絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

麓原会

2009-09-16 | 美術
麓原会とは、本庄市を中心に活動している絵画団体である。

この会は、古川弘先生を中心に、本庄市児玉郡に住む4人の画家たちで発足した。古川先生と言えば、日本でも有名な水彩画家である。亡くなって、33年が経つが、先生が遺してくれたこの会が今でも続いている。

そして、この会は、年に一回公募展を開く。11月3日の文化の日を入れて、その前後の日曜日を含めて開催される。

規模としては、一般の出品が多い時で、150名くらいなので、どこかの市展くらいであるが、どこから出品しても構わないので、全国展と言ってもいい。もっと言えば、世界のどこから出品してもいいのだから、世界展と言っても間違いではない。

このような展覧会を地方で開いているのは、珍しいと聞く。
大抵は、全国展を開いている会の地方展という形で、~会支部展という形だという
。または、~市展という形である。
本庄市は、麓原展があるために本庄市展にならなかった。市展を開くまでもなく、それに該当するものができていたからである。

先に述べた古川弘先生は、白日会という会に所属し、日展にも出品され、日展の審査員にもなられた素晴らしい先生である。だから、初めは、その弟子たちもみんな白日会に出品したらしいが、その内、違う会に出品する人も参加してきて、今では、かなりいろいろな会に所属している人がいる。会員、会友を合わせると今は、60人いる。

だから、地方にこのような会があることは、珍しいのだと聞いた。

ーーーーー

会の発足は、戦後の混乱期で若者がやる気を失って、意気消沈していた時に、元気を取り戻そうと、絵を通じて本庄児玉に文化の灯をともせという意味で、始めた会だったと聞いた。
その意味では、麓原会は、大きな役割を果たして来ただろうと思う。

日展に水彩画で入選する人は、約30名くらいである。そんな中に、麓原会の人が4人も含まれていたことがある。3人は常に常連だったから、或る意味で、その日展の水彩画を支えていた会でもあった。

現在、私もその会に入れていただき、活動しているが、私の生徒たちも大変お世話になった。本庄第一高校の美術部が発展したのは、この麓原会のお陰である。

私が、生徒たちに本格的な水彩画を指導できるのは、この古川先生から教えていただいたことが大きいのである。



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2 コメント

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Unknown (吉田信解)
2013-01-05 23:25:51
先生あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
麓原展の由来を詳しく教えていただき有難うございます!
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吉田信解さま (pikaso)
2013-01-06 11:08:29
コメント有難うございます。

市長さんからコメントをいただけるなんて、感激です。
今年の十大ニュースになりそうです。

昨年の麓原展でお会いして以来、ご無沙汰しています。
宿題を頂いていたのに、未だお答えできずにすみません。
これを見ていただいたということは、その解答の一部はご覧いただいたことになりますが、もう少し麓原会の歴史的存在意義をお話しさせていただきたいと思っております。
近いうちにまとめて提出いたしますので、よろしくお願いいたします。
有難うございました。

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