森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

熟練と無感動

2010年02月09日 19時54分27秒 | 過去ログ
福岡から帰り,すっかり体調は斜めに.
どうも40代を前に講演後,その足で帰路に,そして深夜に自宅のコースは,
体がノーサインを出し始めている.
移動日を設けないと体がいうことをきかなくなりつつある.

月曜日は冬木学園の会議.
建学の精神を理念だけでなく,指針として打ち出すことの検討や,
今度のやまとフォーラムに関する企画検討であった.

私のほうは大学院の修士論文の審査のほかに,
学部の試験採点を行わないといけないが,
腰が重い.
教員になって間もないころは,採点がまさに教員の仕事といわんばかり,
すぐさま採点を開始していた.
楽しかったのだろう.
私の恩師で上司たちはなかなかしなかった.
時には公表がそれで遅れる場合もあり,
若い私は苛立ちを覚えたりしたが,
その年になり,それなりの仕事量となり,
学内だけでなく,外の仕事,社会貢献の仕事が増えている今となっては,
その気持ちもわかるし,
採点という非意識行為に「楽しさ」はわかない.
すなわち,予測通りということになってしまうからである.
私自身,誰がどんな点数をとろうが,「ドキドキ」しない.
動いて,感じる,このとき,感じることができないのであれば,
動きたくなくなるのだろう.
試験採点をしても,何も感じなく,何も思わない自分を予測してしまうと,
それは学習性無力感となってしまう.
「感じる」ことができなくなれば,「動かなく」なる.
それを身をもって思うことができる.
採点は時に苦痛にも変わる.

かえって龍馬伝を見た.
生瀬松陰の言葉がよい.
福山龍馬は土佐弁が上達してきた.
田中泯さんの吉田東洋がすばらしい.
彼の土佐弁は土佐弁である.
彼は身体表現者なのである.




本日は大学院会議があり,採点をぼちぼち始めた.
明日がタイムリミットである.

3月までに1本原著をと思っているが,
英文考察の段階で止まっている.
科研費研究にめどをつけないといけないので,可及的に行いたい.

さて,現実逃避のブログであったが,採点に戻りたい.

先ほど,院生の若田君が来て,Buxbaum の追試研究にゴーサインを出した.

来年度は畿央大学ニューロリハビリテーションセミナーを定期的に開催したい.
基礎編,研究編,臨床編と3部作になっているので,こうご期待.
追って,このブログでファーストアナウンスします.


山本さんのブログにも記事が掲載されていた.