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絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

バスケットの思い出18

2009-12-04 | 思い出
準決勝は、予定通り上里でした。
これで、3度目の戦いです。私たちは東高校の大会で、上里には大差で勝ちました。そのため、もう本庄西と同じような脅威は感じなくなっていました。だから、そのつもりで戦いました。

すこし、なめていたかもしれません。しかし、上里の立場からすると、そう何度もやられているわけにはいきません。なんとかして一泡吹かせてやりたいと思うのは当然です。そのため、今度は必死の挑戦をしてきました。
それは、オールコートマンツーマンでした。

考えてみると、面白いです。本庄西がボックスワンで児玉を破ったので、上里は東高校の大会でそれを使った。東高校の大会で本庄西がオールコートマンツーマンを使ったので、今度はそれを使ってきた。よく考えると、本庄西の作戦を利用して、児玉に勝とうという作戦でした。

後で、冷静に考えるとそうだったんだなと思いました。とにかく、東高校の大会では、オールコートマンツーマンをやったら、どちらも点が取れなかったことは確かです。だとすれば、接戦に持ち込むには、その手がいいと考えたのでしょう。それは、見事に成功しました。

私たちは、慌てました。慌てている証拠に、私はいつもならしないトラベリングを何度もしてしまいました。シュートを決めたのに、入ったシュートが無効になりました。サッカーでゴールしたと思ったら、オフサイドだったというような感じです。バスケットだから状況は違いますが、まるでそんな感じで、シュートが無効になりました。

それで、終わってみたら、前半は、12-4です。こんなに点の入らない試合はないでしょう。上里は大喜びです。4点しか取らないのに、児玉を12点で抑えたことに喜んでいるのです。場合によれば、ひっくりかえせる得点だからでしょう。とにかく、まるで勝っているような喜びようでした。前回は前半で差をつけられて、勝負にならなかったのに、今回は勝負になっているということで喜んでいたのでした。

ーーーーーーーー

後半になりました。先生は私たちスタートメンバーを下げました。そして控えの選手を使いました。言ってみればBチームです。私たちは3年生が10人いました。
だから、5対5が3年生だけでできました。いつでも、スタートメンバーの5人対控えの5人で、まるでAチーム、Bチームのようになって練習していました。

だから、Bチームでも試合ができるのです。しかし、これまでの公式戦ではそのような使い方はしたことがありません。この時が初めてでした。先生は私たちにお灸をすえようと思ったのかもしれません。
私は、大差をつけて、メンバー交代をしたことはありましたが、まだいい勝負をしている内にベンチに下げられたのは、初めてでした。少し頭を冷やせと言われているような感じでした。

そして、ゲームを見ていました。すると、後半はBチームがどんどん点を積み重ねて、何のことはなく、上里を引き離していきました。私は「えーー」と思いました。俺たちAチームより強いじゃないかと。そして、私は喜びました。今まで、補欠という感じでいた選手たちがこの時とばかり大活躍しているのです。終わってみれば、36-12でした。

私は、児玉はBチームの方が強かったんだぜと威張れる材料ができたと思いました。補欠が卑屈になる必要はないんです。ましてやバスケットはそういうスポーツなのです。強いチームは、どこも誰が出ても変わらないくらいの活躍ができると思っていたため、昨年の本庄西のようなチームができたと思いました。

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バスケットの思い出17

2009-12-04 | 思い出
最後の県大会予選は、なんと会場が児玉でした。
過去二回は神川でしたが、新しく児玉に体育館ができたため、そうなりました。
私たちにとっては、毎日練習している体育館です。そういう意味でとても有利でした。しかも、決勝ともなれば、児玉の応援がどっと押し寄せます。今では、サポーターという言い方をするようですが、会場が自分たちの味方になるという利点もありました。調子づくにはもってこいです。

一回戦は、何のことはなく、いつものように楽勝でした。我々は、2-3のゾーンで臨みます。ただ、言い忘れましたが、私は後ろの右側を守る位置にいたのですが、二回ほどきれいに抜かれて点を取られた経験があり、その後で、後ろの真ん中を守るように移動させられました。その抜かれた時は、チームメートから叱られました。「何やってんだよ!しっかり守れよ」と。チームメートからプレーにおいて、叱られたのはこれが唯一だったかもしれません。しかし、そう考えると、いくら活躍しても、いつもは偉そうに教えていても、駄目なところは、友達がしっかり批判の目を向けて、文句を言ってくれる関係だったのだなと思います。

