日刊「NOCUSる」

たとえば5年後、あなたは何を食べている? それは、どこで誰が作る?

炭坑の記憶

2006-01-28 | 定点観測
 No.2081

先週の土曜(21日)に撮った写真で、市の社会福祉協議会が開いた集いの一こま。「映像で振り返る北茨城」という企画です。(こちらに参考記事
壇上で市民ゲストの1人として元炭鉱労働者のNさんは、「かつて発破で前歯3本を失ったためにお聞き苦しいかと思います」と前置きしつつ、さまざまな写真に寄せる思いを話してくれていました。が、炭坑閉山を伝える30数年前の新聞紙面が映し出されたとたん、「涙が出て、声が出ません」と言葉をつまらせてしまいました。

と、
そんな一端を紹介する気になった、次のような経緯。

5年近く前の「NOCUSる」No850No849で貼り付けた写真は、さらにその10年ほど前に撮ったものでした。
それを見てくれたらしい神奈川のKさんという方から、次のようなメールをいただきました。

神奈川に住む、K(38歳)と申します。炭鉱、長屋、茨城で辿り着きました。
そこで突然で申し訳ありませんが、WP内の 日刊「*NOCUS*る」2001年5月末日分の写真について教えて頂きたい事があります。
重内炭鉱の長屋には、祖父母(亡くなっています)、母(いわき市に健在)が一時期住んでいたようですし、私自身も何度か遊びに行って宿泊した記憶があります。
北茨城からいわき市にかけての炭鉱長屋の写真もカラー写真が少ない(探せないだけ?)ようなので、可能であれば写真か撮影した場所(可能であれば具体的に)を教えていただければ幸いです。
以上、乱文で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

たしかに刻まれてきた炭坑の歴史。これ以上は風化させることなく、人の記憶や産業遺跡を残し、去っていた人たちの思いをも受け止められる施策。それは、ふるさと北茨城の人や行政や、そして誰よりも、今につながる大もうけをした炭坑資本がやるべき仕事だと思うぞぉ。

日本ブログ大賞(写真部門)

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