老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

パンくずを与えられる白鳥たち

2011-01-11 13:40:59 | インポート
今朝は、この冬一番の寒さだ、とラジオが言っていた。

家から少し離れたところに用事があってでかけた、その近くにそれほど大きくもない池があって、白鳥が数十羽飛来して、毎日2回ほどパンくずの餌を貰っている。今朝もニ、三人がパンくずを投げ与えていた。鴨も20羽ほど交じっている。

見ていると、パンくずを投げている人に近寄って餌を貰おうとする白鳥や鴨がいる中で、後ろのほうで一向にパンくずに関心を向けない白鳥も数羽いる。それは、羽がまだ鼠色をした若鳥であるようだ。鼠色の鳥でも前の方に出てパンくずを貰おうとしている鳥もいるのだから、どうしてなのだろうと合点がいかない。それも1羽だけではなく数羽いるのだから、別に具合が悪いというわけでもなさそうだ。

パンくずをくわえた鴨が、餌を呑み込もうとしながら、他の鴨に餌を奪われまいと急いで後ろのほうへ泳いでいく。今朝は池の中ほどに氷が張っていて、鴨は途中からその氷の上を歩いて必死である。たいして大きくもないパンくずなのだが、簡単には呑み込めないと見えて、中にはうっかり落として、追ってきた別の鴨に餌を取られてしまっている鴨もいる。

池に飛来している白鳥や鴨たちを見て、よく帰って来てかわいいとか、羽や姿が美しいとか思うよりも、お前たちも大変だなあと同情してしまうのは、決して尋常なことではあるまい。
小魚もそうはいそうにない池には、水草もたいして生えていそうにないし、水も昔に比べてかなり汚れているだろう。パンくずを与える人がいなければ、中には無事に北へ帰り着かない鳥も出てくるのではあるまいか。
鴫立つ沢のと歌われたころの自然に飛来していた野鳥たちは、随分幸せだったのだろうと想像するのだが、どうしてどうして、彼らは彼らなりに、いつの時代も同じように辛く苦しい生を生きていたのだ、というのが正しい理解なのかも知れない。

パンくずを投げている人は、時々遠くへ放ろうとするが、中ほどにいてそれほど餌を欲しがっている様子も見せていない白鳥たちは、そんなにお腹が空いていないのか、それとも彼らは長老格であって、若者や青年の鳥たちが争うように餌を食べているのを、穏やかに見守っているのであろうか。

パンくずを投げ与えられる白鳥たちを見ていると、いろいろなことを考えさせられる。