こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
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親鸞 

2011-10-30 20:54:54 | 読書、漫画、TVなど
最近読んだ本。

極北クレイマー 上 (朝日文庫)
海堂 尊
朝日新聞出版
 
極北クレイマー 下 (朝日文庫)
海堂 尊
朝日新聞出版


なかなか面白かったです。
極北のダメダメ病院が、一人の医師の赴任によって、少しづつ変わっていくわけですが、一人一人のキャラクターがなかなか面白くて、あっという間に読めました。
特に、厚生労働省の天下り機関からの、外部調査員の派遣や、調査員の上から目線の態度やそのからくりなどは、介護保険の公表制度や評価機関を連想させるところもあり、皮肉たっぷりで笑えます。
最後が今一つすっきりしない感じなのがちょっと残念ですが、楽な気持ちで楽しめる小説です。


そして、もうすっかりはまってしまったのが五木寛之の「親鸞」です。

親鸞 (上) (五木寛之「親鸞」)
五木 寛之
講談社
親鸞 (下) (五木寛之「親鸞」)
五木 寛之
講談社


あまりの面白さに、駐車場に車を止めて読みふけっていました。

時は平安末期、下級貴族だった父親が謎の出奔をし、母もすぐに亡くなってしまいます。
幼い弟たちと、叔父の家に預けられ勉学はさせてえもらえますが、肩身の狭い暮らしをしていました。
しかし、その家の奉公人夫婦に可愛がられ、また当時さげすまれていた川原聖や下人などと親しくなっていきます。
やがて、わずか9歳で当時最高峰だった比叡山に、つてを頼って入山するのです。
そこから、究極の修行に入るのですが、ここでの生活の内容は、私たちの知らない閉鎖された世界の話となり、それこそきれいなお坊さんが高僧の寵愛をうけたり、お山の中にも雲助みたいなお坊さんがいたりと、とても興味深い話も織り交ぜ、息をのむ展開になっていきます。
親鸞は、幼名忠範(ただのり)といいますが、9歳で出家するとともに慈円よりを範宴(はんねん)の名前を頂きます。
その後、山を下りることを決意し、法然に支持します。
この時、綽空(しゃくくう)と改名、さらに35歳の時に念仏弾圧で新潟に流刑になりますが、この時に親鸞と改名することとなりました。

この間、あらゆる陰謀と戦い、自分の道を究めていく中で、これだけの修行僧としては異例の結婚をします。
そのいきさつもまたドキドキものでした。

小説なので、ほとんどフィクションなのでしょうが、登場人物の何と生き生きとしていることか。

面白いのが、親鸞を陰で支えるいぬ丸、小夜夫婦、そして危ない時に疾風のように助けてくれる河原坊浄寛(かわらぼうじょうかん)、ツブテの弥七(やしち)、法螺房弁才(ほうらぼうべんさい)の3人組み、さらに宿敵の大悪人伏見平四郎、さらに美貌の僧侶であり、法然の高弟で後に斬首される安楽房遵西など、何と言っても魅力的な登場人物に、大活劇を見ているような錯覚にとらわれます。
これって、なんで映画化されないの??
大河ドラマになってもいいんじゃない??

とにかく面白いです。

宗教、布教の本ではあありませんので、本当に楽しめます。
なぜ今親鸞なのか、ぜひ一度読んでみてください。


ちなみに今は、本棚の隅っこにあった箒木 蓬生の小説「賞の柩」を読んでいます。

秋の夜長のほんの10分、違う世界の扉を開けてみてはいかがでしょうか?

ベイサイド散策

2011-10-29 21:47:50 | 旅行・グルメ
                   
今日は夫と息子と、日野にあるまだ誰も入っていないお墓の掃除に行ってきました。
掃除と言っても、限りなく生えてくる雑草をやっつけるために除草剤を播きに行っただけですが、見後な秋晴れで、何とも気持ちのいい朝でした。

掃除はさっさとおわり、せっかくここまで来たのだからと、ついでにコストコに行くことにしました。

で、やはりあまりに天気がいいので、並木の手前にあるベイサイドマリーナを覗くことにしました。
秋のマリーナは、青い空に青い海がキラキラ輝いて、とっても良い気持ちでした。

先を歩く夫と息子の後ろ姿。
すでに大きさは、上も横も息子のほうがデカイです。
   

マリーナへの道は、きれいでおしゃれな公園になっていて、引き潮の時は階段で磯まで降りられます。


岩場に降りると、水はとてもきれいで、岩の底までよく見えました。
そして、あちこちで親子でカニを取る姿がありました。

海洋生物資源学部にいる息子と3人で、岩場の生物を探していると、とにかく貝がいっぱい引っ付いています。
この辺でたぶん「シッタカ」と呼ばれている会だと思うのですが、これがもうあちこちにいます。
それも結構大きい・・

そして、よくみるとまるでトコブシのような貝があちこちに張り付いています。
「これって、まさかトコブシ?」と、手を突っ込んでさわってみると、なんだかフニャっとします。
「げ、違うじゃん・・」
息子が「ヒザラガイじゃないかな?」とはがしてみました。
すると手の上でくるっと丸まります。
裏側はやはりトコブシによく似ています。

結局後で調べてみたら、やはりヒザラガイの仲間で『ケハダヒラザガイ』だとわかりました。
ヒラザガイは、ネットで見るとみな絶品!という評価ですが、ケハダヒラザガイは食べられなくはないけれど、食べるほどのものではない。不味い。らしいです。
なんだか、ぶにゃぶにゃして気持ち悪いです。
そして驚いたのがこれ。

わーい!!ツブガイだ!!
なんと岩と岩の間に12センチくらいあるツブガイがくっついていました。
もちろんザリガニではありません。
ちゃんとべろ出して動いていました。
この貝、娘の大好物なんですが・・、さすがに海にお返ししました。
でも、こんなところでも獲れるんだぁ。と感心しました。

岩場を出てゆっくりとマリーナに向かいます。

ベイサイドマリーナはべた凪で、温かな日差しを浴びて、白いクルーザが気持ちよさそうに揺れていました。


岸壁から下を眺めると、海の中はお魚さんのパラダイス。
もやってあるクルーザーと桟橋の下は、ソフトコーラルがついていて、魚たちの格好の隠れ場所の様で、よくよく見ているとメバルなどの小魚に交じって、大きな魚がたくさん泳いでいました。
上から見ると屈折して何の魚かよくわからないのですが、たぶんメジナと思われるかなり大きな魚影が何匹も横切っていきました。