そういう意味では、やはり私の仲間は、レベルが高かったのだと思います。

ただ、それが良かったのは、知らない内に私のポジション移動は、ボックスワン対策にもなっていました。怪我の功名です。ボックスワンは、私が守っていてもH君が私の腰に付いているとお話しました。しかし、私が2-3の3の真ん中ですから、リング下にいるわけです。そこは、フリースローレーンと言って、攻める側が3秒以上いてはいけない場所なのです。居る場合は、3秒以内に外に出なければなりません。それで、そのH君は、その近くの外で待つ訳です。そうかと後で気がつきました。

まあ、そんなこともありましたが、我々はもっとすごい秘策を用意していましたので、そのことは最終的には関係ないことなのですが、それは、他のチームのボックスワンで来るチームに効果的でした。

実は、私のディフェンスの甘さは、理由がありました。それは、ファールをしないということです。私が5ファールで退場するようなことがあってはならないのです。ポイントゲッターですから、私がいなくなったら得点力が低下します。だから、私は、自分の時代になってからは、一度も退場はありませんでした。








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バスケットの思い出16

2009-12-03 | 思い出
そろそろ、クライマックスに差し掛かりました。

東高校招待バスケです。

実は、春の県大会予選での本庄西が児玉を破ったことは、もちろん他のチームが知っていましたが、その勝ち方も各チームの監督は知っていました。さすが本庄西だねと言われました。児玉に勝つ方法があったんだと。

それで、この東高校の大会から他のチームが本庄西と同じことをやり始めたのです。打たれだしたら誰もが打てる大リーグボールではないですが、弱点を見つけられたら、みんながそこを突いてくるという形になりました。
しかし、その戦法は他のチームではだめでした。私もそんなに下手ではありません。他のチームでは、私を抑えようとしても、私が楽々振り切って、シュートを決めてしまいます。やはり、その戦法を編み出した本庄西はただあみだしただけでなく、プレーのレベルが高いのです。もしかすると、H君はディフェンスの一番うまい選手だったのかもしれません。

ただ、思ったのは、弱いチームなら、仮に私が出なくても勝てますが、問題は上里でした。上里が本庄西とおなじことをやったら、どうなるかは、ちょっと気になりました。そして、思った通りやってきました。私たちは、実はその対策を持っていました。秘策に対する秘策を用意しているのです。しかし、それを使う訳にはいきません。もし負けそうになったら使うかもしれませんが、そうでない限り使わないと決めていました。

監督とコーチから、それは使うなと言われていました。だから、我々は、何も対策のないまま戦うしかないのだと相手に思わせなくてはなりません。そのため、まず上里がポイントでした。

しかし、上里は私が想像するほどは、強くありませんでした。夏までに伸びてこなかったのです。我々が練習試合で大原に勝ったことは、それなりに力が伸びていた証拠ですが、その分上里とは差がついていたのですね。

どうしてだか、分かりませんが、春の大会以来、上里は常に準決勝で児玉と当たるようになっていました。そして、そのたびに、差が開いていきました。

決勝は、予定通り児玉対本庄西でした。

この大会は、面白いことに、予選は外コートで行ない、決勝だけ体育館でした。
女子は早々と児玉が優勝していました。児玉の女子は、負けることはなく、常にこの児玉郡本庄市の大会では優勝していました。

そして、男子の決勝です。

我々は、大変な秘策を持っていましたが、この大会では見せるなと指示が出されていました。そして、極端に言えば、この試合は負けろとまで言われていました。
負けろがオーバーなら、勝ってもいいが、勝たなくてもいい。というのです。
とにかく、秘密兵器は封印しろという命令でした。だから、日頃練習していた方法は全く見せませんでした。

すると、この試合は本庄西が次の作戦を披露しました。それは、なんとこちらが得意なマンツーマンディフェンスで来たのです。私は驚きました。ということは、ボックスワンではないのです。マンツーマンなら、攻め方が違います。それで、我々は、全員が大きくコートの端まで広がって、コートの中央を空けました。マンツーマンということは、一人に一人づつ付くのです。オフェンスのいるところにぴったり一人づつです。ということは、オフェンスが広がれば、必然的にディフェンスも広がるので、コートの中央が空くことになるのです。

そして私は、その空いたコートの中央でボールをもらいました。そうなれば、他の選手が広がっているため、コートの中で、単なる1対1の勝負ができるのです。
私は、ボールをフリースローサークルの辺りでもらうと、そのままランニングシュートの要領で、シュートに行きました。少しだけフェイントをかけましたが、ほとんどそのままの勢いで、行ったのです。そうしたらやや危ないシュートでしたが、入りました。

そのプレーは、誰も決めた訳ではないのに、上手く行きました。誰かが中央に走りこんでしまえば、私の邪魔になってできないプレーなのですが、よくみんなが示し合わせたように、広がって、私に1対1の形を作ってくれたものだと思います。
こんなのは、誰からも教えてもらっていませんでした。

