じゃあだれが適正な対象者を見極めるのだろうかと考えてしまいます。

なにしろ、私たちの税金はこれからも増え続けるだろうし、生保受給者も増え続けていますから、どこまで国民が持ちこたえるかという話になってきますね。

私たちの子供たちの時代になったら、それこそ年金どころじゃなくて、自分たちの生活も立ち行かなくなるんじゃないかと思っていしまいます。

日本って、こんな国だったっけ??

そんなことを思うこの頃です。

今日からまた実習生

2012-05-28 23:17:19 | 訪問看護、緩和ケア
うちは、看護師12人のステーションですが、何故か実習生が年々増えてしまっています。

最初は、市大の看護学生だけでしたが、その後県立の看護学校が二つも来るようになってしまいました。
その他にも、看護協会の訪問看護研修生とか、市連絡協議会の潜在看護師研修とか、最近では連携先のクリニックから研修医までもがやってくるようになり、もはや限界になってしまいました。

看護学生の実習に関しては、教務の先生の泣き落としに負けてしまった故もあり、スタッフにはずいぶん負担をかけてしまっています。

何故かと言えば、世の中の看護学生の実習受け入れ先があまりにもないからなのです。

特に、県立や私立の看護学校や大学は、予算がないため学生一人につきかなり低い指導料なので、同行したり指導したりするスタッフに指導料を付けられないと言う事もあります。
はっきりと、支払われる指導料で受け入れを決めているステーションもあるくらいです。
国立や私立の看護学校は、かなり予算をとってあるようで、指導料も数倍支払われるそうですから、両方から声をかけられれば、高い方を選んじゃうのはしょうがないのかもしれませんね。
うちは、もともと市とか県を受け入れているので、料金は関係なく、後進の育成や地域看護に興味を持ってもらうためと思ってやってきました。

それでも、来年度はもっと増やしてもらえませんか?とすがられてしまうと、本当に困ってしまいます。

実際、看護大学が開設されたりすると、大きな病院などは全部看護大学の実習を優先的に受け入れるので、看護学校は締め出されてしまう事があるのだそうです。
これが、第2看護科(准看から正看になる為の学校)になると、もっとなくなってしまうのだそうです。
いくらなんでもそれはないなぁ・・と思います。
看護大学優先って言うのはどうかと思うのですが、ほかに基準があるのかもしれませんから、何とも言えません。
なので、ついつい受け入れてしまうのです。
とはいえ、うちももう飽和状態です。
できれば、市や県ももっと予算を取らないと、不足が叫ばれている看護師が育ちませんよ~。と叫びたいですね。
そして、訪問看護ステーションも後進のため、少しくらい受け入れてあげてほしいものです。

看護学生さんの一生懸命な姿勢や、キラキラした目は、患者さんにとっても元気のもとになったりもします。
嫌な人もいるけれど、意外に喜んでくれる人も多いものです。

そう言えば、病院の連携室からも断られることもあるそうで、人材を育てるうえで、こういうところから行政は考えないとダメでしょう。
実習生受け入れ加算とかあると、受け入れ先増えるかもしれませんよね。
って、お金ですか~。

始めてのweb試験

2012-05-27 22:46:28 | 大学の事
今年度から、単位認定試験が自宅でWEB上で出来るようなりました~。

それまでは乗り換え乗り換え、朝早くから東京のずっと端っこまで行っていましたから、これはもう本当に有りがたいことです。

機能も必死にチェックしなおした発達心理学Ⅰですが、どうもも相性が悪くて、何回やっても赤点ぎりぎりまでしか取れません。
なんでこんなに頭に入らないのか、私の認知力が著しく低下しているのか、設問のやたら長ーい文を読んでいるだけで、クラクラしてなかなか次に進まないのです。

とにかく、もう当たって砕けろでやってみました。

WEBの環境を整え、何があっても試験の間は集中しないといけません。

でも・・
奴がいるのです。すぐそばに・・・
ケージの中に入れて置いても「遊んで!遊んで!」モードで騒がしい。


それでも無視して試験開始となりましたが、案の定相性が悪くて、なんだか初めて聞くような単語やら、難解な言い回しのやたら字数の多い設問にイライラしながら、あっというまに時間いっぱいで終了しました。
結果は・・たぶん赤点ぎりぎりでの合格と言うところでしょうか・・。あーやだやだ。
普通に読むと、はーなるほどな~。となる教科書ですが、なんか意地悪な試験でした。
要は、ちゃんとわかっていないと教科書見てもわかんないぞ!と言う事のようです。

2時限目は「生活環境論」でしたが、たぶんこれは大丈夫だと思います。
シンプルな設問が、すごく嬉しかったですわ。

今日は、この2時間で終了です。

卒業まで、1年延ばすことにした私です。
色々なことにハラハラしながら、キャンセルばかりのスクーリングは、今年全般はあきらめて、毎月このWEB試験で、取れるものは全部取ろうと心に決めた私です。

まあ、急がば回れ。と言うことわざもあります。
私は、私の環境の中で出来るスピードで、ゆっくりゆっくり、でも絶対にあきらめないで卒業したいな・・と思っています。
今までだって、さんざん回り道をしてきましたからね。
回り道だって、ちゃんとそこには意味があるのですよね。


