老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

ねがはくは花のもとにて…… 花のしたにて……

2009-07-25 11:56:00 | インポート

  心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮
という、「三夕の和歌」の一首とともによく知られている、西行の歌に、

  ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃

という歌がある。この歌について、気になることを書いてみたい。

この歌の「下」を、「花のもとにて」と読む人と、「花のしたにて」と読む人とが
いるのである。
  ねがはくは花のもとにて春死なんそのきさらぎの望月の頃
  ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃

さて、西行はどちらに詠んだのであろうか。
考えてみれば、西行は、「花のもとにて」と「花のしたにて」のどちらかに詠ん
だのであって、どちらでもお好きな方にお読みください、といっているわけでは
あるまい。
だとすれば、この歌を読むときに、「もと」なのか「した」なのかを、一応、検討
したうえで、読みを決定しなければならないだろう。

ところで、手元の『山家集』を見てみると、
岩波文庫の『山家集』(佐佐木信綱校訂)には、
  ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎのもち月の頃
とある。「下」では、「した」と読むのか「もと」と読むのかが、はっきりしない。
日本古典文学大系の『山家集 金槐和歌集』(風巻景次郎・小島吉雄校注)
には、
  ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎのも望月の頃
とあって、「花のした」という本文になっている。
大岡信氏の『折々のうた』には、「花のもと」という形で引用してある。
『旺文社古語辞典(1994年第8版)』には、
  願はくは花のしたにて春死なむそのきさらぎのもち月のころ
とある。

それぞれの底本は、岩波文庫が「松本柳斎の『山家集類題』」、日本古典文
学大系本が「陽明文庫所蔵六家集本」となっている。『折々のうた』と『旺文社
古語辞典』には、底本の説明は出ていない。

フリー百科事典『ウィキペディア』で調べてみたら、「花の下を“した”と読むか
“もと”と読むかは出典により異なる」としてあって、国文学研究資料館 電子
資料館の『続古今和歌集』の画像にリンクしてある。
そこで、『続古今和歌集』を見てみると、ここに出ている写本では「もとにて」と
なっている。

  ねかはくははなのもとにて春しなんそのきさらきの望月の比
                                 (巻第17 雑歌上)

しかし、同じ『続古今和歌集』でも、本によっては「した」となっている写本もあ
るようだ。

結論として、写本によって両方の形が出てくる、ということになる。

試みに、古語辞典を引いてみると、そこに「はなのもと(花の下)」という項が
あって、次のように出ている。
  はなのもと(花の本・花の下) 
     1.花の咲いた木の下。花かげ。「うぐひすの鳴きつる声にさそはれて
     ─にぞわれは来にける」〈後撰35〉
     2.《鎌倉時代以後、連歌が広く普及するようになり、春ごとに桜の花
     の下で連歌の会が行なわれたことから》古くは、庶民の連歌愛好者の
     称。転じて、連歌の名匠への尊称。更には、連歌師のうちの最高権威
     者の称号となり、江戸時代には、里村紹巴の子孫が代代継承した。
     「─の輩(ともがら)、風情の好事が沙汰する心は」〈為兼卿和歌抄〉
     3.ほまれ高い第一人者。「上杉管領入道輝虎につづきては、織田右
     大臣信長とて…両大将を弓矢の─に申す」〈甲陽軍艦6〉
                     (『岩波古語辞典』1974年第1刷による)
別の古語辞典には、「はなのもと(花の下)」として、「桜の咲く下。「大原野の─
に宴をまうけ席をよそほうて、世にたぐひなき遊びをぞしたりける」〈太平・巻39
ノ6〉」という例が出ている。(小西甚一著『基本古語辞典』三訂版)

こういう言葉や用例があるとなると、「花のもと」という読みが有力ということになる
のであろうか。私には、なんとも判断がつかないが、ただ、気分的には「花のした」
と読みたい気がしている。

この読みについては、既に定説とでもいうべきものが出ているのであろうか。
不勉強でそれについては分からないが、皆さんはどちらの読みで読んでおられる
でしょうか。

  (お断り:平成21年8月1日、一部を書き改めました。)