絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

裸婦デッサン

2012-06-09 | 私の絵
今日は、麓原会の月に一度の裸婦デッサン会でした。



前回と同じポーズでやるため、ほとんど同じデッサンになりましたが、前回は頭が少し大きすぎたので、その点を気を付けて描きました。20分の6ポーズでした。丸二時間で描いたことになります。
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アイデンティティとマンネリ

2012-06-09 | いろいろ
「あの人はあんな絵ばかり描いている」と言われることがある。

ワンパターンを皮肉って言った言葉のように聞こえる。しかしそれは、その絵を見てあの人の絵だとわかることであり、よく言えばアイデンティティがあるということである。

私は、初めて見た絵を、「あっセザンヌの絵だ」と思ったことがある。初めて見た絵をセザンヌだとわかるということ。それは、私がすごいのではなく、セザンヌがすごいのだ。
セザンヌというアイデンティティがあるのである。

アイデンティティとは、自己同一性というような訳し方をされる単語だが、簡単に言えばその人の個性だろう。その人の特徴である。一つの特徴であるが、セザンヌの場合は、それがどの絵にも一貫して出ている。

だから私は絵を指導する場合、一つのテーマを決めたらそれを連作することを勧める。
できれば、展覧会に出す場合もできれば3回くらいは続けて同じテーマで出すように勧める。
そのことによって、今はそのテーマで追究しているということを示すのである。

しかし、あまり何年も同じものを描き続けていて、進歩がない状態でいると、マンネリという言葉が付いてくる。常にレベルの高い絵ならマンネリとは言われない場合もあるが、やはり、同じものばかり描いていると、言われかねないと思った方がいい。

県展を見てきたが、雪景色で有名な塗師先生が緑の風景だった。風景画で有名な川村先生がリンゴの静物画であった。あんなすごい先生でも、テーマを変えている。
見る我々にしても、そうした絵を見せていただく方がうれしい。

また、名前は覚えていないが、自画像でいい絵を描く人がいる。そう思って探したが、今年はなかった。おそらく自画像ではない絵を出したのだろう。なぜなら委嘱だから出さないわけがないと思うからだ。
しかし、そのように見ることがあるのだ。ということは、展覧会の場合は、ある程度続けて同じテーマで出してもらった方が、覚えてもらうにはいいのかなと思ったりする。あの人の人物画が見たい、今年はどんな絵を見せてくれるかなという期待があるのだ。

そういう私は昨年雪景色で賞をもらったが、今年は人物を出している。
雪景色を探した方は、私の絵が今年は見つからなかったかもしれない。あの雪景色をもっと見たいと思ってくださった方には申し訳ない。しかし、セザンヌではないが、雪景色でも人物でも私の絵だとわかってもらえるようなアイデンティティが出ればいいのだと思う。マンネリにならず、アイデンティティのある絵が描けるようになるといい。









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ピカソさん!

2012-06-09 | 日記
昨日、突然「ピカソさん」と声をかけられた。

このように呼ばれたのは初めてである。
私の名前を知らないのか、忘れたのか、とっさには出てこなかったのか?

そう呼んでくれたのは、セルディーでよくお会いする方だった。
おそらく職員の方だと思うが、私は無頓着でお名前も知らなければ、役職さえわからない。もともと覚えようとしないのだからしかたがないが。しかし、何度も頭を下げる程度の挨拶はしている。

その方も、私が「ピカソがライバル」を書いたことを知っていて、その印象の方が私の名前よりも強いのだろう。

私が「ピカソがライバル」を書いたのは、内容としては生徒たちがピカソのライバルのつもりだったが、いつの間にか自分もその気でいる。
そして、昨日「ピカソさん」と呼ばれて、悪い気はしなかった。
もちろん、私が本当にピカソをライバルだと思っている訳ではないが、そういう気持ちで頑張るのは、良いのではないかと思う。




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