というわけで、今日も一日が終わってしまいました。

ここからは、うららワールドでお楽しみくださいね。

        

横浜の訪問看護事情

2012-05-26 22:31:10 | 訪問看護、緩和ケア
昨日は、19時から医師会立の訪問看護ステーション連絡会がありました。
もともと市の連絡協議会の前身として行われていましたが、市のステーション連絡会から協議会と大きくなり、いつのまにか無くなっていしまいました。
でも、やはり同じ医師会立のステーション同志、同じ悩みや痛みを共有できる仲間でもあります。
今回、鶴見区メディカルの栗原さんと、神奈川区の神川さんの音頭で、久しぶりに実現しました。

今日は、診療報酬改定についての勉強会と、お互いのステーション事情等の情報を交換することが出来て、本当に楽しい時間を過ごせました。

訪問看護事業協会調べでは、24年度の訪問看護ステーション数6151箇所、うち神奈川県は342か所と東京、大阪に次いで多く、そのうち横浜市内だけで140から150前後あるのです。

医師会立は、各区にもちろん1カ所づつあり、鶴見は第3ステ―ションまであります。

しかし、区内のステーション数はとてもばらつきがあり、栄区のように「訪問看護ステーションは1カ所しかありません。」と言うところから「8~9か所あります。」というところまであり、実情は各区で大きく変わってきているようです。

また、訪問看護ステーションはいくつかあるけれど、24時間を取っているところが医師会しかないので、神経難病とターミナルが集中してしまう。と言う悲鳴もありました。

医師会立の訪問看護ステーションでは、医師会との関係がそれぞれの最大の興味であります。

認定看護師や専門看護師の研修を認めてくれたり、お金も出してくれる理事もいれば、訪問看護に無関心の理事もいたりと、これも大きくお家事情は違うようです。

どちらにしても、お互いの内部事情がよくわかるので、それぞれのステーションで、理事に発言するのにも、かなり心強い情報元となりそうです。

そんななか、どうやら訪問看護やケアマネを、新手のぼろもうけビジネスにしているところが出てきているようで、本当にびっくりしました。

訪問看護ステーションが増えることは、地域にとってはとてもいいことなのですが、ステーションによっては熾烈な生き残り競争にもなりかねません。

訪問看護は、医師の指示書がないと始まりませんし、介護保険が始まってからは、ケアマネの影響も強くなっています。
ここに目をつけて、営業マンを病院にはりつけて、独占してごっそり、退院の時からケアマネごと持って行ってしまう大手事業所も出てきていると言う事です。
そういえば以前、訪問看護ステーションの中には、ケアマネさんに付け届けをしているところもあると聞いたことがあり、ちょっとびっくりしています。

ほかにも、かなりぎりぎりの手法で、ケアマネ、訪問看護、訪問介護など利用者獲得をしているところがあるよ、と聞きました。

なんだか、寒ーい話だなぁ・・と思いました。

いつも患者さんのために、地域のなかでみんなで見て行こうと思ってやってきましたから、いろんな事業所とも仲良くやってきたし、区内の訪問看護ステーション同士も仲良くやってきました。

でも、そういう新手のビジネスとしての訪問看護が乱入してきたら、瀬谷区はどうなっちゃうのかなぁ・・。
いやいや、瀬谷区は在宅の先生も、病院の連携室もそんな事では動かされないと思いますから、ちゃんと公正な目で依頼をしてくれると思います。

うちの場合は、医師会立なのに、医師会の先生があまり訪問看護を理解したり、必要と感じて頂けないので、やはり広報活動は必須なのだと思います。

うちもついこの前まで、亡くなられたり入院される方が多くて、空きが目立っていましたが、このところでいつのまにか詰まってきました。

あまり、無理な訪問をスタッフに強いることはしたくありません。
何年か前、あまりのハードな業務に、疲弊しきってしまった私たちがいます。
自分たちが疲れ切ってしまったら、患者さんにも影響が出てしまいますからね。
だからと言って、仕事がないのも困りものです。

これから、この業界はどこに向かっていくのかなぁ・・。

ところで、明日は朝から初めてのWEB上での単位認定試験です。

私の苦手な生涯発達心理学です。
教科書見ていいのに、何度到達度テストをやっても赤点ぎりぎりになってしまいます。
文章を読んでいるうちに、集中力が続かなくなって、ごちゃごちゃになってしまいます。
教科書自体も、なんか読みにくい、というか肝心なことがどこに書いてあるのかわからないというか・・。
私だけでしょうか・・とほほ。

これから、もう一度復習をします。
はぁ~。辛い。


リハビリ命?!

