唐詩選を見ていたら、次のような詩が目についた。
偶来松樹下
高枕石頭眠
山中無暦日
寒盡不知年
偶(たまたま)松樹(しょうじゅ)の下(もと)に来(きた)り、
枕を高くして 石頭(せきとう)に眠る。
山中 暦日(れきじつ)無し。
寒(かん)盡くれども 年(とし)を知らず。
太上隠者の「答人」(人に答ふ)という詩である。
「高枕」とは、心を安んじて安らかに眠ること。
ふらりとやって来た松の樹の下で、石を枕に心安らかに眠るのである。
年が改まったが、今日が何年だかもまるで頭になく、
春になって寒気の尽きた山中で、ゆったりと眠る。
串田孫一氏なら、リコーダーを一曲奏でた後のことででもあろうか。
浮世の煩いを離れて、自然の中に生きる隠者の生活。
古人も、こうした生き方に憧れたのであろう。
* * * * * * * *
蚊やハエのいなくなった部屋の隅に小さな網を張って、じっと獲物を待っている蜘蛛。
雨後のかんかん照りの農道に這い出してきて、干上がっているミミズ。
人の歩いている道を、のそのそ這いまわっているアリ。
生あるものの、それぞれ懸命に生きんとする姿を見ていると、
同じ生き物の一つである人間の、生物界における位置を考えさせられる。
人間とはそもそもいかなる存在であるか。人生のあるべき姿とは。
世界の人間の生きている状況を見渡せば、果たして人間は利口なのか、愚か
なのか、考えれば考えるほど不思議な生き物であると感ぜざるを得ない。
* * * * * * * *
折角、太上隠者の唐詩を読んで、悠々と出世間の境地に遊ぼうと思ったのに、
つい、雑念に妨げられて、ぼやきが出てしまった。
これも凡人の常として、已むを得ないことか。嗚呼。
(注) 上記の「答人」の詩の本文は、明治書院発行の新釈漢文大系19
『唐詩選』(目加田誠・著、昭和39年初版)によりました。
偶来松樹下
高枕石頭眠
山中無暦日
寒盡不知年
偶(たまたま)松樹(しょうじゅ)の下(もと)に来(きた)り、
枕を高くして 石頭(せきとう)に眠る。
山中 暦日(れきじつ)無し。
寒(かん)盡くれども 年(とし)を知らず。
太上隠者の「答人」(人に答ふ)という詩である。
「高枕」とは、心を安んじて安らかに眠ること。
ふらりとやって来た松の樹の下で、石を枕に心安らかに眠るのである。
年が改まったが、今日が何年だかもまるで頭になく、
春になって寒気の尽きた山中で、ゆったりと眠る。
串田孫一氏なら、リコーダーを一曲奏でた後のことででもあろうか。
浮世の煩いを離れて、自然の中に生きる隠者の生活。
古人も、こうした生き方に憧れたのであろう。
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蚊やハエのいなくなった部屋の隅に小さな網を張って、じっと獲物を待っている蜘蛛。
雨後のかんかん照りの農道に這い出してきて、干上がっているミミズ。
人の歩いている道を、のそのそ這いまわっているアリ。
生あるものの、それぞれ懸命に生きんとする姿を見ていると、
同じ生き物の一つである人間の、生物界における位置を考えさせられる。
人間とはそもそもいかなる存在であるか。人生のあるべき姿とは。
世界の人間の生きている状況を見渡せば、果たして人間は利口なのか、愚か
なのか、考えれば考えるほど不思議な生き物であると感ぜざるを得ない。
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折角、太上隠者の唐詩を読んで、悠々と出世間の境地に遊ぼうと思ったのに、
つい、雑念に妨げられて、ぼやきが出てしまった。
これも凡人の常として、已むを得ないことか。嗚呼。
(注) 上記の「答人」の詩の本文は、明治書院発行の新釈漢文大系19
『唐詩選』(目加田誠・著、昭和39年初版)によりました。