こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
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ばあばになりました。

2015-02-22 00:31:15 | 家族のこと
2015.2.21 12:18
私は、おばあちゃんと呼ばれる人になりました。

娘が、新たな命を授かり、この世に産まれて来てくれたのです。

3118g 元気な男の子です。

娘も、昨夜からよく頑張って、ちょっと頼りないけれどお母さんになりました。
娘の夫が、分娩室から出てきて、私の顔を見るなり泣きました。
しばらく声にならなくて、お父さんとしての万感の思いがあったのでしょうね。

私の娘は、随分と苦しい思春期を過ごしました。

私は、見ている他なくて、いつもオロオロとするばかりで、娘に何もしてやれなかったような気がします。
それでも、少しづつ、少しづつ自分の中で修復をして、咀嚼して、積み木を一つずつ積み上げるように大人になって行きました。

そんな娘が今、お母さんになりました。

最近は、仕事で忙しい私の代わりに、随分と家事を手伝ってくれたり、犬の散歩をしてくれたりと、大きなお腹で助けてくれて、私も楽をしていました。

退院後は、しばらくうちにいますので、さてどんなことになるのやら。

我が家には、愛犬と生まれたての赤ちゃんがいるなんて、もう仕事なんてしている場合じゃないかも・・。

でも、それは無理な話なので、お仕事はちゃんとしますよ。

元気をたくさんもらって、その分頑張ろうと思います。

長い年月、いろんなことがあるなぁ・・と思います。

随分苦しいいこともあったし、今でももちろんそれはあるけど、ちゃんと幸せもあるんだなぁ・・って実感しました。

愛犬うららと孫を連れて、早く広場に遊びに行きたいなぁ。

リフォーム直前

2014-01-25 00:30:04 | 家族のこと
いささか老朽化が進んで、床のおあちこちがたわんだり、ガス台に至っては、五徳が折れてしまったりしていた我が家。
義父の建てた、義母の思いの詰まった家なので、何か一つ捨てるにもお伺いを立てなければいけないので、リフォーム前の片付けは難航しています。

それでも、古い鍋を捨てることを了承してもらい、残す食器やらなんやらを振り分けつつ、少しづつ片付けています。
義姉もずっと手伝ってくれていて、本当に助かっていますが、いらなくなった大きな食器棚二つは、まだ運び出せずにいます。

28日の朝から、このダイニングキッチンは使えなくなります。
その間10日ほどは、となりのアパートで食事を作るしかありません。
続いてトイレ、風呂、洗面所、さらにはフローリングの廊下全面の上張りもあり、約3週間家の中は全面工事中となるのです。

問題は両親で、要介護の義母はかなり不自由な暮らしを強いられることとなります。

でも、そこさえ我慢してもらえれば、あとはきっと今よりも暮らしやすくなるはずです。

段差はすべて解消し、余分な出っ張りもなくなり、トイレも快適になるはず。
そして、お風呂の湯船にも入れてあげられるかもしれません。

いろいろ問題はあるし、あれこれめちゃくちゃ言われることの多いなか、それでもここまで来たらやるしかないわけで、残すところあと3日弱で、準備を完了させなければなりません。

工事が入ったら、うららだって大騒ぎをするんじゃないかな〜。
おばあさん、転ばせないようにしないと・・・。
なんといっても、トイレは最大の問題だけど、とにかくポータブルで凌ぐしかないわけで、うーん考えると頭がごちゃごちゃになります。


もうこうなったら、早く始めて早く終わって欲しいんだけど。
きっと、これからもひと波乱、ふた波乱あるんだろうな〜。

そして私は、貝のように余計なことは言わず、ちくわのようにいろんなことを聞き流せるようにしないとね。



でも・・、おかげで嫁の立場を骨身にしみるほど体験しているから、患者さんの支援の中では、かなりそこをフォローしてあげられるようになっています。

誰かのせいにしないことを最初に約束してもらったり、一番立場の弱い人に声をかけたり、
そんなことが介護者の力にもなるってことを、再確認しました。

落ち込んでいる暇はない!
ということで、最近のうららさんです。
                   
海軍道路でばったり会ったら、声をかけてくださいね。




S状結腸憩室出血

2012-11-24 22:58:36 | 家族のこと
うちのおばあちゃん、4月に肺炎で死ぬ思いをしてから8か月、すっかり元気になっていましたが、ここにきてまたアクシデント。

先週末から、排便時に出血があると言ってきました。
それもけっこうの量で、真っ赤だったと。
内服中のバイアスピリンを中止し様子を見ました。

週明けまでに数回、コアグラの混じった下血が数回あり、肺炎以来フォローしていただいている小澤先生に相談し、町田内視鏡クリニックの町田先生に紹介状をいただきました。

でも、町田先生は外来ではリスクがあるとして、T病院での入院検査を勧めてくれました。

そのまま、義姉に付き添われT病院を受診し、週明けに検査入院を予定したものの、採血でヘモグロビン値が9.0まで下がっていることがわかり、翌日から入院となりました。
9月末には12.0でしたから、かなり出血したのだろうと思います。

その日からCF(大腸ファイバー)の前処置で下剤が始まり、丸一日ポータブルトイレに乗り続け、そのたび真っ赤な出血があったようです。

当初より、憩室の可能性が疑われていましたが、CFの結果やはり憩室出血という事がわかりました。

S状結腸の憩室という事でしたが、クリッピング直前に迷走神経反射が起こりショック状態になってしまい、一旦休止。
再挿入した時には、出血が止まっていて出血点が見つからずクリッピングできませんでした。

結局、その後絶食で1週間の様子観察入院となっています。

悪いものではなかったものの、高齢のおばあちゃんにとっては、急激な貧血や医療処置はけっこうしんどいものだと思います。

絶食も可哀そうだし、かといってすぐに食べてまた出血して、下剤からまた始めるのはもっと可哀そうです。

調べてみると、高齢者でほかに症状がない鮮血の下血では、憩室出血の可能性が高いようです。

憩室と言っても、悪くすると穿孔を起こすこともあり、あまりなめてはいけないようです。
特にS状結腸は穿孔しやすいとあり、おばあちゃんのように、抗血小板薬を飲んでいれば、再出血のリスクはかなり高くなりますよね。

まあ、なんというか24年度師走になっても、我が家はドタバタドタバタといろんなことが起こっています。
ちなみに、おじいいちゃんはやっぱり寂しそうです。
どこか元気なないし、ずいぶんと気を使いすぎていて、こちらも心配です。

92歳と86歳。
ともに白髪の生えるまで一緒に来た二人です。
どちらが欠けても、相方のいない空間は寂しいものになってしまうのでしょうね。

一人でお茶をすするおじいちゃんは、なんだかしょんぼりしています。

おばあちゃんが、大変!

2012-04-13 23:19:48 | 家族のこと
今朝は、「朝からなんとなく騒がしいな・・」と思いながら、階下へ降りていくと、お風呂場の脱衣所でおばあちゃんを抱えてお義姉さんが「大変。おばあちゃんが動けないって!足に力が入らないのよ!力かして!!」と。
あれれ、また2年前の脊椎間狭窄症の症状かと思いきや、椅子にのけぞるようにして抱えられているおばあちゃんの顔が蒼白・・。

どこかでぶつけたのか、唇が切れて出血しています。

「いや、ちょっとショック状態みたい・・。全然動けないし救急車のほうがいい。」と言う事で、救急要請をしました。
おじいちゃんに聞くと、「朝、トイレに行って力が抜けて立てなかったみたいだよ。腰が痛いから、そのせいだと思って、お風呂で温めれば治ると思ったみたいで、風呂まで這っていって、入ったら今度は出れなくなったみたいだ。」とのこと。
風呂?!
ありえない・・。なんでこの状態で風呂・・??

結局、誰か気づいてくれるまで裸で脱衣所にへたり込んでいたようです。

「腰がいたい!」というのが、私が聴いた主訴。

救急車にもそのように言って、義姉と二人何とかベットまでゆっくり抱えて移動。
その時に、なんか変な呼吸音が聞こえたのですが、そのまま救急搬送されました。

義姉が付き添い、私はとりあえず仕事へ。
おじいちゃんはと言えば、カラオケ発表会へ行っちゃいました。(~_~;)

その後、義姉から西部病院の救急外来で、診てもらうことが出来たと電話がありました。(ものすごい重症の急患がくるなかで、後回しにされながら・・これはしょうがないですが。^_^;)
「血液検査でも、レントゲンでみても肺炎です。が、肺炎と行っても命に係わる肺炎と、軽い肺炎があり、今回は軽い肺炎なのでご家族がいるのなら、家で治療してください。」と言われたそうです。
救外なので、薬は1日分のみ。
クラビット500㎎とコカール2錠×3回。
あとは、近医で出してもらって下さいといわれ、義姉は動けない母を抱えて自宅に戻りました。
おばあちゃんは下肢に力が入らず、どうしても行きたかったトイレで再び顔面から植木に顔を突っ込んだりしながら、ベットにたどり着いたようです。

「薬出たけど、今飲ませていいの?何も食べていないし、点滴もしてもらえなくて心配。」という義姉の電話で、午前の訪問の後、様子を見に行くと38.5度ほどの発熱で、ゼロゼロしながらぐったりしていました。そういえば、よくむせっているしなぁ・・
ぜろってるし苦しそう・・。SPO2は・・え・・90~92%
おっと、これでも返されちゃうんだ、最近の病院・・。(-_-;)

朝から何も口にしていないし、かかりつけのお医者さんはもうお年で、薬だけもらってもフォローが心配・・。

困った時にはめぐみの小澤先生。

電話で相談すると、往診をしてくれる事になり、先にロセフィンとヴィーンD500㎖も出してもらいました。
点滴は、私が刺して、終了する頃には、コカールのせいもあって一度解熱しました。
熱が下がれば、少し落ち着きSPO2は94%に。

夕方、小澤先生はペアのナース我妻さんと来てくれました。

緊張するおばあちゃんに、終戦の話とかをしながら、私を持ち上げてくれたりしつつ、診てくれました。
再び熱が上がりだしていたので、SPO2も92%にまた下がっていましたが、朝よりは少し良いようです。

咳止めや痰きりなどの予測指示も出していただけたので、義姉とおばあちゃんはずいぶんと安心したようです。

それからは、水分や食事をとらせたり、服薬や清拭、更衣など一通りのケアをしてあっという間に午後からとった半休はすっ飛んで行きました。

明日は、午後からめぐみ在宅で「追想の集い」があるので、午前中に点滴終わらせないといけません。
は~。
いろんなことが、私の周りで起きすぎます。

何でこんなに、いろんな悪いことが、私の周りでばかり起るのでしょうか?

疲れました。また睡魔がやってきたので、昨日の続きは明日にします。

ばあちゃん、早く元気になってくれ~。


娘、救急車に乗る。

2011-07-09 23:55:00 | 家族のこと
今日は、コストコのメンバーカードの亢進もかねて、午後から娘とコストコに買い物に行きました。
半分くらい買い物をすると、娘がちょっとトイレに行ってくると言っていなくなりました。

別段気にしていなかったのですが、そのうちいつもより戻ってくるのが遅いことに気が付き「あれ?どうしたのかな?」と思っていました。
私の携帯電話は、なぜかポケットに入れていると全く音が聞こえませんが、その時はわずかなバイブレーションにやっと気が付きあわてて出ました。

「おかあさん・・。吐いちゃった・・だめ・・動けない・・痛い・・・トイレに早く来て・・」

かすれた声が受話器の向こうから、助けを呼んでいました。

あわてて、混雑する店の中をかき分けてトイレに駆けつけると、トイレの前の壁に半分崩れかかるように娘がしゃがみこんでいました。

駆け寄ると、全く血の気の無い顔、白い唇、髪がぐっしょり濡れるほど汗をかいています。
「お腹痛くて・・。トイレで二度吐いて・・。気持ち悪くて目の前が暗くなって・・もうだめ・・」
生理はいつもとても軽くて、こんなになることはありませんでしたが、まだ若いので不安定なのか?
でも、もしかして卵巣の捻転とか、ほかに何かあるかもしれないし・・とっさにいろいろ考えましたが、目の目の娘はショック状態になっています。
店の人も駆けつけてくれて、全く動ける状況ではなかったので、救急車を呼んでもらいました。

