絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

最後の晩餐のつづき

2009-08-24 | 絵のこと
もう一歩詳しく知りたい人のために、
最後の晩餐の続きを書きます。

私が、最後の晩餐を見たのは、一度きりです。もう13年前になります。
美術部の生徒13人を連れて、イタリア4都市を周ったときでした。

サンタマリアデレグラッツェという名前は、マリアさんありがとう教会と覚えると、忘れないかな?と思います。

この時は、まだ予約制ではなかったのかもしれません。とにかく朝早く行って並びましょうと添乗員さんから言われて、早々と行った記憶があります。
ほとんど、私たちが一番でした。

そのあと、長蛇の列ができたので、早く行って良かったと思いました。

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この教会は、赤いレンガ作りで、正面から見ると、三角形の屋根が付いています。
中央は円柱のクーポラがあります。
最後の晩餐は、その左側の建物で、教会とつながっています。

私たちは、時間まで待たされた後、私たちより数人の早く来ていた人の後で、入りました。人数制限をしているらしく、前の人たちが動かないと中に入れません。

まず、ガラスのエレベーターのような箱に入って、前の人たちが移動するのを待ちます。移動したら、そのガラスの箱が開いて、中に入れます。

私が見たときは、まだ修復の途中でした。右半分が終わって、左半分がまだでした。途中だったので、修復された部分とまだの違いが分かりました。
まだの部分は、黒ずんでいました。

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実は、この部屋は、本来は食堂でしたが、画学生の勉強の場になったと言いましたが、戦争中は馬小屋でした。絵の下に入口のようなものがあるのは、馬の出入り口だったそうです。兵隊たちは、絵に石を投げつけたりしたそうです。
大変な酷い扱いを受けましたね。

また、絵の反対側の壁には、キリストの磔刑の絵が描かれています。
ゴルゴダの丘で磔刑になった状態が描かれています。
二人の盗賊と一緒に磔になったのですが、一人は、キリストを罵っています。
「お前が神様なら、早くこの状態から抜け出せばいいじゃないか」と言ったとか。
もう一人は、キリストは神様だと信じて、やすらかに死んだという話です。

ダビンチコードでは、キリストは磔になったけれど、死んではいなかった。
仮死状態だったのをロンギヌスが槍でつついても反応がないので、死んだと判断して、キリストを引き取りたいというヨハネに渡したという話になっています。

磔のとき気を失うと、着付け薬のように酢のようなものを嗅がせることをしたそうですが、その薬が酢ではなく、ある特殊な薬を使って死んだように見せかけたという話なのです。果たして、真実のほどは分かりませんが、そのためキリストは死んでいなかった。だから、ヨハネはキリストを墓に運んで、埋葬したことになっていますが、3日後に復活したというのは、死んでいなかったからだというのです。

この話を聞くと、死んでから3日後に復活したという話より、リアリティがありますよね。

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本来は、磔になった人はそのまま放置して置くべきなので、おろしてはいけないのですが、相当な賄賂を使って許可を得たのではないかと思います。

ここでいう、ヨハネとは洗礼者ヨハネではありません。

洗礼者ヨハネは、ヘロデ王とその妃を批判した罪で、つかまり、その娘のサロメの踊りのご褒美に首を切られています。

サロメが上手に踊ったら、何でも褒美にやろうとヘロデ王が言ったので、サロメは踊りの後、母親と相談して、ヨハネの首がほしいと言ったのです。


なぜ、そのようなことを言ったかというと、サロメはヨハネに恋をして振られたからなのです。振られた腹いせに死刑を望んだのです。

ヨハネが批判したのは、ヘロデ王が兄を追い出し、その妻を自分の嫁にしたからで、ヘロデと妃を批判しました。だから、サロメの母もヨハネを憎んでいました。
このことは、19世紀の画家モローが描いています。

この絵は、左がサロメです。光を放っている首がヨハネです。首を持ってきたら、サロメの前で、空中に浮き上がり、光を放って、この後、空に飛んで行ったという話です。
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サンタマリアデレグラッツェ教会のこの食堂は、戦争で壊れましたが、最後の晩餐とその反対側のこの磔刑の絵は、壊れないで残りました。真中が屋根が落ちて、完全につぶれたのに前後の壁が無事だったのは、良かったですね。
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15人づつ前の絵と後ろの絵を見学し、15人が出ると、次の15人が入るという感じで、見学をしていました。

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テンペラという技法は、正式にはフレスコセッコと言います。
セッコ技法と書いてあるものもあります。

ガイドブックにフレスコと書いてあるものがありますが、このセッコを省いて書いたものです。それでは、正式なフレスコ画と勘違いしますよね。

正式なフレスコ画は、ブオンフレスコと言います。

ブオンとは、ボンジョルノというイタリア語の「こんにちは」のボンの部分です。

良いとか、正式なという意味を持ちます。

英語はグッドモーニングですよね。そのグッドに値します。

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ミラノはレオナルドが30歳から47歳までやく18年間過ごした場所です。
この最後の晩餐は、43歳のときから2年間で描きました。

最近の研究では、この絵の中に、音楽が隠されているという話まで出て来ました。
弟子たちの手とパンの位置だったかな?それを音符にしてみると、右から弾けば音楽が出てくるというのです。

また、その形をつなげて、テーブルのラインで上下に回転させると壺の形になって、聖杯が隠されているという話まで、出て来ました。いよいよ面白くなってきましたね。まだまだ、いろいろな説がありそうです。

今後の研究が楽しみですね。

追加します。
ロンギヌスの槍と言いましたが、ロンギヌスは目が悪かったのです。しかし、このとき、つついて飛び出したキリストの血が目に入り、目が治ったのだそうです。

この槍もキリストの聖遺物として、貴重なもので、それをヒットラーが持っていたとかいう噂も出ています。

因みに、レオナルドが住んでいたのは、この教会の道を隔てて、右側の白い建物です。ここで、母カテリーナと2年間過ごしたようです。



コメント (1)
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