たぶん、ここでは誰も獲らないので、きっと安心しきっているのでしょうね。

海の青、空の青。 また一艘、船が付きました。

なかには、クルーザーから魚を入れたバケツを下ろして、桟橋でさばいている人もいました。
釣果は「ソウダカツオ」10匹くらいでしょうか・・。
「優雅でいいなぁ・・」と夫。

マリーナの中はおしゃれなお店が海に向かって立ち並びます。

 

マリーナのはずれにある、小さなペット屋さん件私設動物園を、覗いてみました。
ここは去年、娘と二人で来たところです。

猛烈な動物臭といろんな動物の鳴き声。
去年もいた、シャーぺイという変な顔の犬。
名前は「チャーシュウ」去年もいました・・。

そして、志村動物園に青木さやかと出演しているコツメカワウソのモモちゃん。
ご本人です。

何故か、ブルテリアが大きな陸ガメと昼寝中でした。
     
フェレット団子・・・。

とにかく、せまい場所になんだかいろんな動物が展示販売されていて、皆至近距離でみたり触れたり出来ます。
あまりに狭いので、動物にとってはありがたくない環境だと思いますが(かなりかわいそうかも・・)、珍しい動物がたくさんいますので、近くに来たらちょっと覗いてみるといいですよ。

そして帰りがけに、ベイサイドマリーナホテルのテラスで、めっちゃおいしいサーロインステーキ弁当を頂きました。

これ、500円です。
すごく美味しいですよ。お勧めです。

 
ところで、明日は、朝から単位認定試験に行かなくてはなりません。
勉強は、だいぶ前にしました。

とりあえず、教科書持ち込み可なので、細かい書き込みをたっぷりしましたから、何とかなるかなと思っています。
ま、当たって砕けろ!です。
そんあわけで、明日は早起きなのでもう寝ます。




ラップ療法・在宅での取り組み

2011-10-28 20:50:14 | 訪問看護、緩和ケア
今日は、隣市の訪問看護ステーションから、「在宅にラップ療法を取り入れたいのだけれど、うまく医師との連携が図れず、取り入れられない。在宅でのラップ療法の実際を教えてほしい。」というご依頼で、お話をしに行ってきました。

そのステーションは、新しい建物でピッカピカ。
うーん。
横浜市内の医師会立では、一番耐震強度が弱いと言われているわがステーションには、うらやましい限りでした~。

今日は、私がラップ療法を取り入れた経緯や、導入にあたっての同意書の作成や、主治医への説明などを話しました。
また、実際の管理方法や、写真での経過、ポリエチレン/紙おむつとモイスキンパットの違いや使い分け方などを中心に話し、その後はカンファレンスのような形で、質疑応答となりました。
質問は次々とあり、特に導入で主治医にうまく話が出来ない、皮膚科の往診医がいないなどの、地域としての悩みが大きいようでした。

同じ医師会立なので、医師会長などと一度しっかり話し合い、賛同してもらえるようにし、さらに協力してもらえる皮膚科医などの紹介をお願いしてみたら?と伝えました。

ちなみに、うちの往診をしてくれる皮膚科医も、医師会長からのご紹介でした。
今では、切っても切れない先生です。

また、往診の形態も介護保険外で介助を行うなど、往診医の負担を軽減する方法もあるこをお話ししました。
細かい処置方法や、対処方法を一つずつお話しし、モイスキンパットやスキナゲートなど、お肌に優しいドレッシング材もご紹介して、講義を終わりました。

さっそくモイスキンパットとスキナゲートは導入してもらいます!!と別れ際に言ってくれました。

ここは、自治体も全く違うので、いろんな支援体制も違います。
それぞれの方法でうまく活用してくれたらいいなと思いました。


話は変わりますが、今日ケアマネと訪問歯科につて話していました。
うちは医師会立と言う事もあって、歯科往診が必要な時は、歯科医師会を通して近所の歯科医を紹介してもらっていました。
でも・・
開業の歯医者さんなので、往診用の機材がありません。

最近は、街を歩いているとやたらめったら歯科往診車が目立ちます。
こういう往診専門の歯医者さんは、往診用の機材を山のように持ち、歯科衛生士さんもつれて移動していますから、その場での治療もある程度は出来るようです。
でも・・・
治療が終わっても、いつまでもずっと毎週往診してくる歯医者さんもいます。
来て「大丈夫ですね。はい、また来週来ます。」と言って去っていく。
何で来たんだろう・・???とご家族。
「でも、悪いから断れないのよ。」という言葉もよく聴きます。

これも考えものですよね。
コムスンの訪問歯科が、押し売り訪問診療をして、保険料を圧迫したことで、訪問歯科の対象者がかなり制限された事がありましたが、どこかそれを彷彿とさせるやりかたで回っている歯医者さんもいるようです。

もちろん、良心的に必要な人に、必要な時に訪問する歯医者さんもたくさんいるのでしょうが、これだけたくさん訪問歯科があると、どこがいいのかわからなくなりますね。

口腔ケアは、在宅の患者さんには必要不可欠なものだけに、在宅の歯医者さんも、質の高い診療が求められますね。
こっち方面の連携は、まだ今一つなので今後の課題となりそうです。

母の思い

2011-10-26 22:08:24 | 訪問看護、緩和ケア
この3日間で、患者さんのお別れの知らせが3件ありました。
お一人は、昨日ご自宅でお見送りをしました。
100年の生涯を経て、ご家族の愛情に包まれ、穏やかに大往生をされましたので、エンゼルケアに伺った担当の看護師もご家族も、穏やかな旅立ちを笑顔でお見送りすることが出来ました。

けれど・・
迷った上に、ご家族の負担を考えて施設に入所された患者さんが、入所後わずか4日で急変して亡くなられたという訃報には、愕然としてしまいました。

担当の看護師も、笑顔で最後の訪問をして「手紙を書いてね!」「かならず!」という約束をしたばかりなのに・・と沈んでいました。
先月、最後にお会いした時の笑顔が、私の心の中にも焼き付いています・・。

人の一生が、どんな終り方をするかなんて、誰にもわかりません。
けれど、こんなことになるのなら・・と、ご家族の心残りになるようなお別れは、とても辛いものです。
私たちでさえ、そう思ってしまう出来事を、残された奥様はどんな思いで受け止めているのかと思うと、それもまた辛いことです。

そして、昨日ぎりぎりの状態で入院されていたTさんの訃報が届きました。
Tさんは、いくつもの障害を持っていました。
物心ついたときから、原因不明の身体障害と知的障害を持ち、やがて視力をほとんど失い、聴力もどんどん失っていきました。
やがて、神経難病も発症し、唯一残った話すこと、食べることという機能さえも失って行ったのです。
わずか1歳か2歳で成長の異常に気付いたお母さんが、いくつもの病院を回り、それでも原因がわからず、どんどん障害が重くなるわが子を、必死にひと時も離れずに育ててきたのです。
私よりいくつか若いTさん。
お母さんは、そんなTさんを愛して愛してこの年まで育んできました。

なぜ、こんなにも苦しみが折り重なるように降りかかるのか・・。

それでもなお、彼の自宅を初めて訪問した時に、Tさんはこう言いました。
「ボクハ、コンナカラダダケレド、イツカヒトノヤクニタテルヨウニナリタイデス。」

「オカアサンガタイヘン。」

担当だったYナースの訪問を、いつも首を長くして待っていてくれました。
「Yさんが大好きだから、ずっとまってるのよ。」そういうお母さんも、Yナースのことを、とても頼りにしてくれていました。

どんどん病気が進み、言葉もほとんど失い、ただただ辛くて、身の置き場がなくて、「オカーサン」しか言えなくなったTさん。

大きな病気をして、まだまだ体調がすぐれないお母さんの体力の限界が訪れ、入院することになったのです。
それでも、電車を乗り換え1時間はかかる病院に、毎日欠かさず通い続けたお母さん。
昨日、自宅に戻ったTさんに会いに、Yナースと行ってきました。

お母さんは、見る影もなく痩せていました。
「12キロも減っちゃって・・。」と力なく語るお母さん。

それでも、「忙しいのに、合いに来てくれてうれしい」と喜んでくれました。

Tさんは、それは穏やかなお顔で眠っていました。

「Tさん・・よく頑張ったね。苦しかったね。でも、もう楽になったのね。」

Yナースが、ふんわりと髪を撫でていました。

お母さんとしばらくお話をして、お線香をあげて家を後にしましたが、車に乗るとこらえきれずに涙がボロボロとこぼれました。

私だって母親なのです。

我が子の成長に一喜一憂し、子どもが病気になれば右往左往し、喧嘩をすれば悲しくなり、それでも子供の笑顔を見れることで、また今日一日を頑張れるのです。
今でも、思春期でひどく不安定な娘を、ハラハラしながら見守る毎日のなかで、この子にもっと大きな苦しみが襲ってくる事を、考えただけでも気が狂いそうになります。

Tさんのお母さんが、どれほどの不安と絶望を乗り越えながら、ここまで来たのかを思えば、同じ母親として涙を流さずにはいられませんでした。

もう、「オカアサン」と呼ぶTさんはいないのです。

二回りほども小さくなった、Tさんのお母さんの背中が、これからの淋しさを語っていました。

悲しみが簡単に癒えることはないとおもうけれど、それでも残りの人生に、温かな光が当たることを願わずにはいられませんでした。

愛情の価値観

2011-10-24 23:11:05 | 訪問看護、緩和ケア
人によって物の価値観が違うのは当然です。
とはいえ、一般的なというか、この文化圏で社会的に問題のない物事の判断は、やはりあります。

近年問題になっている虐待も、その当事者の価値観からすると「愛情」だったりするわけで、これをどう判断するかによって、周囲の対応が変わってきたりします。

でも・・
実際明らかな虐待でない限り、それを虐待として強制介入することは、とても難しいのです。

この手の話は、もう何度もしてきましたが、いまだに手が出せないケースが何件もありました。

暴力を振るったり、口汚くののしったり、食事を与えなかったり排泄物の処理をしなかったり・・・
そういう事であれば、行政としても介入できます。

でも、たとえ一般常識から逸脱していても、それが最良の方法だとして、その介護者なりの愛情を注いでいれば、これはもう虐待とは言えませんよね。
病院が信じられない。
医療はかえって死を早める。
点滴は体に悪い。
なんてことを、心底思っている人は、意外に多いんじゃないでしょうか。

そういえば、民間療法だってかなり????って言うのも多いですよね。

お風呂の水に謎の薬草を入れて、何日も洗わないで「これは、ずっと腐らない水」だと言い張る人の話を聞いたことがあります。

全身に里芋のすりおろしを塗りたくって、悪いところを絞り出す。っていう治療もあるそうです。

玄米食にしても、憔悴して消化が悪かろうが、お腹が張ってこようが、絶対玄米食で治るとかいう方もいました。

本人がそれを選んで、それがいいって言うのならもちろんOKだとは思いますが、患者さんが明らかに判断能力が無かったり、嫌でも逆らえない状況にある場合は、下手をすると命に係わる凶行になったりします。

いずれにしても、こういう場合の、ご家族とのやり取りはとても大変です。

もうちょっと、諸外国みたいに早い対応が出来ないのかな・・と思う事がよくあります。


ところで、話は全く変わりますが、今日午前中にトレッドミルと呼ばれる負荷心電図もとり、先週の検査所見と一緒にみてもらいました。
結果は、あまり問題はなく、とりあえずは経過観察でOKとなりました。
いや~、心カテって言われたらどうしようかと思っていました。
心臓悪くて仕事するのも不安だし・・。
痛みは、やっぱり肋間神経痛のようですし、陰性Tも体質なのかな?
とりあえず、これで一安心です。
健診でまた引っかかっても、これで「ちゃんと検査して問題ありませんでした!」と胸を張って言えますね。
何より、精神衛生上よろしいです。

明日からは、また頑張らないといけません。

すっかり引き潮だったステーションですが、また新患依頼が続けて来ています。

これから波が寄せてくるのかもしれません。
心して頑張りましょう。

祭り日和

2011-10-23 20:42:36 | 日々のあれこれ
昨日と打って変わって、今日はお祭り日和でした。

朝からまずは息子の大学の学園祭に、娘と行ってまいりました。

ここは、生物資源学部と言う事もあり、いろんなものを即売します。
なので、農大の漫画「もやしもん」にあるような、おそろしい野菜の争奪戦がありました。
山盛りの野菜をどんどん買えるのかと思いきや、目にしたのはもっと恐ろしい光景でした。

左右に売り場があり、その両方が値段を落としあいながら、セリをします。
値段が下がる度に、売り場に向かって居並ぶオジサンオバサンが「はい!はい!はい!」と手をあげて押しかけるので、最前線の人がつぶれかけてます。



というわけで、見ただけで戦線離脱。
野菜はあきらめました。

で、畜産関係では大学ブランドのベーコンやスモークチキンやハム・ソーセージなどが、やはり長蛇の列で、すぐに売りきれちゃうので、息子に早朝買っておいてもらいました。

ふふふふ。美味しそう

途中、バラ園ものぞいてみました。
こんな季節ですが、まだまだバラは咲いていました。

 
                  

そして面白かったのが「魚類病理学学術研究部」

ミニ水族館みたいなのもありますが、公開「コイの解剖」とかをやっていました。
生きているコイを、白衣を着たお姉さんがデコピンして、コイを失神させます。
そして、目隠しをしてサクサクと解剖をしていくのです。
その横では、白衣を着たお兄さんが、コイの生態を含め学術的に解説をしていきます。
    
             

パソコンにもその模様は映りだされるので、観客も興味津々見つめていました。
途中、生理食塩水に心臓を取り出して、動いているところ見せて、子供たちが感嘆の声を上げていました。
ちなみに、ここの学生さんたちは皆サカナクンみたいな人たちで、テーブル端にはこんなものも・・

とってもフレンドリーで、何でも質問に答えてくれ足り、勝手に横に来て解説してくれるいい感じの教室でした。
(コイの赤血球の説明や、八目ウナギの生態を、熱く語ってくれました。)

そして、ここの目玉が魚類の透明標本です。
実はこの透明標本、かなりマニアがいるみたいで、これを買いに来る人も多いようで、時間制限、人数制限をしての販売となりました。

これは前日、息子が持っているものを撮った写真です。
     

下はカサゴ、上は金魚の透明標本です。
硬骨と軟骨で発色が違います。
身は透明に抜けて、骨の一本一本がすごくきれいです。
これを並べてライティングすると、めっちゃ幻想的なんですよ。(お魚さんごめなさい・・。)

これは本日購入のシマハゼ。 
自分たちで捕獲した魚を、半年くらいかかって標本にするようです。
組織によって発色に違いがあり、繊細な骨を際立たせて美しく見せます。

外にはサークルの屋台も立ち並び、とっても活気があって若いっていいなぁ!!の世界でした。

そして学祭をあとにして、お祭りのハシゴです。

今日は「瀬谷まつり」なのでした。
瀬谷の桜の名所海軍道路の広場で、年に一度のフェスティバルです。
横浜のチベットと言われる瀬谷区。
こんな景色が広がります。

その一角の広場ですごいにぎわいの中で、フリマに屋台にいろんな出し物に・・と、一日市民が楽しめるようになっています。

そこで、古巣の学童保育が出店中のため陣中見舞いに行き、かえってうどんとノンアルコールチューハイをご馳走になり、帰ってきました。
 まかない牛筋うどん、うまし!!


というわけで、帰宅後は2時間ほど爆睡してしまいました。

やっぱり、秋は祭りです。

多摩区在宅勉強会

2011-10-22 22:25:58 | 日々のあれこれ
昨日は、連携先のYamamoto先生に声をかけて頂いて、多摩区薬剤師会主催の「第一回多摩区在宅勉強会」でYamamoto先生とK薬局の薬剤師で訪問服薬をしているハマちゃんと3人で講演をしてまいりました。

Yamamto先生のお話しが上手なのはよく知っていましたが、ハマちゃんのお話しの素晴らしさに感激しました。
いつでも真面目に、笑顔を絶やさず、まっすぐに在宅の服薬を支えてくれている薬剤師さんですが、さすがにその意識は高く、彼の真摯な思いが聴く人にも伝わる内容でした。

ちなみに、今回多摩区の薬剤師さんに在宅を知ってもらい、もっともっと在宅の面白さを知ってもらいたいという趣旨だったようで、参加する薬剤師さんも皆真剣に聴いてくれていました。

何で多摩区かといえば、Yamamoto先生のいつも勤務先が多摩区だからというわけで、私とハマちゃんは横浜を離れ、ちょっと不安でドキドキでした。

協賛が第一三共製薬さんだったので、今回新発売される認知症の新薬「メマリー」の説明もありました。

これは、NMDA受容体拮抗作用(過剰なグルタミン酸によるNDMA受容体の活性化を阻害する。)により神経細胞を保護するのだそうです。
これにより、
・認知機能障害の進行が抑制され、言語、注意、実行及び視空間能力の悪化を抑制。
・攻撃性、行動障害などの行動・心理症状の進行を抑制する。
のだそうです。

そして、従来使用されているアリセプトなどの治療薬との併用が可能だと言う事で、かなり画期的な治療薬と言う事でした。
ただし、認知症が良くなるとか治るのではなく、あくまで進行を抑制する薬だそうです。

でも、私のご利用者様にもいますが、易怒性が高かったり、急激に認知力が低下し始め、表情が乏しくなり口数が減った患者さんにはすごく有り難いものですね。

でも、これってまだ使い始めた人を見たことないので、いつ頃から普及するのかな??


それはさておき、薬剤師さんだけが対象だと今一つわかっていなかった私は、ちょっとピントがずれたかもしれません。
でも、瀬谷区での在宅の取り組みの現状と、そのなかで訪問看護の役割を分かって頂ければ良いと言う事で、許していただきます。

実際、多摩区は在宅支援診療所が非常に少なく、24時間対応の訪問看護ステーションもとても少ないのだとお聞きしました。
主催者の薬剤師の先生は、ケアマネもやっているとのことで、困難事例で処置が多いという理由で、どこの訪問看護ステーションからも断られている事例があり、とても悩まれていると言う事でした。

そういう意味では、瀬谷区では困難事例ほど燃える医師やケアマネや看護師がいるので(誰とは言えませんが・・)とても恵まれているのだなと、改めて実感しました。

しかも、熱血訪問服薬の薬剤師ハマちゃんもいるので、私たち訪問看護師はかなり助かっています。

訪問服薬が始まる前までは、内服に問題のある患者さんの薬の管理は、ほとんど看護師が担っていました。
薬を分かりやすくセットして、内服状況を把握し、残薬を確認し、医師との連携を行うという一連の作業を、専門家の薬剤師さん担ってくれるので、その時間を看護師としてのケアに回せるのです。

