森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

児玉清とリリー

2010年02月14日 22時58分55秒 | 過去ログ
この二人の龍馬伝のやりとりに感動した。
一話一話に、自分の人生は何なのかを感じさせる。

「生きる」ということ。

それはこの世に生まれた定めである。

私が私になるために生を全うする。

それが人生である。


それにしても、小龍、龍馬、半平太、弥太郎の場面は、たいちゃあ、わろうた。



リハビリや理学療法も鎖国ばっかりじゃあ、いかんぜよ。

自分らあを保護するために、新しいもんを排除しよったら、
なんちゃーあ、進歩はないき。

エビデンスの名のもと、発展を止めるやつらは、
徳川幕府みたいなもんぜよ。

エビデンスベースドリハからサイエンスベースドリハへ、はよう気づいてかわらにゃあいかん。

文献ばっかし信じず、それは情報として取り入れ、
己の目と体で確かめや。

俺はにゃあ(わしはのう)、好きな文献、参考にした文献を書いたフランス人とアイスランド人とイギリス人とイタリア人に会いにいって、どんなことしゆうか、この目で確かめたぜよ。
ほんでにゃあ、一番、尊敬できる人をその中から選び、留学先に決めたき。


そんでもって、書くことより、しゃべってみんとわからんと思うたき。

論文では見えん。そいつがほんまもんかどうかが。


そういった心意気を今の20代のセラピストにも感じたい。


ほんまに、こんまい、こんまい。




身体の魅力

2010年02月14日 09時56分42秒 | 過去ログ
木曜日、朝6時すぎに奈良を出て新富士に向かう。
こだま号に久しぶりにのる。
学習しており、指定席が混むため、自由席にする。
新富士駅につくと、いつも目の前に壮大な富士山が迎えてくれるが、
今回ばかりは、お顔を拝見できない。
内田先生曰く、「富士山は恥ずかしがり屋さん」
こんな天気に少しブルーになるが、
それだけ富士山は雄大であり、人々の心を魅了し、
人生を考えるきっかけにもなる場合があるのである。
日本の象徴でもあり、日本人としての自覚を感じる。

富士リハビリテーション専門学校につくが、
毎週の講演移動のために、腰痛が悪化しており、
その中での講義スタートとなる。
私の頸部が年々、大きくなっている。
これはもちろん太ってきたせいもあるが、
毎週、非意識の上でのGを乗物から受けており、
知らないうちに、筋収縮が反射的に要求されていることも原因ではないかと思った。
だから、痛みにもつながっているのではないか。
自らが能動的に収縮するといったトレーニング効果があるのは、
単に筋トレというだけでなく、自らの運動単位の動員に対して、
遠心性コピーを使うことができるために感覚フィードバックとの間に整合性ができるために、painを出現させないようになるのかもしれない。

昨年の富士

一昨年の富士リハからの眺め



講義は脳科学と脳損傷。
機能回復に伴う運動学習手続きの意味、本質について教えていった。
まずまずであったと思う。

みなさんの講義を聴き、自らの考え方と比較照合し、
更新し続けた。
この講習会は他者の講義を聞いて更新できるからいい。

懇親会に出て、受講者といろんな話をして、
脳損傷者の治療に向けて意識を高めた。

翌日もあいにくの雨、世界に意味を与える身体と題して、知覚運動循環の意味を考えた。
身体は世界を作る。
それは外部環境の意味付けだけでなく、内部環境の意味も。
私の身体には受容器がある。
バイオメカの決定的問題はその受容器を度外視している。
一方、感覚はS1に伝えられるが、脳がそれを選別している。
意味あるもののみ情報に変えられる。
情報は差異から生まれる。
記憶が使われる。
身体だけでは情報化されない。
脳と身体がシステムをなしているから「情報」になる。
知覚はゆえに主観である。
主観的知覚は脳と身体で生み出すものであり、
客観的感覚が主観的知覚になりえないのも、脳の仕業である。
錯視現象もそのしかりである。
必ずしも客観的事実を患者に教えても、
患者の脳には届かない事実がある。
それでもセラピストは外部から刺激を続け続ける。
もっと脳と身体の本質を理解すべきである。
やはり、受け売りでなく、人間について考え続ける。
という魂を感じない。

人間の運動について再度学習し、
それを教育する展開を考えている。
認知神経リハビリテーションの本質はそこにあるのだから。
脳トレではない。
ナラティブに人の話を傾聴するのではない。
その誤解が蔓延している。
誤解を招くのも関係性。
それも人の主観的知覚である。
人間はそのようにできている。

実技をして、セラピストを感じ、
皆さんの理解の促進につなげた。
私の身体の魅力を感じてもらわないと、患者さんには向き合えない。
まずは人間としての自分を体感することからスタートしてもらいたい。

夜は遅くまで飲み、二日酔いの中、3日目。
富士はついに恥ずかしがり屋のままであった。

アンケートをみると、おおむね良好である。
講師に依存する場合もあるが、認知とは教育でもあり、
講師陣はある程度教えることとななにかをしった者たちである。

16時に富士をたち、奈良まで。
東京より遠い、このたびは時間とは何かを感じさせてくれる。
毎年、温かく迎えてくれる、静岡の仲間に感謝である。

今日は大学院の入試である。
バレンタインデー入試。
受験のほとんどは男だが・・・・