救急車を待つ間も、部屋を用意してくれたり(移動は無理でしたが)、人の目から見えなくなるようにバリケードを作ってくれたり、暑がる娘に氷を持ってきてくれたり、「もうすぐだから頑張ろうね。」と励ましてくれたり・・。
買い物のカートは、途中でしたがお店の人がかたずけてくれました。

その間も朦朧としながら、断続的に襲ってくる腹痛で動くこともできませんでした。

救急車の中、今度はどこに搬送するかで、10分以上救急隊の人が悩んでいましたが、その間も腹痛でうめいています。
血圧は、やっと100/70位まで上がってきましたが、心拍はずっと50/分でした。

下腹部の中央の痛みで、筋性防御もなくて、生理中の高校生。
救急で婦人科があるところはあまりないのだそうですが、結局済生会南部病院が受け入れてくれる事になりました。

救急隊の方の提案で、また戻ってくるのも大変だから、お母さんは別に車であとから来てもいいですよと言ってくれました。

このころにはやっと少し落ち着いてきて、唇の色も戻ってきていました。

私は、コストコ並木店のかたにお礼を言って、車で南部病院に向かいました。

ERで血管確保をされ、採血と腹部CTを取って頂きました。
もう、娘はすっかり痛みもなくなっていて、いつもの娘に戻っていました。

2時間ほど後、最後に婦人科の若いきれいな女医さんがお話をしてくれました。

特に問題はないとのことで、激しい生理痛による迷走神経反射でしょうと言う事でした。

まだ若いから、不安定でいろんな条件が重なって、いつもない生理痛が来たためにショック状態になったようです。
よく駅とかで、若い女の子が真っ青になって倒れちゃうあれですね。

検査データは問題なかったのですが、白血球が12000くらいまで増えていました。
CRPは問題なかったので炎症や感染ではなく、激しい痛みやストレスでの上昇だったようです。
白血球って、こんなことでもこんなに増えるんだぁ・・と感心。
優しい女医さん「痛かったでしょう?すごーく痛いのよね。私も高校生くらいの時に何度か経験があるのよ。」笑顔で娘に話しかけてくれました。

結局典型的な迷走神経反射で、あちこちに迷惑をかけてしまいましたが、親としてはひとまずほっとしました。
ムンテラを待っているあいだ、いつのまにか隣のソファーに高校生くらいの女の子が、やはりおなかを抱えてうずくまっていて、おばあちゃんが背中をさすっていました。
なんだか、おんなじ感じかな?
でも、実際はちゃんと診察してみないと、何があるかわかりませんよね。
今の若い女の子、妊娠している可能性だって否定できないですし・・。

とはいえ、保険証を持っていなかったので、10割全額お支払いとなりました。
とりあえず30000円を支払い、来週中に娘が自分で保険証をもって払い戻しをしに行くこととなりました。。やれやれです。

それにしても、其のままでめげることなくもう一度コストコにもどり、目的のものを購入して帰ってきました。
なんだか一日娘に振り回されましたが、こんなもので済んでよかったです。
娘も私も良い経験になりました。

それにしても、疲れました~。

この頃のわが子

2011-05-30 23:29:56 | 家族のこと
なんだかんだ言って、いつの間にか子供は大きくなっていきます。
最近は、ほとんどほったらかし状態で、毎日どこで何をしているかもよくわかない感じです。

なので、夜10時を過ぎて帰らないと、いきなり心配になってメールや電話をかけまくり、うっとうしがられたりします。

先週の金曜日から、大学の初めての研修旅行に、下田の施設に行った息子。
連絡先もろくに聞いておらず,日程表とかも貰わなかったので、きっと日曜日の夜に帰るかと思っていたら、夜になっても帰らず・・。
電波も通じない場所で連絡も取れなかったので、大学のホームページ見ていたら、3泊4日らしいことがわかりほっとしました。(呑気な親です・・。)

今日帰ったら、毎日雨だったにもかかわらず、真っ黒に日焼けした息子が相変わらず呑気な顔で、夕食食べていました。
この雨の中、毎日毎日釣り三昧。

はえ縄船に乗るは、堤防釣りするは、釣った魚を解剖と称して食するは・・。
源泉かけ流しの温泉に入るは、そりゃあもううらやましい限りの研修だったらしいです。

海洋資源学部って、いったい何を勉強する学部なんだろう???
釣り三昧は、本当に本当にうらやましくて、父親も「いいな~」を連発していました。

私はといえば、今日も今日とて会議で遅くなりそうだったので、娘に電話。
「ごめん。今日遅くなるかも。なんか作れる?」「いいよ。」

おお~!
やっとここまで来た今日この頃です

中学生くらいまでは、娘の「お腹へったー」の言葉に兄が怪しいチャーハンとかを作ってあげていたのに、最近は全く逆転です。
兄は何もしない。徹底的に何もしません。蹴りを入れたいくらいに

反対に娘は、以前では考えられないくらい、いろんなものに挑戦しています。
きり方や味付けや盛り付けは置いといて、かなり頻繁に食事の支度をしてくれるようになりました。

これは本当にうれしい。
母は、この日をどれほど心待ちにしていたか・・・。

あとは、妙な取り合わせや、焼き過ぎ、炒めすぎ、分量の間違いを減らしてくれればもっと嬉しいです。

兄弟といえど、まったく性格も好みも違う二人ですが、これからも自立して行ってね~。

お母さんは、自分のことで精いっぱいです。


我が家に年寄りがいるという事。

2010-10-23 23:17:22 | 家族のこと
うちには、89歳のおじいちゃんと、85歳のおばあちゃんがいます。

おじいちゃんは今だに、ほぼ毎日カラオケ、民謡、老人会、ダンス、たまに詩吟と忙しく出歩いています。
自転車に乗って、かなり遠くまで行ってしまい、転んだことも数知れず・・。
さすがに最近は、なるべくバスや徒歩で移動するようになってきましたが、それでも気が付くと自転車で出かけて行ってしまいます。
おじいちゃんは、戦時中将校として南方の最前線(スマトラ)に長いこと行っていました。
その時になぜか英語を覚え、終戦まで前線にいて、帰国後はいち早く米軍に就職し定年まで勤め上げました。

