(ニート太公望さんの投稿です)
チャーチル陰謀説を追う
真珠湾攻撃から82年を迎えました。
太平洋戦争は真珠湾攻撃から始まった。これは常識です。例えば
NHKアーカイブス「開戦、その時何が起こっていたのか」はこう書いています。
開戦、その時何が起こっていたのか|戦争|NHKアーカイブス
昭和16年(1941年)12月8日、日本海軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃。アメリカ太平洋艦隊に大打撃を与えました。また、その1時間以上前には日本陸軍がイギリス領マレー半島に...
開戦、その時何が起こっていたのか|戦争|NHKアーカイブス
まともな日本語なら「マレー半島奇襲。その1時間後真珠湾奇襲」なのに、なぜ「真珠湾奇襲、その1時間前にマレー半島奇襲」という言い方をするのか?
―昭和16年(1941年)12月8日、日本海軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃。アメリカ太平洋艦隊に大打撃を与えました。また、その1時間以上前には日本陸軍がイギリス領マレー半島に奇襲上陸しています。同日、日本はアジアや太平洋の各地でいっせいに軍事行動を開始。3年9か月におよぶ太平洋戦争の始まりでした―
ごく常識的な記述でしょう。しかしここにも書かれているように、戦争は真珠湾より1時間以上早く、マレー半島で始まっていました。あの戦争はアメリカにとって、真珠湾から始まったかも知れませんが、しかし日本人にとっては、1時間早くマレーのイギリス軍との間で始まっていた。それなのになぜ、このような表現になるのか。まともな日本語ならば次のようになるのではないでしょうか。
―昭和16年(1941年)12月8日、日本陸軍がイギリス領マレー半島に奇襲上陸。また、その1時間あまり後には、日本海軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃。アメリカ太平洋艦隊に大打撃を与えました―
BBCはイギリスの放送局なのに「マレーのイギリス軍攻撃」を伝えず、「真珠湾のアメリカ軍攻撃」ばかり伝えるのはなぜ?
こちらの動画は、イギリスのBBC放送が真珠湾攻撃を伝えたものだそうです。
しかしこれも、マレーのイギリス軍がどうなっているのかについてはまったく伝えていないのです。まるでアメリカの放送のようで、不思議だとは思いませんか?
またチャーチルが聞いた第一報も、マレーではなく真珠湾だったとされています。チャーチルが執事のソーヤーズに「本当です。私どもも外で聞きました。日本はアメリカを攻撃したのです」と言われ、即座にアメリカ大統領ルーズヴェルトに電話した(「第二次世界大戦回顧録」)といいます。「大統領閣下、日本はどうしたのですか?」と聞くと、ルーズヴェルトは「本当です」と日本軍の真珠湾攻撃の情報を肯定し、「いまやわれわれは同じ船に乗ったわけです」と答えたとあります。しかし、日本陸軍がマレーに上陸し、日英戦争が始まったことをチャーチルがいつ知ったのか、またそれをルーズヴェルトに伝えたのかは書かれていないのです。そんなことがあり得るでしょうか。ここは、何かが隠されていると読むべきでしょうね。
前日の7日に日本とイギリスの空中戦が起きている。つまりマレー上陸は「奇襲(前触れのない突然の攻撃)」ではなかった
上記NHKの記事は、マレー作戦も奇襲上陸だった、と書いていますが、事実は「奇襲」ではなく「強襲」でした。山下兵団を乗せて南シナ海を進んでくる日本の大船団のことは、イギリスも察知していました。日本の船団はタイへ進むと見せて、急にマレー半島に向けて南下したのですが、イギリスの哨戒機はこれを発見しているのです。そして12月7日には、日本の偵察機がイギリス哨戒機を撃墜していますが、なぜかイギリスからの反撃はなかったそうです。したがって本当は、太平洋戦争は真珠湾の1時間前よりさらに早く、12月7日のこの空中戦で勃発したことになりますね。