2012-05-23 23:20:47 | 訪問看護、緩和ケア
独居で身寄りもなく、昔に捨て去ったもの数々。
ひたすら、自分の気の向くままに生きてこられたBさん。

当然、病気になってもやりたいことは、絶対やりたい!
やりたいことが出来ないのは、誰かのせいなので、当然不自由になった体や、そうなる原因の病気のことも人のせい。

そんなBさんも、さすがに寝たきり状態になってしまい、しばらくはじっとベットの上にいました。
でも、根本的になんでも自分で好きなようにしたい方なので、とにかく何とか動こうと努力しました。

周囲を振り回し、怒鳴り散らし、かみつきながらも、どんどん良くなってきました。
「リハビリやらせろ!俺を外に連れて行け!」と騒ぐほどのリハビリ好きで、まさに「リハビリ命」という感じでしょうか。

これはもう、目を見張るような回復ぶりで、自分で寝返りすら難しかった状態から、いつのまにか端座位がとれるようになり、立位が出来るようになり、最近ではつかまる場所さえあれば、階段昇降もできるようになりました。

とにかく傍若無人なBさんですが、BさんにはBさんなりの言い分もあり、もっとな意見もあったりして、納得のいく支援が受けられると、満面の笑顔で「ありがとう!」とか言ってくれたりもします。

看護師は、彼の怒りのトリガーポイントを心得ているので、言葉のキャッチボールをしながら、出来ること、出来ないことを伝えてきました。

今日も、ステーションの裏口から、にぎやかな声が聞こえます。

「きたね。Bさん。」
事務のOと裏口を見ると、今日の担当看護師Yが、Bさんに手を貸しながら歩かせています。

ニコニコ笑いながら壁を伝い、右の片麻痺はあるものの、上手に歩いています。
ステーションの前まで車椅子で来て、そこからは自分の足で歩いているのです。

「お!すごい!Bさん、一人で歩けるようになったね!」
と声をかけると、うれしそうに「へへっ」と笑い、とうとうステーションのなかまで入ってきました。
そして、オフィスチェアを指して「ここに座る!」といい「なんだ、動いてあぶねーな。」とか言いながら、ちゃっかり座り込んでしまいました。

しばし、周りをみまわし、軽口を言って言いましたが、看護師のYの「さ、そろそろ帰ろうか。」の声に「おお!」と素直に答え、またステーションからゆっくりゆっくりと去っていきました。

他のスタッフが、「そういえば、このまえ裏の有料老人ホームのバラがきれいだから、そこのフェンスに連れて行ったら『このバラのとげのせいで、手が傷だらけになったんだ!!」って、怒ってたのよ。」と笑って話してくれました。

Bさんにかかっては、きれいに咲き競うバラより、安全に歩行練習が出来るよう、何もないフェンスのほうがいいのでしょう。

そんなBさんは、傍若無人でありながら、やっぱりどこか憎めないかわいいおじさんです。
紆余曲折はあったものの、結果オーライでここまで来れれば、振り回されたかいもあったというものですね。
お見送りが多いステーションですが、よくなっていく姿は、とてもうれしいです。

あとは、勝手に動いて転ばないように、それがみんなの願いです。

医療保険と介護保険

2012-05-21 21:16:15 | 訪問看護、緩和ケア
どういう根拠で分けられているのかわからないのが、訪問看護の医療保険と介護保険。

いいような、悪いような、有り難いような、迷惑なような・・・。

この振り分けは、慣れない人には何のこっちゃ・・という複雑なもので、年齢や病名や重症度で分かれています。

でも、症状も病態も利用するサービスも内容はほとんど変わらいと言うものが多いのです。

たとえば癌であっても、主治医が「まだ終末期とは言えない!」と言えば介護保険で、同じような病状で「もう終末期です。」といえば医療保険になります。
でも、そんな予測はおおかたひっくり返るもので、その線引きなどは、あってないようなものですね。

患者さんの背景などをご理解いただける先生と、病気しか見ていない先生とでも、全く反対になるわけです。

神経系の疾患でも、同じような病態で、同じような経過をたどる病気はたくさんありますが、指定された特例疾患の病名があれば医療保険になるわけです。

この曖昧な線引きは、介護保険が他のサービスでいっぱいの時などは、介護保険の単位を圧迫しないので、とてもありがたいのですが、特定疾患や重度障害をもたない末期がんの若い患者さんには、3割負担が重くのしかかるのです。


医療保険でも、3割負担もしくは1割負担の方がいるかと思えば、重度障害や特定疾患で公費負担となり、負担額ゼロの場合もあり、同じように病気で苦しんでいるのに、なんだかなぁ・・と思う事もしばしばあります。

たしかに、長期にわたる障害で仕事もままならず、介護の手もよりたくさんかかるわけですがら、必要なことだとは思いますが、かたや必要な回数訪問できるひとと、病状が進んでも、経済的な理由から訪問を最低回数に抑えなければならない人がいるのは、やはり心苦しいと感じてしまいます。

もう一つは、利用時間の問題もあります。

介護保険は、細かく利用時間が分けられていて、最高でも90分以内と決められていますが、医療保険は23年度までは2時間以上から時間外料金の加算をとれると言う事になっていました。
つまり、2時間以内が訪問看護の実施時間として問題ない。という認識で医療保険の訪問看護が理解されていたわけです。
実際、2時間をいっぱいいっぱいご利用になる方は、限られていますが、それでも「2時間きっちりいてくださいね。」的な
ご要望もあり、介護保険の患者さんとはあきらかに利用時間で差が出てきます。
さらにそれ以上になることもあり、この時は実費で延長料金を頂くことになるのですが、シフトを組むに当たっては、介護保険の方のほぼ倍の時間を見越す必要があり、担当制のうちのステーションにとっては、担当者に負担を強いる事になります。

逆に、簡単な処置や点滴、介護指導とバイタルだけで、短時間で何件もまわる「処置やさん」といわれる訪問看護ステーションもあるわけで、この形で荒稼ぎしているところもあると聞きます。

こんなことをやらせているから、医療保険はパンクするんじゃないかと思ったりもします。

この格差は、やはり時間で料金形態を変えたほうが、みな納得するのじゃないかと思うのですが、そのへんのアバウトさを、どうしていくのでしょうね。
24年度からは、医療保険のなかでも特定の対象者に限り、90分以上は長時間訪問看護加算として、週に一回限り保険請求できることになりました。
あとから分かったことですが、週に2回目以降も90分以上で実費での延長料金を請求できることになりました。
つまり、ここで初めて介護保険の90分の訪問と並んだと言う事でしょうか。

実際、今回の介護保険の改定でも、内容を再検討して頂いて、ヘルパーと業務分担させていただき、実施時間を短縮していただいたケースもあり、内容の見直しは今後も必要になると思います。

なんとも、日本の医療制度は面倒くさいものですね。


ところで、今日は待ちに待った金冠日食の日でした。
あいにく、この辺は朝から雨。
せっかく1時間早起きしたのに、がっかりしていました。
それでも、後半雲の絶え間から、戻っていく太陽を確認できました。
ちなみに、息子が大学の門の前から、携帯で撮影した写真を送ってきました。

  

うーん。よく見ると、小さい小さい欠けた太陽が・・。

私は、日食なので周りも暗くなるのかと思ったら、あれは「皆既日食」だよ、と言われ赤っ恥をかきました。
情けない・・。

では、今日もウララで〆ますズッシリ、重くなりました~。

 


24年5月 庭

2012-05-20 15:26:10 | 草、花、収穫
5月の明るい庭に、次々と花が咲いています。

今はこの花、もう少しするとこの花と、一番心癒される季節ですね。

どんなに辛いことがあってっも、時は過ぎますし、季節はめぐります。
今が辛くても、これはきっといつか実を付けるために必要なことなのだと、繰り返し繰り返し思いながら、この季節を感じています。

まだつぼみの紫陽花が、青い空に向かって伸びていきます。

            

陽ざしを浴びて、いつかいっぱいに花びらをほころばせるために。


春から初夏にかけては、道端の雑草さえも輝いています。



メキシコ万年草

夏になればカラカラになってしまいますが、決してその根は負けてはいません。
毎年、この季節玄関わきの砂利道に黄色いじゅうたんを敷いてくれます。

これは・・忘れました。可愛い、白い小花。

紫蘭は満開です。

上品な立ち姿。

5月と言えば、あやめ。

そして大好きな花。
妖精のドレスみたいなニゲラ。

そして、ぼちぼちバラも・・
これは、つるアイスバーグです。

今年は、風雨に雹にといじめられても、我が家の草花たちは、ちゃんと愛らしい花をつけてくれました。

私も、少しづつ前へ進みます。
季節の花も、これから次々と咲くのだと思います。

来年は、どんな思いでいるのかな。

残された家族

2012-05-18 23:55:21 | 訪問看護、緩和ケア
訪問看護の役割は、患者さんの病気(療養生活も含め)を管理することではなく、それぞれの生活の中で、穏やかに暮らせるように支えるものだよと、学生さんにもよく話をします。

特に、患者さんを支えると同時に、そのご家族の心身の状況にも気を配り、サポートしなければ、生活のなかで療養を継続するのは、とても困難になります。

指導と称して、家族にあれもこれもと介護の場面を増やして行けば、どこかで破たんが生じます。

少しでも家族の負担を減らし、なおかつ患者さんが快適な状態で暮らせるように、工夫したり優先順位を決めたり、分担したり、時に目をつぶったりしながら、そのご家庭に合った暮らしを実現する。
それが、訪問看護師の役割であると思っています。

とはいえ、これはもうあたりまえの支援なわけで、訪問の度に看護師は患者さんへの声掛けと共に、「お父さん、どう?昨夜は寝かせてもらえましたか?」とか「奥さん、頭痛いの治りましたか?今日は顔色いいですね。」などどご家族にも声掛けをしていきます。

そのなかで、自然と信頼関係もできてきますから、ご家族からいろんな相談をされることも多く、ご自分の身体の不調などは、特に相談されたりします。
そして、家族のための訪問看護が、ご自分にとってもなくてはならないものになったりもするのです。

やがて、ご家族が亡くなったりすると、それまで入れ代わり来ていた、いろいろなサービスのスタッフも来なくなり、家族のいたはずの部屋は、ぽっかりと穴が開いてしまったように感じたりするのです。

同居のご家族がいらっしゃったり、ほかに気がまぎれればよいのですが、寂しくて悲しくて、何度もステーションに電話をしてきたり、ひょっこりこられたりすることもあります。

ですから、「追想の集い」などで久しぶりに会うと、抱き着いて「会いたかった!」と泣かれることもあり、そんな風に思っていただくことが、うれしいとともに、あとがすごく心配になったりするのです。


