読書というほどではありませんが、時間があるので何となく活字を追っています。
度々引用させてもらう「A.フラッサーの正統服装論 "Clothes and the Man"」をめくっていたら、普段言ってるようなことがそのまま書いてありました。
10年の間には引用した気もしますが、この部分だけ読んでいただければもう十分というくらいの内容で、繰り返しご紹介する意味があると思います。
「世界のベストドレッサーに共通な点は一体何でしょう。
ベストドレッサーは皆同じ服装をしているということでは決してありません。
例えばケーリー・グラントのワードローブはフレッド・アステアのワードローブとはずいぶん違います。
しかし二人とも、20世紀のベストドレッサーであることに間違いはありません。
事実彼らの服装には、他の大勢の人とは違う何かが確かにあるのです。
その秘密はーそれが秘密といえるならですがー
これらのベストドレッサーの身につける服の一つ一つが、最高の品質で完璧といえるまでの良い趣味の品々だということです。
それと同時にこれらの人々はその服を実にくつろいで着ています。
つまり、服を他の誰のものでもなく、自分自身のものとして完全に着こなしているのです。
質の良い服を着るということは、最高の素材だけを使い、かつクラシックな装いの伝統に則ったデザインの服を選ぶということです。
移り変わるファッションの落とし穴にはまらないですむのはこれらの服だけなのです。
ワードローブがこれらの服だけでできていれば、間違っても趣味の悪い着方をすることはありません。
ある組み合わせは他の組み合わせよりも良いというだけで、実際何を着てもよく似合うのです。
例え最悪といえる組み合わせをしたとしても、大惨事にはいたりません。
それどころか、その人らしい癖の出たおもしろい着こなしといわれることでしょう。
1930年代、男たちは本当にエレガントに見えるためには、服は微妙なバランスを保っていなくてはならないということを発見しました。
目立つ服を着るのは手段を選ばない成り金趣味の人だけです。
19世紀に控えめなエレガンスの究極を達成したといわれる、かの有名なダンディー、ボー・ブランメルが言っています。
「もし人が振り返って見るようなら、その装いは決してエレガントとはいえない。服が新し過ぎるか、きつ過ぎるか、または流行を追い過ぎているのだ」
洋服の質、そしてクラシックスタイルの優れた点をわかっていただくのがここまでの章のポイントでした。
さてこの章ではいよいよ、これらの洋服を組み合わせてあなた自身のスタイルを作ります。
自分のスタイルを作る第一歩は、まず自分自身の体格を客観的に見ることから始まります。
(中略)
これらの点を知ることで体の欠点をカバーし、長所を強調する装いの仕方をすることができます。
しかしこれはあくまでも一般的な提言で、決して守らなければならないというものではありません。
ですからもしスタイルの良いスーツにしようか、それともただこのアドバイスに従っただけのものにしようかと迷っている時は、迷わずスタイルの良いもののほうを選んでください。
実際より細く、あるいは背が高く、あるいは痩せて見えないかもしれませんが、これらの事柄はエレガントに装うという大きなゴールから見れば、ほんの小さな点にすぎないのです。」
コンパクトに、要点が網羅されています。
少し付け加えるなら、「最高の品質で完璧といえるまでの良い趣味の品々」とありますが、当時必ずしもべらぼうな価格のものではありませんでした。
以前書いたように、ケーリー・グラントはしまり屋として有名で、決して服に多くを払わなかったと言います。
今日伝説的な店も、もちろん当時安くはありませんが常識的な価格で、服にしろ靴にしろ同格の店がいくつかあったことも一因でしょう。
ですから「最高の品質」にもバリエーションがあって、狭義の「最高」という感覚ではありませんでした。
しばらく前にご紹介した「洋服通」の著者・上原さんという方は、神戸にダグラス・フェアバンクスが寄港するというので、わざわざ会いに行ったそうで、その時の印象として、スーツの生地はあまりたいしたものを着ていなかったと書いています。
アステアやグラントの前の世代ではトップで、ウェルドレッサーとして知られるD.フェアバンクスでも、実際に身につけていたのはオーソドックスなものだったと思われます。
「最高の品質」は買える可能性がありますが、注目すべきは「完璧といえるまでの良い趣味」の方で、こちらはなかなかお目にかかれません。
昔と違って繰り返し映像を見られますから、基本を理解してその気さえあれば、いくらでもエッセンスを吸収することも可能です。
また幸いなことに今では様々なノウハウが伝わり、適正なパターンと作りに適宜補正を加えることで、本格的に着心地が軽くて柔らかく動き易い作りの服を、C.グラントが喜びそうな価格で作ることもできます。
ただ、なかなか巡り合えないかもしれませんが。
別件ですが先の「洋服通」を読んだ後、白井さんに「上原さんという名前の仕立て屋さん、ご存知ですか?」と伺ったところ、「何だか聞いたことあるね、赤坂の人?昔うちのお客さんでも、上原で作ってるっていう人いたねぇ」とのことで、白井さんの記憶のおかげで意外にも話が繋がりました。
上原浦太郎著 「洋服通」より
1960年9月号のEsquireに特集されたメンズスタイルに関する記事(上)を、1991年に日本版エスクァイアで常盤新平さんが訳したもの。
ジョージ・フレイジャーが書いたこの"The Art of wearing Clothes"という記事には、他の箇所にも「ベスト・ドレッサーは例外なく最高のものにしか手を出さないし(もっとも、一番高価なものとはかぎらぬ)」という表現があります。
