こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
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身体拘束の意味?

2011-08-30 21:24:40 | 訪問看護、緩和ケア
「身体拘束は、絶対しません。」という施設が多い中、身体拘束をしてほしいのにしてもらえないという事実があります。

そもそも、身体拘束は個人の尊厳を守るためにあるのだと思います。
職員の怠慢や意識の低さから不当な拘束をしない、させないというのは当然だと思います。

でも、拘束をしなければ、本人の身体に危害が加わり、穏やかな生活が脅かされるとすればどうなのでしょうか?

常に体を掻きむしり、皮膚を破り血が出ても掻きつづけ、胃瘻のチューブも引き抜いてしまうとしたらどうでしょう?

キルティングのグローブは、一日で指で穴をあけてしまいます。(今まで破ったグローブ何十枚・・)
キルティングのグローブ越しにつなぎの上から掻いていて、ふと気が付くと人差し指が一本グローブから出ていたりして、あわててグローブを変えたりします。
グローブは、手首で幅広のバンドで抜けないようになっていますが、それでも口で噛んで引き抜いたりもします。

手首はゆとりを持たせて、両サイドのベット柵に結んでありますから、全然動けないわけではなく、オムツに届かない程度の距離で止まります。

これは、長年献身的に介護してきたご家族が、試行錯誤の上にたどり着いた方法です。
家族は、愛情をもって献身的に介護をしてきました。
愛情ゆえの選択です。

そして、このぎりぎりの拘束ゆえに、ショート先がほとんどありません。

施設は「拘束をしてはいけないきまり」だからです。
なんだか、わかったようなわからない決まりですね。

本来なぜ拘束がだめなのか、なぜ今一部拘束が必要なのかを、施設内で検討委員会とか作って判断してくれてもいんじゃないかなぁ・・。


河野裕子・永田和宏「たとへば君」を読む。

2011-08-29 23:03:07 | 読書、漫画、TVなど
初めて河野裕子さんの短歌を聞いた日から、私は彼女の短歌に魅せられ、半ばうなされる様に眠りに落ちる寸前にも、その一説が浮かんでは消えたりしています。

以前にも何回かご紹介したこの歌。

 たとえば君
 ガサッと落ち葉すくうように
 私をさらって行ってはくれぬか

河野裕子さん21歳のころの短歌です。

昨年、乳がんが再発、64歳のわかさでこの世を去った歌人。

牧水賞の歌人としても有名で、マスコミでもかなり話題になった方です。
やはり歌人である夫の永田和宏さんが、「四十年の恋歌」のサブタイトルで、相聞歌を含めて、出会いの頃から今までのエッセイや追想、380首の歌をまとめたものです。

  
たとへば君―四十年の恋歌
河野 裕子,永田 和宏
文藝春秋


それぞれのエッセイや、お互いをどう見ているかなど、夫婦の視点で描かれています。

そして、日々の生活の中からほとばしるように生み出される美しい短歌に魅せられていきます。
ただそれは、美しいだけではなく、精神の不調であったり、激しい激情であったりもして、夫婦喧嘩の歌もまた激しいものであったりします。

驚いたのは、乳がんの再発ですでに化学療法も効かないと言われ、ご夫婦は在宅療養を選ばれたことです。

新しい家で、最後の時間を過ごすため、往診医と訪問看護を利用し、ご家族で最後を看取られたと言う事を知り、ますます身近に感じてしまいました。

いくつもの恋の歌、子供を思う歌、夫婦の歌、病気の歌・・・
そして、呼応するように夫の詠む歌。


私の本には付箋がいっぱい貼り付けてあって、何度も読み直したりしています。

死ぬな 男の人に言ふやうにあなたが言へり白いほうせん花
                           河野裕子

ひき受けてやれない私は庭に出て雪だ雪だと君を呼ぶのみ
                           永田和宏


そして絶筆

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
                           河野裕子

歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを恐る
                           永田和宏

永田和宏氏 挽歌

あほやなあと笑ひのけぞりまた笑ふあなたの椅子にあなたがゐない


ぜひ一度読んでみてほしい一冊です。
                              

緊急お知らせ*看護師さん募集中!!

2011-08-27 19:22:05 | 訪問看護、緩和ケア
訪問看護やってみませんか?初めてでも大歓迎。
在宅は怖くない。
待っててくれる人がいるって、すごく素敵なことです。
オンコール出来る方一番うれしいです。
(扶養内であれば、オンコールはありません。)
常勤・非常勤・扶養内と、ご相談に乗れます。

在宅で、様々な人の人生に触れて、きっと世界観も変わるはず。

せっかく免許を持っていても、使っていない方。
もちろん研修もありますよ。
優しいスタッフが、一から一緒に教えます。

今は病院勤務の方、やっぱり世界観が変わります。

一緒に、しっかりと向き合った本当の看護をしてみませんか?

それから、PTの方やSTの方。
うちのステーションがまだPT,ST,OTの方がいません。
一から、自分のやり方で、在宅のリハビリを始める気持ちのある方も
募集しています。

興味のある方(看護師免許をお持ちの方)ぜひメールでご連絡ください。

この一口

2011-08-27 10:20:42 | 訪問看護、緩和ケア
徐々に全身の筋力やバランス感覚が萎え、言葉を話すことも物を飲み込むことも難しくなっていく病気があります。
思うように動かなくなっていく身体と同時に、自分の意思さえもうまく伝えることが出来なくなっていく恐怖や苦しみ。

ハルコさん(仮称)は、ここ数年の病気の進行の中で、大きな決断を強いられることとなりました。

「このまま、何があっても延命につながる処置はしない。気管切開も、人工呼吸器も、IVHも胃瘻もチューブも一切しない。食べられなくなった時が終わりの時。」

夫と二人の暮らしの中で、不器用で寡黙だけれど、一生懸命妻を介護する夫は、時々折れそうになる心を奮い立たせながら、一日一日を過ごしてきました。
当然ヘルパーや訪問入浴、訪問看護、STが入り、夫の苦手なケアは周りで分担しています。

それでも、病気は待ってはくれません。

このところの嚥下機能の低下は著しく、トロミ食をスプーンで舌の奥に乗せ、トロミの水を口から注入して、食べ物を重力とわずかに残った嚥下機能に任せ押し込むという究極の食事介助をしています。

食べる方も食べさす方も、真剣勝負です。


角度も体位もしっかりと固定して、一口。
また一口。
もっとたくさん入れて。水も入れて。
わずかな指の動きが、彼女のサイン。

ある程度の量がないと、嚥下の反射がおきてくれないのです。


私たちが当たり前のように食べている、この一口が命の一口となります。

数回に一回のゴックンが、彼女の命を支えているのです。

延命を拒否したからと言って、死にたい訳ではないのです。
生きたい。生きたい。生きたい。
ハルコさんの全身から感じる生への渇望。

このところ誤嚥することが多くなり、熱を出すようになっています。
痰も増えてきています。

これから、どこへ向かっていくのか、誰しもが見守る中、最終決断はやはり、ハルコさんにしかできません。
この一口の重みを、自分に置き換えれば、それは愕然とするほどの重さです。

この一口が、次の一口が、少しでも命を繋いでくれることを、祈るしかないのです。

お父さんの決意表明

2011-08-26 22:17:57 | 訪問看護、緩和ケア

昨日の朝、2年の在宅療養をえて、サチコさん(仮名)の呼吸が静かに止まりました。
急いで訪問すると、ご主人はサチコさんの手をずっとさすりながら「お父さんが、座薬も入れてあげたんだよな。お父さんがずっと見ててあげたんだよな。2年だよぉ。」と、独り言のように話していました。

お父さん(夫)は、自分も呼吸器疾患を持っていて、ご高齢なこともあり自分のことで精いっぱいな状況でした。
ですから、小規模多機能でのデイやお泊りを組み合わせて、なるべく負担のないように在宅療養を送ってきたのです。

小規模多機能のスタッフも、うちのスタッフも、このご夫婦が大好きでした。

サチコさんは、かなり認知症が進んでいました。
退院当初は落ち着きなく、ずっと家の中も動いていて、箪笥を上から下まで開けたり、いろんなものを探して歩いたりして、いつもちょっと困ったような顔をしていましたが、それが何だかとてもかわいらしくて、あっという間にみんなの人気者になりました。
お父さんはと言えば、いつもぶつぶつ文句ばっかり言っていますし、だれ彼構わず憎まれ口をきいたりするのですが、これまたどこか憎めない人で、今日はどんな憎まれ口をきかれたかを報告しあっては、あとで大爆笑になるような人でした。

特に主担当だったYナースのことは、娘のように思っているのか、いつも絡みながらも心待ちにしていました。
ですから、彼女が夏休み中は「あいつはどこに行ってるんだ?まだ来ないのか?」などと変わりのナースに聴いていました。
休みの後に彼女が訪問すると開口一番「おお、やっと帰ってきたか。どうだ、ゆっくり休めたか?俺は介護でくたくただ!」と言い放ってYナースはひっくり返ったそうです。

そんなお父さんですから、サチコさんは、ほとんどをデイやお泊りで面倒を見てもらい、訪問看護や訪問診療もお泊り中に訪問したりしていました。

やがて病状が進み、デイも行くことが難しくなり、話し合いの結果これから先は在宅でヘルパーと訪問看護を利用して、最後まで看取ると言う事になりました。
お父さん的に、当初「最後までなんて無理だ。悪くなったら病院だ!」と言っていたので、最後はいつでも病院に行ける準備もできていましたが、病状の悪化に伴って、お父さんは「最後まで家で看る。」と言うようになりました。

寝たきりになると、お父さんは唯一自分の出来る仕事として、食べさせることに一生懸命になりました。

でも、そんな状態ですから、食べられるわけがない。
でも、「食べろ。栄養をつけなきゃだめだ。なんで食べないんだ。」
そういって無理に食べさせます。
サチコさんも、それに応えるように一生懸命食べていましたが、ここ1週間は水分さえも喉を通らなくなり、お父さんもとうとう「もうだめなんだな・・」と思えるようになりました。

そして今朝、お父さんの愛する、村一番の美人妻は、お父さんに手を握られて、静かに旅立ったのです。

担当のYナースもかけつけ、私は彼女に後を託して戻りました。

あとで、息子さんがこんな話をしてくれたそうです。
「親父の無理をみんなが聴いてくれて、この環境があったからここで見送れたと思います。病状がどんどん悪くなって、もう親父には無理だ。病院に入れよう。と言ったとき、『俺は裏切れない。ここで見送ると約束したんだ。』と言ったんです。
だから、本当にここで見送ることが出来てよかった。皆さんのおかげです。」と。

「裏切れない。」

そうか、裏切れなかったんだ。
大好きな自慢の美人女房との約束、ちゃんとはたしたんだ・・。
オヤジ、かっこいいじゃん。

一人残されたお父さんが心配だけれど、意外と気丈に周りに振舞っていたようです。
息子さんも比較的近くにいるし、実は途中からお父さんも訪問看護が入っていて、ひき続きYナースが訪問する予定です。

きっと、これからもあの憎まれ口をまき散らしながら、看護師やヘルパーを待っていてくれるのだろうと思います。

お父さん、よく頑張ったね。
あなたの自慢の美人妻は、きっと幸せだったっと思います。

総合的に考えれば・・。

2011-08-24 22:53:23 | 訪問看護、緩和ケア
必要な時に必要なお金を使わないと、結果あとでものすごく出費することになったりします。

何かを買う時でも、やたら安いものに飛びついて、すぐに壊れたり、壊れたついでに周りの物にまで被害が及んだりして、あとで後悔することだってありますよね。

介護もそういう事がたくさんあって「今の蒲団で十分だ。ベットもマットもレンタルなんてもったいない。」と言って、必要性を話しても取り合ってくれなかった方が、数か月後に巨大褥瘡を作って、結局はベットにエアマット、医療費や衛生材料費、通院の交通費に出費がかさみ、いろんなサービスもたっぷり入れて管理することになったりします。

最初に必要なエアマットとベットが入っているだけでも、褥瘡の悪化具合は雲泥の差だったりして・・。

在宅でのサービスもそうですね。

往診医は高い、訪問看護は高い、オムツも高いだから削って削って出来るだけ家族で賄う。

もちろんそれでできる場合はベストですが、老々だったり日中独居だったりして、気が付けば清潔が保てず感染症をおこしたり、家族の知らない間に病状が悪化したりして、あわてていろんな手配をしても、重篤化していてそれこそとんでもない自費分が出てしまったりすることもあります。

訪問看護も、なるべくお金がかから無いようにとは思いますが、定められた利用方法がありますから、そんなに都合良くは利用できません。
以前、初回訪問で相談され、往診医を紹介したとたん「もう往診の先生が来てくれるから、看護師はいらない。もう来ないで!」と怒鳴り散らしたかと思うと、初回訪問料金を1年間払っていただけなかったこともありました。


よく言われるのは「契約だけはするけど、普段は来なくていいから、具合が悪いときだけ来てほしい。」とか「月に1回訪問で、緊急対応だけは入れておいてください。」などと言われます。
でも、普段の状況がわからなければ、緊急時に訪問しても何もわかりません。
連携にしても状況判断にしても、日頃の関わりで良くも悪くも変わっていくのです。
なので、サービスの利用料が高いという理由だけで、訪問看護や訪問診療を考えるのはやめてほしいのですけれど・・。
最近は少なくなりましたが、以前はケアマネさんでもそういう人が結構いました。

もちろん経済的に厳しい状況であればいくらでも配慮しますが、こういう判断をされる方は、往々にしてそれほど低い生活レベルとは思えないご家庭に多い気がします。
質実剛健、もったいない世代は、いろんなものがもったいないのです。

これはとても尊敬できることですが、尿で汚れたオムツを乾かして再利用するのは、臭いますし吸収も悪いです。
何より清潔とは言えません。

いくら洗剤と電気代がもったいないからと言って、リネン類やタオルを何度も使いまわすのも不潔ですし、せっかくの入浴後すっきりしないと思うのですが・・。

今数百円、数千円の単位を削減することで、近い将来何万円ものお金と、長期の治療が必要になる事が、往々にしてあることを、どうしたらわかって頂けるのでしょうね。
それでも手遅れになって、後悔することのないように、お金のことをいろいろ言うのはとっても嫌ですが、ちゃんと必要なサービスの導入を納得していただけるようなお話しもできるようにならないと・・。

はぁ~。それって意外と難しい~。

みんな信念もって生きてますからね~。

そんなこんなで、今日もいろんなサービスを巻き込んだゴタゴタのまっただ中で終りました。



そしてまだまだ高温多湿、いろんな病気も出てきます。
皆様、突然降ってわくような感染症もありますので、お気を付け下さいね。
事業所の皆様は、ガウンテクニックがいつでもできるように日頃の準備が必要ですよー。



介護職員の喀痰吸引って言っても・・。

2011-08-22 22:23:43 | 訪問看護、緩和ケア
このところ立て続けに、ヘルパーさんに吸引をお願いしなければならない患者さんがいます。

いちおう、ALSの患者さんから始まった介護職員の喀痰吸引。

医師の指示や看護師の指導があれば、可能な方向に流れているのかと思っていました。

でも、ここでも落とし穴があって、この場合の責任の所在はやっぱり吸引をした介護職員個人にあるらしいのです。
個人的に責任を取れって言われたら、誰だってやりたくないですよね。

それでも必要にせまられ、そういうリスクを覚悟の上で、やらざるえない人たちの善意に、国が見て見ぬふりをしているのが現状なのかな?と思ってしまいます。

とはいえ、実際病院側からの要請があり、一応指導はこちらの責任で行わなければいけないわけです。
どうせ指導をするのなら、地域として訪問看護ステーションと区役所で、この地域のヘルパー事業所対象にやったらいいのじゃないかと、区に相談を持ちかけてみました。

しばらくして返事があり、どうやら今の法制度では、区役所的には大ぴらにできないと言う事がわかりました。

2011.7.22 厚生労働省の「介護職員等によるたんの吸引等の実施のための制度の在り方に関する検討会」のなかで、介護職員の吸引の実施に当たり、来年度から一定のカリキュラムを受けて認定されたヘルパーに限り、吸引をすることが出来る。となっている為です。

これは、50時間の講義を受け、さらに実地研修も複数時間行った上での認定だとか・・。(キャリアブレインにわかりやすく書いてあります。)

ただし、これは胃瘻の管理や、気管カニュレ吸引も含めてのことです。

現状、介護の現場で気管カニュレまで吸引してもらう事は、神経難病などの特殊な例を除いては、かなり少なくなります。
現場レベルで、多く求められているのは、寝たきり状態でうまく痰が喀出できず、喉の奥にたまってしまう場合などがほとんどです。

この人材不足の在宅介護の現場で、50時間以上の研修をどれだけの介護職員が受け、その間の人材の補充や経済援助を、いったい誰がするのか・・?

当然、必要な医療知識や緊急時の対応なども含め、理解してもらう事はかなりありますが、段階的に判断をして、とりあえず口腔の吸引のみ行う場合には、指導内容をもっと現実的な内容に考え直すべきだと思いました。

そのために、共通指導マニュアルの作成や、少なくとも個人に責任を押し付けるようなことを避けなければ、高度化している在宅療養はとても難しくなってくると思います。
基本的に、私的には鼻腔や気管の吸引まで、在宅で介護職員にお願いするのは、お願いする方が全責任を負わないとまずいと思います。(コメントでご指摘を頂いたので補足です。お願いする方⇒ご本人・ご家族の選択として と言う事です。)
本当に気管の吸引が必要な方もいらっしゃるので、そういう事ではない一般的に行われる吸引に関しては、口腔のみお願いするのが妥当と考えます。(私個人は)

どちらにしても、今いる患者さにんには間に合わないので、あとは同意書などでどこまで介護職員を守れるのか、と言う事ですね。
介護職員が守れなければ、継続して必要な処置を受けられずに困っている方々を守ることが難しくなります。
自分だけ良ければいいのではない形で整備していかなければ、だれも救えないと思うのですが・・。


大和「天狗家」アスロード店

2011-08-21 20:41:22 | 旅行・グルメ
今日は、娘のリクエストで、大和の焼肉屋「天狗家」にいってきました。



安くておいしいので有名なお店なので、早く入らないと待つ事になる為5時の開店を目指して入りました。
行ってみたら実はもう開いていて、アスロード店は土日は4時からと言う事がわかりました。

とはいえ、店内はあっという間に満杯になり、入店後に外を見るともう列が出来ていました。
早く行って正解です。


七輪焼きなので、ファイヤーって感じで煙ももくもくですが、この大きなお釜で吸い上げてくれていました。

ここの本店がいつからやっているのか知りませんが、たぶん私が市大病院で働いていた頃、研修医の先生たちと日勤の後に車にギュウギュウ詰めで何度か来たお店じゃないかと思います。

当時はもっとモクモクで、お店も古くて、でもみんなでワイワイ七輪囲んでたらふく食べた思い出があります。
あまり煙がすごくて、匂いが染みついちゃうため、先生たちはOpe着の青いチェロキーで来ていました。

ここはアスロード店で大和駅南口からすぐ近くです。

何が有名って・・安さです。
このカルビ2人前の量。
1人前750円ですが、かなりのボリュームです。

これ、大根サラダ300円

天狗家スープもそのくらいだったか、辛さを選べてスルメダシが引き立つ不思議なお味でした。うまい!

そして、さっそくジュージューと七輪でお肉を焼きます。
安いから、いくら食べても気にならない。


ご飯は、小を頼んでもお茶碗にギューギュー詰めで来ますので要注意。

結局カルビ4人前、牛タン2人前、モツみそ味、大根サラダ、スープ1人前、チャンジャ、チョレギ、ご飯小3人前、生ビール2杯、ウーロン茶1杯で、計7600円位でした。

いつも息子を連れて焼肉を食べるとその倍はしますので、これはびっくりですね。

カルビも結構柔らかくておいしかったですよ。
タンは、ちょっと薄すぎて味がよくわからなかったですが・・

けむけむ覚悟でたらふく食べたい方は、ぜひお勧めです。

日本死の臨床研究会/第5回ホスピス・緩和ケアの集いIN横浜

2011-08-20 23:59:07 | めぐみ在宅緩和ケア関連
昨日は、日本死の臨床研究会主催「学生のための第5回ホスピス・緩和ケアの集い」が、連携先のめぐみ在宅クリニックで開催されました。

           

分科会のファシリテーターという大役を請け負ってしまい、ちょっと緊張しましたが、なんだか和気あいあいの雰囲気で、楽しくディスカッションをすることが出来ました。

「学生のための」と付いていますが、実際は現役の看護師やケアマネ、施設関係者、医師、ボランティアなどが多かったです。

私の分科会は、医学生、薬科大学の学生、緩和ケア病棟看護師、看護学生、看護大学院生、訪問看護師を養成しているかたなどが参加してくれました。
みなさん緩和ケアには熱い思いがあって、看護学生さんと言っても、実際はNSWとしての実務経験から看護学校に入りなおした方だったり、訪問看護の経験者であったりしました。

今回は、薬科大学の学生さんが、ゼミの先生と共にたくさん参加してくれていました。

7つの分科会のファシリテーターは、敏腕ケアマネ二人、薬剤師、小澤先生、大学で闘病記から緩和ケアの授業をされている先生、病院で緩和ケア認定看護師をされている方、そして私の7人です。

今回私は「地域の中の緩和ケア」ということで、病院と地域医療との連携についてや、患者さんから多く聴く言葉をお話しして、実際に私たちはどう向き合っていけばよいのかなどをディスカッションしました。

前回私のブログでも記事にしたあるケースについて、みなそれぞれの意見を出してくれました。

「ターミナル期にあって、外出がしたいと希望した患者さん。それを叶えようと手配しましたが、患者さんは『車椅子では絶対に行かない。歩けるようになってから行くので、歩けるようになるリハビリをしてほしい。』と。
けれど、支援者はその患者さんの予後は短く、外出できるチャンスは今車椅子でしかかなえられそうにないことを知っています。」

これに対して、みなさんはどんな言葉をかけますか?