若いころから米軍で働いていたので、ますます英語も達者になり、自宅で英語塾なども開いていたそうですが、初めての内孫だった我が家の長男坊に英語を教えたくて、同居と同時に毎日レッスンを始めました。
まだ、年長さんか1年生ぐらいでしたか、その教え方はかなりしつこくて旧式だったため、息子はそれが苦痛でチック症状が出るようになったため、かなり勇気がいりましたが、私からやめてもらうようにお願いしました。
その時は、かなり憤慨していたようですが、おじいちゃんはもともと人格者で温厚な人柄なので、あまり尾を引くこともなく、学習面での口出しはしなくなりました。
でも、その時のおかげで英語に関しては、息子もあまり苦手意識を持つことなく今まで来ているようです。

下の娘が3歳の時に、転勤先の大阪から戻り同居したのですが、早いものでもう13年もたってしまいました。
最初の数年間は、とにかく大変でした。

世にいう、嫁姑問題ってやつですか。

おばあちゃんは、すごく気性の激しい人で、しかも専業主婦しか知らない人なので、働きながら主婦と子育てをすると言う事が、どんなものかを知りませんでした。

夫も親にはずいぶん迷惑をかけたことがあり、何も知らないで嫁に来た私は、結婚前の夫の所業(笑)で、事あるごとに嫌味を言われたりしました。

おじいちゃんが優しかったので、なんとか我慢してきましたが、ある日あまりの辛さに家を出ることを決心しました。
夫もそうしようと言ってくれたので、アパートを探し始めたことがわかると、大騒ぎになり兄弟も含めて家族会議になったりもしました。
結局、おばあちゃんは一気にトーンダウンして、おじいちゃんは「家を出る必要なんてないよ。」と言ってくれたので、そのまま頑張ることになりました。

今にして思えば、生活環境やしきたりや、いろんな意味で価値観はちがうし、ゼネレーションギャップはあるしで、そんなに簡単にうまくいくはずはないんですよね。

自分なりに良かれと思ったことが相手にはうれしくなかったり、相手の望むことをこちらが気ずかず、気のきかない嫁であったり・・・

わざと聞こえるように嫌味を言われると、それに反応して過剰に動いたりしていて、一時は毎日子供を連れて家を出ることばかり考えていました。

でも、時間は少しずつ私たちの間を埋めていってくれました。

いやなことはいやと言う事。
地雷がどこにあるかを理解して、そこは踏まないようにすること。
見ざる言わざる聞かざる。
大根の切れ端でも捨てないこと。
何があろうと、おなあちゃんお部屋には入らないこと。(治外法権と呼んでいます。笑)
頼まれたことは、誠意をもってすること。
おじいちゃん、おばあちゃんを立てること。
必ず声をかけること。

いろんなことがわかってくると、多少のいざこざはいつものこととして流せるようになってきます。
なんと言われようが、いい意味で図太くならなくちゃ。

ただし、絶対に意地悪や無視だけはしないことが鉄則。

そうして、他人だった私はいつのまにか家族になりました。

子供たちも、それを見ながら育ってきてるので、おじいちゃんやおばあちゃんの性格はよくわかっているし、年を取っていろんなことが難しくなってきていることをよく理解しています。

私の母が喘息で弱っていって、入退院を繰り返した末に亡くなる過程も見ていますので、人の晩年というものを見ています。
うちのおじいちゃんとおばあちゃんは、私が母の介護に毎日通う事に、一言も嫌なことを言いませんでした。
それどころか「早く行ってやりなよ。こっちは大丈夫だから。」と言い続けてくれました。
それは本当にありがたかったです。

母が退院すると、子供たちと車いすに乗せて、よく買い物に連れて行ったり、食事に連れて行ったりもしました。
入院中は、娘と一緒に頭を洗ったり足浴や手浴をしたりしました。

母が死んだとき、5年生と3年生だった子供たちは小学校の校長室で、私が迎えに行くまで大きな声で泣いていたそうです。

そんなこともあり、今ではおばあちゃんの外出には、娘が車椅子を率先して押してくれます。
孫娘の押す車椅子に乗ってるのが、一番安心なのだそうです。
「アー楽ちんだった。今日は楽しかった。ありがとうね。」今日のお買いものは、たっぷりお金を出してくれました。
そのうちの2000円は娘のお駄賃なのだそうです。

クイズ番組を一緒に見て、おじいちゃんの話し相手になっている息子や、おばあちゃんの車椅子を押している娘を見るにつけ、家に年寄りがいるって事は、結構ありがたいことなんだと思ったりするこの頃です。

じいちゃんの車椅子特訓&私の熱傷

2010-06-12 21:38:32 | 家族のこと
今日は朝から家族サービスで大忙しでした・・・。


ちなみに、ばあちゃんはめでたく?介護度3となり、昨日ステーションの車いすを返してもらい、自分の介護保険で車いすを借りてもらいました。

室内は、なんとかつかまり歩きでよろよろと移動はしているものの、念願の歯医者さんにはとうてい歩けるはずもなく、TAXで通院するように言いましたが『もったいない』精神が骨の髄まで沁み込んでいる人達なので、じいちゃんが
『俺が車いすを押していく!押していくったら、押していく!』と言う事で一応借りてみました。

歯医者さんまでは、約1.2Kmくらいでしょうか・・・
瀬谷と言う名前の町の通り、アップダウンが多い町です。

「おじいちゃんには絶対無理。」と反対しましたが、齢90に近いもと陸軍将校のジイちゃんです。

言っても無理なので『じゃあ、練習しよう。出来るかどうか。』と言う事で、実際にばあちゃんを車いすに乗せて特訓することになりました。

車いすのストッパーを忘れない事、段差を上り下りする時の向きや操作・・

娘がまずレクチャーをしてから、実際におばあちゃんが乗りました。

『結構重いね。でも全然大丈夫だよ。』とじいちゃん。

最初はフラットな道ので難なく押していきます。

が、なぜか蛇行します。車をやり過ごす時ギリギリまで壁に寄るので、ばあちゃんは何度も手を挟まれそうになったり、摺りそうになったり・・・
それでもじいちゃんが『しっかりつかまってて!』と言うので、肘かけから手を離せません。