そして、個々の生活の状況にあった形態を、チームとして一緒に考えていけるるのは、なにより心強いですね。

もちろん、終了後は打ち上げ件反省会???
美味しい焼肉も頂き、夜中まで盛り上がった私たちでありました。

ジュージュー 


3.11その後・私たちに出来ること

2011-10-20 22:46:44 | 日々のあれこれ
3.11からもう半年以上が立ちました。

うちのスタッフの中にも、実家や友人・知人が被災した人がいます。

実家が富岡町で、親も兄弟も家を離れ、田畑を捨てなければならなかったスタッフ、友人が津波にのみこまれ亡くなったスタッフ、風評被害で実家の農産物が全く売れなくなったというスタッフ・・。

当時、私たちの事業所のスタッフも、みんなのお茶代の積み立てから寄付をしたりしましたが、まだまだ現地では苦しみの中で冬を迎える人々がいます。

最近では、放射能がここ横浜でも部分的に高濃度で検出されるなど、これからの日本の未来に不安を抱かざる得ない状況になっています。

ニュースでは、あちこちの避難所が閉鎖され、みな仮設住宅や転居などして、新しい生活をスタートしていると伝えています。

でも、現実すべてを失った人々の生活はとても厳しいもので、東京電力の保障を巡っても、いろいろな問題があり、苦しい生活を強いられていると聴きます。

大船渡で友人を亡くしたうちの事務は、何度か大船渡に帰り故郷の現実を見てきましたが、そのなかで県内の皮膚科のクリニックに努める友人から、ある情報を得てきました。

その友人は、ほとんど医者がいなくなった地域で、いち早く戻ってきて再開した皮膚科のクリニックで働いているといいます。
ただでさえ混んでいたクリニックが、医師の不足する地域で開業しているわけですから、遠方からも患者は押し寄せ、たったひとりで一日に100人から300人を毎日診ているのだそうです。

その中には、すべて流されてしまった人も多く、仮設住宅暮らしの方も多いようで、報道では余ってしまっていると言われていた衣類が、実は不足しているのだそうです。

そこで、彼女の声掛けで衣類を集めて送ることになりました。
もちろん、人様にお譲りするのに失礼でないものを、持ち寄ろうと言う事になり、すでに何度も岩手に送ってきました。
最初、事務の彼女が一人で送っていたので、その送料は私たちのお茶代から払うようにしました。
子供服も必要なので、学童の仲間や知人にも声をかけました。

そして定期的に衣類を送ることが出来るようになりました。

何箱送っても、クリニックで「ご自由にどうぞ」と置いておくと、あっという間に箱は空になってしまうそうです。
皆さんとても喜んで持って行って下さると言う話を聞いて、みんなも嬉しい気持ちになりますよね。

なかには、一枚一枚丁寧にアイロンをかけ、それぞれに「Tシャツ半袖女性M」などのタッグを付けてビニールに個包してくださる方までいて、みんなの気持ちがこもっています。
おもちゃやカードなんかも、実はすごく喜んでもらえる事がわかりました。

そして、これからの冬に備え、防寒着が不足しているという事で、再び荷物が集まってきました。
冬着と言う事でかなりかさばるので、段ボールも取っておかないと間に合いません。



それを仕事の合間に詰め込んで、事務のOは、前の郵便局に出しに行きます。

私たちにもできること。
みんなの思いを込めて、少しでも生活の中で生かしてもらえれば、それはとっても嬉しいことです。
先日学童保育に荷物を取りにいったら、指導員が「子供たちが指編みでマフラーを作っているのよ。」とのこと。
カードを添えて、エールを送るとのことでした。

みんなのエールが、被災地のたった一カ所だけれど届けられるのは、とてもうれしいことです。

娘のほとんど着なかった赤い半纏を、寒い夜にどこかの女の子が着て笑っているところを想像するだけで、私も暖かくなります。

寒い冬がやってきますが、頑張っている東北の皆さんが、少しでも暖かな冬が過ごせますように。

                           



あの世の船。

2011-10-18 22:34:27 | 訪問看護、緩和ケア
また大きな船が出たようです。

9月から10月半ばまでの間に、入院や入所も含めて20人近くも患者さんが終了になってしまいました。
そのうち、亡くなられた方は半分以上。
(ひえー。一転すきすきになってしまいました~。)

そういえば、他区の管理者さんたちも、患者さんが次々と亡くなられていると言っていました。

以前から言っていますが、こういう現象は定期的に起こります。

私たちは、黄泉の国への大型船が着いたね。と話しています。

これは誰が言うでもなく、時には患者さんのご家族からも「船に乗ったのね。」などと言う言葉で聴かれたりします。
また、船の話をすると、ほとんどの方が「そうだね。この前大きなのが出たから、次の船だね。」なんて言葉が当たり前のように返ってきたりもします。

人が亡くなられることの受け止め方(いわゆる死生観ですか)は、かなり地域性があり、文化が影響すると思うのですが、日本人の死生観のどこかに船というキーワードがあるのかもしれません。

これは、仏教でいう「三途の河」からくるイメージなのでしょうか。

これも、日本人独特の「あの世」「来世」という仏教の教えが、いつの間にか根ずいているのだと思います。

そんなことを考えていたこともあって、本屋を眺めていると、妙に仏教関係の本が目につきます。

こういうご時世だからでしょうか、死生観や仏教哲学や空海や親鸞などの本がやたらと店頭にならんでいるのです。

先日感想を書いた「悼む人」も、死生観が独特の世界の中で表現されていました。
ずっと前にご紹介した「納棺夫日記」や「仏陀とターミナルケア」でも、日本人の死生観にいかに仏教の影響があるかが書かれていましたよね。

そんなこともあって、本屋さんで手に取ったのが、五木寛之の「親鸞」です。
上下2冊の単行本を、買ってみました。
人間「親鸞」の一生を読んでみようかと思います。

このことろ、私自身の精神力の弱さにけっこうめげているので、よけいにそういうところに傾倒していくのかもしれませんね。
もっとも、私の場合は私自身の苦しみと言うよりは、家族の心の葛藤にうまく寄り添えない自分に苛立っている部分が大きいので、また違う要素なのかも知れませんが・・・

そういえば、鎌倉の散策コースの中に、僧侶と行くお寺巡りのツアー(?)があるのを知り、すごく興味をそそられました。
今年は無理なので、来年あたり申し込んでみたいと思います。

