goo blog サービス終了のお知らせ 

絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ミケランジェロは右利きじゃないかな?

2009-08-27 | 美術
先日のブログで、ミケランジェロも左利きだったとつきおよしおさんが言っていたと紹介しましたが、どうも私には、右利きとしか思えません。

それは、ミケランジェロのデッサンの線が、右上から左下への斜線が多いからです。影の線を描くときの斜線は、もし左利きの人が、右上から左下への線を引けば、下へ膨らむのですが、上に膨らんでいるので、完全に右利きの特徴が出ています。

私は、右利きだと思います。

みなさんは、どう思いますか?つきおよしおさんに聞いてみたいです。

つきおよしおさんという人は、東京大学名誉教授という紹介でした。毎週木曜日にTBSラジオの森本さんのスタンバイで、日本全国8時ですに出ている方です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天井壁画のつづき

2009-08-27 | 美術
もう一歩、詳しく知りたい人のために、少し付け加えます。

実は、ミケランジェロはこの天井画の前に、ユリウス2世のお墓を作るように依頼されていました。そして、そのために、石切り場に8ヶ月滞在して、ふさわしい石を切り出していました。

それは、かなりの量で、実は、彫刻を40体作る計画だったのです。しかし、それが、中止になってしまいました。

生きている内にそんなものを作るのは、良くないとブラマンテが言ったとか?
とにかく、ミケランジェロが嫌いだったブラマンテが邪魔をしたことは確かです。

それで、無理難題の天井画を描かされることになったのです。

ーーーーーーーーーー
一応、そのお墓の計画の一部として、後にモーゼ像だけは完成します。
今は、モーゼ像はローマのサンピエトロインビンコリ教会にありますが、元々はユリウス2世のお墓の一部として作られたものでした。



ーーーーーーーーーー
天井画の足場の話ですが、初めはある建築家に足場を組んでもらったという話があって、わざと壊れるように作られていて、ミケランジェロはそのために落ちてけがをしたという話があるのです。しかし、その場合、あの足場では落ちたら死にますよね。その時の足場とはどういうものだったのか、ちょっと分からなくなりました。下から足場が組まれていて、その途中から落ちたなら、理解できるのですが。
ーーーーーーーーーー
それにしても、あの足場では、絵が見えませんね。ミケランジェロはどうやって全体を見たのでしょう?描いている途中で、全体が見えないとどのようにできているのかわからないですよね。

実物大の下絵を作って、紙を当てて、線の上に穴を開けて、その穴から粉をぶつけて、点線の形をとり、それを頼りに描いていくわけですが、それにしても全体が見えなければ、やりにくいです。

ーーーーーーーーーー
ミケランジェロが描いてから、50年後くらいに壁の一部が剥がれました。
そのため、修復が行われましたが、それが今回の修復ではっきりわかる部分があります。それは、ある人物の腕の部分から色が変わっているからです。

実は、50年間のろうそくや油の煤が天井に着いていて、その煤の汚れに合わせて描いたため、汚れた色になっているのです。だから、他の部分は汚れを取ると、綺麗になるのですが、その部分は、綺麗になりません。
その修復をした人の技術も大したものでしたね。

ーーーーーーーーーー
ノアの洪水の部分の壁が壊れて落ちています。
それは、近くの火薬工場が爆発を起こしたときに、その衝撃で落ちたのだと言われています。
ーーーーーーーーーー
アダムの誕生の絵は、印象に残る絵ですが、描かれた当時もかなりの注目の的だったようです。なぜなら、神の顔が描かれているからです。
キリストの顔は多くの画家が描いていますが、神様の顔はなかなか見たことがないでしょう。私も他の人が描いた神の顔で印象に残っているものがありません。

だから、ミケランジェロの描いた神の顔は、衝撃が強いです。



神は、自分の姿に似せて人間を作ったということになっていますよね。だから、神は我々人間と同じ形をしている筈だということは分かりますが、それにしてもどんな顔をしているかは、誰も見たことがないのです。だから、どんな顔を描くかという点が注目されました。
ーーーーーーーー
また、この絵は、アダムと神との関係が指先が触れあうような触れあわないようなという微妙な関係で描かれています。ここに現れる緊張感は、鋭角三角形と円が作る空間の緊張感に似ていると現代の抽象画家が述べていました。
ーーーーーーーー
また、アダムにへそがあるのは、おかしいなんて言う人もいます。
へそとは、母親とつなかっているのだから、神様が泥んこ遊びで作るときには、へそは必要ないはずだという意見です。どう思いますか。

ーーーーーーーー
12人の人が周りに描かれていますが、その内の一人は、ユリウス2世の顔が使われているものがあります。


ーーーーーーーー
また、巫女の絵を描く時も、ミケランジェロは、とにかく男をデッサンして、それを元に、女性に変えて描いたということです。あの筋肉は男を描いたからだと。



レオナルドと同様に、同性愛の噂もありますね。

実際に、男性に対して恋文も送っていたようです。
60歳から72歳のときに、ある修道女に恋をしていますから、単なる同性愛ではないでしょう。男にも女にもすごいものに憧れる人だったと理解した方が良いかと思います。
ーーーーーーーー

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミケランジェロのエピソード

2009-08-27 | 美術
ミケランジェロのエピソードを紹介します。

1、ダビデ像の逸話

  石切り場から運ばれて、フィレンツェの街に置かれていた形のおかしい石がありました。形が歪だったために、誰もこの石を彫刻にすることができないので放置されてあったのです。
  しかし、そこへ通りかかったミケランジェロがそれを聞くと、「この中にダビデがいるじゃないか」と言いました。
  すると、それを聞いた人々が「そんな生意気なことを言うなら、お前彫ってみろ」と言ったため、これを作ったと言われます。