みんな悩んで言葉を探して、それぞれ違う思いを語ってくれました。

「自分なら、全部教えてほしい。そのうえで、車椅子でしかしか行けないのなら、それを選ぶかもしれない。」
「あまり考え込む前に、とりあえず外に連れ出しちゃう。そこから、喜びにつながるかもしれない。」
「希望を失わせるより、外出を目標にリハビリをすることを支援する。」
「やはり、正しい情報をきちんと伝えた方がよい。」
「そもそも、今外出させたいというのは、医療者側の希望なのではないか。現在の状況を知らない本人にとっては、そこまでの思いはないのではないか。」

などなどでした。
こういう患者さんの希望と、医療的な現実の間に開きがあって、どう伝えるべきか、どう対応するべきか苦悩することは、緩和ケア病棟でもよく直面する問題です。
と緩和ケア病棟の看護師さん。

分科会の後の報告会で、このグループからこの話の内容を報告しました。

小澤先生からのアドバイスは「外に出たい。車椅子は嫌。これが希望であり、歩けないと言う事が苦しみ。リハビリをする、ということは支えになる。
この時、反復のあともし(if)という言葉を入れてみます。
『もし、リハビリをしても歩けるようにならなかったとしたら、あなたはどうしたいですか?』と聞いてみたいですね。
もう歩けるようにはなりません。もうあなたの余命はそれほど残ってはいません。とあえて言う必要はないでしょう。」
というものでした。

こういう会話に関しては、その人その人のパーソナリティによって違うと思いますし、知りたい人、知りたくない人あるとおもいます。
けれど、「もし」という言葉であれば、どちらにしても使って見れるかもしれませんね。

それぞれの分科会から、参加者の発表があり、盛況のうちに会を終わることが出来ました。


今回も、いろんな人との出会いがあり、いろんな職種の方とお話をすることが出来ました。

こういう集まりは、自分の気持ち次第なわけですが、出れば出ただけのことはあるなぁ、といつも思います。
今回も、いい出会いをさせて頂いたので感謝です。

このあと、近くで懇親会もあり25人くらいの参加がありました。

びっくりしたのは、いつも私のブログにコメントをくれるマメタロウさんが、参加されていたことです。
「こんにちは!」遅れて行った私の席に、元気な声であいさつに来てくれました。
なんだか、とっても嬉しいですね。
同じ分科会に参加してくださった方からも、「いつもブログを読んでします。」という言葉を頂きました。
有り難いことですが、これじゃブログの亢進もあまりサボれませんね・・・。(~_~;)

とりあえず、私の役は無事終了。
また明日から、次の目標に向けて頑張ります!。

価値観

2011-08-19 21:52:06 | 訪問看護、緩和ケア
価値観は、人それぞれ違うのはあたりまえで、だからこそその人らしい生活ができるように支援しようと、みんな頑張っています。

でも、時々その価値観をそのまま受け入れるのはどうかな?と思う事もあります。

一般的に、社会的規範からかけ離れている、ともわれるケースは特にこれでいいのだろうか、このままでは生命の危機があると思う事があります。
そもそも、社会的規範が何なのか?というと、これもよくわかりません。
この文化圏で、ほとんどの人がこういう場合は、こうしたほうがより人に迷惑もかけず、自分たちも安全で、法律的にもスムーズな社会生活が送れるってことなんでしょうか?(そりゃ、違うぞ!という方もいらっしゃると思いますが・・)

いわゆるごみ屋敷の住人や、ネグレクト、虐待、クレーマーなどを行う人たちだって、本人たちは自分がおかしいと思っている人はいませんよね。

親への愛情はあるけれど、親が劣悪な環境で熱中症になっていても「これはただの風邪だから、カゼ薬を飲ませれば治る。だから病院などへ行って、下手な医療を施されるより、ここにいれば僕が治せる。」と断言して、脱水、発熱で動けない親の受診を拒否した家族がいたとします。

食事内容が問題でも、介護者が「これで何の問題もない。」と断言すれば、食べさせていないわけではないので、それ以上は何も言えません。
家の中がひどく汚くて、高温多湿で虫がわこうが、介護者が「別に汚くない。何を大げさな。クーラーだって入っている。」
といえば、汚くて死ぬことはないし、たまたまクーラーが古くてこのところの気温に負けサウナ状態になっていても、悪意があるわけではなく、最低限の居住空間はあるので、どうにもなりません。

でも、これって価値観の違いで済むことなんでしょうか?

瀬谷区内でも数日前に61歳の女性が熱中症で死後3日目にケアマネに発見されました。

ケアマネも看護師もヘルパーも入っていて、このままほっておくことは、私たちの価値観ではあり得ません。

行政の介入もかたくなに拒否しているご家族の価値観には沿えませんが、行政を巻き込んで、ご家族が不在の時に踏み込んでしまうことも、致し方ないと思います。

何故なら、高齢者で自分で苦痛を訴えられない患者さんにとっては、このままでは死の可能性があるということを知っているからです。

でも、結局私たちが介入できるのはそこどまりです。
受診先から、ご家族が連れて帰ってきてしまえば、また一から始まりだし、下手をすれば今入っているサービスも拒否する危険も含みます。

実際問題幼児虐待でも、行政の介入に限度がありますが、これが老人となるとさらに手が出せません。
行政の権限もまったく行使できない現状があります。

価値観でいえば、「車椅子」への受け入れにも、人によって大きな開きがあるようです。

「車椅子で外には出たくない。外には出たいけれど、行きたいところはいっぱいあるけど、歩けないなら行かない。」

「車椅子の姿を、人に見られたくない。」

この言葉を、何回も聞きました。

「車椅子」は、恥ずかしい?