その後、同じことをやられてはいけないと、本庄西が少し、コートの中央ぎみに引いて守ったので、できなくなり、その後、しばらく、2対0のまま時間が過ぎました。どちらも点が入らないのです。本庄西もマンツーマンディフェンスのために疲れて、オフェンスでもうまくいきません。おかしな試合ですが、本当に点が入らない状態が長く続きました。

そのため、これではいけないと本庄西がゾーンディフェンスに戻しました。
それで、試合が動き始めました。こちらも点を取りましたが、相手も取りだしました。確か前半は児玉が勝っていたように思います。

その後です。私はバスケットを始めて初体験の痙攣をしてしまったのです。左太ももの痙攣です。これは、大変なことになったと思いました。まるで、ふくらはぎの筋が切れたのではないかと思いました。そのくらい筋肉がひきつっているのです。
その後、このひきつった状態は治らなくなりました。それで、その試合は私が最後まで、出られず、結局負けてしまいました。

この負けは、私が痙攣をしなければ、どうなっていたかは分かりません。
勝ってもおかしくない試合でした。でも先生もコーチもこれで良いと思っていたようです。

そして、県大会予選を迎えました。

つづく

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バスケットの思い出15

2009-12-03 | 思い出
3年生の夏の大会は、3つあります。

一つは、夏の県北大会、そして本庄東高校の招待バスケットボール大会、最後は県大会予選でした。

本庄西との宿命の対決は、後の二つです。

前の二つは、どっちが先だったか、忘れてしまいました。とにかく県大会の予選が最後だったのは、確かです。

まず、県北大会の状況を簡単にお話しします。実は、これもとんでもないことなのですが、我々の対戦相手は、一回戦が熊谷大原に決まりました。みなさんおかしいですよね。新人戦の時に、準決勝で当たった相手ですよ。本来ならどちらもシードされていいはずなんです。それが、一回戦でなぜ当たるのでしょうか。こんな抽選があるでしょうか。私は、文句を言いたくなりました。

しかし、少し前にお話しましたが、我々は、この大原中学と練習試合をして、勝ってしまいました。児玉中学が体育館ができて、そこへ、大原中学が来てくれたのです。その時の驚きは、少しお話しましたが、あれほど差のあった大原中学になぜ勝てたのか今でも不思議です。後で聞くと、その練習試合には、キャプテンが来ていなかったような話でした。そんなことは生徒の我々は知りません。前回は、誰がキャプテンかなどは関係なく、とにかく目茶目茶にされたのですから。誰かが一人くらい欠けたところで、何も変わらないくらいの大差でした。

だから事情はどうあれ、練習でこんなにも力が追いつくことがあるという体験をしました。そうしたら、この組み合わせです。先生たちも驚いたでしょうね。
もう、公式試合では戦うこともないだろうと思いつつ組んだ練習試合だったはずです。しかし、練習試合というのは、ある目的を持ってするので、全力の戦いではない場合があります。この戦法を試してみようとか、この選手を使えるようにしようとか、そういう目的を持ってするので、それが今のそのチームのベストの力とは限らないのです。それと、大原の方も、前回の記憶があるので、まさか負けるとは思わなかったでしょう。そんな油断もなかったとは言えません。

結局、この県北大会では、我々は大原恐れるに足らずという気持ちになっていました。

本番が始まりました。
やはり、我々は、常にリードして進みました。ただ、違っていたのは、やはり本番です。相手も本気でした。だから、練習試合のときのように楽に勝たせてくれません。それと、今度はキャプテンがいるのです。だから、途中まで結構いい勝負をしました。しかし、一度勝ったということは気持ちの上で大きいですね。負ける気がしないのです。あの大原に勝ったんだということが大きな自信になっていました。

それで、とうとう勝ってしまいました。

これを見て、驚いたのは本庄西です。「おい、児玉が大原に勝っちゃったぞ!」という驚きの声が、私の耳にも聞こえました。まさに、番狂わせだという感じでした。本庄西は練習試合のことは知りません。だから、本当に驚いたでしょうね。そして、脅威に感じたはずです。しかも、勝った我々は平然としているのです。それにも驚いたでしょう。

ーーーーー
この県北大会は、おかしな組み合わせで、我々は、二回戦で荒川中学と対戦しました。この荒川中学は、春の県大会で優勝しています。新人戦の県北大会では、3位にも入らなかったチームが、その後、力を付けて大原を破って、春の大会は県大会に出場し、しかも優勝してしまいました。
とことん、走るチームで、オールコートマンツーマンを行い、選手がどんどん交代するチームでした。真っ黄色のユニホームがとことん走り回ります。そのチームに、我々は、大差で敗れました。組み合わせが良ければ、もしかしたらまた、3位くらいまで上がれたかもしれないのですが、どうして、そういう組み合わせだったのでしょうね。