そんな淋しさからか、うちでは患者さんのご家族が患者さんになることがよくあります。

最初に訪問していた患者さんがいらっしゃるうちから始まる場合も、亡くなられた後にご希望になる場合もあり、ご家族に信頼して頂けているのだと思うと、本当にありがたいなと思います。


長いこと神経難病で寝たきりだった奥様を、それは献身的に介護して看取られた80代の男性。
担当のKがもう来てくれ無いことを嘆き、「自分が要介護になったら、かならずケアマネをやってほしい。そして、いよいよ具合が悪くなったら、訪問看護も予約する。」と宣言していました。
そして、事あるごとに、自転車でステーションにやってきては、「みんなでミカン食べてください。」とか「このお花、飾ってください。」などと、いろんなものを持ってきてくれるのです。
「自転車で転倒でもしたら大変だし、何もいらないので、寂しくなったら遊びに来てください。」とお願いしても、言葉少なにおやつを持ってきてくれました。
自転車でこちらに来るのは危険なので、担当のKは時々訪問の帰りにその方の家に顔を出したりしていましたが、とうとう介護度が付き、今では晴れてKがケアマネとなり、月に一回はじっくり話を聞く時間が持てるようになりました。
そして、最近めっきり体力も落ちて、あちこち体調がすぐれなくなり、そろそろ訪問看護も考え始めています。

やはり妻を看取る過程で、自分の病気の相談が多かったSさんは、妻の亡くなる前から、30分の訪問看護を希望されました。
妻を看取る過程で、担当の看護師をまるで娘のように感じたのでしょうか、今では看護師が来るという曜日は、まるで娘が来るようにわくわくして担当の看護師を待っていてくれます。

在宅酸素をやりながら一人で暮らされているので、担当看護師との時間は、きっと心が満たされる時間なのかもしれません。
ちなにみ、呼吸の体操のあと腕相撲をやったりしていた彼は、今日は「ダンスが流行ってるんだよ~。ダンスしようよ。」と言ったそうで、「それはだめ!」と断ると、すごく残念そうにしていたそうです。(笑)
なんだか、一歩間違えるとセクハラにとれるような会話でも、お父さんと娘の会話のように、上手にすり替えられる担当ナースの明るさが、すごくマッチしているなあ、と感心してしまいます。

長い間みていると、総じて夫が残される方が、落ち込みが激しいようですね。

なかには、夫を看取ったあと、あまりの淋しさに自分の主治医に訪問看護を希望して、指示書を貰ってきた奥さんもいて、もうかれこれ10年ちかく訪問している方もいらっしゃいます。
もちろん、皆さん訪問看護の必要性のある方なので、ちゃんと目標をもって訪問看護は行っていますが、こんな風に人と人が繋がっていくのも、訪問看護の素敵なところだと思います。

今日も、昼食を買いに酔ったコンビニで、「訪問看護の方ですよね。○○です、主人の時はお世話になりました。」と声をかけて頂きました。

あの時は、すっかり疲れ切って足を引きずっていた奥さんが、明るい笑顔で杖を持ちながらも元気に過ごされていることが、とっても嬉しかったです。

こんな風に、道で残されたご家族に会う事もよくあり、何年たっても覚えていて下さることが、本当にうれしいなぁ・・と思います。
正直、ご家族になかなかシステムのことや業務内容の事等ご理解いただけずに、四苦八苦することもありますが、たくさんのいい出会いのほうが圧倒的に多い事に、本当に感謝しないといけませんね。

やっぱり、救われているのは、私たちなのかもしれません。

PCO2

2012-05-16 21:54:55 | 訪問看護、緩和ケア
NIPPVをかたくなに拒否されていた患者さん。
先日の動脈血採血でPCO2は89%と、高値を示していました。

高いことは予測していましたが、こんなに溜まってたとは・・。

それでも、その日彼は「もう、これ以上はしなくていい。このままでいいんだ。」と言いました。

ずっと、考えていたのでしょう。
NIPPVの導入を了解したのは、周囲への気遣いからかもしれません。

その決心は、ゆるぎないもののようで、ご家族もそれを了承するしかありませんでした。

ここ数日、常に全身から汗がにじみ出ています。
浅い、早い呼吸。乱れる間隔。
終日リクライニング車椅子でウトウトとされています。
ベットで眠るのは苦しいのです。
それでも昼間は、意識もはっきりします。
でも、夜になれば朦朧としてしまいます。

