老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

鉄道情報や気象情報などの情報を本来の放送を中断して流すことについて(NHKへの要望)

2015-09-15 11:39:00 | インポート
ラジオ放送は、原則として音声はある一つのものを流すのであって、そこに別の内容のものをかぶせることはできない。その点で、テレビが画面の一部に別情報を流せるのと違って、はなはだ不便である。ある番組を放送しているときに別の情報を流そうとすれば、今放送している内容を一時中断して、別の情報を流すしかないのである。
しかし、果たしてそうであろうか。そこに工夫する余地はないであろうか。

日曜の朝、「著者に聞きたい本のツボ」という番組で、佐野洋子さんの『わたしの息子はサルだった』を取り上げて、著者の息子さんが話をしていた。そのとき、ある話題の途中で、山の手線の電車が止まっていたが復旧したとかいう鉄道情報が入って、もとの放送が途切れてしまった。鉄道情報が終わったときには、もとの話題も終わっていて、その話題がどうなったのかは分からずじまいであった。

山の手線の電車が復旧したという情報は、たしかに多くの人たちにとって必要な情報ではあろうが、その放送を聞いているすべての人にとって必要な情報というわけではない。本来の放送が中断して、その話題がどうなってしまったかが分からなくなっていらいらさせられた人も、少なくないと思われる。この前などは、番組の終わりのころにある情報が入って、その情報が終わったらもとの本来の放送も終わっていて、結局話がどうなってしまったのかが分からないままになってしまったことがあった。

科学技術がこれほど進歩した現代に、ラジオ放送が開始された時代と同じように、一つの番組には一つの情報しか流せないということを続けていてよいものであろうか。
というのは、本来の放送の中で別の情報を入れたい場合に、本来の放送を中断して別の情報を入れるのではなく、もとの放送を低く流して、その上に別の情報をかぶせて放送することができるのではないか、と思うのだ。

一つの放送に七つの情報を同時に流されては、聖徳太子ではない我々は混乱してそれらの情報を聞き分けることはできなくなるが、たった二つの情報であれば、新たに流された情報が必要な人はそちらを主として聞き取るであろうし、その情報が必要でないと判断した人は、本来の放送を聴き続けることができるであろう。
その場合、新たに流そうとする情報が緊急かつ重大なものである場合は、本来の放送を中断して流すのも、もちろん止むを得ない。それは言うまでもないことである。

本来の放送の音声と、その上にかぶせる情報の音声を、それぞれどの程度の大きさにすれば二つの内容を同時に聞き分けることができるかは、実験してみれば容易に分かるであろうと思う。

NHKには、そのことを工夫して、それが一部の人たちにとって必要な情報である場合は、本放送を低く流してその上に新たな情報をかぶせるという方法を、ぜひ実現してもらいたいものである。