Feelin' Kinda Lucky

ちょっと書いとこう・・・・

加賀越前旅行・その3

2015年09月23日 | trip

で旅行の最後は、楽しい食べ物から一転、男の子向けなマニアックなのりもののお話。

かつては富山にあったがいまは小松市に移転した日本自動車博物館。もともとは富山のセメント販売業のオーナーのコレクションから始まった。懐かしいクルマがたくさん。でも建物の割にクルマが多いので結構ぎっしり並んでる。もっと間隔をあけて展示できる広い場所で見れるといいと思う。

これは1950年代の三輪のミニカー。右からメッサーシュミット、フジキャビン、ハインケル・キャビン。ちっちゃい!

ギャランGTO(左)とFTO(右)このGTOはMRというグレードでツインカムだった。かつて私が乗ったのは後の2リッターになった仕様だった。2リットルになっても4気筒エンジンは吹けが良かった。FTOはオーバーフェンダー付きのGSR。ホイルベースが短いので舗装のタイトコーナーでは4ピニオンのLSDにアップグレードすると抜群の旋回性能を示した。ピッチングに弱いのでラリーでは直進性が悪いので同じ4G32エンジンを搭載したランサーの方が多く使われた。

私がラリーをしていたころ、国内ラリー常勝だった初代、TE27のレビン/トレノ。これはトレノ。2TGエンジンのフルチューンのラリー車にも何度か乗ったが、速くて、クセがなく乗りやすく、メンテも容易だった。先輩がこの後、二代目トレノのラリー車を所有していたが、重量増などのせいか、機敏な初代に比べかなり鈍重なイメージがあった。

これはいい状態!ポルシェ356  アメリカで最近 ビンテージ市場で高値。

ビンテージ市場で高値といえばコレ。もはや「億の世界。私が学生の時、中古で300万円で買えた。もっともそのころの300万円は今の1千万円超だろうけどね。

これはいすゞのヒルマン。イギリスのライセンス生産。最初はKD(ノックダウン)生産から始まり数年後に国産化。

ヒルマンのライセンス切れから、その後継的な意味合いで開発された。ディーゼルエンジンで話題になったが、そのカタカタとうるさいエンジン音、塗装の不具合、組み立て品質の悪さからイマイチ評価が悪かった。でもこの三角の形状のリアのライトは懐かしい。

ライセンス生産からはじまったといえば日野のルノー4CV。子供のころ、タクシーで初乗り60円だった記憶がある。今見ると、室内、狭いなんてもんじゃない!

これは初代シルビア。スペシャリティーカーという言葉があったがその最初がコレ。たしか東名道あたりでパトカーもあった。

マツダキャロル。高校のときの化学の先生がずーっと乗ってた。

これはプリンス自動車のプリンス・セダン。プリンスは前身、「たま自動車といい、後の日産の技術担当の常務になる田中次郎氏やスカイラインで有名な桜井眞一郎氏が若手の技術者として頑張っていたらしい。

同じくプリンス自動車、左が初代、右は二代目のグロリア。 右のスーパー6、この色と同じクルマ、軽井沢で皇太子様(現天皇)がご自身で運転してご滞在先の門から出て行かれたのを見たっけ。超ごゆっくりで慎重な運転でした。

これはスカイライン・スポーツ。デザインはミケロッティ。1962年当時、クラウンの2倍の価格だったそうな。

これはプリンス・スカイライン、初代。最初は全然スポーティじゃないね。

途中で日産と合併したときの二代目スカイライン。これらは1500のボディをロングノーズにしてグロリアのG型6気筒を搭載した2000GT。右は2000GTBで、いわばGTRの先祖的な存在。レース用のウェーバーのキャブ3連!付き。当時ウチの父所有のは2000GTAだった。

戦後初の国産設計の国産乗用車。トヨタSA型。1948年に東海道線の急行列車と競走して買ったというデモンストレーションをしたことで有名。ダットサンに対してトヨペットという名前もこのクルマの愛称的に使われたのが最初らしい。品質的にはまだまだ低い水準だったようだ。

こちらはトヨペット・コロナ(初代)当時は小型タクシー市場でダットサンに負けていたのでそれに対抗して投入したらしい。当時はさほど、車種のバラエティのない時代なのでタクシーに採用されているか否かということは大きなセールスポイントだったのだろう。

ダットサン210系。この頃はまだ、フロントサスペンションもリジットだった!

こちら、日産ブルーバード・ファンシーデラックス。ウインカー作動時のオルゴール音やカーテン、今じゃ当たり前のサンバイザー裏のバニティーミラー、ハイヒールボックスなど、初の女性向け仕様乗用車で話題を呼んだ。

 

日産セドリック 日産発のモノコック構造。これは初代の後期型、ヘッドライトが「タテ目」から横にかわる。

崑ちゃんのミゼット。子供の頃、エンジンかけないで、運転席にのって自転車みたいなハンドル握って、大人の人に押してもらって超うれしかった。

懐かしいサーブ96。非力だったがFFゆえ、結構雪のラリーでは国際的に活躍しエリック・カールソンやスティグ・ブロンクビストなど名選手を生んでいる。一番最初は2サイクルエンジン。

1960年代中盤のベントレー。実はこの一つ前のモデルのほうが曲線がオシャレで個人的には好き。今のベントレーは成金的でチョット引くけど・・・(どうせ買えないし)

カルマンギア。60年代コレに乗って軽井沢にいたお坊ちゃまクンはオシャレだった。

60年代前半のフォード・タウナス。U型のアップアラウンドなバンパーが印象的。結構東京の街中でも見られた。宇津井健の「ザ・ガードマン」でも有名だった。

締めに メルセデスのガルウィングの300SL。これは夏木陽介の所有らしい。このクルマを見ると力道山と裕次郎を思い出す。それにしても乗り降り大変そうだね・・・

あ、そうそう、ついでだけど なぜかこんなものもありましたよ。

以上でクルマは終わり。さて帰路のため小松飛行場に行くが、まだチョット時間がある。

で、ここに寄ったよ。「石川県立航空プラザ」空港の真ん前!

おお、本物のF86セイバー戦闘機。朝鮮戦争で活躍した戦闘機で、日本の航空自衛隊の主力戦闘機でもあった。初代のブルーインパルスの機体で東京五輪の大空の五輪を描いたヤツ。この頃、本気で将来は五輪の体操選手になるかブルーインパルスのパイロットになるか悩んだ。

 

ブルーインパルスの二代目はコレ。国産(三菱重工)のT-2。このペイントのデザインは当時の女子高生だって!もちろんパクリなし。

最後にコレ、ロッキードF104J。これは大好きで幾つかプラモデル作った。カッコ良くてあこがれたなあ。今見てもいいなあ。でも子供の頃思っていたサイズよりは小さかった。

奇しくも、明日は集団的自衛権行使容認の安保法案決議の日。チョット複雑な心境・・・

・・ってなわけで 金沢の旅行最終日は小松飛行場界隈の男の子的にはしっかり楽しめる施設でナイスな時間つぶし。

奥さん、つまんないもの付き合わせてごめんなさい。


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