こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
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いつか・・・。

2014-10-28 23:39:30 | 訪問看護、緩和ケア
秋の柔らかな日差しが、窓越しに小さな陽だまりを作り、ベットの足元を優しく温めています。
随分とやせ細った腕が、ピンクの花柄のパジャマからすっと伸びて、電動ベットに寄りかかったままで、ハードカバーの本をしっかりと支えていました。
すっかり真っ白になった髪は、無造作に一つにまとめられていて、肩の横に流れています。
「こんにちは、お加減いかがですか?」と部屋に入ると、パタンと本を閉じて、柔らかな笑顔で迎えてくれるのです。


私も、来年初めには孫が生まれる年齢になりました。
時々、友人とも「年をとったね。」なんて話をします。

それでも、老人と呼ばれる年齢までは、まだも少し時間がかかります。

もし、その年齢まで命があったとしたら、どんな年寄りになっているのかと、時折考えてしまいます。

今までの人生で出会ったたくさんの人々。
この仕事おかげで、お年寄りと呼ばれる人々にも、人並み以上に接する機会がありました。


だからこそ、こんな年の取り方をしたいな・・と思うことがたくさんありました。
もちろんその反対も・・です。


100歳を間近にして、今でも静かに本を読む時間を持ち、豊富な知識や話題を持って、なおかつ相手に不快感を与えない女性に、スタッフはすっかり憧れています。

いつもニコニコ笑顔を絶やさず、「ありがとう。」をたくさんくれる可愛らしい人もいます。

たぶん・・自分の生きてきた人生そのものが、そこに凝縮されて来るのだと思います。

それでも老いてゆく自分を受け入れていくのは、時には悲しかったり、辛かったりするのかもしれませんが、私が出会った素敵な人生の大先輩たちを目標に、素敵な老人を目指したいと思っています。
たとえ、認知症になったとしても、少なくともニコニコ可愛い人でいたい。

いつも穏やかな笑顔を忘れず、「ありがとう。」の気持ちをもって、誰のせいにもせず、誰を羨むこともなく、泣いたり騒いだり、大声を上げて威嚇することもなく、周囲の人々に感謝の気持ちを持ち、悪口や陰口を決して言わず、痛いときには痛いと言って、出来ない時には誰かに委ねて、それでも自分を卑下することなく、今ある自分を認めて精一杯生きる。
そんな年寄りに私はなりたい。


26年度後半 めぐみ在宅 <追想の集い>

2014-10-15 00:19:59 | めぐみ在宅緩和ケア関連
先日1年に2回開催されるめぐみ在宅クリニックの追想の集いに行ってきました。

第一回から献杯の音頭を取らせて頂いている関係で、ずっと参加させてもらっています。

私たちがお看取りのお手伝いをさせて頂いた患者さんのなかで、お二人のご遺族も参加され、お元気な姿を見て、嬉しいやら懐かしいやらで、歓声を上げて再会を喜びました。

とはいえ、最愛のご家族をなくされまだ1年です。

いまだ癒えぬ悲しみは、言葉の一つ一つから感じられて、1年前ご自宅で過ごされていた患者さんの、笑顔や静かな横顔など、まるで昨日のことのように身近に感じることができました。

まるで、その方の息遣いが聞こえるような、ご家族の言葉や回想は尽きることなく、悲しくも楽しい時間を持つことができました。

頑固で亭主関白、そのくせ奥さんがいないと少しもいられないようなOさん。
当初熊のように大きな声で「俺は騙されないぞー!」と吠えていたOさんは、すぐに私たちを受け入れてくれて、帰り際にはいつも、さらっとした温かい手で、握手をして「また来週。」と言って別れました。
本当は、「一緒に散歩しようね。」っていう約束をしていたのに、結局それはかないませんでした。

そんなOさんの言うことなら、なんでも「はい。はい。」と言ってよく動いていた奥様は、私の顔を見るなり「会いたかったー。」と言って涙ぐんでくれました。
「ずっと、頼ってばかりで・・。本当にありがたかったの。」って。
いえいえ、あなたの優しさと穏やかさが、あの頑固なお父さんを、好々爺へと変えて、穏やかな時間を大好きな自宅ですごせたのですよ。

そして、日本の妻代表のような、凛とした美しさを最後まで守り通したKさん。
多くは語らず、胸に秘めた思いはたくさんあったであろう妻をずっと見守り、そして見送った夫は、今も妻の写真に話しかけながら、毎日を過ごしているようでした。