道路沿いでは、道路に向かって斜めになっているところで何度か腕の筋力が負けて車いすが回転、道路に突っ込みそうになりおばあちゃんの声にならない悲鳴が・・・

(瀬谷って、こんなに優しくない町だったんだと、あらためて実感・・・。)

汗だくだくで、息もあがっての歯医者到着。

そこからUターンしたものの、坂道の途中で死にそうになっていたので、娘と交代しました。
「あ~怖かった~。リナだと凄く安心するわ~。」

でも、じいチャンいわく『これで自信が付いた。二人で行く時はもっとゆっくり休みながら行くから大丈夫。』と宣言。
おばあちゃんは『疲れたら私も歩くから。』とのこと。

う~ん・・・。
二人で行かせていいものか???

あとで二人の娘に判断してもらう事にしました。
嫁ですから、これ以上の判断は危険なので。

で、本番5時過ぎの通院は私が来るまで送迎しました。


そのあとです。
私に思わぬ災難が降りかかったのは・・・!

スーパーにならんだ南高梅や赤紫蘇をみれば、娘の大好物の梅ジュース&紫蘇ジュースを作りたくなるもの。
鼻水が止まらない息子にも飲ませたいし。(抗アレルギー作用があると言われてますよね。)

ルンルンと家に買って帰り、大きなガラス瓶を出してきました。

そして、いつもは大鍋に水から入れて煮沸するのですが、大きすぎたので熱湯を沸かしてビンに入れました。

でも、それを持って流し台まで来たとたん、水に触れてしまったのかパンッ!!と言う音とともに、ガラス瓶の底が抜けました。

そして、中にあったお湯は飛び散り、私のちょうどおへそのあたりを直撃しました。

ワッと思った時はすでに遅く、TシャツGパン越しに熱湯を浴び・・・・

アチ~!!でも、割れた瓶を何とかしなきゃ!!

結局2階まで戻り服を脱ぐとお腹は真っ赤。

やばいかな?でも、大丈夫だよね・・・。とにかく割れたガラスを何とかしなきゃ。

とりあえずちょこっとだけタオルで冷やし、あとは保冷剤をお腹に巻いて、かたずけと夕飯の支度に入りました。

でも・・痛い!だんだん痛くなってくる。

確認すると皮膚の色が変わってきています。

やばい!あわててRVG軟膏を塗りたくり、その上からアズノールも塗りたくり、その上からサランラップを貼ったら痛みが無くなりました。

でも、やっぱりお腹には水泡が3か所、かなり大きい・・・・

何やってんだか・・。

結局新たなビンは良く洗ってから、お酒で拭いて使いました。

ガラスに熱湯入れて、水に濡れたら割れるなんてこと、当たり前ですよね。
なのに、やってしまう私、最近かなりボケてます。

つまらない事でこんな怪我をするのは、たるんでますね~。
患者さん相手だったら、大変です。

何かの警告だと思って、気を引き締めないとだめですね。




母の日

2010-05-09 22:57:44 | 家族のこと
今日は母の日でしたね。

我が家では、おばちゃんの退院祝いと、母の日を兼ねてお食事会をしました。
まだ、やっと伝い歩きのおばあちゃんのために、会場は我が家となりました。

朝から、会場作りや買い物、お料理の準備と手分けをして頑張りました。
出席者は、我が家の6名、姉夫婦とその息子一家の6名、妹の総勢13名。
もうすぐ90のおじいちゃんも、1歳になったばかりの甥の子供もいて、賑やかな夕食となりました。


昼に焼いたデザートのケーキは、おばあちゃんがお見舞いにもらった人参ジュースを使ったパウンドケーキ。


ふわふわで、生クリームといちごを添えてすごくおいしい!

牛のたたきや、いんげんと人参の肉まき、お刺身盛り合わせ、唐揚げ、あえ物酢の物、漬物などなどたっぷり用意できて、みんなでおいしく頂きました。
             



おばあちゃんは、とてもうれしそうでしたよ。


ちなみに、娘が私に買ってきてくれたプレゼントは・・・

トウモロコシのラッピング。
「おかあさんへ」の文字。
トトロでメイがネコバスに乗せてもらって、入院中のお母さんの窓辺に置いていったトウモロコシです。
キャ~!かわゆい。
中を開けると
やっぱりトウモロコシ型のケースに何かが・・・
さらに中身は

トトロの手ぬぐい、文明堂のカステラ2コ、めっちゃかわいいストラップが入っていました。
うれし~。

以前息子にもらった「もやしもん」のストラップを落としてしまったので、今度こそ大事に鍵に付けておきます。

おばあちゃんの入院

2010-04-07 23:21:22 | 家族のこと
昨日の紹介状を持って、地域の中核病院へ義姉とおじいちゃんが連れて行きました。

何とか、痛みを取ってあげたい。
ここでちゃんと検査をして、手術をしても治してあげたい。

家族の思いはそこにあります。

いつもお願いしている介護タクシーのおじさんも、とっても良くしてくれたそうです。

でも・・・

整形外科の若い先生。

「なに?誰が手術なんていったの?うちはね、3月31日に腰椎の先生が辞めちゃったんだよ。だからね、ここでは、そんなリスクのある手術しないから。
するなら、よそへいってもらうから。
あと、こんな状態じゃ、いえでみれないでしょう?!
4人部屋空いてるから、そこ入院して。そのつもりで来たんでしょう?

