日刊「NOCUSる」

たとえば5年後、あなたは何を食べている? それは、どこで誰が作る?

過疎地有償運送、試行・実績

2011-10-31 | ひと

No.3957

向こう側はNPO「アイタク太田」の理事長さん。
で、くわしくは略(^_^;

以下、私信です。ってか、
差しさわりがあるだろうから期間限定で、

>Nkjmさん

ポケットの中で、自分の声しか入ってなかったみたい。
ちょっと、いゃ、そうとうに褒めすぎだよねぇ。





 

崖くずれ

2011-10-28 | 大震災
10/23
No.3955

もみじ狩りに出かけたわけではありません。
10月30日投票でおこなわれる隣の高萩市議選の応援で、候補者ポスターを貼ってまわっていた山中の道。
たしかに、分岐のところに「通行止め」の看板はありました。でも、遠慮がちに道の外に置かれていたし、事前に選管から渡された地図には震災の影響などでの通行止め箇所が示されていたんだけど、そこは入ってなかったので、近道のつもりでした。
結果的に30分ほどのロスとなりました。写真の地点まで到達する途中にも、路肩のくずれや路盤の陥没が何カ所もあり、残り燃料も少なくなっていたので、ちょっと緊張を味わえました。

カーナビなんて搭載した車では迷子になる楽しみがなくなってしまう。とは、かねてからの持論だけど、今回はナビがあっても避けられなかったなぁ。



 

携帯入替え

2011-10-22 | 北海道から
すずき産地の携帯電話

No.3954

夏に携帯電話を交換しました。
北海道からリアルタイムで写真をUPしようと思ったからなんだけど、今までの電話機はレンズに傷がついていたので、機種交換。ちょうど母ちゃんのが古くて無料交換が可能だったので、それに乗じました。
というわけで、
それまでの母ちゃんと父ちゃんの電話番号が入れ替わっています。登録くださっている方にはご面倒をおかけします。よろしくお願いいたします。

余談。というか、本題。
上記画像をクリックすると、新しい携帯電話の呼出音が再生されます。もちろんオリジナル。まずはごゆっくり試聴くださいませ。
いかがでしょ? 呼出音がなるたび当人は北海道へ飛んでしまって、なかなか電話に出ないのは聞き惚れているからです。んなわけはありませんが(^^;

ついでに、
この音声の作り方なんぞを教えちゃいましょうか。
こんなページがあるのです。
http://voicetext.jp/

ちょっと楽しいですよ。いろいろお試しください。

ただ、交換したばかりの電話機なのに、もうレンズに傷がついてしまって、岡山や南会津の写真はボケボケでした。面目ない。



 



オーダーメード(初?)

2011-10-17 | 子育ち
10/16
No.3953

私信です。
> すずき産地のガキ共(家を離れている上の3人)へ

とうとう今年、
耕太の誕生日に誰も連絡をくれなかった
ってことて、もう下記昨年の正月に発行した家族新聞からは時効ってことで
よろしく(^_^;


あっついでに、
> 大学で芸術系を専攻している真ん中の2人へ
こんな記事を見つけたよ。参考までに。



 

東電の本性かぁ

2011-10-16 | 原発
「毎日新聞」から

すでに紹介した「たまご新聞」692からです。

写真は、こちら4月末の「毎日新聞」の記事から。
土下座をしてみせたものの、座布団の上・・・
東電のホンネが透けて見えるようです。

そんな恥知らずな幹部たちの姿をどう思うか
補償センターとやらの課長さんに聞いてみたんだけど、
「コメントは差し控えさせていただきます」
だってさ。どっかの大臣サマのつもりかぁ!?
世の常識よりも上司への遠慮が優勢するというのか。
被害者の心情を踏みつけにすることが東電の総意か。
浴びせる言葉に代えてシャッターを切りました。→ こちら



 

言葉にしきれない

2011-10-14 | 原発
10/07 鈴木耕太撮影
No.3951

いま印刷中、今週の「たまご新聞」から。
>(前号のつづき)
とあります。それも後ほどUPします。

(前号のつづき) 農家に対応した賠償の書類を自宅に届けさせました。やってきた東電の社員サン相手に、下記を朗読して聞かせました。いずれも、この間の「たまご新聞」からですが、再録します。
 お2人、神妙な顔はしていました。けど、償えるはずもありません。人としての心は凍結させて業務にあたっているんだろうか。

「ふくしまをかえせ」
まちをかえせ とちをかえせ
こどもらをかえせ かちくをかえせ
しごとばをかえせ
かぎりないめぐみをもたらす
 うみやまをかえせ
われわれのささやかな きぼうに
 みちた うつくしい
 ふくしまをかえせ
(いわき市 東山さん)


 震災からもう半年も経ち、時の流れに今さらながら驚いています。町の瓦礫はほとんど片付けられ、津波の被害の家屋の取り壊しが続いています。全国からの支援・ボランティアのお陰で、以前の街並みと生活が戻ったように見えます。
 しかしながら原発事故の影響がジワジワと覆い被さってきています。売れない農産物、次々とあきらめる作付け、汚染された土壌と資材で八方ふさがりの感があります。日増しに農民の元気が失せていっています。
 人間の手に負えない物を作らせてしまった反省しきりです。損害補償が始まりましたが、とてもそんなことで先が見えるものではなさそうです。
 30km圏内の当地は放射能汚染が高く、露地栽培は断念しました。ハウスのみ継続しましたが、経営的には苦しく、当地の除染も不可能に近く、農耕は断念することにし、来年は宮城で老母と暮らすことにしました。
(いわき市 阿部さん)


 大震災がきっかけで、福島県の原子力発電所が大事故を起こし、「死の灰」が広範囲に振りまかれました。いちおう、茨城県あたりの放射線量なら心配はない。というのが専門家筋の見立てでしょうか。
 ただし、センセイ方の多くは一貫して「日本の原発では過酷事故は起こりえない」と吹聴してきた大ウソつきです。あるいは百歩ゆずっても、手のほどこしようのない危険を内在する原発に対して、必要な事故対策が講じられていないことを放置してきた、いわば大マヌケな専門家です。
 そんなトンデモな権威者センセイたちが語る安全宣言を奉ずるしかないとは・・・。自然と向き合い、いのちの糧をはぐくみ届ける側にいる者として、なんとも情けないばかりです。事故から半年が経とうというのに、いまだに発すべき言葉が見つかりません。
 ある知人は「農薬も放射能も、遺伝子を傷つけるということでいえば同じく毒だ」と言います。また、うちの取り組みを参考にして今年もアイガモ農法を実践している知人は「他の田んぼは、農薬 プラス 放射能だけど、うちのは放射能だけだ」と変な胸を張っています。
 そうはいっても、なかなか簡単には割り切れるものではありません。残留農薬が基準を下回っているから大丈夫とか、そんな小賢しい数字など云々したくないために、完全無農薬での栽培にこだわってきました。とりわけ、除草剤までもゼロとするため、どれほどの苦心をし、どれだけ泥の中ではいつくばってきたか。
 東京からUターンして、百姓をきどって、もうすぐ27回目の稲刈りです。本来なら喜ぶべき季節を前にしながら、健康を大切にしたいと願う消費者の皆さんに、どう訴え、どう販売したらいいのか悩んでいます。
(すずき産地)