「真珠湾攻撃でイギリスは救われた」(チャーチル)。イギリスはアメリカの参戦を望んでいた
日本の大船団が南下していることや哨戒機が行方不明になっているという情報は、その後どうなったのでしょうか。また、マレー半島に日本軍が上陸したという情報はアメリカに伝えられなかったのでしょうか。もし伝えられていればアメリカは、1時間後にハワイで起こることを予期できたはずですね。
既に2年間、ナチス・ドイツとの戦いに明け暮れていたイギリスは、アメリカが中立を破って参戦してくれることを強く望んでいました。一方、日本では近衛内閣が退陣し、後継の東條首相は昭和天皇から、これまでの諸決定を白紙還元し、対米開戦を何とか回避するよう命じられました。その結果、日本政府は「甲案」「乙案」と呼ばれる対米妥協案を作り、アメリカに提案します。これを受け取ったアメリカは、日本が南部仏印から撤退すれば対日制裁を南部仏印進駐以前の状況に緩和してやる、という方向に傾きかけます。しかしここでルーズヴェルトは、念のため日本の提案をチャーチルと蒋介石にも見せるよう指示したといいます。
もしここで日米の妥協が成立し、アメリカの参戦が遠のいてしまっては困るのがチャーチルと蒋介石ですから、二人とも日本の提案を受け入れることには猛反対します。そして暗転の後、アメリカから日本に示されたのは、これまでの日米交渉を無にするような「ハル・ノート」でした。
アメリカの公文書は大半が機密解除されて、今日では当時の米政府中枢の動きもよくわかるようになってきました。これに対してイギリスは、今なおすべてを公開しているわけではありません。有名な諜報機関MI5・MI6の要員などは、退職後も終生守秘義務が課されているそうで、インタビューには応じません。
そんな中、平成29年(2017)12月8日の産経新聞は
「米英、日本の軍事行動を予測、開戦誘導か ルーズベルト・チャーチル往復電報」
米英、日本の軍事行動を予測、開戦誘導か ルーズベルト・チャーチル往復電報 (1/4ページ)
日本によるハワイの真珠湾攻撃から8日で76年。英国立公文書館が所蔵するウィンストン・チャーチル英首相とフランクリン・ルーズベルト米大統領の往復電報によれば、…
産経ニュース
という記事を掲載しました。イギリス国立公文書館が所蔵するチャーチル・ルーズヴェルトの往復電報には、11月30日、チャーチルが対日譲歩に反対し、米・英合同で日本に対し事実上の宣戦布告をすることを呼びかけたことが記録されていた、というのです、何とかしてアメリカを対日戦争に追い込もうというチャーチルの姿勢が見えるのです。
そうであればチャーチルが、マレー半島に上陸した日本軍のことを心配するよりも、真珠湾攻撃のニュースに快哉を叫んだこともよくわかりますね。まだ日米戦争の行方すらよくわからないこの日、チャーチルは「これでイギリスは救われた」と言ったといいます。
ヒトラーも日米開戦には難色を示していた
チャーチルが最も恐れていたのは、日本が対英戦だけを始めてしまい、アメリカが中立義務を負って参戦を見合わせてしまうことでした。実際ヒトラーは、日本のシンガポール攻略を支持する一方、真珠湾を攻撃してアメリカを戦争に引き入れることには難色を示していたといいます。
またイギリスは、日本軍に関する情報をアメリカに教えなかったといいます。日本海軍がハワイに向っていることもつかんでいたが、アメリカには通報しなかったのだ、という説もあります。イギリスは“真珠湾のだまし討ち”が十二分に成功するよう、アメリカには黙っていた、というのですね。
こう見てくると、マレー半島に日本陸軍が上陸してから海軍がハワイを空襲するまで、1時間あまりの間、チャーチルは早く真珠湾が攻撃されるよう祈っていたに違いありません。もし日本軍がマレー上陸だけ行い、ハワイ空襲をやめてしまっては、イギリス単独でドイツと日本を相手にしなければならなくなるのです。
