絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ジャンヌダルクと自由の女神

2009-11-27 | 美術
ジャンヌダルクと自由の女神を混同している人はいませんか?

実は、私は同じ人かと思っていました。
あの民衆を率いる自由の女神の絵を見て、フランス革命の絵だと思ったり、自由を獲得したということが、100年戦争を勝利に導いたジャンヌダルクと印象がダブルので、ジャンヌのことを女神に例えて描いたのかと思ったりしていました。

しかし、どうも調べてみると全く関係がないようで、勘違いだったことがわかりました。

ジャンヌダルクは、フランスとイギリスの100年戦争を終わらせた女性です。確か19歳じゃなかったかな?そんな少女のような女性がどうして?と思いますよね。しかし、彼女の勇気がフランス軍に力を与えて、戦況を変えたことは史実のようです。後に、魔女ではないかと疑われて、火刑になってしまったのですが、私はイギリスで火刑になったのかと思っていました。調べたところ、フランスのルーアンの大聖堂の前なのですね。驚きました。ルーアンの大聖堂と言えば、モネが連作をした絵で有名です。へええ、あそこだったのかと認識を新たにしました。

では、自由の女神は?あのドラクロアの絵は7月革命の時の様子を象徴的に描いているらしいです。本当の自由を獲得したことを示したかったのでしょうか。
自由の女神については、以前書きましたよね。覚えていますか?
アメリカ独立100周年の記念にフランスから贈られたものでした。内部構造をエッフェル塔を作ったエッフェルが担当したという話をしたと思います。そして、自由の女神像は、セーヌ川の中州にもあるとお話ししました。そうしたら、それは、フランス革命100周年の記念にフランスに住むアメリカ人が寄付をして作ってくれたものでした。それは、今回調べてみて初めて知りました。
また、日本におけるフランス年の時に、この像がお台場に来ていました。その後、東京にもそのレプリカが作られて、今立っているそうです。また、奥入瀬にも自由の女神があるそうです。これも初めて知りました。

もっと、余談ですが、その自由の女神が来ていた時、その代わりと言っていいのかわかりませんが、日本から法隆寺の百済観音像がパリに行っていたそうです。私は、全国大会で奈良へ行きましたが、それがパリに行っていたため見られませんでした。その年の冬にパリに行きましたが、その時は、もう日本に帰ってしまったそうで、やはり見られませんでした。百済観音に会えそうで会えない年でした。


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