ちなみに、私自身特別な信仰があるわけではないので、宗派にとらわれず日本人の心のよりどころをのぞいてみたいなと思っています。

びっくりするなぁ・・。

2011-10-17 16:39:14 | 訪問看護、緩和ケア
患者さんとの話の中でも、びっくりすることが時々あります。

今日訪問した患者さん。

上位頚損で首と肩がわずかに動くほかは、全く動きません。
もちろん痛みの感覚もありません。

でも、とても活動的でボランティアさんをお願いしては、積極的に社会参加もします。

金曜日は頚損連絡会の集まりで、地方から出てきた頚損の友達をつてれ、鎌倉を案内しに行ったそうです。
ちなみに、口ですべてを操作する彼の電動車椅子は250㎏。

動く姿は重戦車です。

鎌倉の八幡様を出た後、仲間を追って自走中、前から数人の人がやってきたそうで、彼はとっさにその人をよけようと道路側に車椅子をずらそうとしました。
そしてその途端、彼は15センチほどある縁戚から脱輪して、車道に横倒しになってしまったのです。

250キロの車いすごと、横倒しになり側頭部を打撲しましたが、幸い車道には車は来ず、頭のダメージもありませんでした。

実は、彼は10年ほど前にショートステイ先で散歩中、やはり縁石踏み外して斜度に投げ出され、運悪く通りかかったトラックに腕を轢かれて骨折するという事故にあっています。

まあ、いきなり車椅子が目の前に落ちてきたトラックのひとはびっくりしたことでしょうが、本人だってどれだけ驚いたことか・・。
今回は、周りにいた人たちが集まってきてくれて、中に介護職の人もいたようで、250㎏の車椅子をおこし、やはり巨体の彼も5人がかりで車椅子に戻してくれました。
そのあしで、鎌倉の病院に行きCTもとってもらい異常は認められませんでした。

かわりに、下敷きになった彼の肩から指先まで、擦過傷と青あざだらけで、痛々しいことになっていましたが・・・

「自分でよけようとしないで、足元も見えないのだから向こうによけてもらったら?」
「うん。そうなんだけど、急いでたんだよねー」

そんなわけで、今日はあちこち擦過傷の処置をすることに・・


日本の道路はまだまだ優しくありません。
凸凹段差だらけで、道幅もやたら狭い・・。

道路で車椅子の人に出会ったら、ちょこっとよけてあげてくださいね。


もう一つびっくりする話が・・

ストマのある患者さんが、ある病院に緊急入院したのですが、今朝になってステーションに電話が・・
「あの、看護師さん病院にパウチ交換に来てもらえませんか?」と。
「入院したのだから、病院の看護師さんに、やってもらってくださいね。」
「病院でパウチ交換ができる看護師がいないから、ご家族でやって下さいって言われたんです。」

・・・・

こちらのご家族は、もともとパウチ交換がどうしてもうまくできず、看護師がやっていましたので、ステーションに電話をしてきたようですが・・

は~びっくりした。
まさか、とは思います・・。
たぶん、なにかの勘違い?
無いですよね、そんなこと。

あまり患者さんを混乱させるようなことは、言わないでほしいなぁ・・。


柳ジョージ・・残念。

2011-10-15 23:04:11 | 日々のあれこれ
10日柳ジョージさんが、亡くなったとニュースで聴きました。

とてもショックです。

横浜の横浜らしさを、もの悲しくも美しく歌った人でありました。

彼の歌うR&Bは、切なく優しく横浜を歌います。

フェンスの向こうのアメリカを、私たちも子供のころから見ていました。

フェンス越しの広い芝生は、こんなにも近いのに、遠い国の遠い街でありました。

みずほ埠頭のBAR「スターダスト」に行くと、すぐ目の前にあるフェンスの前には、アメリカ兵が立っていて、夜の港にオレンジ色に光る灯りは、どこか違う国の港に迷い込んだようでした。

そんな横浜の片隅にある切ない物語が、本当に大好きでした。






でも、柳ジョージと言う人を知っている人は少ないです。
歌に至っては、もっと知られていなくて、時々カラオケで「青い瞳のステラ」を歌っても、未だかつて知っている人はほとんどいませんでした。

私が独身の頃、南区の蒔田と言う街に住んでいました。
一階がペンキ屋さんで、私の部屋は3階でした。

角の路地を曲がると、スーパー「いなげや」があって、たしか柳ジョージさんはそこか、その隣のマンションに住んでいました。
同じマンションに、研修医のドクターが住んでいて教えてくれました。

私は、看護学生のころから彼が大好きで、何回かコンサートにも行ったことがあります。
本当に、遠い昔の話です。

最近は、すっかり忘れていたメロディーですが、今日は聴いてみたいと思います。

柳ジョージさんのご冥福を、心よりお祈りします。






いくつに戻りたい?って・・

2011-10-14 23:43:01 | 訪問看護、緩和ケア
今日患者さんのところで、「もし、戻れるとしたら、いくつに戻りたい?」と聞かれました。

とっさに考えたのですが、正直あまり戻りたいとは思えませんでした。
「しいていうなら、子育てをやり直したい・・かな。今手を焼いてるから・・」と言ったら、「そういう事じゃなくて、自分のこととしてだよ。」とのこと。

ウーン。
若くて元気で、自由に遊びまわれたとき?
いやいや、新婚時代?
・・・でもないし、やっぱりもう一度戻りたい時代ってよくわかりませんでした。

「ヘルパーのAさんに聞いたら18歳だって。あまり勉強しなかったから、今度はしっかり勉強したいんだって。えらいね。」と。

今の自分は、何なんだろう・・。
幸せか不幸せかと言ったら、絶対に幸せなのだと思います。

仕事があって、帰る場所もあって、家族もいて、たまにい美味しいものも食べられるし、とりあえず働ける体力もある。

下をみればきりがない。
上を見てもきりがない。

欲しいものはたくさんあるし、夢もある。

尋ねた患者さんもまた、その答えは言いませんでした。

正直、いまさら戻ったところで、いいことばかりじゃないことも知っているから、今ある自分の位置が、一番ここちいいのかもしれません。

若いころに戻って、苦しかった失恋をもう一度味わうのも嫌ですしね。

一つ問題をクリアすれば、また次の難題が降りかかります。
一つならまだしも、二つも三つも重なることもあります。

でも、きっとどんな恵まれた環境にいても、それなりの試練があるのだと思います。

こんな人生が待っているとは分からなかった頃の私。
これからのことだってわからない。

なので、しんどいことがあっても、あとには戻らず、行くっきゃないんでしょうね。


ところで、今日は新人の看護師さんの歓迎会でした。
もうあちこち行き尽くし、どこか近くでいいとこないのかなぁ?と幹事さんも悩んでいましたが・・。
Sナースの推薦で決まりました。
場所は、燈台下暗し。
瀬谷駅のすぐそばにある「P-two」というカフェです。