昼は比較的はっきりしているものの、毎日訪問している担当ナースの顔を、どうも認識していないのです。

やはり、意識レベルは下がっているのか・・。

でも・・呼吸器を拒否した翌日、彼は再度NIPPVを装着しました。

今まで、長くて5分だったNIPPVを10分以上装着したのです。

かれは、「頭がすっきりした!」と言い、以後毎日10分とか20分ではありますが、一日数回装着するようになりました。

今も、担当ナースの顔は、はっきりしないようですが、NIPPVの勧めは拒否されることが無くなりました。

随分と、遠回りなことをやっているのかもしれませんが、私たちはとてもホッとしています。

CO2がはければ、彼はまだまだ歩くことも、手を使う事も出来ます。
食事もとれるし、猫を撫でることだってできるのです。

これから、ご家族に伝えたいことも、会いたい人に合う事も、行きたいところに行くことも、まだまだ可能性があるのです。

遠回りでも、本人が納得するのを待つと言う事も、大切なのだと思います。

CO2ナルコーシスの意識障害は、どれくらいになると出現するのかはわかりませんが、もしかしたら、少しぼんやりしている方が、苦しくないのかもしれませんね。


入院先から緊急電話

2012-05-14 23:28:15 | 訪問看護、緩和ケア
病状がすすんで、ついに歩けなくなってしまい、「家族に迷惑をかけたくない。」と言って、入院されたBさん。
常にマイペースで、絶対に思ったことを貫いてきた方です。
もちろん頑固一徹、女手一つで切り盛りしてきたパワフルな女性ですから、病に倒れても、決して弱みを見せたくないし、自分のことは自分でしたいのです。

そして、彼女の自慢は手先が器用な事。
ブローチや貝細工などを、抗がん剤でしびれた手先で、ずっと作っていました。
もう一つの自慢はお料理。
誰にも負けない母の味を、フラフラになっても作り続け、それを家族や周囲の人に伝授したり、ふるまったり。
日中働いている家族のために、自分はろくに食べれない身体で、調理をしては倒れこむ毎日でした。

担当看護師が訪問すると、病気のことよりもっぱら料理教室になってしまいます。

Bさんは、担当看護師に食べさせたくて、いろんな料理を毎回用意していて、その作り方を一通り聞いて、出されたものを食べないと、本題には入れない状況でした。
でも、それが一人で家族の帰りを待つ、Bさんの唯一の楽しみだし、家にいて大好きな料理を作って食べさせることが生きがいだったのですから、そんな訪問があってもいいのだと思って聞いていました。

やがて病状が進み、彼女は入院をすることとなりました。

病気の進行具合から、きっともうご自宅に戻られるのは難しいだろうとみんなで話をしていました。

そんなある日、ステーションで緊急電話が鳴りました。

スタッフの一人が電話を取ると「Sさん??私、Bだけど!!」といきなり話し出します。
高齢の患者さんは、緊急電話は自分の担当者が出ると思い込んでしまう事がよくあります。
Bさんもそう思っているようです。
「いえ、Sではないので今変わります。」
そう言って、担当に変わって話し始めました。

でも・・。
Bさんは入院中、のはず。なんで緊急電話?具合悪いはずだけど・・。
みんなも首をかしげます。

しばし話して電話を置いた看護師Sの話は、びっくりするやらおかしいやら、なんともBさんらしい電話の内容でした。

「Sさん。私はもう退院できないけれど、三浦のわかめが途中まで煮て冷凍庫に入っているから、うちに行ってそれを持って帰って、この前教えたように煮込んで食べて。」と言うのだそうです。
「ええー?!わかめですか?」
「そう、あの若芽が気になって気になって、気が気じゃないから、病院のトイレから隠れて電話してるのよ。いい?かならず取りに行って、煮て食べてよ。あんたにそうしてもらいたいんだから!!」

おお~。

車椅子で病院のトイレに連れて行ってもらって、そこから隠れて電話する内容が、わかめかぁ・・。

さすがだわー。

口々にみんな感嘆の声。

担当ナースは、「わかりました。それでは頂きに参りますね。」と言って談話を切りました。

もちろん、留守宅にとりに行くなんてことは出来ませんし、それを煮て食べるわけにもいきませんので、娘さんに電話をして事情をお話しし、Sが頂いて有難く煮て食べたと言う事で、話しを合わせて頂きました。


それにしても、この時期に冷凍庫のわかめを心配する、Bさんの主婦魂には敬服しました。

まして、それを家族ではない担当看護師に委ねるとは・・。
なかなかいい関係だったのでしょうね。

ちょっと、ほっこりするような話でした。

ちなみに、あとで見舞いに行った担当の話では、今とてもお元気で、転院の話が出ているそうです。
お元気そうで、ほっとしました。



  最後に、無理やり服を着せられたうーたんです。

                    

激動の1年だな~

2012-05-12 23:26:21 | 日々のあれこれ
私が厄年なわけではないのだけれど・・。

なにしろ、去年の秋からずっと、本当にしんどい年でした。
そして、これは今も現在進行形なわけで、これでもか。これでもかって追い打ちをかけるように、いろんなことが起きています。

そんな中でも、日々の生活は淡々と続いていくわけで、管理者としての仕事も、主婦としての仕事も、放りだすわけにはいかない毎日があるのです。

でも、本当はもうくたくたで、逃避なのかもしれないけれど、眠くて眠くて仕方がありません。
そのくせ、夜中に目が覚めたり、朝も早くから目が覚めてしまい、自分のバランスがとりづらくなっているのが不安です。
身体中が痛くて、身体もバラバラになりそうです。