度々引用させてもらう「A.フラッサーの正統服装論 "Clothes and the Man"」をめくっていたら、普段言ってるようなことがそのまま書いてありました。
10年の間には引用した気もしますが、この部分だけ読んでいただければもう十分というくらいの内容で、繰り返しご紹介する意味があると思います。
「世界のベストドレッサーに共通な点は一体何でしょう。
ベストドレッサーは皆同じ服装をしているということでは決してありません。
例えばケーリー・グラントのワードローブはフレッド・アステアのワードローブとはずいぶん違います。
しかし二人とも、20世紀のベストドレッサーであることに間違いはありません。
事実彼らの服装には、他の大勢の人とは違う何かが確かにあるのです。
その秘密はーそれが秘密といえるならですがー
これらのベストドレッサーの身につける服の一つ一つが、最高の品質で完璧といえるまでの良い趣味の品々だということです。
それと同時にこれらの人々はその服を実にくつろいで着ています。
つまり、服を他の誰のものでもなく、自分自身のものとして完全に着こなしているのです。
質の良い服を着るということは、最高の素材だけを使い、かつクラシックな装いの伝統に則ったデザインの服を選ぶということです。
移り変わるファッションの落とし穴にはまらないですむのはこれらの服だけなのです。
ワードローブがこれらの服だけでできていれば、間違っても趣味の悪い着方をすることはありません。
ある組み合わせは他の組み合わせよりも良いというだけで、実際何を着てもよく似合うのです。
例え最悪といえる組み合わせをしたとしても、大惨事にはいたりません。
それどころか、その人らしい癖の出たおもしろい着こなしといわれることでしょう。
1930年代、男たちは本当にエレガントに見えるためには、服は微妙なバランスを保っていなくてはならないということを発見しました。
目立つ服を着るのは手段を選ばない成り金趣味の人だけです。
19世紀に控えめなエレガンスの究極を達成したといわれる、かの有名なダンディー、ボー・ブランメルが言っています。
「もし人が振り返って見るようなら、その装いは決してエレガントとはいえない。服が新し過ぎるか、きつ過ぎるか、または流行を追い過ぎているのだ」
洋服の質、そしてクラシックスタイルの優れた点をわかっていただくのがここまでの章のポイントでした。
さてこの章ではいよいよ、これらの洋服を組み合わせてあなた自身のスタイルを作ります。
自分のスタイルを作る第一歩は、まず自分自身の体格を客観的に見ることから始まります。
(中略)
これらの点を知ることで体の欠点をカバーし、長所を強調する装いの仕方をすることができます。
しかしこれはあくまでも一般的な提言で、決して守らなければならないというものではありません。
ですからもしスタイルの良いスーツにしようか、それともただこのアドバイスに従っただけのものにしようかと迷っている時は、迷わずスタイルの良いもののほうを選んでください。
実際より細く、あるいは背が高く、あるいは痩せて見えないかもしれませんが、これらの事柄はエレガントに装うという大きなゴールから見れば、ほんの小さな点にすぎないのです。」
コンパクトに、要点が網羅されています。
少し付け加えるなら、「最高の品質で完璧といえるまでの良い趣味の品々」とありますが、当時必ずしもべらぼうな価格のものではありませんでした。
以前書いたように、ケーリー・グラントはしまり屋として有名で、決して服に多くを払わなかったと言います。
今日伝説的な店も、もちろん当時安くはありませんが常識的な価格で、服にしろ靴にしろ同格の店がいくつかあったことも一因でしょう。
ですから「最高の品質」にもバリエーションがあって、狭義の「最高」という感覚ではありませんでした。
しばらく前にご紹介した「洋服通」の著者・上原さんという方は、神戸にダグラス・フェアバンクスが寄港するというので、わざわざ会いに行ったそうで、その時の印象として、スーツの生地はあまりたいしたものを着ていなかったと書いています。
アステアやグラントの前の世代ではトップで、ウェルドレッサーとして知られるD.フェアバンクスでも、実際に身につけていたのはオーソドックスなものだったと思われます。
「最高の品質」は買える可能性がありますが、注目すべきは「完璧といえるまでの良い趣味」の方で、こちらはなかなかお目にかかれません。
昔と違って繰り返し映像を見られますから、基本を理解してその気さえあれば、いくらでもエッセンスを吸収することも可能です。
また幸いなことに今では様々なノウハウが伝わり、適正なパターンと作りに適宜補正を加えることで、本格的に着心地が軽くて柔らかく動き易い作りの服を、C.グラントが喜びそうな価格で作ることもできます。
ただ、なかなか巡り合えないかもしれませんが。
別件ですが先の「洋服通」を読んだ後、白井さんに「上原さんという名前の仕立て屋さん、ご存知ですか?」と伺ったところ、「何だか聞いたことあるね、赤坂の人?昔うちのお客さんでも、上原で作ってるっていう人いたねぇ」とのことで、白井さんの記憶のおかげで意外にも話が繋がりました。
上原浦太郎著 「洋服通」より
1960年9月号のEsquireに特集されたメンズスタイルに関する記事(上)を、1991年に日本版エスクァイアで常盤新平さんが訳したもの。
ジョージ・フレイジャーが書いたこの"The Art of wearing Clothes"という記事には、他の箇所にも「ベスト・ドレッサーは例外なく最高のものにしか手を出さないし(もっとも、一番高価なものとはかぎらぬ)」という表現があります。