Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

肩コリ

2020-04-24 |  その他
花はあるし新緑はきれいだし、そら豆やタケノコは美味しいし、いつもの年ならこの時期言うことがありません。
5月も近いというのに上空に寒気が入って日が沈んでからちょっと寒いですが、遠くに景色を見に行けなくても、日射しのある時は近所の生垣だけで妄想を働かせることも出来ます。
以前はこういうのを見てもただの植え込みにしか見えませんでしたが、ここ数年この狂ったような色が気になります。



先日、新しいシーズンの始まるTVドラマの主人公へのインタビューで、「やっぱりスーツ着てると肩こりますね」と答えているのを聞いて、きちんと作られたスーツならそんなでもないんですけどねぇ、なんて残念に思いました。

習慣にもよると思いますが、
「朝出かけて帰るまで上着をとらなくても、まったく苦になりません」
とか、
「むしろ着てる方が快適だから、ずっと着てます」
なんていう方も実際にいらっしゃいます。
言えば言うほどあやしい通販のリアクションみたいですが、これはそんなに珍しいことでもありません。

バブルの頃、贅沢な品などいろいろ入ってきた中に、海外ブランドの上級品みたいなものもありました。
その中の二つのアメリカのブランドで、一つはアメリカ製、もう一つはイタリア製のジャケットを試したことがあります。
ところがいずれも、「これ拘束衣ですか?」というくらい腕が上がりません。
一般的な日本製よりずっと着づらくて、本格的な製品のはずなのに、まったく逆の着心地に驚きました。
というのも、それよりずっと知名度は低いですが、着心地のよいイタリアの高級既製服も入りはじめていたからです。

アメリカ製の方は、今では雑誌をよく見ている方なら聞いたことのあるファクトリーで、イタリア製の方は平均的な量産ファクトリーでしたが、それより上のグレードのメーカーが持つ技術がまだ広く浸透する前で仕方ない面もあります。
しかし同じアメリカ製でも、それ以前から手仕事の比率が高く着やすいことで知られていたメーカーもありました(製造の責任者はたいていイタリア人)から、そこに価値を見出したかどうかの違いかもしれません。
そんなことを契機に、見映えと着心地はクルマの両輪だと思い始めました。



もう引退してしまいましたが、ルチアーノ・バルベラという人がいます。
会った時いろいろ語ってくれた中に、「例えばいくら高価で仕立ての良い服を着ていても、汚したりしないか気にしていたのでは、せっかくの服の良さが楽しめない。着ていることを忘れて、その時を楽しむことの方が大事」というのがありました。
単に着心地のことを言っているわけではありませんが、着ていることを忘れられる作りという意味で、今も服を作る時のヒントになっています。

ロケ自粛でTV番組は過去の放送からの再編集が多くなってますが、私のも...いゃ、前からでした。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする