「あの人はあんな絵ばかり描いている」と言われることがある。
ワンパターンを皮肉って言った言葉のように聞こえる。しかしそれは、その絵を見てあの人の絵だとわかることであり、よく言えばアイデンティティがあるということである。
私は、初めて見た絵を、「あっセザンヌの絵だ」と思ったことがある。初めて見た絵をセザンヌだとわかるということ。それは、私がすごいのではなく、セザンヌがすごいのだ。
セザンヌというアイデンティティがあるのである。
アイデンティティとは、自己同一性というような訳し方をされる単語だが、簡単に言えばその人の個性だろう。その人の特徴である。一つの特徴であるが、セザンヌの場合は、それがどの絵にも一貫して出ている。
だから私は絵を指導する場合、一つのテーマを決めたらそれを連作することを勧める。
できれば、展覧会に出す場合もできれば3回くらいは続けて同じテーマで出すように勧める。
そのことによって、今はそのテーマで追究しているということを示すのである。
しかし、あまり何年も同じものを描き続けていて、進歩がない状態でいると、マンネリという言葉が付いてくる。常にレベルの高い絵ならマンネリとは言われない場合もあるが、やはり、同じものばかり描いていると、言われかねないと思った方がいい。
県展を見てきたが、雪景色で有名な塗師先生が緑の風景だった。風景画で有名な川村先生がリンゴの静物画であった。あんなすごい先生でも、テーマを変えている。
見る我々にしても、そうした絵を見せていただく方がうれしい。
また、名前は覚えていないが、自画像でいい絵を描く人がいる。そう思って探したが、今年はなかった。おそらく自画像ではない絵を出したのだろう。なぜなら委嘱だから出さないわけがないと思うからだ。
しかし、そのように見ることがあるのだ。ということは、展覧会の場合は、ある程度続けて同じテーマで出してもらった方が、覚えてもらうにはいいのかなと思ったりする。あの人の人物画が見たい、今年はどんな絵を見せてくれるかなという期待があるのだ。
そういう私は昨年雪景色で賞をもらったが、今年は人物を出している。
雪景色を探した方は、私の絵が今年は見つからなかったかもしれない。あの雪景色をもっと見たいと思ってくださった方には申し訳ない。しかし、セザンヌではないが、雪景色でも人物でも私の絵だとわかってもらえるようなアイデンティティが出ればいいのだと思う。マンネリにならず、アイデンティティのある絵が描けるようになるといい。