こじんまりとして、センスの良いナチュラルな感じのお店です。
ここは、瀬谷の主婦の間では結構有名なお店で、ランチ時には奥様でいっぱいになります。
ランチプレート(1260円)と手作りのケーキが目当てです。
ちなみに、女性むけなので男性には足りないという口コミです。

今日は夜のパーティーコース\3150~

オードブル5種、野菜ムースorスープ、魚料理、肉料理、パスタ、デザート、コーヒーor紅茶でした。


オードブル一品ずつ、どれも優しいお味で大満足。

魚はオレンジソースでした。

これは、コーンのムース。
スープじゃない所がいい。
粒の触感を残し、まったりコクのある美味しいムースででした。

肉料理は鶏肉のお酢煮込みで、このソースもGood。作り方教えてほしい!!
パスタは、なんとサンマのアラビアータ。
サンマのほぐした身がてんこ盛りの秋のパスタは、癖もなくておいしい。

デザートは、気が付いたら食べ終わっていて、写真撮れず残念。

シフォンケーキとチーズケーキに、ホイップクリーム。小ぶりで甘ーいイチジクが添えてありました。

これなら男性でもお腹いっぱいになると思います。

何年も前、オープン当初に話題になって一度行ったときには、まだ素人くささが目立って、そんなに美味しいとは思わなかったのですが、さすがに腕が磨かれているようで、今度はぜひもう一度ランチを食べてみたいなと思いました。

瀬谷駅北口を出て、マクドナルドの一本裏側の道に入ったビルの一階にあります。(医療ビルの真ん前)

在宅での点滴

2011-10-13 22:01:11 | 訪問看護、緩和ケア
主治医にもよるのでしょうが、在宅ではあまり点滴はしません。

だいぶ以前にも、在宅の点滴について書いたことがありますが・・・。

熱が出たり下痢をしたり衰弱が目立ち、あきらかに脱水と思われると、ご家族と話をして一日500mlくらいの点滴とか抗生剤を使ったりはします。
でも、入院した時のように、何日も何本も点滴を続けたりすることは、ほとんどありません。

消化器疾患のIVHは別として、治療としての点滴の必要性が、在宅ではあまりないからです。

それでも、500ml位の点滴を3日もすれば、脱水の時などは結構元気になりますし、感染などの場合も有効ですから、やはり3日間くらい続けることはあります。

長い在宅療養で徐々に食べられなくなり、自然なお迎えが近いようなときに、食べられなくなったからと言って、毎日何本も点滴をすることが逆に苦痛になることがあります。
何も食べられなくなり、延命は希望しない場合、ご家族に選んでもらう事になりますが、いくら延命を希望しないと言っても、何もせずに枯れていくのを見ているのは忍びないので、1日1本くらいの点滴を何回かして、みんなで見守るという形をとることで、ご家族の気持ちも落ち着いてきます。

よく、何も食べられないから、栄養を点滴でいれてほしいと言われるご家族がいらっしゃいますが、末梢から点滴できるカロリーは、せいぜい200Kcal程度で、栄養と呼べるものは入れられないのです。
ちゃんと栄養を入れるというのであれば、深いところにある太い静脈に、特殊なチューブを入れて管理するIVHでなければ、入れられません。
高カロリー輸液は浸透圧が高くて、末梢の血管ではすぐに炎症を起こしてしまうからです。

ですから、ポカリスウェットのような液を末梢の血管からいれて、すごく元気になるとしたら軽い脱水とか気持ちの持ちようであることが多いのです。

そういうわけで、老衰などでお迎えの場合などは、形だけ点滴を一回か2回して、あとは自然にお任せすることが多いのです。
だいたい、2回ほど点滴をすると、痰がらみがしてゼロゼロしたり、身体がむくんで来たりするので、ご家族もそれが帰って体に負担なのだとわかるので、ご家族から「もう結構です。」と言われることもよくあります。

ちなみに、在宅で点滴の指示が出ると、毎回針を刺して、抜いてという場合と、留置針と言うシリコンの針を入れておいて、点滴だけを追加していく形があります。

在宅ではずっと看護師がついているわけではないので、点滴を入れたら家を出ます。
普通の針で刺した場合、ほとんどはご家族に抜針指導をして、抜いてもらいますが、独居だったり
留置針でヘパリンロックをしなければならない時は、抜くときにももう一回行かなければなりません。

これが毎日となると訪問の合間を縫っていくのも大変です。
しかも、最近状態の悪化している患者さんが増え、3人4人毎日点滴とかになっていて、手が足りなくなってきています。

訪問が毎日となれば、単位も食ってきますし、医療保険のしても金額が増えてしまいますので、在宅で何かをしようとすると、その利用料までも計算に入れないと、経済的に追い詰めることにもなりかねません。

もう一つ、このころになると多くの患者さんは、血管が細く弾力もなく、刺してもすぐに漏れてしまったり、なかなか入らずにいたい思いをさせてしまう事があります。
こういう時には、皮下注射での点滴をすることがあります。
お腹に細いシリコンの針を刺して、ゆっくり点滴を落とします。
なんとなく腫れぼったくなり、量が入ると固くなることもありますが、ご本人に聞くと意外と痛くないようです。
固くなった部分は、半日くらいで吸収され元に戻ります。

いずれにしても、今の状態をよく見極めて、点滴で改善の余地はあるのか、本人やご家族は何を望んでいるのか、かえって苦痛にはならないのか、などから点滴をするのかしないのか、するならばどういう形が一番負担がないか、いつまでそれをするのかを考える必要があるのです。

日本人の点滴信仰は、いまだに世間にはびこっていて、街のお医者さんを選ぶのに「A先生は、すぐに点滴をしてくれるからいい先生。B先生は薬もろくに出してくれないし、点滴してくれって言ったら、口から飲めって言われて、不親切だった。」なんて言ってるおばちゃんに時々遭遇します。