姉「違います!治してほしくて来たんです。ここで見れないなら、どこか紹介して下さい。今からそちらへ行きますから!」
それでもその先生、「言っとくけど、うちは3カ月以上入院できないから。ほんとは、最初からよそへ行ってもらいたかったんだけど。」
「でも、まあ様子を見て治る人もいるから、とにかく入院してよ。MRIもそのほうが早くできるから」

姉から、そう言われたと怒りで震える声で電話がありました。

大事な家族です。
厄介物を押し付けに行ったわけではありません。
在院日数2週間を割ることに躍起になっているのかもしれませんが、初診の患者と家族を前にいきなり何を言うのか…

よほど連れて帰ろうかと思ったそうですが、どんどん入院の話になって、そのうちまずいと思ったのか、その医師は「さっきは、きついこと言ってごめんね。」と言ったとか…
それから妙に優しい声になって、「検査をしてみてから、考えましょう」みたいなことを言ったそうです。

入院すれば主治医は変わるので、大丈夫だろうとは思いますが、あまりに心ない言葉に絶句します。

何か勘違いをしているのじゃないかと・・・
家に帰るとお爺ちゃんが、同じ話をしてくれましたが、「一言投書してやりたかったけど、人質取られてるからね。」と悔しそうにつぶやきました。

なんでこんなことになっちゃうんだろう?

信頼しているから、わざわざ紹介状を持って身動きできない年寄り連れて行っているのに。

最初に、在院日数の話をする約束になっているのかな?
私が、2年前手術をしたときは、そんなことなかったのに・・・

すごくいい先生もいるし、看護師さんたちもとってもいいんだけれど、一部の先生がそんな診療をしていることを、上の先生は知っているのだろうか?

帰りに乗ったタクシーで、運転手さんに愚痴ったら、「そんなのましなほうだよ。泌尿器なんてもっとひどいよ。」と言われたとか・・・

なんだか、私が残念で申し訳ない気分になってしまいました。

入院中の主治医が、まず人としてまっとうな人であることを祈るばかりです。

卒業式

2010-03-12 23:57:52 | 家族のこと
合唱曲『旅立ちの日に』


今日は、娘の中学の卒業式でした。
子供たちへの御褒美にように、空mo青く澄んでいました。

この学年、うちの娘ともども、本当に先生をてこずらせた学年です。
大騒ぎして、爆発して転がって、また立ちあがってまた自爆して・・・・
そんな子どもが結構いて、うちの娘も2年生の1年間をそんな風に過ごしました。
先生たちは、そんな娘に我慢ずよく接してくれました。

友達の事、部活のこと、自分の心の中での葛藤をいつしか乗り越えて3年生になりました。

そして今日、みんな元気に巣立ちました。

ツンツン頭の少年が、声をあげて泣いていました。
少女たちは、先生と一緒に満面のピースサイン。

先生たちにとっても、手がかかった分感慨もひとしおのようでした。

一連の表彰式や来賓の挨拶があって、ちょっと眠気に負けていたころに、在校生送辞。
そして、卒業生の答辞。
この答辞、生徒会長の男子が校長先生の前で、読み上げましたが、これがすばらしかった。
「千と千尋の神隠し」の千が、なにもかも人任せの子から、人任せではなく自分で未来を切り開こうと頑張っていくようになったこと。
親も知らず誰にも、どこの誰かも知られていない「顔なし」が、千に気ずいてもらったことで、千を頼ろうとし、気を引くためにいろんな災いを起こしてしまった事などを引用して、自分たちは、顔なしになってはいけない、自分の未来は、自分で開いていくのだということを、時に涙で声を震わせながら話しました。
この答辞で、あちこちからすすり泣きが・・当然私も感動です。

そのあと、子供たちが文化発表会の時から必死に練習して、真剣に取り組んでいた合唱がありました。

まずは国歌、横浜市歌、校歌。
そしてあの曲「旅立ちの日に」
これは、泣かせるために作ったような歌ですね。
子供たちの合唱うまい!!

次に「大地賛頌」
もう感動です。

最後に全校生徒で「ふるさと」。

  雨に風につけても おもいいいずる ふるさと

涙止まらず、鼻をすする音があちこちから・・・

こんないきれいなコーラス出来るんだ。この子たちは。
一生懸命に歌わないと、こんなにきれいには聴こえないと思います。

ふざけたり、騒いだりしていても、やる時はやる。

先生たちもボロボロでした。

後で父兄だけを前に、学年主任の男の先生が、「教職を長年やっていて、今まで卒業式で泣いたことはありませんでした。・・・でも・・今年は、本当に感動しました…(絶句)歌っている、あの子たちの横顔を見ていたら・・・本当にどうもありがとうございました。」と、頭を下げられ、また涙です。
こんな大変な子供たちをよく見ていただいたと、感謝するのはこちららのほうなのに。

式の後、子供たちは中庭へ。
先生たちとわーわーきゃーきゃー。

そして、卒業生と先生たちがスクラムを組んで、何かを誓ったようでした。
 
最後のひと時です。

みんなキラキラ輝いていて、これからいろんな可能性を持って広がっていくんですね。

             

早咲きの桜も咲き始めました。
卒業おめでとう!

年休とりました。

2010-02-18 21:41:43 | 家族のこと
今日は、残り少ない年休をとりました。

夫の手術だったので。

今日は県立高校の後期受験日で、前期でなんとか引っかかった娘も、9時には学校が解散になってしまったので、一緒に病院へ行きました。

藤沢市民病院まで、車で40分弱ぐらいでしょうか。

病棟へ行くと、すでに手術室へ向かう途中でした。

1時間後、手の外科専門医が、術中の写真を見せながら説明してくれました。
伸筋腱を引っ張って、チタンの楔に固定、指の先からワイヤーを一本通して6週間前後で
ワイヤーを引っこ抜けば治療終了です。
とりあえずほっと一安心です。

病室に戻るときょろきょろして、娘に冗談飛ばして「水のみたい、腹減った。」と繰り返し「痛くないしよく寝た後みたいだ。手はしびれててよくわかんない。そのお茶のみたい」
とのたまう。
「まだだめ。もっとおとなしくしてて。おなかが動くのを確認してからだから、許可があるまで絶対飲んじゃだめ。痺れてるうちが花だから。そのうちしびれが取れたらむふふふ・・」
そう言って、病院を後にしました。

