今日、学生さんとの中間カンファレンスで、ちょっと話したことですが・・。
Aさんは料理自慢で、忙しい娘や孫のために、家事全般をきりもりしてきたスーパーおばあちゃんです。
ですが、病気が進み徐々に家事が出来なくなっていきました。
「家にいたい。そして、家族のために、友人のために、美味しい料理をいつでも出してあげたい。素材を厳選して、美味しくて体に良いものを、常時作り置きしていたい。」
その思いはとても強くて、座っているのさえやっとの状態でも、Aさんは這うように台所に立ちました。
そして、何度も倒れたのです。
仕事を持つ娘さんはほとほと困り、ヘルパーさんを依頼したいと思いましたが、本人はなかなか了承しませんでした。
唯一、担当の訪問看護師だけは受け入れていていましたが、だからと言ってストマの貼り換えも、身体をふくこともなかなか了承してくれませんでした。
そのかわり、最初の頃はAさんの作った煮物を山ほど食べることと、その作り方を聞くことが仕事となりました。(私は、これもありだと思っています。)
そうしているうちに、Aさんは担当のナースに少しずつ体を委ねてくれるようになりました。
やがて、トイレにもいくことが難しくなり、Aさんは入院しました。
以前にも書きましたが、入院先から「冷凍してあるわかめを煮て、食べてほしい。あの若芽が気になって、落ち着いていられない。」という電話をしてきたりもしました。
そのAさんが、小康状態でまた帰ってきているのです。
そして、今はヘルパーさんに料理指南をしているのです。
本当は、オムツ交換や保清目的のヘルパーさんです。
でも、彼女はそれを許しません。
そのかわり、たくさんの料理を作るように指示するのです。
味付けも、一つ一つ丁寧に、自分の味を伝授します。
そして、どう考えてもそれは彼女が食べるというより、家族が食べるものだと思うのです。
学生さんは、これをどうとらえたのでしょうか。
介護保険では、家族の分の食事を作ることは、認められていません。
それに、プランにないサービスも行ってはいけないことになっています。
でも、そんなことが通じるAさんではなく、思いは一つ。
「美味しいものを食べさせたい。」
看護上の問題をどうとらえるのか、学生さんと考えてみました。
ここで、Aさんの苦しみは何なんだろうかとかんがます。
いままで、家族を支えていた自分が、逆に世話にならなくてはいけない。
自慢の料理の腕が振るえない。
家族の喜ぶ顔が見られない。
では、支えは何でしょうか。
もちろん家族や、担当の医師や看護師があります。
でも、今のAさにとって、Aさんが自分の味で、自分が作ったっと同じ料理を、家族に振舞えること。が大きな支えと考えます。
Aさんは、自分ですべてを準備して、調理することは出来なくなりました。
自立と言う意味では、自立はそこねられました。
でも、自分が信頼したヘルパーさんの横で、自分のやり方で作ってもらうこと。
自分の台所を委ねられる。という意味では、自律が達せられたと言う事になります。
ここを踏まえて、次回看護展開を頑張ってね。とお話をしました。
在宅緩和ケアでは、こういう話はよくある話ですが、ただ・・。
介護保険っていう枠組みの中で、どこまでそれを受け入れるかっていう問題は別物なんですね。
いくら自律を支えるって言っても、指摘されかねないぎりぎりの線を行くことだって、時には必要なのですが・・。
プランの内容は変えてもらうとして、調理の補助として位置ずけるしかないのでしょうね。
在宅では、それなりにファジーに考えないと成り立たないことはたくさんあります。
だからと言って、何でもアリはやはりダメです。
これもケアマネさんやサ責しだいで、だいぶ解釈が違いますし、いつも悩むところではありますね。
在宅緩和ケアとか看取りを叫ぶ社会で、どう解釈するべきか・・・
うーん。これぞ理想と現実のギャップです。
Aさんは料理自慢で、忙しい娘や孫のために、家事全般をきりもりしてきたスーパーおばあちゃんです。
ですが、病気が進み徐々に家事が出来なくなっていきました。
「家にいたい。そして、家族のために、友人のために、美味しい料理をいつでも出してあげたい。素材を厳選して、美味しくて体に良いものを、常時作り置きしていたい。」
その思いはとても強くて、座っているのさえやっとの状態でも、Aさんは這うように台所に立ちました。
そして、何度も倒れたのです。
仕事を持つ娘さんはほとほと困り、ヘルパーさんを依頼したいと思いましたが、本人はなかなか了承しませんでした。
唯一、担当の訪問看護師だけは受け入れていていましたが、だからと言ってストマの貼り換えも、身体をふくこともなかなか了承してくれませんでした。
そのかわり、最初の頃はAさんの作った煮物を山ほど食べることと、その作り方を聞くことが仕事となりました。(私は、これもありだと思っています。)
そうしているうちに、Aさんは担当のナースに少しずつ体を委ねてくれるようになりました。
やがて、トイレにもいくことが難しくなり、Aさんは入院しました。
以前にも書きましたが、入院先から「冷凍してあるわかめを煮て、食べてほしい。あの若芽が気になって、落ち着いていられない。」という電話をしてきたりもしました。
そのAさんが、小康状態でまた帰ってきているのです。
そして、今はヘルパーさんに料理指南をしているのです。
本当は、オムツ交換や保清目的のヘルパーさんです。
でも、彼女はそれを許しません。
そのかわり、たくさんの料理を作るように指示するのです。
味付けも、一つ一つ丁寧に、自分の味を伝授します。
そして、どう考えてもそれは彼女が食べるというより、家族が食べるものだと思うのです。
学生さんは、これをどうとらえたのでしょうか。
介護保険では、家族の分の食事を作ることは、認められていません。
それに、プランにないサービスも行ってはいけないことになっています。
でも、そんなことが通じるAさんではなく、思いは一つ。
「美味しいものを食べさせたい。」
看護上の問題をどうとらえるのか、学生さんと考えてみました。
ここで、Aさんの苦しみは何なんだろうかとかんがます。
いままで、家族を支えていた自分が、逆に世話にならなくてはいけない。
自慢の料理の腕が振るえない。
家族の喜ぶ顔が見られない。
では、支えは何でしょうか。
もちろん家族や、担当の医師や看護師があります。
でも、今のAさにとって、Aさんが自分の味で、自分が作ったっと同じ料理を、家族に振舞えること。が大きな支えと考えます。
Aさんは、自分ですべてを準備して、調理することは出来なくなりました。
自立と言う意味では、自立はそこねられました。
でも、自分が信頼したヘルパーさんの横で、自分のやり方で作ってもらうこと。
自分の台所を委ねられる。という意味では、自律が達せられたと言う事になります。
ここを踏まえて、次回看護展開を頑張ってね。とお話をしました。
在宅緩和ケアでは、こういう話はよくある話ですが、ただ・・。
介護保険っていう枠組みの中で、どこまでそれを受け入れるかっていう問題は別物なんですね。
いくら自律を支えるって言っても、指摘されかねないぎりぎりの線を行くことだって、時には必要なのですが・・。
プランの内容は変えてもらうとして、調理の補助として位置ずけるしかないのでしょうね。
在宅では、それなりにファジーに考えないと成り立たないことはたくさんあります。
だからと言って、何でもアリはやはりダメです。
これもケアマネさんやサ責しだいで、だいぶ解釈が違いますし、いつも悩むところではありますね。
在宅緩和ケアとか看取りを叫ぶ社会で、どう解釈するべきか・・・
うーん。これぞ理想と現実のギャップです。