ただ、そこで、学んだのは、そのとことん走り回る荒川中学のバスケットは、あの大男のいる深谷にも勝ってしまったということなのです。あれだけ上手いと思った大原が、歯が立たなかった深谷なのに、荒川は勝ってしまった。だから、やり方次第で、勝つ方法はあるんだなと思って帰ってきました。
ーーーー

つづく

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バスケットの思い出14

2009-12-03 | 思い出
春の県大予選がやってきました。

場所はやはり、神川中学でした。体育館が新しかったからでしょうか。新人戦と同じ会場でした。

私は、本庄西のことばかり考えていました。一つ上の学年が県大会で優勝をした。それを見ていた。しかし、自分たちは県大会にも出られなかった。それをどういう気持ちでいたかということです。そして、絶対俺たちだってという気持ちで、児玉に立ち向かってくることが予想されました。どんな涙ぐましい練習をしていたことだろうと想像していました。

前回と違っていたのは、組み合わせでした。上里が今度は児玉のブロックに来たのです。私は、何で??と思いました。三番目に強いチームは、二番目のブロックでいいはずです。弱ったなと思いました。前回の逆です。我々は準決勝から大変な状況になるのです。そう思いました。

一回戦は、前回と同様に楽勝でしたが、準決勝から緊張しました。なぜなら、上里は前回本庄西といい勝負をしているからです。それで、かなりの覚悟で我々は上里と対戦しました。しかし、その割に、上里が伸びていなかったのか、我々は、あまり苦労しないで、勝ってしまいました。それで、あれーーと思いました。そんなに恐れることはなかったのかと。

そして、決勝になりました。やはり当然のごとく相手は本庄西です。予定通り上がってくるのですから。漫画みたいですね。そして、宿命の対決になりました。
我々は、前回と違うのは、ゾーンディフェンスで臨みました。なぜでしょうか?
よくわかりません。それは、先生の指示でした。少し、過信した部分があったのか、受けて立つという気持ちだったのか、前回のような必死さがかけていました。オールコートマンツーマンディフェンスでなくても勝てることを示したかったのでしょうか。その辺りは、先生やコーチの指示でした。
そして、試合は、互角に進みました。しかし、常に1~2ゴールリードされて進んだように思います。

実は、この時、本庄西はとんでもない秘策を用意してきたのです。それは、ボックスワンという戦法でした。それまで、どこのチームもやったことのない、しかも、私も知らない戦法でした。
それは、私だけを抑えるという戦法なのです。どういうことかというと、本庄西の一人の選手が仮にH君とすると、そのH君が私につきっきりになるのです。要するに私だけマンツーマンになるのです。他の選手は4人でダイヤモンドの形でゾーンを組みますが、そのH君は、私が動くところへどこへでもついてきます。たとえ、私がボールと関係ないところにいても、彼だけは私から離れないのです。要するに嫌がらせのごとく、ついて回ります。そして、更に驚いたのは、H君はオフェンスをしないのです。オフェンスとは攻めることです。本庄西が攻めている時でも彼は、私についています。
とんでもなくおかしなことなのです。わかりますか?私が守っている時も、H君は私の腰にくっついたままです。二人で守りっこになります。お互いにディフェンスをしているなどという滑稽なことがあるでしょうか。本庄西はとにかく私を抑えれば勝てると踏んだのです。

その戦法が、成功しました。私は、自分の腰に重たい荷物をくっつけられたように、常に張り付いたH君を引きずっていました。大好きな人にくっつかれるのは、嬉しいですが、私は大嫌いな人にまとわりつかれたようなものですね。おいふざけんなよといいたくなりました。
良く考えたら、彼は可哀そうですよね。自分は試合の最初から最後まで、ボールには一回も触らず、ひたすら私にまとわりついて、私の顔ばかりみているのですから。人格もなにもあったものではありません。しかし、それがH君の使命なのです。

それでも、私はなんとかしてH君をふりほどいて、シュートを打とうとしました。もちろん、そんな状況でも私は点を取ったのです。しかし、前回のようには、取れませんでした。そして、結果は負けました。本庄西の秘策に負けました。

これが、春の県大会予選の結果でした。

この日から、このボックスワンに対する対策が始まりました。どうすれば、私がH君をふりほどいて、シュートが楽に打てるように持っていけるかという研究です。しかし、考えてみるともっと早い方法があるのです。それは、私以外のメンバーがシュート力をつけることでした。しかし、それが、スムーズにはいかないのです。シュートというのは、そんなに簡単に力がつかないことが分かりました。

ただ、仲間が菅野ばかりに頼っているから、こういうことになるんだと自覚したことは確かでした。そして、夏までに今度は秘策に対して、こちらの秘策が始まったのです。

つづく


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