今はOSワンなど、いい経口補水液も出ているので、普段から患者さんとそういう話をしておく必要もあると思います。

終末の、点滴廻りは出来れば避けたい私たちですが、何故か週末に増える傾向にあります。
今週は緊急当番の私。
お仕事いっぱいになりそうです・・。

悲しみの中でも・・

2011-10-11 21:18:59 | 訪問看護、緩和ケア
こちから食べることを選択した博一(仮)さん。
あれから、なかなか思うように経口摂取が進みません。
エンジョイゼリーも含めて、一日400カロリーも取れない現状に、体重はどんどん減り、もう見過ごせない状況になってきました。

そのなかで、とうとう彼の大切な一人息子であるタカシさんが亡くなりました。

誰よりも頼りにしていた息子さんが、自分を置いて先に逝ってしまったのです。
ここひと月ほどで、博一さんも受け止める準備をしては来たのでしょうが、それでも悲しみは深く、残された寂しさははかり知れないものだと思います。



今日、チームでの担当者会議が開かれました。
彼のことをケースで選んだ学生さんも一緒に参加しました。

ケアマネ、主治医、クリニックナース、歯科医師、福祉用具、ヘルパーサ責、訪問入浴、担当看護師、学生二人、そして私の11人です。
残念ながら、管理栄養士のKさんは、所用で欠席でしたが、約90分有意義な議論が交わされました。
ほんとうは、ご本人にも参加して頂く予定でしたが、息子さんを亡くされたばかりなので、今日は欠席です。

なぜ、必要な栄養がとれないのか。

みんなの意見を聴きました。

そこで大きくクローズアップされたのが、生活のリズムがルーズになっていると言う事です。

寝たいだけ寝る。
置きたい時に起きる。

そのために食事プログラムの時間スケジュールが、起きた時から始まります。
なので、朝ごはんとしてのエンジョイゼリー150Kcal がまず抜けます。
10時のプリンも抜けます。
12時からやっと始まりますが、お見舞いや買い物で間のゼリーがまた抜けます。

で、結局は300~400Kcalしかとれず、これじゃあ基礎代謝にも届きません・・。

もちろん、生活のリズムを付ける努力をする必要はありますが、生活の中で時間的な拘束をしていくことは、やはり抵抗があります。

なんだかんだで検討の結果、嚥下訓練を継続しつつ、体力の回復を図るために1~2か月のIVHを再開することを、博一さんに提案することになりました。
一度IVHをやめてフリーになったことで、IVHはいつでも抜けるのだと言う事が、気持ち的に拘束感を軽減してくれるのではないかと思います。

無理をしないこと。


あとは再度ご本人と話し合って、みんなでゴールを目指せたらいいですね。

また、みんなの気持ちが一つにまとまりました。
情報交換をしながら、きっと今度はうまくいくと信じています。

一足先に旅立った息子さんも、きっと応援してくれると思います。

「オヤジ、大丈夫?よろしく頼むよ!」
タカシさんの声が聞こえます。

パーティー

2011-10-09 23:08:53 | 日々のあれこれ
昨夜は、瀬谷区医師会の40周年の祝賀パーティーでした。
ステーションも医師会立なので、公式行事として基本全員参加です。
(でも、緊急当番さんだけは、お留守番になっていしまいます・・。ゴメンネ。)

今回のパーティーに関しては、医師会の先生からもいろいろと頼まれていて、コンパニオンの派遣は夫の妹のやっている会社に依頼して、ベテランかつ美人をお願いしました。
実際、落ち着いた美人のお姉さんがそろっていてびっくりです。
(中華街にある、グレースバンケットとという、コンパニオンの派遣会社です。ご贔屓に。)

そして、すごく楽しみだったのが、高畑耳鼻科の非常勤医師であり、いつも往診をお願いしている木村至信先生ひきいる木村至信BANDのミニコンサート。

もう一つの目玉が、我が瀬谷の地域で育った和太鼓「興魂太鼓」です。
これも、2か月ほど前に理事長から頼まれ、娘を通して代表にお願いしました。
もともと地域の子供たちを集めて始まった太鼓集団です。
ボランティアで地域の祭りやイベントで叩かせてもらっていましたので、こんな正式な席での演奏は始めてです。
代表はじめすごく緊張して太鼓の数や人数、選曲に悩んだようでした。
当日、いつも今風なイケメンのお兄さんたちまで、スーツで登場したのにはびっくりしました

一番喜んだのは、きっとうちの娘で、至信先生の患者であり大ファンでもあるので、興魂太鼓と同じ控室に舞い上がっていました。
しかも、私はいるしコンパニオン派遣会社の責任者として、おばさんは控えているしで、裏方とはいえすごく楽しい一日だったようです。

パーティーは、例によってながーいスピーチを一時間聞いた後で始まり、フレンチのコース料理は大変美味しゅうございました。
                  
可愛いエビのテリーヌ

そして待ちに待った至信先生のミニコンサート



インディーズで上位にランキングしていた「夕暮れレノン」
テレビ番組のエンディングテーマだった「ワンダフルデイズ」
そして新曲の「ロスタイム」
の3曲を歌ってくれました

そして最後に、先生の伴奏でステーションのスタッフと理事長とみんなで「時代」を歌いました。
・・が、全く練習をしていず、なんだか間が抜けた合唱になってしまいました。
訪問看護ステーションの20周年の時には、都筑区に負けない出し物を頑張ると言う事で、このくらいで許していただきました。
最後はいよいよ「興魂太鼓」の登場です。


太鼓を叩くときの、筋肉がすごくきれいなんですよね~。
       

演奏は、3曲オリジナルの演目で「水の花」「ひまわり」「飛翔」。
舞台が狭くて動き回れないし、太鼓の数も限られている中、みんな全力で頑張ってくれました。
客席からは「おおー!!」「すごい!」という声が聞こえていました。

太鼓の盛り上がりのあと、無事時間どうり会は終了し、その場にいた人たちで記念写真もとりました。

        
至信先生も一緒です。
真ん中が高畑先生、左端は瀬谷医院の川口先生です。

みんなで一致団結、無事終了し、ほっとしました。
かえりは、義妹の車に便乗して帰宅できたので、私的にはなかなか思いで深いパーティーとなりました。

これで大きなイベントが終わり、あとは講演会が3つ残っています。
まだPPを作りきれていませんので、明日からはまたPP作りに励みます。
さらに、11月には「リンパ浮腫のケア」の勉強会を2回に分けて行います。

今年もあと3か月ですが、まだまだやることいっぱいで気が抜けません。
明日は衣替えもしないといけないし、うーん・・頑張ろう!!おー!!