隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1725.国を救った数学少女

2017年03月27日 | ユーモア
国を救った数学少女
The Girl Who Saved the King of Sweden
読了日 2017/03/27
著 者 ヨナス・ヨナソン
Jonas Jonasson
訳 者 中村久里子
出版社 西村書店
形 態 単行本
ページ数 485
発行日 2015/07/10
ISBN 978-4-89013-724-4

 

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月4日の日帰り旅行に味を占めたか、1昨日もそんなカミさんの誘いがあって、鎌倉への日帰りバス旅行に行ってきた。2-3日前から心配された天候も、どうやら低気圧の通過より高気圧の到来が勝って、朝から割と強い日差しの晴天となった。80過ぎのカミさんの晴れ女ということが証明されたようだ。
木更津駅前を6時15分発という早い時間に間に合わせるため、6時前に起きて朝食は途中のコンビニで、おにぎりとお茶を買い込んで駆けつけたが、我々が最後だったみたいだ。前回と同様バスは袖ヶ浦バスターミナルに向かい、そこで2名の参加者を拾ってから、アクアラインを海ほたるに向かう。
バスは君津が出発点なので、海ほたるで早い人たちのためのトイレ休憩が入るのだ。10分ほどの休憩の後、バスは一路鎌倉に向かってひた走る。

 

添乗員さん 海ほたるにて

 

33名の参加者は前回より4名ほど多く、添乗員の女性もいくらか?若い。 いくら格安とはいえ月に2回も行くのは、経済的にどうかと思ったが、なにしろ我が家の財務相が行こうというのだから、心配しても始まらない。
最初の訪問先の東慶寺から鶴岡八幡宮へと、日帰りの旅は気ぜわしいと思ったが、そんなことなくわずかな余裕も見せながら、観光を味わうこともできた。土曜日で大安ともあって、鶴岡八幡宮では二組の結婚式ともであった。

 

結婚式の二人 鶴岡八幡宮にて

国立劇場の桜

 

食は東京に入って築地本願寺近くの、すしざんまい築地店の寿司だ。格安のツアーだから、店の名前通りに多くを食べられるわけではないが、それでもカミさんと僕は満腹だった。バスを待つあいだ多くの人は築地場外市場へ買い物に出かけたようだが、カミさんの足の具合から僕たちは、行かずにバスを待つ。
今回の売り物だった最後の千鳥ヶ淵の桜もまだちらほらといった具合で、その埋め合わせに回った国立劇場前の桜が、今回の唯一の桜見物となった。少し寒い日が続いたから桜も咲くのが遅れたか。
それでもカミさんはそっちこっちで、せっせとお土産品をあさっていたから、僕の背中の小さなリュックに入りきれないほどで、途中の店で買ったビニールのトートバッグに入れる。帰りのアクアラインは木更津から川崎方面の混雑に比べて、こちらの車線はスムーズに進み、予定通り18時30分前に到着。少し疲れたが、楽しい一日を過ごした。

 

 

発行日が2015年7月となっているから、僕が東京新聞の書籍広告欄で本書を知ったのも、多分その頃だったのだろう。数学に興味のある僕は、その魅力的とも思えるタイトルにひかれて、早い機会に読みたいと思いながら、次々と出版される新作ミステリーにも目を惹かれて、ついつい今頃まで伸びてしまった。
だが、今頃までとはいっても、その今が多数の読者が目を付けているようで、前述のごとく予約を必要としていたのだ。
コピーなどを見ると、本書の著者、ヨナス・ヨナソン氏は、2009年に執筆したデビュー作「窓から逃げた100歳老人」という作品が、世界中で1000万部を超える大ベストセラーとなった、という。
僕は本書を読むまでそうしたことは知らずにいたから、本書は数学に関連したストーリーだとばかり思っていたのだ。まあ、しかしそれは当たらずと言えど遠からずで、少女の持つ数学的な能力は、彼女自身の生活環境を大きく変えていく事になるのだから。アパルトヘイトで世界中から注目を集めた南アフリカの片田舎に生を受けた少女・ノンベコ・マイェーキは、周囲の人間たちが皆文盲という環境の中で、幼いころからし尿処理工場で働き、ひょんなことから持ち前の才能が彼女をそこの所長におしあげてしまうのだった。
その辺がこのストーリーのナンセンス的な面白さで、そうしたところはこの後も随時出てくる。まだまだ僕の知らない国が世界中にあるのだろうが、特にこのアフリカという国の近代文明の行き届かない国の面白さ可笑しさは、時に恐怖の的ともなる。

 

 

フリカを舞台としたストーリーは以前、アレグザンダー・マコール・スミス氏の「No.1レディース探偵社 本日開業」という作品を読んでいるが、主人公はポツワナのミス・ラモツエという、大柄な腰の据わったアフリカ女性が主人公のミステリーだ。もちろん僕はその内容はすっかり忘れたが、シリーズはテレビドラマになって、スカパーのLaLaTVで放送されたのを見た。
それに対して、こちらはあまりにも世界中の実在の政治家や著名人が、実名で登場して歴史に残る事件などもそのままに描写されているから、多分映像化は無理だろうと思う。
現実の時代の流れの中に、巧みにフィクションを織り交ぜているから、もしかしたらこのノンベコ・マイェーキなる少女がいてもおかしくないと思わせたりするのだ。

僕はこの本を読み終わって、今、とても幸せな気分でいっぱいだ。元来僕は食わず嫌いのところがあって、ユーモア小説なるものに全く興味がなかった。食わず嫌いというよりは、中途半端な知識しか持ち合わせていないから、否ちょっと意味合いが違うか。本能的に興味が持てないものには食指が動かないものだ。
まあ、そういったところだろう。だが、本書はまさにそのユーモア小説の最たるものだった。
前述の通り、本書の発行が2015年となっているから、多分僕はその年の7月かあるいは6月、ことによったら8月の、東京新聞の広告欄で本書のことを知ったのだった。“数学少女”という文字に興味を惹かれて、何年か前の数学ブームを思い浮かべたのだ。
大して数学の知識が優れているわけでもないのに、僕は数学に興味があって、もう少し高校の時の授業を真面目に聞いておくべきだったと、卒業後何年もたってから思うことになるのだが。 何しろ僕にとっては謎に満ちた数学は、まさにミステリーそのものではないか、とそんな気がするのだ。
少し思惑とは異なるストーリーだったが、面白く楽しい読書のひと時を過ごすことが出来た。

 

 

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