一昨日は冬木学園60周年記念シンポジウムで養老先生と対談を行う。
養老先生の講演はリベットの意識と脳の問題、ルリヤの偉大なる記憶力者の物語などから始まって、少し聴衆者には高尚な話になると思ったが、即座に軌道修正を行い、日ごろ慣れ親しんでいる「同じ」「違い」の観点から話が進んだ。
この観点については、このブログでも過去に同じ視点で述べている。
それを読んでもらいたい。
いずれにしても、同じという意識に安心が得られるのは確かだ。
現代人のひずみはそこに出ており、同じでない意識に遭遇したときに「逆ギレ」が出現する。
これは、三つ子の魂百までといわれるが、まさにそうだと思う。
両親の役割が大きい。
その次は学童期かな、社会を知る第一歩なので。
幼児の「泣く」という行為は、乳児の「泣く」という行為と同じでない。
幼児には「意図的な関係」を構築しようとしている。
そのとき、徹底的に意識の違いをみせることで、怒ることが必要だ。
バリヤフリーの僕の意見には誤解がないように。
車椅子の物理的な問題にはもちろん推奨する。
そうでなければ過保護であり、車のカーナビと同じである。
「安全基地」「不安」の捉え方に養老先生と若干のズレを感じたが、議論が長くなりそうなので、やめる。
聴衆者のメインは養老先生なので。
いろいろ書き進めたいが、もう出張に出ないといけない。
先週の疲労が今頃来た。
身体化されてしまった。
YORO-MANIAX
http://members.jcom.home.ne.jp/dannyboy/yoro/
養老先生の講演はリベットの意識と脳の問題、ルリヤの偉大なる記憶力者の物語などから始まって、少し聴衆者には高尚な話になると思ったが、即座に軌道修正を行い、日ごろ慣れ親しんでいる「同じ」「違い」の観点から話が進んだ。
この観点については、このブログでも過去に同じ視点で述べている。
それを読んでもらいたい。
いずれにしても、同じという意識に安心が得られるのは確かだ。
現代人のひずみはそこに出ており、同じでない意識に遭遇したときに「逆ギレ」が出現する。
これは、三つ子の魂百までといわれるが、まさにそうだと思う。
両親の役割が大きい。
その次は学童期かな、社会を知る第一歩なので。
幼児の「泣く」という行為は、乳児の「泣く」という行為と同じでない。
幼児には「意図的な関係」を構築しようとしている。
そのとき、徹底的に意識の違いをみせることで、怒ることが必要だ。
バリヤフリーの僕の意見には誤解がないように。
車椅子の物理的な問題にはもちろん推奨する。
そうでなければ過保護であり、車のカーナビと同じである。
「安全基地」「不安」の捉え方に養老先生と若干のズレを感じたが、議論が長くなりそうなので、やめる。
聴衆者のメインは養老先生なので。
いろいろ書き進めたいが、もう出張に出ないといけない。
先週の疲労が今頃来た。
身体化されてしまった。
YORO-MANIAX
http://members.jcom.home.ne.jp/dannyboy/yoro/