天国のKさん、あなたの旦那様は、誰よりもあなたを愛し、あなたと過ごした時間を抱きしめて、時折さみしさで押しつぶされそうな自分を、時にはお酒の力を借りて、奮い立たせて生きています。
この上なく優しくて、時には酔っぱらいのダメおやじになっても(ごめんなさい(^_^;))いつもいつでもあなたのことを思って、あなたに恥ずかしくないように生きようとしています。
みんなの前で、夜通し考えたというあなたへの手紙は、そんな思いが悲しいほど溢れていて、私たちは皆、涙を流し目を閉じて聞いていましたよ。

そして、同じテーブルでずっと黙って座っていたご婦人は、当初「別に、やることは全てやったので、話すことなどありません。」と硬い表情で言っていたけれど、最後にはご主人との馴れ初めから最期の時までを、まるでのろけるように、慈しむようにお話してくれました。
話すきっかけが出来て良かったと、Kさんのご主人もホッとしていました。

出席されたご家族には、それぞれの物語があります。

みなそれぞれに人生の中で、主人公として生きてきたのです。

その人生の最後のひと時に寄り添えたことに感謝して、残されたご家族と再会した時には、お互いを懐かしんだりたたえ合ったりできるような関係を続けられたらと、心から思う時間でした。

確かに面倒だけど・・・

2014-10-08 23:58:33 | 訪問看護、緩和ケア
介護保険では必ずつきものの担当者会議。
確かに面倒ですよね。
ケアマネのお仕事の中でも、担当者会議の日程調整も大変だし、会議そのものよりも、終わったあとのまとめやらプランの変更やらで、かなりの時間と労力を余儀なくされますから・・。(ーー;)
私は、元来事務仕事が苦手なので、ケアマネに必要な書類を揃えたり、まめに細かく支援記録を書いたり、この担当者会議をやったり、正直とてもしんどいので、3人ほどしかケアマネ業務はしていません。

そんな私が言うのはなんですが、やっぱり担当者会議は大事です。

大きく状態が変わって、環境のこと、これからのこと、サービスの変更もろもろ必要な時に、担当者全員が同じ方向で支援をできるようするためには、お互いの情報交換と、目標の共有を図る必要がありますから。

だから、関係するサービス事業所に連絡をして、家族にも了解をとって、一同に会して会議をするための準備をして・・と大忙しとなるわけです。

なので最近では、サービス導入時にケアマネさんが紹介がてら同席して、「これを担当者会議にしてください。」と言われることが多いです。

サービス導入時はそれでいいのですが、経過の中で急変や状況が大きく変わったとき、看護師としてはみんなに状況理解をして欲しくて、さらにはプランを考え直して欲しくて、担当者会議しませんか?って提案することがあります。

多くはケアマネさんも状況をわかっていて、そうしましょう!ということになりますが、ちょっと迷惑そうにされることもあって、困ってしまうことがあります。

「この時間しか設定できませんでしたから、そちらもこの時間に合わせてください。」とか言われてしまうと、なかなかそこに時間を合わせるのは至難の業となってしまいます。

まして、病状変化があって緊急訪問やら点滴やらといろいろあって、今後も病状不安定な患者さんの場合だと、出ないわけにはいきませんよね。
「時間は決まっています。出れないなら紙面照会でいいです。」と言われても、こんな状況で紙面でどうするのか、状況をちゃんと伝えなくていいのか・・と考えてしまいます。

結局担当看護師は出れないので、私がなんとか出るように調整したりしますが、今問題がどこにあって、どのサービスの情報や見解が必要なのかを考えれば、まずそこから都合を抑えるのが筋だと思うのだけれど、どうも視点が食い違うこともあって、時間調整に四苦八苦したりします。

実際の担当者会議でも、進行の仕方にもいろいろあって、全体を把握出来ている熟練したケアマネさんだと、本当にスムーズに話が進みますし、最初に設定した時間内にきちんと収まります。
これは慣れの問題かもしれないけれど、担当者会議に「あ〜でもないこーでもない」で1時間以上も(下手をすると2時間近くも)延々とかかってしまう場合もあって、いつ抜けようかそわそわしちゃうことさえあります。
会議の進行の仕方も、もっとケアマネ研修でやったほうがいいのかもしれませんね。

実際、担当者会議の時期が重なったりして、沢山ご利用者さんを持っているケアマネさんは本当に大変ですから、なるべくしのごの言わずに出たいとは思っていますが、たまーにちょっと「?!」と思うこともあって、つぶやいてみまいた。

なので、逆に困難事例を山ほど抱えて、てきぱきと奔走しているケアマネさんには、本当に頭が下がります。
何より、信頼できるので安心して訪問看護を提供できます。

訪問看護もそうですが、現状何が問題で優先順位はどこにあるのか、問題をどのように解釈して意見をまとめ目標をたてるのか、を自分の中で整理できていることが大切ですね。