「私、どこまで頑張れるかな~?」

なんて考えてみたり、なるようにしかならないのだから、流れに身を任せるしかない、と思ったり。

いままで、たくさんの患者さんにであって、まるで不幸の連鎖のように、苦しみの底に追い込まれていくご家庭を見てきました。

誰が悪いわけではなく、何故こんなにも辛いことが家族の中で起こっていくのか・・・、関わる私たちが絶句するような人生を歩まれていた方もいました。

でも、結局苦しんでいる人の、本当の苦しみはわからないわけで、どんなにわかろうとしても、それはしょせん他人事なのです。

でも、今は違います。

苦しみの中身は、全く違うかもしれないけれど、心の激しい痛みや、ぽっかりと口を開けた淋しさや、
言いようのない不安感や、出口の見えないトンネルの中でさまよう恐怖のなかで、私はそれが実感できるのです。

でも、不思議なもので、人間というものは苦しみの中でも少しずつ強くなれるのですね。

悲しみや、怒りや、苦しみに対して、少しづつ麻痺していくのでしょうか?
それとも、受け止めるすべを習得しているのでしょうか?

「肝が据わる。」

って言う言葉があります。

これは、半端な状況では座らないのだと言う事を知りました。

苦しみや不安の極限まで行って、初めて人は「肝が据わる。」ことが出来るし「腹をくくる。」事もできるのだと思います。

それでも、心は揺れ動きますし、それでも人は日常をこなしていくことが出来るのですね。

そして、その苦しみの中でも、人は笑うことが出来るし、希望を持つことも出来るのですね。

私は、強くなったのでしょうか。

「楽になりたい。」

心から、そう思います。

穏やかな、初夏の木漏れ日の中で、優しい気持ちで風を感じてみたい。


うららが、時折ベランダから空を見上げています。

ちょこんと座って、ベランダから小さな青い空を見上げているのです。

そこには、何が映っているのでしょうか?


大切な人は、大切な何かを、見失っています。

青い空を見上げることに、何の意味も感じないなんて、とても悲しすぎます。

暖かな日差しが降り注ぎますように。
香りのよい風を、胸いっぱいに吸い込めますように。

どうか、どうか、愛する家族が光に包まれますように。

医師の意見書

2012-05-10 23:59:30 | 訪問看護、緩和ケア
介護保険の認定審査会で、介護度を引き上げるも引き下げるも、医師の意見書が大きく影響することは言うまでもありません。

自分の担当の患者さんが、必要に迫られて介護申請や更新申請、まして区分変更などをするときには、心ある医師ならば、介護の必要性をきちんと記述してくれます。

医師の意見書は、病名と認知の程度と、日常生活動作の自立度、その他必要な医療処置や必要と思われるサービス、療養上の特記事項など、もろもろの情報を一枚の紙に書き込むので、確かに忙しい診療の合間に、丁寧に書くのは大変かもしれません。

でも・・

どういうわけか、カルテと勘違いしているのか、病名は全部略語。

CHF、CRF、HT・・・

これは、いろんな職種からなる合議体での会議なので、病名は略さず、読みやすく書くのが鉄則。

介護保険課の事務局も、???一生懸命調べてみたようです。
さらに、日常生活の自立度の項目に、「わかりません」の文字。
でも、調査上では機能障害や、問題が山盛り。
意見書と調査内容のかい離が激しすぎます。

これには、さすがに審査会の医師が怒りました。
「意見書を書くのに、患者を診ていないってことでしょう。これを資料にはできませんね。区役所は、何故これを受理したんですか?ちゃんと差し戻して、指導するべきでしょう?」と。

肝心なことは一切なくて、病名だけで他は全部安定中。ほぼ白紙。なんて意見書結構あります。

意見書を書く場合は、ちゃんと診察をしないといけませんから、「わからない。」のはおかしいのです。
わからなければ、家族から聞くことも必要だし、これはちゃんと書かないと、介護度の判定にとても強く作用するのです。

審査会まできて、医師の意見書を差し戻すと、一番困るのは患者さんです。
新規申請の場合は、怖くてサービスが使えにくくなるので、なるべく早く結果を出してもらいたい。
でも、差し戻して一から始めれば、またひと月も先になってしまいます。
今回は、区と医師の怠慢なのだから、そこは前倒しでのサービスがどれくらい可能かなども相談にのりながら行う、と言う事になりました。


大きな病院などは、連携室ナースがチェックしてくれることもありますが、全部が全部チェックできるわけではありません。
(時々、MOI 心筋梗塞 とか、あとから付け足したような意見書がありますし・・。)

いたずらに書けばいいわけではありませんから、この患者さんが何を求めて、何を伝えればいいのか、ちゃんと問診して聴く耳を持ってほしいなと思います。

意見書は、医師の姿勢がそのまま反映されますよね。
本当に、先生の気持ちが伝わってくるものもありますから。

忙しいのはみんな同じだし、国から意見書を書くに当たってのお金も貰っているのだから、プロとしての書類、ちゃんと書いてもらいたいものです。


ところで、お布団で眠るウータン。
お昼寝も掛物をするとよく眠ります。


ちなみに、最近はベランダでウ○コをすることを覚えました。
娘のためにと思いましたが、結局私の癒しです。(~_~;)

絶不調。

2012-05-09 22:56:32 | 訪問看護、緩和ケア
心身ともに絶不調で、PCを開くことさえしんどくて・・・

プライベートなことで落ち込んでいることさえ、今の私には許されず、今日も時間のゆるす限り娘のことで奔走し、そのあとヘロヘロで市の協議会の役員会に行ってきました。

遅れて行って申し訳ないのだけれど、22時までの役員会はほとんど頭が真っ白でした。
23時、やっと家に帰り、私の心を和ませてくれるのは、やはりうららのとぼけた愛嬌いっぱいの姿です。

会いたかった~。うららぁぁ~!!