今、車椅子ならとりあえず大体のところは連れて行ってあげられる。
でも、歩けるようになる可能性は、厳しいとしたら・・・。

車椅子に乗ることで、いっぱい可能性は広がります。

念願の食事に行くことも、スーパーで好きなものを買う事も、映画を見ることも、コンサートに行くことも・・。

でも、そこに「車椅子」があることは、絶対ゆるせないのだとしたら、そこはその価値観に添うしかないのかもしれません。

それは自分が自分のために選択したのだから。

スタッフも私も、毎日考えずにはいられません。

本当は、どうするのがいいのか・・を。


ところで、今日はこの地域もすごいゲリラ豪雨にみまわれました。

午前中の訪問は、ちょっと車を出ただけでバケツを頭からかぶせられて様な状況で、ずぶぬれになりました。

昼過ぎ、ステーションに戻ろうと、相沢方面からいつもの裏道をぬけましたが・・・

神社の階段は泥水の滝でした。
この後、この地区は川の増水で自主避難警告が出されました。


ちょっと段差があればこんな感じです。



排水溝からはこんな感じで水があふれ、大きな道沿いはもっと噴水みたいでした。

いつもの裏道。瀬谷センターに抜ける前の小さな橋は、一時的に冠水していましたので、軽自動車では渡れないと判断して、回り道をしました。
ステーションにもどれば、地震もも来るしで、一体日本はどうなってしまうのでしょうね。

明日は、「ホスピス・緩和ケアの集い」です。

お仕事山盛り。

2011-08-17 23:13:53 | 訪問看護、緩和ケア
お休みと言っても、週末含めて月曜と火曜だけなんですが・・。
やはり、お仕事は山盛りたまっておりました。

何からかたずけようか・・と。
とりあえず、電話をしなければならない所からかたずけ、なんだかんだで一日はあっという間に終わってしまいました。

一番あせったのは、今週土曜に行われる、日本死の臨床研究会主催「第5回ホスピス・緩和ケアの集い」でひきうけたファシリテーターの件でした。

いつもの緩和ケア研究会のようなファシリでいいのかと思っていたら、どうもそれだけでは済まないらしく、小グループに分かれ自分の担当グループで、30分ほど話しをしないとだめらしい・・。

いくら、その場で気楽に話してくださいって言われても、遠いところから一生懸命やってくる学生さんたちに、いい加減な話をするわけにもいかず、現状この地域を取り巻く在宅緩和ケアの現状や、どんなかかわりが必要なのかの問題定義を、きちんとできるような準備はしておきたいなと思いました。

そうは思ったのですが、その前に10月前後でリンパ浮腫の勉強会をするために講師依頼をお願いした病院と講師に、依頼文も作らないといけません。

そんなことをしていると、あっちのこともこっちのこともと、どんどん仕事がとっ散らかっていきます。

なんでこう、集中してひとつずつクリアできないのかと自己嫌悪。

夕方には、10月に講師依頼をされた褥瘡のラップ療法の電話確認が入り、ますます首が締まっていく今日この頃・・。

でも、ここはひとつなるようにしかならないので、あちこち蹴散らしながら帰宅しました。

そういえば、このところ病状が進行して、歩行も難しくなってきたマル男さん。
でもここ数日、疼痛コントロールがついてきて、穏やかな笑顔がみられます。
今日も担当スタッフと「痛みは、ちゃんと自分の口から伝えないと、先生はわからないよ。今度、先生にどんなふうに伝えようか。」そんな話で盛り上がっていたそうです。

そんな彼に、今一番したいことは何?ときいたら、「買い物に行きたい。美味しいものを自分で選んで買いたいんだ。」とのこと。
身体には、チューブやら袋やらもついていて、下血のリスクはかなり大きいのですが、買い物に行くなら今しかないと、担当ナースと相談しました。
担当ナースは、目を潤ませて「今を逃したら、もう行けないと思います。今、調子が良くてそういう気持ちになれていることがうれしい。」と言っていました。

こういう事は、善は急げがわがステーションのモットーなので、さっそくその手配に動き出しました。

ご家族が健康で、経済的に恵まれている方には、当たり前にできることでも、なかなかそれが難しいご家庭もあります。

某サービス事業所のボランティアグループにお願いしようかと考えています。
あす、もう一度本人の希望を聴き、なるべく早く実現させます。
『アナタノ願いをカナエタイ』は、基本私たち在宅療養を支援するもののコンセプトでもありますから。

明日からまた仕事!

2011-08-16 20:44:54 | 大学の事
今日、臨床心理学のスクーリングが終わりました。
わーい!やった~。

結果、今回の臨床心理学は、私が思っていたものとは、だいぶかけ離れていました。

もちろん学びはたくさんありましたが、臨床心理士の仕事の場は、私の思う臨床(いわゆるベットサイド)ではなく、心理検査室やカウンセリングルームであり、学校相談室や会社の相談室などにあると言う事です。

でも今回の講義はまだ総論、はじめの一歩なので、きっとこれから先はずっとずっと奥深く、さらに専門化していくのでしょうね。
実際私がもっと勉強したかった対人援助論やコミュニケーションスキルや、緩和ケアにおける心理士としてのかかわりは、今回は残念ながら聞くことはできませんでした。

いままでの心理学は、とにかく実験、実験、実験結果で人間のあらゆる機能を解明した結果でしたが、臨床心理学では、そこに心理療法が入ってきます。
そのためには、査定面接や行動観察、知能検査と性格検査などを組み合わせて総合的にアセスメントします。