  一説には、この石は他の彫刻家が途中まで彫っていて、上手くいかないで放置してあったので、誰も作りたがらないで置き去りになっていたともいわれます。

とにかく、こんな凄い作品を完成させてしまいました。

すると、どうにも悔しいのでなんか文句をいってやろうと、クレームをつけた人がいました。「ダビデにしては、鼻が高すぎるんじゃないか」と。

ミケランジェロは、それに対して、言い返さず、梯子をかけて登っていき、鼻を削る動作をしました。しかし、鼻には全く触れません。そして、登る前にそっと掴んでいった石の粉を少しづつパラパラと巻きました。
そして、降りて来て、「これで、どうでしょうか」と尋ねました。
すると、その人は、「うん、さっきよりずっと良くなった」と言ったそうです。

身分の違いで、逆らうことのできない人だったのでしょうか?
それとも、わざと、嘲笑うためにやったのでしょうか。
とにかく、芸術家の意地も感じますね。言われたからと言ってやり直す訳ないじゃないかということです。

ーーーーーーーーーーー
2、ミケランジェロは、頑固で生意気

若い時に、友達の彫刻を酷評して、友達から殴られています。
そして、鼻の骨を折りました。そのためミケランジェロの肖像画や彫刻を見ると、鼻が凹んでいます。それは、そのときの骨折です。

ーーーーーーーーーーー
3、ミケランジェロは、レオナルドを馬鹿にしていました。

レオナルドは、絵しか描けないじゃないか。絵だけなら女でも子供できるぞと。
それは、男なら彫刻をやるもんだと言ったのです。今では、画家の方が威張っている感じがしますが、当時は彫刻こそ男の仕事という感じで画家より、威張っていました。
しかし、そんなことを言っても、ミケランジェロは、レオナルドが描いた絵を模写したりしていたようです。それを見つけたラファエロが、言っていることと違うと言って、笑ったとか。なんだかんだ言っても認めているんだなと。

ーーーーーーーーーーー
4、ミケランジェロの先祖

あるとき、友達がいろいろ調べたらミケランジェロの先祖はマチルダ夫人だと教えてくれました。マチルダ夫人とは、カノッサの屈辱のとき、グレゴリウス7世とハインリッヒ4世の間に入って、ハインリッヒ4世の破門を解いてあげた人です。

それを聞いたミケランジェロは喜び、みんなに言いふらしたといいます。良く調べると、どうもその話は怪しいのですが、ミケランジェロは死ぬまでそのことを信じていたそうです。
ーーーーーーーーーーー
そんなことを、言わなくても、ミケランジェロ自身がそれ以上に凄いのにね。

ーーーーーーーーーーー
5、サンミニアートが日本で使われいる。

ミケランジェロは、フィレンツェが共和政を望んで戦った時、メヂチ家の敵側に加わりました。そのときに、作ったのが、サンミニアートという要塞です。これは、フィレンツェのアルノ川を挟んで反対側の丘に作りましたが、この形は日本で北海道の五稜郭のデザインで使われています。

ーーーーーーーーーーー
6、半年隠れていた。

戦いに敗れた共和政側は、ほとんどが死刑になりました。
しかし、ミケランジェロは隠れて、命拾いをしました。その隠れた場所が、最近わかりました。
現在のメヂチ家礼拝堂の地下です。

サンロレンツォ教会の下に地下がありますが、最近観光客が増えたので、流れをよくするために、通路を作ろうとして、地下を改造しようとしたら、ミケランジェロのデッサンが壁に描かれているのを発見したのです。
ミケランジェロはここに隠れていたんだと分かりました。

井戸があったので、なんとか生き伸びたようです。半年くらい隠れていました。
見つかって、出て来た時、命を助けたのは、クレメンス7世でした。

子供時代から一緒にメヂチ家で育ったのです。そのために助かりました。
とにかく、言われた仕事をするように言われました。

クレメンス7世とは、神聖ローマ帝国が攻めて来た時に、サンタンジェロ城に隠れて、スイスの兵隊が最後まで一緒に戦ってくれたため、今でもバチカンを守る兵隊はスイスの若者に限定されているという話をしたときに紹介した法王です。

ミケランジェロに最後の審判を描くように命じた人としても有名です。
命じて、ミケランジェロが仕事を始める直前に亡くなってしまいましたが。

ーーーーーーー
そのクレメンス7世のお陰で、命拾いをした訳ですが、一緒に戦った仲間がみんな死刑になったので、その後のミケランジェロがどのくらい仲間に対して済まない気持ちで生きたかは測り知れません。
ーーーーーーー
そういった、苦悩をかかえながらの人生になったのです。
だから、奴隷をつくったのも、そうした苦悩の現れだったかもしれません。
ーーーーーーー
7、天井壁画で、フレスコの先生たちを首にした。

これは、既に、お話しましたから、省きます。

ーーーーーーー
8、ダビデ像設置委員会のエピソード

ダビデ像をどこに置くかという委員会が開かれた時、レオナルドはシニョーリア広場のロッジア、つまり屋根の下がいいと言ったが、ミケランジェロは彫刻は青空の下に置くものだと言って、市庁舎の前を主張した。

ここでも、レオナルドを馬鹿にする発言をしたのです。

まだまだ、いろいろありますね。調べてみると面白いですよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする