二十四節季の一つ「立春」は、「春立つ日」と言われる。
古今集の冒頭にとられた在原元方の歌の詞書に、「ふるとしに春たちける日よめる」とあり、次の紀貫之の歌の詞書にも、「春たちける日よめる」とある。
春が立つのならば、「春立」(主語+述語)となるはずなのに、なぜ「立春」(他動詞+目的語)なのだろうか、というのが、<「春立つ日」はなぜ「立春」なのか>の意味するところである。
「春立」ならば、「春が立つ」であるが、「立春」では「春を立てる」となってしまうではないか。
これは立春ばかりでなく、当然のことながら、立夏、立秋、立冬、すべてに言えることである。
これについては、大修館書店のホームページの「漢字文化資料館」にある「漢字Q&Aコーナー」でお尋ねしたら、Q0457で、「「春が立つ」ならば漢字の順序として「春立」でないといけないのではないですか?」という質問の形で、回答をいただいた。
詳しくはそちらを見ていただきたいが、簡単にいうと次のようになる。
中国古代の人々の感覚では、人間界の諸々の諸政策ばかりでなく、星辰の運行から季節の巡行に至るまで、すべては王の支配に委ねられているものであった。だから、季節も勝手にやってくるものではなく、王が「この日から春だ」「この日から夏だ」……と宣言するものであったのである。つまり、「立春」とは「春が立つ」のではなく、王が「春を立てる」という意味合いで解釈すべき言葉なのである。
大修館書店HP「漢字文化資料館」 → 「漢字Q&A」(旧版) → Q0457
「立」という動詞の、特別の用法ではないだろうかと思っていたが、そうではなく、世界観に関わる問題であったわけである。その「立春」を、後世の人々は自分たちの理解に合わせて、「春が向こうからやって来て、立つ(春になる)」と解釈したのだろう。
* * * * * * * *
古今集から、春のはじめの歌をいくつか。
ふるとしに春たちける日よめる 在原元方
年の内に春はきにけりひととせをこぞとやいはんことしとやいはん
春たちける日よめる 紀 貫 之
袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらん
二条のきさきの春のはじめの御うた
雪のうちに春はきにけり鶯のこほれる涙いまやとくらん
雪の木にふりかゝれるをよめる 素性法師
春たてば花とや見らむ白雪のかゝれる枝にうぐひすの鳴く
春のはじめのうた みぶのたゞみね
春きぬと人はいへども鶯の鳴かぬかぎりはあらじとぞ思ふ
(注)古今集の歌は、岩波文庫『古今和歌集』(佐伯梅友校注、1981年)によりました。
今日、2月4日は立春。古今集の2番目の歌、紀貫之の「春たちける日よめる」という詞書の次の歌が思い起こされます。
袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらん
(暑い夏の日に、山の井で袖が濡れるという状態で手にすくった水が、冬の寒さで凍っていたのを、立春の今日の風が、今頃はとかしているだろうか。)
一首のうちに三つの季節を詠み込んだ歌として知られています。高校の古典文法では、この「らん(らむ)」が、<現在推量の助動詞>で、現在目に見えていない所で行われている事実について、「今頃は……しているだろう」と推量する意を表す、その例としてよく挙げられたりします。
この歌が古今集の2番目の歌だとしたら、古今集冒頭の歌は何かということになりますが、それは在原元方の「ふるとしに春たちける日よめる」という次の歌です。
年の内に春はきにけりひととせをこぞとやいはんことしとやいはん
(旧年のうちに立春になってしまった。同じ一年を去年と言ったものだろうか、ことしと言ったものだろうか。)
いかにも子規が毛嫌いしそうな、古今集の理屈っぽい一面を示す典型的な歌です。
ところで、今日2月4日は、旧暦では12月21日ですから、今日も「ふるとしに春たちける日」ということになるわけです。とすれば、旧暦だと、元方にならって、「はて、今日は去年と言ったものか、いや、もう立春になったのだから、今年と言ったほうがいいのだろうか」と、まごつくところでしょうか。
「暦の上では春とはいいながら」などというように、手紙などでは、季節は明らかに冬なのに、立春以降は「春寒」「余寒」などと書いて、春になったとするようです。それは、立秋を過ぎたら、「暑中見舞い」が「残暑見舞い」になるのと同じでしょう。
しかし、1月1日から2月3日までは、立春になっていないのですから、「暦の上ではまだ冬」なのに、1月1日になれば、「賀春」と書いたり「新春」と書いたりしているのですから、ややこしい話です。
水戸の観梅は、例年2月20日から始まりますから、その頃はもう早春になっているのでしょう。
月単位で大雑把に分ければ、どうなるのでしょうか。手元の『俳句歳時記・春』(富安風生他編、平凡社・昭和34年初版)には、「3~5月(春)、6~8月(夏)、9~11月(秋)、12~2月(冬)」となっています。
私の感じでは、2月は早春、5月は「さつき」で、もう初夏ではないか、という気がするのですが、どんなものでしょうか。
ちなみに、この歳時記には、
「それぞれの季節のあらわれ方は、場所によって著しく違い、北海道と九州では大変な違いがある。日下部正雄氏の研究によれば、この本朝七十二気候(注)は、だいたい大阪付近の動植物季節に一致しているという」
とあります。
(注:「本朝七十二気候」とは、天保のころ、高井蘭山が、中国の二十四節気七十二候を改良してつくったもので、現在の暦に記載されている「節気」(立春、雨水、啓蟄、春分、……)はこれによったものだそうです。同書、3頁)
袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらん
(暑い夏の日に、山の井で袖が濡れるという状態で手にすくった水が、冬の寒さで凍っていたのを、立春の今日の風が、今頃はとかしているだろうか。)
一首のうちに三つの季節を詠み込んだ歌として知られています。高校の古典文法では、この「らん(らむ)」が、<現在推量の助動詞>で、現在目に見えていない所で行われている事実について、「今頃は……しているだろう」と推量する意を表す、その例としてよく挙げられたりします。
この歌が古今集の2番目の歌だとしたら、古今集冒頭の歌は何かということになりますが、それは在原元方の「ふるとしに春たちける日よめる」という次の歌です。
年の内に春はきにけりひととせをこぞとやいはんことしとやいはん
(旧年のうちに立春になってしまった。同じ一年を去年と言ったものだろうか、ことしと言ったものだろうか。)
いかにも子規が毛嫌いしそうな、古今集の理屈っぽい一面を示す典型的な歌です。
ところで、今日2月4日は、旧暦では12月21日ですから、今日も「ふるとしに春たちける日」ということになるわけです。とすれば、旧暦だと、元方にならって、「はて、今日は去年と言ったものか、いや、もう立春になったのだから、今年と言ったほうがいいのだろうか」と、まごつくところでしょうか。
「暦の上では春とはいいながら」などというように、手紙などでは、季節は明らかに冬なのに、立春以降は「春寒」「余寒」などと書いて、春になったとするようです。それは、立秋を過ぎたら、「暑中見舞い」が「残暑見舞い」になるのと同じでしょう。
しかし、1月1日から2月3日までは、立春になっていないのですから、「暦の上ではまだ冬」なのに、1月1日になれば、「賀春」と書いたり「新春」と書いたりしているのですから、ややこしい話です。
水戸の観梅は、例年2月20日から始まりますから、その頃はもう早春になっているのでしょう。
月単位で大雑把に分ければ、どうなるのでしょうか。手元の『俳句歳時記・春』(富安風生他編、平凡社・昭和34年初版)には、「3~5月(春)、6~8月(夏)、9~11月(秋)、12~2月(冬)」となっています。
私の感じでは、2月は早春、5月は「さつき」で、もう初夏ではないか、という気がするのですが、どんなものでしょうか。
ちなみに、この歳時記には、
「それぞれの季節のあらわれ方は、場所によって著しく違い、北海道と九州では大変な違いがある。日下部正雄氏の研究によれば、この本朝七十二気候(注)は、だいたい大阪付近の動植物季節に一致しているという」
とあります。
(注:「本朝七十二気候」とは、天保のころ、高井蘭山が、中国の二十四節気七十二候を改良してつくったもので、現在の暦に記載されている「節気」(立春、雨水、啓蟄、春分、……)はこれによったものだそうです。同書、3頁)