さらに、医師のオーダーにより精神分析を行い、心理療法を行っていくのだそうです。

今回の3日間の講義は、全体的には理論が多かったのですが、1日目の心理テストでの自己分析に当たっての、先生からの分析のアドバイスはとっても面白かったです。

昨日は、コラージュ療法と言って、画用紙に雑誌からの切り抜きを好き勝手に貼り付けるという心理療法を体験しました。
でも、結構時間を取ってみんな童心に帰って作った割に、出来上がっておしまい・・になってしまったのが残念でした。
これもちゃんと評価の仕方を教えてほしかったですね。

ただ、こういう自由に出来合いの絵や写真を切り貼りして、好きなデザインで作品を作っていくというのは、童心に返って夢中になれます。
これが「退行」という行為であり、そのことで緊張がとれリラックスできるのだそうです。
なるほど。
デイサービスでの塗り絵貼り絵もこれだったんですね。

これは私の作品。


そして、このあとにやった精神分析は面白かったです。

「自我の防衛機制」として発動されるさまざまな反応を、一つ一つ説明して頂きました。

抑圧、否認、投影、取入れと同一化、投影性同一化、分裂、隔離、知性化、合理化、、反動形成、打消し、置き換え、転換、解離、否定、退行、昇華
これらの中でも、成功した適応的防衛機制ではなく不適合な防衛機制についての説明が、すごく面白かったです。

私たちの周りにいる、困った人に当てはまることが多くて、みんな真剣に聞き入っていました。

特に、一人お気に入りを見つけて、その人べったりになる反面、自分が×な人を見つけてその人を徹底的に攻撃する。
そのことを巡って、周りの関わる人たちの人間関係を壊すという、厄介な人。
もっとやっかいなのは、そのお気に入りと×の人がちょくちょく入れ替わり、相手はなぜいきなり好かれたのかも、嫌われたのかもわからず、不穏な人間関係に巻き込まれてしまう・・。

いますね。そういう人。

当の本人は、周りの人間関係がぐちゃぐちゃになっても、「私には関係ない」とさっさといなくなっちゃったりするわけです。

周囲の関係にまで悪影響を起こすような病的な振る舞いであれば、精神障害に分類されてきます。

こういうタイプは、(分裂の防衛機制と投影性同一化の防衛機制が重なって出ることが多い)境界型人格障害の方に多いとも言われているようです。
昔、全くこういうタイプの「境界型」の主人公が周囲を破たんさせていくという小説を読んだことがあります。

こういう診断をするのは、精神科医でなければいけないわけですが、実際対人関係の中で、こういう傾向にあるな・・とかをわかっていたら、自分が巻き込まれることを避けられるかもしれませんね。

小児の発達障害についても少し触れていただきましたが、これももっとよく聴きたかったです。
これに関しては、来月の「発達心理学」の講義を楽しみにしています。

最後に、自律訓練法を実際経験して終了となりました。
自律訓練法は、ドイツの精神科医が始めた自己催眠法で、自分で行って精神の安定やストレスを緩和する方法です。
慣れないとうまく自覚できないようなので、少し自分なりに練習もしてみようと思います。

たった3日間でしたが、結構ハードな3日間でした。

合間は自分でテキストでの自習です。
これもうかうかしていると単位が取れませんので、頑張らないといけません。

でも・・・。合間は仕事でギューギューです。
明日から、また元の生活に戻ります。
患者さんのこと、スタッフの事、連絡協議会の事、勉強会の事、緩和ケア研究会の事・・いろんなことが待っています。

まあ、なるようにしかなりません。
明日は明日の風が吹く・・と思って寝ます。


臨床心理学スクーリング1日目

2011-08-14 22:57:34 | 大学の事
今日も朝早く起床。

臨床心理学のスクーリング初日です。

もう顔なじみになったクラスメートもけっこういます。

今日の講師は、臨床心理士で駿河大学の准教授の先生でした。
経歴を聴くと、横浜市大のセンター病院で修士の研修をおこなったそうで、なんだかぐっと親近感がわいてきました。

臨床心理士っていったい何をするのか、実はよくわかっていなかったのですが、医師の診断のもと指示の上に、心理判定をしたり心理治療を行ったりするそうです。
なので、ほとんどはカウンセリングルームでカウンセリング料金を払ってもらい、診療にあたるのだと言う事を初めて知りました。

でも、私たちの仕事はほとんどが在宅なので、カウンセリングルームっていうわけにはいきません。
それに、心理療法をしたくて受講しているわけではないので、何となく違和感が・・。

とはいえ、心理学を勉強することで、理解したり向き合えたりすることもあるとおもいますし、やはり自分のなかで知っていたいしスキルとして持っていたいです。

でも、授業はとても面白かったです。
総論から各論に入ったって言う感じです。



今日は、午後からは自分の臨床心理アセスメントを、実際に行ってみました。

テストバッテリーということで、方法は東大式エコグラムという、質問に答える形式のTEG-Ⅱと呼ばれるものと、投映法のなかでバウムテストと呼ばれるテストです。
投影法って、ロールシャッハとかが有名ですが、今回は画用紙に「実のなる木を一本描いてください。」というものです。

この投影法は、夕方やってはいけないのだそうです。
投影法の分析過程で、どんどん自分に内向してしまって、不穏状態になってしまう事もあるらしいです。


そして、自分でアセスメントしたあち、グループワークも行って、先生にも直接アドバイスをもらって、ほほ~!!という感じでした。
で、今日、明日でこれをレポートにして提出しなければいけません。

ということで、、これからレポートに向かいます。

また明日も、早起きだ~!!

