1月3日より働きっぱなしだとどこかに心の隙間ができるときがある。
それが時に大きくなると倦怠感があふれてくる。
今日から3年生の実習が始まり、さっそく施設に連絡を入れた。
中旬付近に行きたいが、懇親会が続くため、休肝日を作らないといけない。
大学院の入試を採点しつつ、
明日の人間発達学の再試験を作成し、
午後には十河さんと平松君が大学研究室へ。
最後の
本研究室のM2の口頭試問である。
十河さんのワーキングメモリとストレスに関する研究。
彼女は2年間香川にいながら時に急な召集にも関わらず、無事に修士論文を提出した。
時間的にコンタクトを深めず、距離的にいろんな問題もあったが、
無難に修了したほうだと思う。
平松君の擬態語と運動制御に関する研究は、
ある程度仮説に対して肯定的な結果を示し、
できれば、さらに深めて国際雑誌へと考えている。
そのステップに修士論文があると思う。
とにかく、お疲れ様。
7名のM2の発表、試問がこれで無事に終わった。
あとは後処理と論文投稿を進めてもらいたい。
博士の3名の進捗が急に気になってきた。
タイムリミットになるつつある。
しかし、講演依頼が次々と。
すでに12月のスケジュールを調整し始めている。
おおよそ1年後のスケジュールが重なりつつあるのは、なんだが異常なように思えてきた。
今年は論文、本をしっかりと進めていきたいとも思っている。
どのように生活すべきか、そして英語、フランス語も久しぶりに勉強してみようかとも思っている。
しかし、年齢、立場と考えると、自分のためも大事だが、他者のためにもとも思う。
それらが別々に思うのではなく相互に作用すればよいのだと思う。
概して、年を重ねると「下」のためにと思うが、
それはそれで、プロではない。
プロはしぬまで極めようとする人を言う。
どこかで発展に終止符を自らの手で、というのはよくない。
教育とは背中を見せ、模倣させるのが、基本なのである。
まずは模倣学習から始まる。
模倣する対象がプロでなければ、
プロは生まれない。
はったりばっかりが横行するメンツばかりが増える。
プロはプロからでしか生まれない。
そして、それはコピー人間ではない、
必ずそれは、自立して発展させ、社会に貢献する人物である。