こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
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津波情報

2010-02-28 23:13:08 | 日々のあれこれ
今日は、朝からずっと津波情報で終わりましたね。

私は、子供たちとパスポートを受け取りに、朝から産貿センターに行って、10時ごろセンターの地下の車に乗り込み、エンジンをかけたとたんものすごい音がしてびっくりしました。

ブ―!ブ―!ブ―!ブ―!

子供と一緒に飛び上がり、車が壊れたのかと思いましたが、カーナビのテレビ画面に津波警報がでかでかと表示されたので、そのせいだとわかりました。

そういえば、横浜港の間際にいるんだと、しばらくしてから気が付き、子供に「鈍い・・」
と言われてしまいました。

どうりで、センターは妙にすいていて、5分もかからず済んだはずです。

どのみち雨模様だったので、山下公園の周辺も人はまばらでしたが、ここにあの巨大津波が来たら、この辺りは壊滅的ですね。
あの警告音は、めっちゃ不気味なものでした。

自宅に帰るころには、すっかり雨も上がり、きれいな青空がのぞきました。

昨日までの雨で、ぐっしょり垂れ下がっていたミモザが、青空にきれいな黄色い花を揺らしていました。


もうそんな季節になったんですね。
3月・・ミモザの後には、次々と花が咲き始めます。

温かい春が、もうそこまで来ているんですよね。
あとちょっと、もう少しの辛抱です。
みんな、頑張りましょう!

波止場

2010-02-27 23:20:02 | 日々のあれこれ
今日は、午後から研修で大桟橋の近くの波止場会館と言うところに行ってきました。
あいにくの小雨模様で空は鉛色でしたが、ここぞ横浜という街並みが、とても懐かしくノスタルジックに迎えてくれました。


「波止場会館」なんていうビルの名前も、かなり懐古的ですよね。
大桟橋の入口、ちょうどレストラン「スカンジア」の裏あたりにあります。
 
海に面した波止場会館は、その名の通り、窓から大桟橋の船着き場がよく見えます。
写真右奥が、ターミナルです。

非常ドアを開けると、みなとみらいが一望でき、眼下海沿いの公園になっています。
     
レトロなお店の前のベンチでは、恋人たちが寄り添っていました。


よく見渡すと、昔ながらのレストランの裏側は、ツタがびっしり絡んでいて、それもまたいい感じでした。
あの辺の小さなお店も、小さなビルも古くてちょっといい感じです。
横浜にいても、あまりゆっくり街を歩くことが無かったので、温かくなったらぶらりと散歩してみたいな~と思いました。

研修なので携帯でしか写真が取れずに残念でした。


でも、そのあとにはそんな思いも萎えるような光景を見てしまいました。

往復みなとみらい線を利用しています。
帰りも日本大通りから地下鉄の通路を歩いていたのですが、そこで思いがけず嫌な光景を見てしまいました。
60前後の男性が、紙コップを前に何度も頭を下げていて、私の前を歩いていた御夫婦の男性が、ポケットから幾ばくかのお金をコップの中へ落としました。
チャリチャりとした小銭の音。
再び土下座する男性。

日本は、また後戻りをしているのか・・いいようのない不安感と悪寒。

もう、何十年とみなかった光景です。
地下のベンチには、着の身着のまま寝転がっている人。
うずくまる人。

子供のころ、横浜にはもっとたくさんの、いわゆる「お乞食さん」と呼ばれる人がいて、運河にはやはり差別の対象にされていた、船上生活者もたくさんいました。
そしてなにより、子供心に暗い思いを抱いたのは、負傷したもと軍人さんの物乞いでした。
人の集まる場所に、白い軍服?を着て、包帯を巻いた腕や足を無くした人が数人、軍歌を流して物乞いをしていました。

そんな風景がフラッシュバックのように思いだされました。
贅沢はしなくても、ほとんどの人が家庭を守り、ささやかな幸せを大事にしていた時代がありましたよね。
今、ピカピカの地下通路で足早に歩く人達の足元に、寝転がる人、ものを乞う人。
もしかしたら、これが日本の現実?
どうして?どうなるんだろう?
漠然としていて、でも目をそらしたくなるような不穏な気持ちが、私を包みました。

でも、その気持ちもやがて横浜駅の人の波にのまれてしまうのです。
いろんなところにあるひずみは、こうして忘れ去られていくのでしょうか。
みんな、自分の事で精いっぱいなんですよね。
もちろん私も・・


2月の終わりに思うこと・・

2010-02-26 22:49:07 | 訪問看護、緩和ケア
年が明けて、あっというまにもう2月も終わりです。

このところ、ステーション内もざわざわと落ち着かず、いろんなことを変換していく時期が来たようで、これから先のステーションのあり方を模索中です。

在宅介護自体が、どんどん変化していく中で、みんなこの世界での生き残りをかけていかなければなりません。

国は、老人施設をどんどん作らせ、入院期間はどんどん短縮させ、この地区だけでも驚くほどのグループホームが出来上がっています。
形ばかり「半年後には、在宅に戻せるか判定します。」とか言ってほぼ終身でベットを埋める老健がほとんどになりました。
(昔は、老健は3カ月から6カ月くらいで出されちゃいました。)

親戚や近隣のお年寄りも、施設に入る方、多いですね。

ですから、訪問のご利用者さんも、以前は多かった軽い認知と軽度の麻痺や内部疾患がある方は激減して、重度の障害やターミナル、とんでもない褥創が出来てからの患者さんなどが主流になってきています。
そのために、患者さんの出入りも激しく、毎日が目まぐるしく変わっていきます。



2010年の診療報酬改定でありがたかったのは、ターミナルケアをギリギリまで行って最後の最後に入院になって死亡した場合、今まではとれなかったターミナルケア加算が取れるようになったことや、真皮を超える褥創に対して特別管理加算が取れるようになったことぐらいかな・・
複数での訪問看護は、一定の対象者に限り、複数名での訪問に対して、週4300円の加算がとれるようになったけれど・・・無いよりはましかな・・・って感じです。

でも、本当は介護保険の緊急加算をもう一度見直してほしいです。
夜間の訪問料金、これじゃあ人件費と交通費で何も残りません。


変わっていくものは、そんなことだけじゃなくて、治療方法や看護もどんどん変わっていっています。

昨日がんセンターの連携会議でがん診療のキーワードが変わったと言っていました。

昔は、告知→副作用→腫瘍の縮小→プログノーシス(予後)
近年は、理解と選択→外来化学療法→分子標的、安定→プレディクション(予測)

なのだそうです。

本当に今はみなさん外来で化学療法をされているし、ご自分の病気をよくわかっていて自己選択させている方が多いと思います。

ただ、病状説明のをするときに、現在の病期、考えられる治療方法、それに対する生存率、再発率、副作用などなど、一度に突きつけられてしまうのは、かなりしんどいものですよね。
でも、だからこそ選べる。

ただ・・
免疫療法など、保険適応でない特殊な治療法(丸山ワクチンなども)に関しては、なぜか病院は頑なに拒否しますね。
医師によっては「体力を奪い、他の治療の妨げになる」とかいう先生もいるみたいで・・・
ですから、どうしてもこれをやりたいために、在宅に戻ってくる患者さんもいるくらいです。

免疫療法はものすごく高額な治療法なので、誰でもできるわけではないけれど、末期と診断された方のなかには、かなり多くの患者さんがされていますよね。

みていて、あの治療をやっていて、すごい副作用で苦しんだという話も聞かないので、効く効かないはとにかくとして、許可してくれてもいいのに。。と思ってみたりします。

ある患者さんの御家族は、「病院のやっている化学療法のデーターが、評価できなくなるからじゃないですかね」と言っていましたが、「それってありかな。」と私も思ってしまいました。(あくまでも思っただけですので、実際はわかりませんが・・・)

とにかく、治療の常識もどんどん変わってくるし、勉強しないと付いていけませんね。

ちなみに、糖尿病の食事療法も以前はカロリー計算でしたが、今は炭水化物量で計算するそうです。
同じカロリーのあんパンと、鳥の空揚げだったら、アンパンのほうが血糖値が上がるそうです。
さらに、インスリンや内服なども変わりつつあるようです。
なるべく研修はまめに顔を出さないとだめですね。

かまとおばあちゃん現象について。

2010-02-24 22:50:56 | 訪問看護、緩和ケア
数年前、当時日本一長生きのおばあちゃんで「かまとおばあちゃん」と呼ばれる人がいましたよね。
すごくかわいいおばあちゃんでしたが、特徴だったのが生活サイクルでした。

二日寝て、二日起きてる。
寝ている二日間は、ほとんど声かけにも応じないで、口元におまんじゅうを持っていくと、口だけもぐもぐ・・・よく誤飲しないものだと、テレビをみながら感心したものです。

でも、起きているときは、沖縄民謡をかけると手をヒラヒラさせて踊ったり、挨拶をしたり、笑ったりと表情も豊かになります。


で、実際老衰が進んでくると、みなさんその傾向になってきます。

いわゆる傾眠状態とはちょっと違うような・・・でもやっぱり傾眠なのでしょうが・・

うちのステーションの患者さんの中で、ご高齢の方にはよくみられます。

結構普通に寝たり起きたりだったお年寄りが、突然寝込んでしまって呼べど叫べど反応しない。もちろん飲まない、食べない。
びっくりして、医師や看護師を呼んでも、バイタルは安定していて、特別病状に変化はない様子。
一応、脳梗塞などを疑うものの、こういう場合は今更入院させて痛い思いをさせたくないと自宅で経過を追うことがほとんどです。
で、これはお別れが近いかも・・と医師からも厳しい説明が行ったりして。

ところが翌々日位から、ぱっちり目を開けてご飯を食べる、お話はするで『あれは何だったの?』ということもあります。
ここまでひどくなくても、やっぱり寝ている時間がどんどん長くなっていく時期があります。

これは、自然の流れなのでしょうが、ご家族の多くは『食べないと栄養が取れなくなってしまう。』ととても不安になるようです。

こんなときに、『かまとおばあちゃん』の話をすると、みんなすごく納得してくれます。

「食べられないのは、体が求めないから。
無理に点滴をすると、むくんだり痰が増えてゼロゼロしたり、あまりいいことはありません。
人は、自然に自分を枯らすことで、最期を苦痛なく過ごせるようにプログラムされているんですって。
だから、お顔が苦しくなくて、穏やかに眠っているのなら、そっと見守ってあげましょう。」
そんな風に、ご家族にお話しをします。

かまとおばあちゃんは、人生の終末の良いお手本だった見たいですね。

そういえば遥か昔、高僧が即身成仏をする準備のため、徐々に食と水を絶っていったそうです。
体を枯らすことできれいなミイラになれるとともに、苦痛が最小限に済むそうです。
(って、あんまりいい例ではありませんが・・)

それでも、眠る時間が長くなれば、必然的に食べる量も減ります。
ただ、ほとんど動かないので代謝も低く、超低燃費で経過します。
その間に、ご家族も心が落ち着き、いろんな準備もできて、最期はみんなで『ありがとう』と言ってお見送りができるようになります。

老衰といういい方はあまり好きではありませんが、長い間使い続けたからだが、最期までエネルギーを使いきって、蝋燭が燃え尽きるように亡くなっていく。

かまとおばあちゃん現象・・・
それは、そういう時期がそこまで来ているのだなと、受け止めるための合図なんだと思います。


今日は白衣で。

2010-02-23 22:22:41 | 訪問看護、緩和ケア
今日は、年に数回だけある「白衣」を着る日です。
市の委託を受けて、区内にある数か所の作業所の「健康相談」にまわります。