でも、そんなことばかり言ってても、ダメです。
あと少しだけ、きちんと記録にのこさねば・・。


今日の反省。

ターミナルの患者さんで、65才未満のかたは3割負担なので、当然医療費はかなり高額になりますね。

いくら高額医療費の申請をしていても、訪問看護で限度額の4万とか8万を超えることはあまりないので、介護保険や高齢者と比べると、すごく高く感じます。

特に、治療のためのお薬は高額なので、年金暮らしや収入が少ないお宅にとても負担です。

病院としては、自宅で痛みを我慢しなくていいように、レスキューをたくさん出してくれたりします。

オキノーム酸だけで、レジ袋いっぱいあったりして、これを飲めているうちはいいのですが、病状の進行によって徐々に飲めなくなってきます。
吐き気が強く出たり、嚥下自体が難しくなったり、イレウス症状が出てきたり・・。

すると、この山のようなお薬は使えなくなってしまうのです。

そこで、今度は座薬がまたいっぱい出されることになります。

通常、ある程度の予備を出してもらえることで、私たちも患者さんも安心するのですが、そうこうするうちに、病状はまた次の段階へと移っていくわけです。

それでも、コンチンやオキノームなどは、まだ薬価が安いのですが、これがフェンタニールパッチともなると、いきなり薬価が上がります。

毎日貼りかえるフェントステープや、3日に一度のデュロテップパッチなどあり、ミリ数によっても単価は違いますが、1枚1000円とか数千円とかするので、お薬代がどんどんかさむのです。

オキノームの山を払い戻せませんか?と言われて、既に通院できなくなった病院の処方なので、無理だと思います・・とお伝えした患者さんが、フェントステープに変わり、1枚使った翌朝には、息を引き取られました。

すると、山のようなオキノームと、レスキューの座薬あれこれと、新たに1週間分処方されたフェントステープの残り6枚が手元に残りました。

せめて、このフェントステープだけでも返品・返金出来ないかと画策しましたが、やはり一人だけ特別というわけにはいかず、保険請求も全部やり直すことにもなる為、返金は出来ませんでした。
ご家族には納得して頂きましたが、なんだか、申し訳ない気持ちになってしまいました。

今は医療保険もパンク寸前なんだから、こういう事がもっとスムーズにいけば、すごく医療費の削減になるんじゃないかと思ったりして・・・、どんなものなのでしょうね。

もちろん薬局は、残ったお薬は回収してくれますが、使わないお薬の保険請求はされるわけで、経済的に厳しいご家庭の負担も大きいし、国の負担も大きいのじゃないかと思います。

なので、レスキューのストックの量、パッチの枚数は、ある程度測ってみないといけませんね。
病気の進行の予測は、ここでも考慮しないといけないですね。

でも・・足りなくて苦しんじゃうのも、もっとナンセンスですし、このさじ加減もお医者さんの腕の見せ所なのなのかもしれません。

思うようにはいかないけれど。

2012-05-05 23:43:59 | 大学の事
去年取りきれなかったスクーリングと単位認定試験を足して、今年の履修登録をしたのはいいけれど、どう考えても1年で履修は無理なので、開き直っていました。

でも、そろそろやることやらないと、何年たっても認定心理士どころか、卒業もできませんよね。

ちなみに、本当は5月4日から6日まで、「心理学基礎実習」のスクーリングでした。

結局、緊急当番のことや家庭のことを考えると、このスクーリングは断念せざる得ませんでした。

スクーリングは、3日間1万円入金するのですが、これは振替が効きませんので、お休みすると捨てることになってしまいます。

すごーくもったいないですが、こればかりはお金に変えられない現実があって、あきらめました・・。

ただ、今年から単位認定試験が自宅でWEB受験することが出来るようになったんです。

日時は指定ですので、その日、その時間きっかりから始めることになります。
もともと、教科書は持ち込み可なので、東京のはずれまで朝早くから出かけることを考えると、これはもうすごく有り難いことです。

5月27日のWEB試験を、2教科申し込んでみました。

6月のスクーリングは、絶対、絶対出るつもりです。
何事もありませんようにと、ただただ祈るばかりです。

順調な人たちは、1年目の単位はすっきりと全部終え、卒業に向けて頑張る人、さらに大学院を目指す人もいて、うらやまし限りですが、私は私のペースでゆっくり進んでいきたいと思います。

明日は休暇の最終日なので、なるべくレポートを完成させたいなと思います。

ちなみに、今日は大暴れでお疲れのウータンは、こんな姿で爆睡中です。
レム睡眠と思われるウータンは、時折足をぴくぴくさせながら、「うみゃぁぁ・・。くぉぉ~・」とか変な声を出したりしています。
どんな夢を見ているのかな??


横の棒は、かじかじするための棒です。(念のため)