そのあとは軽く昼食をとり、山下町にある産業貿易センターに一路車を走らせました。

かねてから、「県立高校受かったらで行く旅行に連れてって。」と言われていたので、どこかに連れていかないと・・・
と悩んでいたのですが、先週末になってやっとネットで調べ始めたら、ほとんど何処もいっぱいの状態でした。
私の仕事の合間を縫って、短距離、格安、短い日程で探すと、やっぱりアジアです。

とりあえず、私と娘と息子のパスポート申請だけでもしておかないと・・・
藤沢から産貿センターまで、結構距離ありました。
横浜新道や首都高速を使って、挙句センターのバカ高い駐車場も使ったので、帰りは一般道を通って狩場から保土ヶ谷バイパスでかえりました。
が、ネットでの検索が思うようにいかないので、鶴間のJTBまでその足で移動。
そこで2時間、探してもらいました。
この時点で、もうくたくたでしたが、なんとかとれました。
春休み中の香港旅行!!
旦那は仕事なので、親子3人です。
3月31日から3泊4日、帰りはかなり遅くなりそう・・・電車間に合うかなー??
ま、いいか。
たまにはいいよねー?



夫の不運

2010-02-11 23:07:06 | 家族のこと
うちの夫、ささやかな不運に見舞われることが多い。

昔から、痛いことに人一倍遭遇する。

たとえば、雑魚をたくさん釣りあげ、それを分けていたら、「いてー!!」
と叫び声。
どうやら、紛れ込んでいたハオコゼを掴んだらしい。
「痛い!あーっ!痛い。やばい肩まで痛くなってきた!」と騒ぐので、休日の
病院を訪ねて、強ミノ注射してもらった。

ハサミを使っていると、手まで切って血を流す。
キンカン収穫していると、全身とげで傷だらけになる。
やたら毒虫に刺される。
細かいことを言えばきりがないが、今回は本当に不運というか・・・

2か月ほど前の事、会社で置いてあった段ボールを両手でぐっと押したとき、右手に嫌な衝撃があった。
何かと思うと、中指の第一関節が曲がったきり動かない。伸びない。
痛くはないけれど、変な感覚が・・・

「何だこれ。」と思い、会社近くの整形外科にいった。
今時珍しい位すいているそこの医者はたいそう横柄で、「ああ、腱の断裂だね。6週間固定するから。それでうまくつかなければ手術だから。」といいシーネ固定をされて帰ってきた。
翌日、労災扱いでお願いしますと言うと「ァ、労災なの?じゃあ、高い装具にするから、ここ連絡して、9800円払って。」と言われ、なんだかちゃちなプラスティック製の装具を付けて帰ってきた。
娘に「100均で買った?」とか言われて・・

「手術したほうが早いんじゃないの?大丈夫その先生?こっちの○○先生に診てもらったほうがいいと思うんだけど」
という私の言葉に、「会社からすぐ近くのほうが、通院しやすいんだよ。感じ悪くてもしょうがないよ。」と言うことをきかない。

そのうち、腫れや違和感も強くなり、装具にかぶれたりし始めた。
見た感じもよくなっているとは思えず、本人が「先生、だいじょうぶですか?」と聞いても、「6週間ちゃんとつけないと腱がつかないよ。」としか言ってもらえず我慢していた。

私ももっと強力に医師を変える事を勧めればよかったんだけれど、本人が仕事の都合でそこでいいというもので、しょうがないかな、とあっさり引き下がってしまった。

で、6週間後、「あー駄目だね。全然ついてない。手術だよ。藤沢市民病院紹介するから行って。」と日にちを指定された。
帰宅後夫から「○日、市民病院で手術になった。」と報告され、「え?じゃあ全身麻酔でしょ?入院でしょ?」術前検査とか、手術の説明とかは?」
「そんなの聴いていない。だって、そこの整形の医者が、おれが入院ですか?って聞いたら
『そんななわけないだろ。外来でちょこちょこっと縫って終わる簡単な手術だから。あとはそっちでやってもらって。もううちはやることないから!』といわれたんだよ。」
「???」そんなことってあるんだろうか?
いきなり紹介日に何の説明も検査も了解もなく、腱断裂の手術するかな??
最近はそうなの?そんなに簡単な手術なの?

でも、夫は紹介日にちょこっと縫ってもらうつもりで、病院に行った。

帰るとあんのじょう「あの医者、大嘘つきだった。初診の診察だけだった。
手の専門の先生から、『あー6週間もったいなかったですね。。もっと速ければちゃんと付いたんだけど、こんなに時間たっちゃって、結構大変かもしれないよ。
指は使えないと不便でしょう?簡単に考えると、本当に大変なことになるんですよ。』って言われちゃったよ。それで全身麻酔で3日の入院予定だって。」
「ほら~!だからあれほど○○整形で診てもらえって言ったのに!ちゃんと早く対処していれば今頃とっくに付いてたかもしれないのに!」

でも時すでに遅し・・・
とんでもない藪医者に引っかかってしまいました。
あとで、労災の書類を頼んだ時、これはどこに提出するんでしょうか?と間抜けな質問をした夫に「そんなこと知らないよ。僕はやることはやったから。あとは関係ないから!」と言ったとか・・・

会社に出入りする地元の人に聞いたら、かなり評判の悪い整形だったそう・・・

これだけ時間たっちゃったし、さっき包帯巻いた時もちょっと腫れて熱感もあったので、大丈夫かな??