日独伊三国同盟では「日独伊の一国が侵略を受けた場合、他の2国も参戦」となっており、日本がアメリカを攻撃しても参戦する義務はなかった。なのに、なぜかヒトラーも対米宣戦布告。ことはチャーチルの思惑通り運んだ
ところで、日本を挑発することで日米戦争を起し、それによってアメリカとナチス・ドイツを戦わせようとした、という「ルーズヴェルト謀略説」「チャーチル謀略説」といったものには、一つ問題点があります。日米戦争さえ起せば、三国同盟によって自動的に独米戦争が起きるように思われているようですが、実は三国同盟では、日独伊の一国が侵略を受けた場合には、他の2国も参戦するとしているものの、一国が自分から戦争を起した場合には、他の2国に参戦義務はないのです。実際、ヒトラーが始めた独ソ戦に対して日本は参戦せず、中立を守っていました。したがって、日本が日米戦争を始めた場合、ヒトラーはこれに参戦せず、中立を宣言してしまうこともできたのです。しかし事実は、真珠湾攻撃の3日後、12月11日にヒトラーは対米宣戦布告を行います。これでチャーチルの思惑どおり、ナチス・ドイツはイギリス、ソ連、アメリカという三正面を相手にする戦争に陥ったのでした。
ヒトラーがなぜ対米開戦に踏み切ったかは、今も謎
対英戦も独ソ戦も片付いていないのに、この時なぜヒトラーは対米開戦に踏み切ったのかは、実はいまだに謎となっていて、いろいろに議論されています。日本の真珠湾における「大戦果」に、ヒトラーも幻惑されてしまったのだという説もその一つです。確かにヒトラーは宣戦布告の演説で、「我々は戦争に負けるはずがない。 我々には3千年間一度も負けたことのない味方=日本がいるのだ」などと述べています。
チャーチルやルーズヴェルトは、日米戦争が起れば必ずドイツとアメリカの間に直接戦争が発生すると確信していた
もちろん日本は、ドイツも対米戦争に加わってくれることを希望していました。真珠湾攻撃の前からベルリンの大島大使がその説得に当っていましたが、この大島工作は、スパイによって英米側に漏れていたようです。この情報によってチャーチルやルーズヴェルトは、日米戦争が起れば必ず、ドイツとアメリカの間に直接戦争が発生すると確信していたのかも知れません。
なお、アメリカをも相手にしたことで、ヒトラーはこの戦争がいよいよ最終段階に達したと考えたのでしょう。「ユダヤ人問題の最終解決」を命じます。真珠湾攻撃の翌月、1月20日にはいわゆる「ヴァンゼー会議」が開かれて、ユダヤ人の移送と殺害が決定されたのでした。これもいわば、真珠湾の“副産物”だったのです。
(映画「ヒトラーのための虐殺会議」)
このように考えてくると、真珠湾攻撃の第一報を聞いた段階でチャーチルが「これで我々は勝った」と叫んだのだとすれば、チャーチルは日米戦争が起れば必ず独米戦争が起ると事前に知っていたのではないかと疑わざるを得ないでしょう。大英帝国宰相なのにも関わらず、マレーがどうなるか、シンガポールの防衛をどうするかなど二の次で、日米戦争の発生を喜んでいるのです。
イギリスも「マレー半島のイギリス軍へのだまし討ちで戦争が始まった」と言わず、1時間後の「真珠湾のアメリカ軍へのだまし討ちで戦争が始まった」と言い続けるのはなぜか?
日本軍が宣戦布告なく、いきなりマレー半島を攻撃したことについて、イギリスはアメリカのように「マレー半島のだまし討ち」といったことは言いません。それはなぜなのか。そして日本人が「たとえマレー半島の方が1時間早くても、あの戦争は真珠湾のだまし討ちから始まったのだ」と言い続けるのはなぜなのか。82年にして、まだまだ語られていないものがあるのでしょうね。(ニート太公望)
(編集部より)
日本も、ヒトラーも、チャーチルもルーズヴェルトも、国家(金持ちと政治家)の利益、一部の人間の金儲けのために人々を戦争に駆り立て、命を奪い、民衆に地獄の苦しみを与えてきた。もうそんな時代に終わりをつげなければいけませんね。
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