このところの出来事

2011-08-13 21:50:18 | 日々のあれこれ
昨日は、頭痛で早く寝てしまいました。

今日からは、世の中お盆休みなのでしょうが、訪問看護ステーションには関係ありません。
でも変わりばんこに、お休みはとっています。

ちなみに、私は明日から3日間、2度目のスクーリング「臨床心理学」の講義漬けとなります。
なので、今日は大事なお休みなのですが、あっという間に一日は終ってしまいます・・。

そういえば、私が作成したミトン。


如何でしょうか。

何故こんなものを作ったと言えば、どうしてもオムツ外しをしたり、オムつの中に手を入れたり、さらに褥瘡のガーゼをはぎ取ったり、掻きむしったりしてしまう患者さんのために作ってみました。

ご家族は、お店をしながらの介護で、ずっとついているわけにもいかず、介護用つなぎは高価でとても手が出ません。
それでも、拘束だけはしたくなくて、手袋をしたりしましたが、全部上手に取ってしまうのが悩みでした。

汚れた手で、褥瘡をひっかいて、周りが血だらけなんてこともありましたので、ちょっと私が作ってみることにしました。
お金がかからず、あるもので安全に、オムツに手が入らないように、細かい作業が出来ないように、でも抑制はしないものを作る。
で、出来上がったのがこれです。

セットで、不織布(患者さん宅にあったもの)で作った短い腰巻も作りました。

実際装着してみると、必死に手袋を取ろうとするのですが、取れません。
腰巻も、オムツの上からパジャマの上着を着て、その上に腰巻をするのでミトンの手では外せません。
もちろんテープもはがせず、患者さんは「取って。」のポーズを何回もしていました。(かわいい・・)

可愛そうだけれど、これも褥瘡が治るまでの辛抱です。ゴメンネ
でも、まぐまぐで水を飲んだりは今までどうり出来ました。(タオルガーゼなので、通気がいいし掴むことができます)

人がいるときは外すお約束で、来週まで効果をみたいと思います。

そういえば、ステーションの前に、靴下をはいた猫が、ダレダレ状態で寝てました~
 
                          


そっと近づいてみてみると・・。
夏の夕暮れ時、近所の猫さんたちのお昼寝タイムでした。

そして、今日の庭です。
今年初めて植えてみたシカク豆です。


おもしろーい。
初めての収穫、初めてのお味。
てんぷらにしてみました。癖がなくてふっくらしていて、見た目と違って柔らかい。
美味しいです!。今後は炒めてみようかな。

そして我が家のゴーヤ。
2カ所に植えていますが、一本はなぜかモッコウバラに絡みついています。
こんな感じ。   

ゴーヤ。うまいっす。
忙しくてほとんどほったらかしなので、ジャングル状態の庭ですが、結構みんな元気です。

          

話は変わりますが、このところ、娘がズーラシアにボランティアに行っています。
ナイトズーラシアといって、夏の間だけ「夜の動物園」をやっているのですが、夜になるとこちら方面のバスは無くなるので、私が毎夜お迎えに行かなくてはなりません。

今日は、お盆休み為かめっちゃ混んでいて、迎えに行くとバスや車がひっきりなしでした。

熱帯夜に、動物園のお散歩・・。
一回行ってみましたが、かなり暑くてへとへとになりました。
ズーラシアは、涼しくなったらゆっくり行ってみたいなとおもおいます。

さて、明日からはまたスクーリングなので、今夜はこれで終わりにします。
わー!!準備まだしてませんでした~!

新患さんが受けられない。

2011-08-11 23:58:01 | 訪問看護、緩和ケア
相変わらず、深刻なのは人手不足です。

5月に入った看護師が、やっと一人立ちしたと思ったら、8月末で一人退職になります。

訪問看護師って、なんで集まらないのかな~。

一人が怖いとか、大変そうとか、オンコールが嫌とか、相変わらずそんな認識しか持ってもらえないのが悲しいです。

訪問看護師と言えば、2年前にやっていたドラマ「風のガーデン」に時々登場していましたよね。
でも、一般的にはまだまだ知られていない職業です。

実際、病院勤めの看護師でも、どんな仕事なのか知らない人のほうが多いと思います。

ちなみに、うちはPTもOTもSTもいません。
先日ハローワークから見学がしたいというSTさんが見えました。

今までSTさんはいなかったから、ここで一から自分が思うような仕事してみませんか?
って言ったのだけれど、逆にそれが不安だったりプレッシャーだったりするみたいで、お断りされてしまいました。

自分がはじめの一歩を踏めるって、私だったらうれしいと思うのだけれど、そんなに本腰入れて働きたい訳じゃないんですよね・・。

そして看護師にかんしては、ターミナルの患者さんが多いこともネックになっているようです。

これも「一度じっくりターミナルの患者さんと向き合ってみたい・・」と思う人が来てくれたらいいなぁ。
なんて思っていましたが、重傷者が多い=仕事が大変、責任が重い、緊急で呼ばれるのが嫌になっている節があります。

実際は、毎日訪問から帰るとみんなで馬鹿笑いしていることが多いのだけれど、どうしたら興味を持ってくれるのか・・。

そんな状況で、しかも夏休みもあるしで、新患さんを受け入れる余裕がなくなっています。
何とか受けたい・・でも物理的に無理。
かなり食い下がってお願いされても、本当にごめんなさい。と、平身低頭で謝るしかなく・・。

瀬谷区内だけでもほかに6か所訪問看護ステーションがありますから、そちらにお願いして頂くようにしています。

でも、いつもお世話になっている先生やケアマネさんのご依頼を断るのは辛いです。
患者さんにも申し訳ない。

でも、マンパワーが足りないんです。

できればあと2人。
せめてあと一人でもいいから、来てくれないかなぁ。
常勤でも非常勤でもいいから、一緒に泣いたり笑たりしてほしいのだけれど。

今日も空を見上げて、お願いするしかなさそうです。くすん・・