老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

常総市の洪水災害について思うこと

2015-09-24 21:16:00 | インポート
鬼怒川を夜ふけてわたす水棹の遠くきこえて秋たけにけり

よく知られた長塚節の歌である。
その鬼怒川が、このたびの豪雨によって堤防が決壊し、洪水によって多くの被害が出た。2週間たった9月24日現在、避難者がまだ900人ほどいるという。流されてしまった家や床上まで水につかった家、水をかぶった稻など、どうしようもない状況に途方に暮れている人も多いことだろう。

常総市には、「常総市洪水ハザードマップ」というのができていて、一端堤防が決壊したらどういう状況になるかは、前以て分かっていたはずである。
しかし、まさか堤防が決壊するとは誰もが思っていなかったであろうから、いざ堤防が切れたとなると、みんなが慌てふためいて、あたふたしたのは致し方がない。洪水ハザードマップができていたのだから、それなりの対策をしておくべきだった、と後からなら誰でも言えるが、実際にはそれは難しいことである。
福島の原子力発電所の事故にしても、なぜそれなりの対策をしておかなかったのかと、後からは言えるが、前以てみんなが対策をすべきだと考えるまでに強く警告していた人は、いなかったのではないか。残念ながら、人間はいつも後悔しながら生きる生き物なのである。

だから、一部の地域にしか避難警報を出さなかったとか、鬼怒川の西岸に避難するように伝えたのはおかしいとか、いろいろ市の対応に問題があったことは確かであろうが、いざとなると、物事はそう簡単にはうまく運ばないものなのである。小さな自治体にとって、今回の災害はあまりにも大き過ぎるものであったから、対応に不備があったとしても、ある程度は止むを得ないとすべきである。

もちろん、だからそれでいいというわけではない。今後は今回の反省の上に立って、それなりの対策を考えておくようにすべきであるのは当然である。
しかし、こうした自然災害に対しては、一地方の自治体だけが対策を考えるのでなく、県が総合的、広域的に対策を検討し、各地域を指導すべきなのである。今回の鬼怒川堤防の決壊にしても、その危険があるかどうかの判断とその対策については、県が検討しておくべき課題でもあったのである。

ところで、一時、行方不明者が25人いる、ということが伝えられ、これは大変な災害だと思ったが、ある時、突然一気に、全員の安全が確認できた、という報道がなされた。普通は、そんなことが起こり得るとは思えない。
実はこの「行方不明者」とは、調べても所在や安否が確認できなかった人のことではなく、単にまだ安全が確認できていない人のことであったのだ。つまり、行方不明者が25人出た、という場合の「行方不明者」とは、調査をしても所在や安否が確認できない人のことではなく、所在の調査が行われず、安否が確認できていない人、安否未確認者のことであったのだ。なぜ、これを行方不明者と言ったのであろうか。
だから、調べてみたら、所在や安否が確認できた、ということで、「行方不明者」が一気にゼロになってしまったのである。

その際、安否未確認者の氏名の公表について、市ではそれが個人情報だからと氏名を公表しなかった。そのために、安否の確認が遅れたという。
これについては、こうした生命の安否の確認をする際は氏名の個人情報は公表できることになっている、と報じられた。これらも、当然前以て確認しておくべき事柄であったと言えるだろう。

ともあれ、人間は事に対して前以て完全に備えをしておくことは難しいものである。だから、反省をしながら、少しずつ前進していくしかない、というのが私の考えである。