絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ギリシャ5

2016-02-25 | 美術史クイズ
ギリシャ美術を勉強する場合、私が生徒たちに必ずお話しすることの一つは、
建築の柱の形です。

ギリシャの初めをアルカイックからお話ししましたが、その前に都市国家が成立する前に、
北からドーリア人、イオニア人、コリント人という人たちがギリシャのバルカン半島に押し寄せて来ます。

その人たちの名前を取って、柱の形もドーリア式(ドリス式)、イオニア式、コリント式というものがあります。



ドーリア式(ドリス式)は、アテネのパルテノン神殿で使われています。極めてシンプルな形です。

イオニア式は、髪の毛をクルッと巻いたかのような形です。私の旅行先で言えば、ロンドンの大英博物館の入り口で使われていました。

コリント式は、植物の草のような上に開いた形です。ローマのパンテオンがこれです。



もっと面白いのは、ローマのコロッセオです。
一階は、ドーリア式、二階は、イオニア式、三階は、コリント式です。
この三つがそっくり使われているので、面白いです。


今度ローマに行かれたら、それを確認してみてください。

因みに、4階は、イオニアとコリントを混ぜたようなコンポジットと言われる形になっています。
ここまで知っていると、ツーですよ。

これらの柱頭は、いろいろな建築で使われていますから、ヨーロッパを旅する時には、柱頭に注目してみるのも面白いと思います。








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加須のIさん 10号水彩風景

2016-02-23 | 通信指導
加須のIさんが、私が取材した神流川の風景を描いてくれました。
先日、構図の研究でご紹介したところです。



まだ、途中ですが、なかなか良く描けています。
透き通るような空気がいいですね。

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千葉のSさん 石膏デッサン模写続き

2016-02-22 | 通信指導
千葉のSさんが、石膏デッサンの模写をまだ続けてくれています。
凄い粘りです。

これは、考えてみたら、ヘルメスでした。
ここまで、追究してくれました。初めて描いた石膏デッサンですから、凄いですよね。

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ギリシャ4

2016-02-22 | 美術史クイズ
ギリシャについて3回記載しましたが、ここまでのまとめと補足を書いてみます。


ギリシャの歴史は、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1、アルカイック    BC 800~BC 500 彫刻が笑っている
                     日本の弥勒菩薩への影響

ーーーーペルシャ戦争ーーーー

2、クラシック     BC 500~BC 336  プラクシテレス ビーナスを裸、ヘルメス像
                     フェイディアス パルテノン神殿、女神アテナ

ーーーーアレキサンダーの東方遠征ーーーー

3、ヘレニズム     BC 336~BC 30   ミロのビーナス、
                      サモトラケのニケ、
                      ラオコーン

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

補足

ペルシャ戦争は、正確には、BC 499年からです。三回の戦いがあったので、大きな戦争としては、
BC 480年に終わります。しかし、小さな小競り合いはたくさんあって、正式に終わるのは、BC 449年とのことです。だから、実質50年間戦われました。

頭に入れるのに、ざっとBC 500年と覚えておくと良いという意味でご紹介しました。
美術史を学ぶのに、そこまで細かく覚えなくても良いと思ってのことです。

これ以外の知識は、出てくる度にこの表と照らし合わせて、考えると良いと思います。

例えば、哲学者で、アリストテレスという人がいます。その人はアレキサンダーの家庭教師でした。そうするとこの表では、アレキサンダー東方遠征の辺りとわかります。
プラトンは、それより40歳上、ソクラテスはそのまた40歳上と覚えると、わかりやすいです。
ピッタリ40歳ではありませんが、大体そのくらいなのです。三人の哲学者はそれぞれ40歳づつくらいの差なのだと。
だから考える時、ソクラテスがアリストテレスと議論したとかは、あり得ないだろうなあと思います。

ギリシャとペルシャの停戦の講和は、あの有名なペリクレスでした。
フェイディアスにパルテノン神殿を作るように命じた人です。

ーーーーーーー
ヘレニズムの終わりは、プトレマイオス朝のクレオパトラの死で終わると覚えると良いでしょう。それ以降は、ローマの文化になります。
ーーーーーーー

問題です。

1、ヘレニズムの終わりは、いつ?

2、アレキサンダーの家庭教師は誰ですか?

3、ペルシャ戦争は、実質は何年間続きましたか?

4、アリストテレスはソクラテスの弟子である。○か×か?




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ギリシャ3

2016-02-21 | 美術史クイズ
ギリシャの三回目です。

最後は、ヘレニズムです。
このヘレニズムという言葉は、言い換えると、ギリシャイズムと言われます。
ギリシャ神話には、ヘレネという絶世の美女が登場します。その人の名前そのものがギリシャという意味なのです。

ヘレニズムとは、ペルシャとギリシャの文化が混ざったということを意味します。
だから、ペルシャにとってギリシャ文化が入ってきたという意味ではないでしょうか。

これは、何によって起こったかと言うと、アレキサンダー大王が東方遠征をして、ペルシャを制服したことによって起こりました。

だから、覚え方としては、クラシックとヘレニズムの間に起った事件は、アレキサンダーの東方遠征と覚えましょう。

アレキサンダーの東方遠征は、BC336年と覚えたので、その頃が境目と考えてください。

では、そのヘレニズムの代表的な彫刻ですが、三つ有名なものを覚えましょう。
一つは、ミロのビーナスです。これは、誰もが知っているものですね。エーゲ海のミロス島で発見されたので、そう呼ばれます。
誰が作ったのかは、わかりません。手がどうなっているのか、見つかっていません。発見されたときは、大きく4つに割れていたそうです。
現在は、フランスのルーブル美術館にあります。発見当時は、発見した国が持ち帰って良いことになっていたので、今パリのルーブル美術館にあるのです。

二つ目は、これも有名ですが、サモトラケのニケです。やはり、ルーブル美術館にあります。階段の踊り場に立っていて、とても見事です。
頭が発見されていません。腕もありませんが手だけが発見されました。発見当時は、胴体だけで120個くらいに壊れていたそうです。
それをパズルの如くくっつけてみたら、今の形になりました。船の先端に舞い降りた勝利の女神だそうです。
海の水しぶきを浴びて衣服は体に張り付いています。風にあおられてなびいています。
因みに、ニケは、NIKEと書きますが、スポーツメーカーのナイキがこれを使っています。
そのメーカーの靴を履くと、勝利の女神がほほ笑むということから、名前を取ったようです。
発見場所は、エーゲ海のサモトラケ島です。黒海へ入っていく入口に近い方です。


三つ目は、ラオコーンです。両脇に子供たちがいて、一緒に蛇に絡まれた像をご覧になった方も多いと思います。
トロイ戦争の木馬の計を見破り、中に人がいることを知らせようとして、神に叱られて死刑にされたのがこのラオコーンです。
発見されたのは、ローマらしいです。時代はルネッサンス。ミケランジェロもこれを見たとどこかで読んだ記憶があります。
現在この像は、バチカン美術館にあります。


ーーーー
では、問題です。

1、ヘレニズムとは、言葉の意味は何ですか?

2、どことどこが混ざった文化ですか?

3、何がきっかけで、クラシックからヘレニズムになりましたか?

4、ミロのビーナスは、現在どこの美術館にありますか?

5、サモトラケのニケは発見当時胴体だけでいくつくらいに壊れていましたか?

6、サモトラケのニケは、何の女神ですか?

7、ラオコーンの発見された場所はどこですか?

8、ラオコーンは、現在どこの美術館にありますか?

9、ラオコーンは、なぜ殺されましたか?

ーーーーー







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