これが指だから、まだのんきに構えているけど、もっと重篤な病気だったらと考えるとゾッとする。
最初の診断、治療を間違えるとどんどん悪循環にはまっていくんだなーと実感。

それでも、藤沢市民病院の手の専門医に主治医が変わったので、ちょっとホッとしている。

来週は、入院してから術前の説明もあるので、やっとまともに治療が始まります。
なんだか、医療関係者でありながら、自分の家族はほったらかしみたいで、情けなーい気分です・・・。

疲れた日曜でした~。

2009-10-04 23:54:28 | 家族のこと
昨日は、帰宅するとおじいちゃんとおばあちゃんが、ないやらバタバタとしています。
なんでも、自分たちの和室(二間)の畳を変えるとのこと。
エー!!て、今ある箪笥やらあれやらこれやら、捨てられずに山ずみのものは、どうするの・・・

「だって、毎日のように電話くれて、あんまり言ってくれるから、じゃあ見積もりだけでも、って言って来てもらったら、安くしてくれるって言うから・・」

そりゃー脈があると思えば、ガンガンかかってくるでしょうが、挙句に昨日見積もりに来て、翌日やりますって・・・
気が変わらないうちにって事でしょうか・・

私は嫁なので、何にも言いませんが、娘二人は怒っていましたよ。
「もっと良く考えて、あちこちに見積もり聞いて、比較しないと!」
「もういっそ畳じゃなくて、フローリングにしたほうがいい!」
「そんな電話だけで決めちゃって、みんなに相談すれば、もっといいところがあるかもしれないのに!」

でもまあ、お金払うのは、おじいちゃんなんだから、決めちゃったものはしょうがない。後の祭りってやつです。
こうやって、お年寄りはいろんな契約結んじゃうんでしょうねー

で、日曜日朝8時に来るっていうから、朝っぱらから荷物移動して、娘二人が先導しながら、大騒ぎでした。その上7時半にもう来ちゃいました。

そのうえ、ばあちゃんがついでに、障子も貼り変えるって・・・
糊も、おばあちゃんが片栗粉でこねちゃってるしで、参りました。

結局、畳の無くなった部屋をみんなで大掃除して、障子の貼り替えまでやって、畳が入ってから元に戻して・・大量の荷物・・・
当の本人たちは、ほとんど動けず、その割に夜はへとへとになっていました。

私も、なんかへとへとです。

ちなみに、じいちゃんたちの部屋で、使わなくなったハンガーラックを、娘の部屋に押し込む作業もありました。これも大騒ぎ・・・

昨日のシンポジウムで、結構へばっっていたので、今日は眠くて辛い一日となりました。

もう寝ます。

また、明日から忙しい毎日が始まります。

バイトでのいじめ。息子の悔しさ。

2009-09-21 23:29:18 | 家族のこと
普段よく食べ、ほとんど自立している息子ですが、今日はちょっと様子が違っていました。

息子は1年くらい前から、「焼き肉のS」という店で、アルバイトをしていました。
遅刻も、欠勤もせず、シフトが入れば、無理をしてでもバイトに行きました。

あまり、要領がいいとは言えない息子ですが、それなりにがんばって、厨房内の皿洗いや掃除だけから、肉切りや調理もさせてもらえるようになり、結構頑張っていました。

ところが2週間前から、支店長と、いつも声をかけてくれた先輩が移動になってしまったそうです。
新しい支店長といっても、まだ21か22歳。

この支店長がきてから、息子へのいじめが始まりました。
とにかく、口でのいじめがひどかったようです。

ことごとく、難癖をつけ、「お前の代わりなんかいくらでもいる。」と、いじめを繰り返していたそうです。

前の支店長も若かったようですが、口は悪くても、忙しければねぎらいの言葉もかけ、無理なシフトも避けてくれてたそうです。
それに、先輩もかわいがってくれたようで、楽しそうだったのですが・・

今日、帰ってから「ひでェ。どんどんひどくなってくる。俺が休みの時に、制服が変わったのに、どこにあるかも、どれを着るかも教えてくれない。やっと教えてくれても、馬鹿にした言葉が次々と帰ってくる。おれ、もう本当にだめな人間なのかなって、思って。でも悔しくて。」

高校2年生のアルバイト捕まえて、二十歳過ぎの若造がいじめ?

「おれだって、一度始めたバイトだから、やめたくないよ。ここでやめたら悔しいじゃん。今まで、中途半端でやめてったやつのこと、すごく許せなかったし・・」

私も夫も、「そんな程度の低い店長の下で、働くことないでしょう?高校生なんだし、バイト捕まえていじめするようなとこで、働かなくていいからやめなよ」
そういいました。
でも息子は、「やだよ、ここまで来て、あんな奴に負けたくないよ。悔しいじゃん」
そう言って、部屋に戻っていきました。

少しして、夫が私を呼びに来ました。

部屋で、息子が号泣していました。

せきを切ったように。

昔から、争いが嫌いで、喧嘩が始まるといつのまにかいなくなった息子です。
いじわるとか、乱暴とかが、絶対できない息子です。
身体の割に、気が小さくて、おっとりマイぺースなやつ。

「あんたは、一年頑張った。よくやったと思うよ。
今までは楽しくやってきたんでしょう?でも、バカな支店長がきて、いじめを始めたんなら、もうそこにいる意味ないじゃない。
2週間も我慢したんだし、十分だよ。
バイトの高校生もうまく使えないような、部下を育てられないようなやつの下で働いていても、何も得ることはないでしょう?
そういうくだらない奴も、世の中にはいるってことがわかっただけでも、よかったじゃない。」

「おれ、全否定されてたから、もう自分に自信もなにもなくて、本当にだめなやつなのかなって考えちゃって・・今日は、流石にほかの先輩もかばってくれて・・」

そう言いながら、すでにハイパーベンチレーション。
紙袋を吸わせながら、深呼吸をさせているうちに、少し落ち着いてきました。

夫は怒り心頭です。「明日、本社に電話する。事情を話してもう、行かせられないって言うから。どんな社員教育しているのか聞いてみる。もう行かなくていいぞ!
もっと、まともなバイト先はいくらでもある!!」

息子は、ほっとしたのか
「わかった。もう行きたくない。行かない。」そういったものの、足ががくがくしていて、かなり四肢のしびれもあったので、私の安定剤を飲ませ、やっと落ち着きました。
それでも「店長さえ変わったら、またあの店でバイトしたいんだけど・・。」
とか言っていましたが・・。

社会に出れば、もっととんでもないやつがいるってことも分かっているようで、こんなことで負けるのいやだな・・と呟いていました。

なんだか、普段ほったらかしの息子ですが、そんなことを我慢して働いてたのかと思うと、切なくて私の方が泣きたい気分です。

でも、がんばってるなー。
バイト代で、いろんなモノ買っているので、収入源がないとつらいかも。

でも、いろんな事経験して大人になっていけばいい。

ほんとに、世の中には許せない奴もいるんだから、気持ちはくじけず、頑張れよー。