最初は、いつものジャージ系で行っていましたが、看護師であることがわかりにくいように思えました。
「この人はだれ?」という漠然とした不安もあるのではないかと思い、去年から看護師さんのユニフォームを着るようにしてみました。

感触としては、おおむねいい感じみたいです。
白衣と言っても、いわゆるお医者さんのような白衣ではなく、薄いブルーの上下、パンツ式の白衣なので、柔らかい感じです。

「看護師さんだから心配しないで。安心して下さいね。」
そんな感じで、回っています。

今日も、午後から予定の時間をかなりオーバーして、一人ずつ健康診断の結果を見ながらお話しをしました。
中には、親御さんとご一緒の方も、お父さんだけの相談の方もあり、職員の方もメモを取ったり質問をされたりと、とても熱心に対応されていました。
この作業所は、区内では人数も多く、今年からは3日に分けての相談の要望があり、ご利用者さんへの健康管理意識が高いことが伺えます。

必ず担当の方が付きそい、名前と年齢を確認した後、健康診断結果を見ながらの保健指導となります。
(作業所によっては、だれも付いてくれずデーターもなく、何を相談に乗ればいいかもわからず、対象者さんも無言・・・なんてこともありましたので、ここはありがたいです)

養護学校を卒業してから通所され、60代位の方までいらっしゃるので、かなりバラエティに富んだ御相談になりますが、みなさん御家族や施設の方に大切にされているのがわかります。

私が前任者から引き継いでくるようになってまだ3年目ですが、年に一度でも印象に残っている方が多く、去年のファイルを見ながら「今年も体重増えちゃいましたね?」とか、「たしかとても怖がり屋さんで、血圧測らせてもらえなかったっけ。」などと思いだしながら勧めていきます。

途中、6年ほど前まで、訪問看護で関わりのあった少年が、目の前に座りました。
当時養護学校に入ったばかりで、あどけなかった少年が24歳になっていました。
それでも、会話をすると当時のままのマイペースな話振りがすごくうれしくて、今は施設でとても幸せに暮らしている事を聴いてとても安堵しました。
いろんな問題や障害で、担当者がずいぶんと胸を痛めていながら、事情があって訪問を中断することになった患者さんでした。
もう退職してしまった元担当者が、いつも母親のように心配したり怒ったりしていたことが思い出されます。

最後に、責任者の方と最終確認をして終了しました。
明日は、午前中いっぱい2度目の健康相談に伺うことになています。

こうして、年に一回でも伺っていると、少しずつでも通所されている人達の変化がわかるようになってきます。
ここの作業所は、比較的病状コントロールのよい方が多いのですが、なぜか施設ごとに生活習慣や持っている基礎疾患が似た傾向になるように感じます。

そして普段、私たちにはあまり関わりがないものの、根気強く一人ひとりの性格や問題を把握しながら、優しく接している職員の姿をみて、私も頑張らなくちゃ!と元気をもらいました。

ただ心配なのは、知的障害と身体障害を持ちながら、頑張っている彼らの御両親の多くが、ご高齢であること。
私たちの役割は、社会全体でその方たちのサポートをしていくことだと感じました。
そのなかの誰かが、「助けて!」といったら、すぐに手を差し出せる社会を、作っていかなければいけないんですよね。

ケアマネさんは、いまいずこ・・・

2010-02-22 22:54:58 | 訪問看護、緩和ケア
わけあって、うちの専任ケアマネは不在状態です。
事実上、去年の秋ごろからあまり新規を受けられていないので、かなりいろんなところに影響が出てきています。

世間のケアマネさんをみても、結構移動される方が多いような気がします。

ならば一人ぐらいうちに来てくれないものかと、淡い期待を持って待っていても誰も来ず。ケアマネさんは今いずこ・・・

どうやら、うちは専任が一人なので不安が大きく、特にターミナルや医療ニードが高いのでなんだか自信が無い…とか思われているらしいんです。

そう言えば、訪問看護についても、「メディカルはターミナルか重度の患者さんしか取らないんですよね。こんな軽度の人でもいってもらえるんですか?だめもとで電話しました。」と言われたことがありました。・・・

どうも、うちはそういうイメージが定着しているみたいなんです。

確かに、めぐみ在宅クリニックとの連携施設でもあり、在宅緩和ケアが多いのは事実ですが、病状の軽い人や安定している人をお断りするなんてことは、一切ありません。
病状とかに関係なく、一時人手不足でほかのステーションを御紹介したことはありますが、空きがあればそんなこと関係ありません。

結局、そういうイメージがいろんなところで一人歩きをしているようです。

できる事なら、じっくり長い目で療養のお手伝いをしたいと思っているんだけれど・・

ケアマネさんだって同じなんです。
そんな大変な人ばかり受けているわけじゃあないんですが、なんだかそんなイメージみたいで、人ずてに聴いてびっくりです。

先週、その事を理事の先生にもお話ししたら、ケアマネ二人体制にして、時給も考えよう。ということになり、いろいろ模索始めました。

間もなく、異動の季節です。

女性しかいない職場なので、女性限定にはなりますが、うちでケアマネやってみませんかー??

休日はスイッチをきろう!

2010-02-21 23:09:54 | 日々のあれこれ
先週末は、ステーションの緊急当番をめぐり、今後の業務内容を考えなおすために、かなり本音の話し合いがもたれました。

で、スタッフとも話し合い、役員の医師たちとも23時まで話し合い、若干の方向性が出てはきたものの、まだまだ問題は山積みなんです。

で、さすがの私も、精神的には限界。本当は逃げ出したいくらい・・

だからと言って逃げ出すわけにもいかないので、休日くらい忘れる事にしました。
緊急当番でなかったのがせめてもの幸いでした。

入院中の夫は、明日には退院となるので、ちょこっと顔を出しましたが、この二日間ずっと香港旅行の事を考えていました。
これも一つの逃避行動なのかもしれませんが、今日はわざわざ産業貿易センターまでパスポートの受け取りに行ったのに、何と日にちを勘違いをしていて、「まだ受付日前ですが・・・」とすまなそうに言われてしまいました。

「おかしいなと思ったんだよね」「25日って書いてあったのは、やっぱり受け取り日だったんだ。」と子供たち。
「なによ!それを早く行ってよー!!」

あー。もう、ろくなことがありません。
でも、いいいんだ、いいんだ・・・
一人で行動計画立てるんだから。
おいしいもの食べて、何を買おうかなー?

結局入学祝とかなんとか言っちゃって、自分が楽しみたいのかもしれません。
スイッチを切っていた2日間。
ちょっと、元気が出ました。

明日からは、また忙しい日々が始まります。
特に明日は、大変な新患さんが二人帰ってきています。
何から調整しましょうか。

おまじないの言葉。
「逃げない。逃げない。逃げない。」




葬儀の事

2010-02-19 23:44:53 | 訪問看護、緩和ケア
一昨日の夜、ある患者さんが亡くなられました。
夜、担当の看護師が二人で伺い、ご家族の皆さんと旅立ちの洋服をあれこれ選びながら、エンゼルケアを終わらせたそうです。
とてもよいお顔で、まるで笑っているようだと、ご家族も喜んでくれたそうです。
帰り際、看護師にも何度もお礼を言って頂き、ほんの3カ月も満たないほどの御付き合いでしたが、とても濃いケアをさせていただき、担当の二人も感無量のお別れとなったようです。
で、昨日そのケアマネさんから、担当看護師に電話があったそうです。

その方は、ある葬儀社の会員で、長年積み立てをしていたので、その葬儀社に葬儀を依頼したそうです。

その葬儀社はかなり大手なのですが、営業の方かなり強引な方だったようで、「このままだと、顔が崩れますよ」と言って執拗に湯棺を勧め、おびえた妻はとうとう了承したそうです。
「本当は、とても嫌だったんです。看護師さんや娘やみんなでせっかく素敵に着せた服を、また全部脱がして・・・」
その話を聞いて、ケアマネさんも怒り心頭、うちにも電話をくれました。

すでに死後の処置は済んでいます。
御家族みんなとお別れの準備をして、とても満足されていました。
御風呂は1週間前まで週に3回は入っていましたし、寝ついてからもほぼ毎日ケアをしていてピカピカでした。

うちは、エンゼルケアに高分子吸収体の注入を行っているので、あとから分泌物が出る事はありません。
その事も家族はお話ししたそうです。

確かに葬儀屋さんもお仕事ですから、少しでも多くのオプションを付けて業績を上げる必要があるのでしょう。
特に湯棺は、だいたい10万円ほどが相場のようです。

でも、「すでに、終わりましたので結構です!」ときっぱり言える方にはあまり言わないようですが、今回の奥様のように気弱気なかたには、そういう言い方をするようです。

以前にも患者さんの御家族から、後日『「身体のあちこちから、たまったものが出てきて大変なことになるから、湯棺したほうがよい。」と何度も勧めれたけど、断ったよ。でも、ぜんぜんきれいなままだっとよ。」と言われたことがありました。

ある方は、やはり同じようなことを言われ、何やら処置をしている時に、たまたま担当が訪問し、「私たちの処置がどう駄目で、何をしたらきれいになるのか、ぜひ見せてください。」とお願いしたら、黒服の人達が立ちはだかって、追い払われたそうです。
この方は、数100万もかかったと、後でお聞きしました。

もちろん、湯棺は決して悪いことではなく、お風呂が大好きだったから最後に入れてあげたいと思われる方は、とても満足されると思います。
男性でも二枚目俳優のようなメークをしてくれますし、それはそれでプロの仕上がりになりますから、あくまでも御家族のご希望によります。

でも、訪問看護が入っていていい関係でいるとなかには「他人に触らせたくない。御世話になった看護師さんと家族だけできれいにしたい」と言われる方もいますし、娘さんなどの近い御家族が、丁寧にメークを施したりもしているのです。

ここでも、どこまでご家族の想いを汲めるのか・・、ということだと思います。

葬儀屋さんによっては、ちゃんと御家族の想いに沿って、良心的で温かい葬儀をして下さる所もたくさんあります。

葬儀屋さんによって高い葬儀のコースから紹介し、だんだん値段を下げてくるところと、低いコースからだんだんあげて紹介するところとあるようです。

もちろん、高いほうから下げられると、故人に対してケチっているような罪悪感から、少々高くてもしょうがないと思ってしまうかもしれませんね。

最近では、家族葬や密葬と言った、質素でも温かい御葬式をご希望される方が多いようです。

今回のように、遺族の気持ちを無視して、家族で行ったケアを平気で否定するような営業は、どうかと思います。
人生の最後の儀式です。
嫌な思いを残さずに、送ってあげられないものかと、不愉快な気持ちになってしまいました。

年休とりました。

2010-02-18 21:41:43 | 家族のこと
今日は、残り少ない年休をとりました。

夫の手術だったので。

今日は県立高校の後期受験日で、前期でなんとか引っかかった娘も、9時には学校が解散になってしまったので、一緒に病院へ行きました。

藤沢市民病院まで、車で40分弱ぐらいでしょうか。

病棟へ行くと、すでに手術室へ向かう途中でした。

1時間後、手の外科専門医が、術中の写真を見せながら説明してくれました。
伸筋腱を引っ張って、チタンの楔に固定、指の先からワイヤーを一本通して6週間前後で
ワイヤーを引っこ抜けば治療終了です。
とりあえずほっと一安心です。

病室に戻るときょろきょろして、娘に冗談飛ばして「水のみたい、腹減った。」と繰り返し「痛くないしよく寝た後みたいだ。手はしびれててよくわかんない。そのお茶のみたい」
とのたまう。
「まだだめ。もっとおとなしくしてて。おなかが動くのを確認してからだから、許可があるまで絶対飲んじゃだめ。痺れてるうちが花だから。そのうちしびれが取れたらむふふふ・・」
そう言って、病院を後にしました。

そのあとは軽く昼食をとり、山下町にある産業貿易センターに一路車を走らせました。

かねてから、「県立高校受かったらで行く旅行に連れてって。」と言われていたので、どこかに連れていかないと・・・
と悩んでいたのですが、先週末になってやっとネットで調べ始めたら、ほとんど何処もいっぱいの状態でした。
私の仕事の合間を縫って、短距離、格安、短い日程で探すと、やっぱりアジアです。

とりあえず、私と娘と息子のパスポート申請だけでもしておかないと・・・
藤沢から産貿センターまで、結構距離ありました。
横浜新道や首都高速を使って、挙句センターのバカ高い駐車場も使ったので、帰りは一般道を通って狩場から保土ヶ谷バイパスでかえりました。
が、ネットでの検索が思うようにいかないので、鶴間のJTBまでその足で移動。
そこで2時間、探してもらいました。
この時点で、もうくたくたでしたが、なんとかとれました。
春休み中の香港旅行!!
旦那は仕事なので、親子3人です。
3月31日から3泊4日、帰りはかなり遅くなりそう・・・電車間に合うかなー??
ま、いいか。
たまにはいいよねー?



伝える事って難しい・・

2010-02-17 23:44:44 | 日々のあれこれ
日々のいろんな問題に対して、自分の思いを人に伝えるのはすごく大変ですよね。
思った言葉が出てこなかったり、思うように解釈してもらえなかったり・・・。

いろんな誤解や思い込みを、それぞれが持っていたり。
本当はみんな、現状を良くしようと思っているだけなのに、なかなか思うように伝わらない時は、すごくかなしいことです。

自分のボキャブラリーの無さや、表現力の稚拙さにドーンと自己嫌悪です。

今は、いろんなことを変えていかなければいけない時期に来ています。

業務内容や、今後の事もあります。
個人的なこともあります。

これから、自分はどこへ行くのだろうと不安になったりもします。
50年生きました。
これから何年残っているのでしょうか?
子供へ、何を残していけるのでしょうか?

この仕事を、いつまで続けていけるのでしょうか?

最近、一人で空回りの気がします。
でも、この仕事は大好きなんですよ。
もっと、いい環境にしたいし、スタッフにも還元したいし、もっとやりがいを感じて、日々感動していけるような、そんな職場であり続けたい・・。

過渡期の今、自分の進む方向を見間違わないようにしたいと思います。
だから、やっぱり踏ん張る。
逃げないで、向き合う。

このところ、けっこう気持ちが凹み気味なので、内容も気味になっていますが、私、AB型なので気にしないでくださいね。

そのうち、ケロッとしているとおもいます。


34回めぐみ在宅緩和ケア研究会

2010-02-16 22:46:13 | めぐみ在宅緩和ケア関連
今日は、経済的な困窮のなかで、在宅での環境を整え、穏やかに看取りまで経過された方を事例にいつものグループワークを行いました。

担当のケアマネさん、泉区で活動中のパワフルケアマネさんです。
困難事例を山ほど抱えて、包丁がいつ飛んでくるかもわからない場所でも、平気で乗り込んでしまう肝の据わった女性です。

今回は、介護保険料未払い、医療保険未払いをどう乗り越えたかが、とても勉強になったので、書き留めます。

介護保険料は、40歳を過ぎれば払わなければなりませんが、40歳から64歳までは2号被保険者として加入している医療保険と一緒に支払われることになっています。
必然的に、医療保険りょうのなかから、だまっていても算定して支払われます。

65歳以上は、年金受給者は年金から支払われますが、それ以外の方は納付書や口座振替により支払われます。

ですが、生活が厳しく日々の食事もやっとの方の中には、介護保険料を払えない、または払わないかたもけっこういるのが実情です。

こういう方が、急に病気になり介護が必要になると、介護保険が使えない事になります。
介護保険で1割負担で使えるサービスが10割負担となるのです。
たとえば、訪問看護1時間830単位では、約830円が8300円になるわけですから、とても利用はできません。

そこであわてて役所に相談した場合、医療保険に加入していれば、医療保険から支払われているとして、1割負担の通常の介護保険を利用できます。
しかし65歳以上の場合は、原則支払いが別なので「支払われていない」として、支払いを開始して受理されるまで3割負担となるのです。(2年以上未払いの場合)
1割と3割とでは大違いです。たたでさえ苦しい生活が、もっと苦しくなります。

さらに、医療保険も滞納しているとしたら、医療保険も使えなくなります。
とても医療を受けられる状況ではありません。

ここで、もし生命保険に入っていたとしたら、満期に受け取る金額の7割を前払いしてもらうことが出来ます。
もう一つの選択は、生命保険が支払われたときに全額返済する約束で、生活保護を受ける事です。
生命保険に加入していなければ、生活保護を第一選択にします。

ここで、予後1年未満であれば、たとえ車を持っていても、多少の収入があっても生活保護を受けられる可能性が大きくなります。

ですから、妻と子供がパートでギリギリの収入があるものの、介護のためには仕事はできなくなると、ジレンマに陥って苦しんでいる方には朗報になりえるのです。
特に医療費が無い場合は、対象になるようです。
こういうパターンは、とてもよく聞きますよね。

で、早急に保護申請をすれば、申請日にさかのぼって保護を受ける事が出来ます。
この時は、申請に必要な書類をとにかく大急ぎで作成し、生活保護のケースワーカーにも窓口にも話を通しておいて、申請させるとかなりの時間の短縮になるそうです。
ただ、申請書類はかなり面倒なものが多くて、エネルギーはいるようです。
パートなどをしていれば、その給与明細や、家族全員の貯金通帳を全部記帳する。
縁戚関係を全部知らせる。(全く付き合いが無いと言うと、あまり根掘り葉掘りされないそうです)、その他もろもろの書類を効率的にそろえるのも、大変ですよね。
でも、それを全部そろえて、一発で通してもらえるようにするのです。

とにかく、この手順がスムーズにいけば、必要な介護、看護、医療を受ける事が出来、家族の最低限の生活も保障されるので、プランも余裕で立てられるわけです。

結局、どんなパターンでもいろいろな社会資源を有効に活用し、効率的に利用していける情報や知識をたくさん持っていなければ、困難事例は持てないということですね。

私なんかは2足のわらじで、とてもそこまで関われないのが実情です。
そこは、有能なケアマネさんにお願いして、私たちは訪問看護にいそしみたいなと思っています。
ちなみに、患者さんが亡くなったあとは、保護の対象ではなくなりますので、必要があれば再申請になるそうです。が、これはなかなか難しいかもしれません。
元気な方は働いてもらいましょう。

変わっていく社会の中で・・

2010-02-15 23:02:45 | 訪問看護、緩和ケア
後期高齢者制度が見直しとなり、長寿医療制度と呼び名もかわり、医療保険点数も大幅に見直されたよう・・・。

在宅医療の世界もどんどん変わっていくように思えます。
介護保険が始まる前とは、まったく社会の動きも私たちの動きも変わってしまいました。
以前は、慢性疾患や脳梗塞後遺症、加齢による衰弱の方、身体障害をお持ちの方などが中心でした。
ですから、一人の患者さんとゆっくり長くかかわっていたように思えます。

今は、認知があったり、自立できなくなると、病状が安定していれば施設に行かれる方が多いようです。
逆に、施設では対応できない方や、医療ニードの高い方、ご家族の在宅への思いの強い方が中心になってきています。

昔では考えられない人工呼吸器やIVHポート、PTCDや胃瘻、腎瘻、ストマも膀胱瘻もいろんなドレーンも、病院と大きな違いもなく在宅で行っています。

ですから、訪問看護師もそこについていかないと、おいてきぼりになってしまいます。

新しい治療も、あたらしい機器も、一緒に勉強しながらついていくしかないんです。

そして、疼痛コントロールをしながら、在宅での看とりを支援する在宅緩和ケア。

病院と違うのは、訪問看護は原則一人で訪問します。
うちでは、病状の把握と信頼関係を作り、なにかあっても窓口がぶれないように、受け持ち制をとっています。
取ってはいますが、24時間緊急体制もとっているため、担当外の患者さんの事は知りません。では困っていしまいます。
そのために、毎朝のショートカンファでは、今問題がある患者さんや、病状変化のある患者さんを報告し、意見交換をしています。
毎日行うことで、みんなが、顔を知らなくてもなんとなくイメージができます。

緊急対応用には、携帯電話と緊急加算をいただいている患者さん全員のデータファイルもあり、適時更新されたファイルは、スタッフならいつでも確認できるようになっています。

うちの場合、患者さんのほぼ90パーセントが加入されており、年々増加しどんどん重症化する患者さんを把握するのはかなり大変なことです。

そして、緊急電話の回数も格段に増え、並行して訪問の回数も格段に増えています。
今は、常勤だけで回している緊急電話ももう限界にきています。
月の半部は、事実上拘束されます。
遠出もできなし、晩酌もできません。
食事を作っている途中でも、布団に入った途端でも、電話は容赦なくなります。
そうかと思えば、1週間でたってもウンともスンとも言わない日もあります。
見えない鎖に繋がれて、緊急当番をやっています。

そんな過酷な状況でも、介護保険ではほとんど評価されていません。
わずかな上乗せは、夜間対応をするための人件費には到底満たないものです。
さらに、交通費もそこに含まれているのです。

それじゃ、医療保険は充実しているかといえば、必要に迫られ訪問回数が多くなれば多くなるほど(月に13回を超えると)がくんと給付が下がってしまうのです。
ほぼ半分の国からの支給額では、頑張って訪問してくれるスタッフの人件費には当然追いつかない・・・

じゃあどうするのか。
その負担を患者さんにおしつけるのか・・?

私たちは、患者さんを人質に取られて、在宅療養を行っているようなものです。

『いやなら行かなくていいんだよ。その代わり患者さんが不安になっても苦しんでても知らないよ』

緊急訪問が増えるほど、医療保険の訪問回数が増えるほど、頑張れば頑張るほど、事業所は赤字になっていくんです。

愚痴になりました。すみません。

MSW根性

2010-02-13 23:37:50 | 訪問看護、緩和ケア
病院での困難事例は、MSW(医療ソーシャルワーカー)の力の見せ所ですよね。

うちのステーションの連携先の一つ、某病院のMSWもフットワークがとてもいいです。

経済的な困難事例のうえ、御家族も含めた問題山積みのMさん。
一度はなんとか退院までこぎつけたものの、介護保険が3割負担、環境の劣悪さや家族の介護力の低さ、病状の不安定さなどから、数週間で再入院してしまいました。

入院後すぐに回復した彼の言うことには、なにしろ寒くて痰の自己吸引もできず、呼吸困難になったということ。
そうなんです。
環境があまりに厳しくて・・
あまりに汚れてごちゃごちゃの室内は、退院前にMSW、区のケースワーカー、ケアプラザの包括などが、雑巾がけまでしてなんとかしましたが、寒さだけは暖房器具を買ってもらわなければどうにもなりませんでした。
たった一個ある小さな電気ストーブは、すぐに襖や窓を開け放してしまう認知の妻の前には何の役も立たず、薄い寝間着と古い布団の下で、彼はずっと震えていたようです。

うちのステーションにも、石油ストーブならさし上げられるものがあったのですが、認知の妻の事を考えると、危険で断念しました。
できれば、エアコンを買ってほしかったのですが、経済的には到底無理です。
そして、病院側も前回入院中の治療費も回収できないまま、再入院を引き受けてくれました。

そして、それから3カ月近くたって、いよいよ病棟は退院をせまり、退院調整が遅すぎるとMSWに対して不満を募らせ、直接ステーションに受け入れ要請がきたりしました。

でも、MSWは実は頑張っていたんですよ。
いくら退院させたくても、環境が整わなくてはすぐに逆戻りです。
何度かこちらとも連絡を取り合っていました。

病棟側は「寒い寒いって言っても、病院はホテルじゃないので、暖房が無いことを理由に退院できないというのは困ります!」
確かに、病棟も困るんでしょうね・・・
でも、寒すぎるんですよ~。
そして介護力もかなり問題があります。

MSW「冗談じゃないです。このまま帰ってもおんなじです。ちゃんと考えてます。私が、暖房を格安で入れて見せます!」と断言。
退院は病棟の押しが強く、15日と決まりました。
先週末、MSWに聴きました。
「暖房どうなった?」
「入れました。昨日私が行ってきました。あったかいですよ~!
「ええ!お金は?いくらだったの?」
「取り付け工事込みで、1万5000円!頑張りました!」
「すごっ!どこでみつけたの??」
「秘密です。裏のつてをかなり伝ってゲットしました。」

根性と意地のエアコン取り付けとなりました。
病院のMSW、そこまでやるか。
そこまで頑張ってくれたので、あとはこちらで引き受けましょう!
でも、本人も頑張っています。
先週逢った時には、ふっくら太って、気切孔もフィルムでふさいで声も出ていました。
「ゼリーなら食べられるんだよ。」そう言って笑ったMさん。
足踏みもして見せてくれました。
まだまだ、いろいろな課題は残っていますが、MSWの頑張りを引きついで私たちも頑張らないとね。

大荒れの緊急当番

2010-02-12 23:30:49 | 訪問看護、緩和ケア
今週は緊急1番の当番です。
月曜日から特に電話もなく落ち着いていました。
これはいいかんじ~と思いつつ昨日11日は朝から電話が・・
うちの緊急電話の着信メロディ「アメイジングレース」に飛び起きると、不安そうなKさんの奥さんの声が・・・
朝夫を起こそうとしたら、ベットから足を下げた状態で倒れこんでいたとか。
表情はボ―っとしてうつろ、声かけにも反応が鈍く、低血糖かと思いブドウ糖を含ませてみたが、やはりおかしい。とのこと。

すぐに緊急訪問しました。
反応は鈍いなりに、手を払いのけたり足を動かしたりはします。
妻が何度も声をかけると注視したりしますが、意識レベルとしては1ケタ2ケタというところ。
瞳孔反射もあり左右差もありません。
バイタルも安定しているのに、やっぱり発語がでませんし、目をつぶると無呼吸も・・

もともと、動脈硬化が進んで末梢の循環障害が悪化している方です。
どうしても家にいたいと言う御本人の想いにそって、在宅を続けていたので、どこかで梗塞が起こってもおかしくない・・・
御高齢でもあり、このままずっと家で過ごし、ここから旅立ちたいと言うことを常ずねお話しされていました。

小澤先生に連絡すると、すぐに来てくれるとのこと、ケアマネさんも向かってくれるそうです。

今後の事、入院か在宅か、妻は迷いました。
夫に何度か「あなた、入院しますか?」と聞いた時です。
「家に、いたいよう。」「家に、いたいよう。」「家に、いたいよう。」
はっきりと、3回言いました。
3回目の時は、泣き顔でした。
妻は、「家で、お願いします。私が、送ります。」ときっぱり言いました。

先生やケアマネさんが訪れ、診察の結果はやはり脳梗塞の可能性が高いということでした。
そして、ご高齢であること、今までも病気をたくさんして、入院を拒んで家にいたこと。
延命を希望しない事などの確認をして、このまま家で苦痛のないように見ていくことになりました。

2時間ほどの訪問の後、担当看護師に連絡し、夕方再度訪問してもらうことにしました。
その後、時間を追って意識レベルは低下し、今日はレベル300となり、発熱も出始めました。
結局、あの「家に、いたいよう。」が、彼のはっきりとした最後の意思表示になってしまいました。

そのあとは、疼痛の増強の電話などありましたが夜までは落ち着いていました。
そして夜中の2時前、再び「アメイジングレース」。
「おじいさんがべっトからおちた!女の人じゃあ無理なので、男の人を読んでください!」
って、訪問看護の緊急電話なんだけど・・・
でも、私ではたしかに持ち上げられそうにないし、怪我もしてなさそう。
申し訳ないと思いつつ、119番にお願いしました。
「火事や救急が優先されますが、それでも良ければ出動しますよ。」と言って下さり、無事ベットに戻していただきました。

そしてやっとうとうととした午前4時、再び「アメイジングレース」。
数日前から、病状の進んでいた患者さんの娘さんからでした。
「母が、亡くなりました。今、先生の確認も終えましたので、処置をお願いします。」という、とても落ち着いた電話でした。
朦朧とした私のほうが、ちょっとあわてましたが、「その時は呼んでね。」と言っていくれていた担当者に連絡すると、「7時までには行きます。」とのこと。
ありがたくお願いしてまた眠りに落ちました。

そして今日も、昼はあわただしく過ごし、午後3時半からの皮膚科の往診が大変で、なんだかんだで夜の7時過ぎにステーションに帰ったとたんの電話。

やはりご高齢で、在宅での自然な終末を御希望の患者さんの御家族からでした。

「母が苦しんでいる。早く来て下さい!」
かねてより、狭心症発作をよく起こしていたので、直行しました。
かなり苦しんでおり、息子さんが抱える腕の中で弱っていました。
やはり、左前胸部を押さえています。
ミオコールスプレー何度か使っても効果ありません。
咽頭喘鳴が聞こえます。下にしている右の肺に嫌な音が聞こえます。
そして、こみ上げる吐物を何度も飲みこもうとしています。
横にして、吐かないとだめ。飲むと誤飲して肺に落ちてる!
すると、突然噴水用の嘔吐。何度も吐かせていると、おなかのほうからキ―ンという金属音が・・うそ・・これってイレウス?

とにかく、なんだかんだとしているうちに、落ち着いてきました。
時々うとうととします。
1時間過ぎて、小澤先生が来てくれたころには、吐き気は治まり頬に血の気も戻ってきました。
診察で、やはり心臓ではなさそう、金属音もあり一時的に通過障害がおこり、嘔吐したことで楽になったのだろうとの事。誤飲性の肺炎は心配されますが、ひとまず様子を見る事に。
明日の処方箋を切ってもらって、やっと帰る事が出来ました。

10時近く、ステーションに帰るとデスクの上に置手紙が何枚もありました。
今日の報告のなかに、「○○さん、何かあったら呼んでください。行きます。」
「△さん、明日はSが、明後日はMが見に行きます。」
などなど、スタッフが休日中の訪問を名乗り出てくれていました。
疲れて帰ったものの、その置手紙を見てなんだかすごくうれしくて、元気が出ました。

今、うちのステーションも過渡期です。
いろんな問題もあって、一つずつ解決していかなければならないのですが、このスタッフとなら、頑張っていけそうな気がします。

今夜は、ゆっくり眠らせてもらえるといいのだけれど・・・
もう、瞼がくっついてきました。お休みなさい。



夫の不運

2010-02-11 23:07:06 | 家族のこと
うちの夫、ささやかな不運に見舞われることが多い。

昔から、痛いことに人一倍遭遇する。

たとえば、雑魚をたくさん釣りあげ、それを分けていたら、「いてー!!」
と叫び声。
どうやら、紛れ込んでいたハオコゼを掴んだらしい。
「痛い!あーっ!痛い。やばい肩まで痛くなってきた!」と騒ぐので、休日の
病院を訪ねて、強ミノ注射してもらった。

ハサミを使っていると、手まで切って血を流す。
キンカン収穫していると、全身とげで傷だらけになる。
やたら毒虫に刺される。
細かいことを言えばきりがないが、今回は本当に不運というか・・・

2か月ほど前の事、会社で置いてあった段ボールを両手でぐっと押したとき、右手に嫌な衝撃があった。
何かと思うと、中指の第一関節が曲がったきり動かない。伸びない。
痛くはないけれど、変な感覚が・・・

「何だこれ。」と思い、会社近くの整形外科にいった。
今時珍しい位すいているそこの医者はたいそう横柄で、「ああ、腱の断裂だね。6週間固定するから。それでうまくつかなければ手術だから。」といいシーネ固定をされて帰ってきた。
翌日、労災扱いでお願いしますと言うと「ァ、労災なの?じゃあ、高い装具にするから、ここ連絡して、9800円払って。」と言われ、なんだかちゃちなプラスティック製の装具を付けて帰ってきた。
娘に「100均で買った?」とか言われて・・

「手術したほうが早いんじゃないの?大丈夫その先生?こっちの○○先生に診てもらったほうがいいと思うんだけど」
という私の言葉に、「会社からすぐ近くのほうが、通院しやすいんだよ。感じ悪くてもしょうがないよ。」と言うことをきかない。

そのうち、腫れや違和感も強くなり、装具にかぶれたりし始めた。
見た感じもよくなっているとは思えず、本人が「先生、だいじょうぶですか?」と聞いても、「6週間ちゃんとつけないと腱がつかないよ。」としか言ってもらえず我慢していた。

私ももっと強力に医師を変える事を勧めればよかったんだけれど、本人が仕事の都合でそこでいいというもので、しょうがないかな、とあっさり引き下がってしまった。

で、6週間後、「あー駄目だね。全然ついてない。手術だよ。藤沢市民病院紹介するから行って。」と日にちを指定された。
帰宅後夫から「○日、市民病院で手術になった。」と報告され、「え?じゃあ全身麻酔でしょ?入院でしょ?」術前検査とか、手術の説明とかは?」
「そんなの聴いていない。だって、そこの整形の医者が、おれが入院ですか?って聞いたら
『そんななわけないだろ。外来でちょこちょこっと縫って終わる簡単な手術だから。あとはそっちでやってもらって。もううちはやることないから!』といわれたんだよ。」
「???」そんなことってあるんだろうか?
いきなり紹介日に何の説明も検査も了解もなく、腱断裂の手術するかな??
最近はそうなの?そんなに簡単な手術なの?

でも、夫は紹介日にちょこっと縫ってもらうつもりで、病院に行った。

帰るとあんのじょう「あの医者、大嘘つきだった。初診の診察だけだった。
手の専門の先生から、『あー6週間もったいなかったですね。。もっと速ければちゃんと付いたんだけど、こんなに時間たっちゃって、結構大変かもしれないよ。
指は使えないと不便でしょう?簡単に考えると、本当に大変なことになるんですよ。』って言われちゃったよ。それで全身麻酔で3日の入院予定だって。」
「ほら~!だからあれほど○○整形で診てもらえって言ったのに!ちゃんと早く対処していれば今頃とっくに付いてたかもしれないのに!」

でも時すでに遅し・・・
とんでもない藪医者に引っかかってしまいました。
あとで、労災の書類を頼んだ時、これはどこに提出するんでしょうか?と間抜けな質問をした夫に「そんなこと知らないよ。僕はやることはやったから。あとは関係ないから!」と言ったとか・・・

会社に出入りする地元の人に聞いたら、かなり評判の悪い整形だったそう・・・

これだけ時間たっちゃったし、さっき包帯巻いた時もちょっと腫れて熱感もあったので、大丈夫かな??

これが指だから、まだのんきに構えているけど、もっと重篤な病気だったらと考えるとゾッとする。
最初の診断、治療を間違えるとどんどん悪循環にはまっていくんだなーと実感。

それでも、藤沢市民病院の手の専門医に主治医が変わったので、ちょっとホッとしている。

来週は、入院してから術前の説明もあるので、やっとまともに治療が始まります。
なんだか、医療関係者でありながら、自分の家族はほったらかしみたいで、情けなーい気分です・・・。